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本編
第二話 結花先生お説教をされる
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お店の裏に止めてあった車の助手席に放り込まれ、有無を言わさずシートベルトを着用させられた。そして顔を上げた霧島さんは、黙ったままでこちらをひとにらみする。つまり、自分が運転席に行くまでに、逃げようなんて考えるなよと言いたいらしい。
「今さら逃亡しようとは、思いませんから」
「さて、どうだかな」
まったく信用されていない。今までのことを思えば、当然のことなんだろうけど。
霧島さんは私のことを軽く睨みながら、運転席の方へと向かった。そして運転席に腰を落ち着けると、素早くロックをかける。
「だから、今さら逃亡しないってば」
「自分が信用されているとでも?」
「……思ってないです」
「そういうことだ」
お互いに一言も喋らず、気まずい沈黙が流れる中、車は町の中を走る。
深夜とあって、普段は渋滞している道路も、交通量はかなり減っていた。そして、とある交差点に車がさしかかった時、そこを曲がらずに直進したことで、自宅マンションに向かっているわけではないことに気がついた。
「何処へ行くつもり?」
「重光先生宅」
「私のマンションは、今の交差点を左に曲がったほうが、近いんだけど」
「先生違いだ。俺が言っているのは、君の父親のほうの重光先生」
お前呼ばわりから、普段の君呼ばわりに戻ったということは、いくぶんかクールダウンしたということだ。つまり先ほどまでは、本当に腹を立てていたということになる。
「なんだ、何か言いたそうだな」
チラリとこちらに視線を向けた。
「勤務時間外とは言え、国会議員をお前呼ばわりするSPなんて、なかなかいないわよねって考えていただけ」
「そう呼ばれるようなことをしている、議員先生が悪い」
「それは悪うございました」
「そう思っているなら態度で示せ」
今後は大人しくしていろと言いたいらしい。
「俺は、君が好き勝手したあげくスキャンダルに巻き込まれたとしても、なんとも思わないが、秘書の杉下さんは責任感の強い人だ。そんなことになったら、彼女がどんな気持ちになるか、考えたことはないのか?」
私がどうなってもなんとも思わないと言われ、加えて杉下さんのことを心配する言葉に対し、少しばかりモヤモヤしたものを感じてしまう。
「ねえ」
「なんだ」
「もしかして杉下さんが好きなの? 彼女、既婚者だけど」
車がガクンと変な動きをしたので、慌てて前のダッシュボードに手をつく。
「もしかして図星?」
「なにを言っているんだ君は」
信号が赤になったのでそこで車は止まったけれど、青のまま直進していたら、その辺の電柱にぶつかっていたかもしれない。普段から沈着冷静な霧島さんが、こんな風に動揺するなんて珍しいことだ。本当に図星だったりしてと思ったけれど、こっちを見ている彼の表情を見れば、それは有り得ないという結論に達した。
「冗談よ。そんな馬鹿な子を見るような目で、見ないでくれる?」
「実際のところ、君のことを馬鹿なんじゃないかと、思い始めているところだ」
「失礼ね。これでも学校では成績優秀だったし、勤めていた会社でも仕事ができる子だって、言われていたんだから」
「学問や仕事ができても、馬鹿なヤツは大勢いるだろ」
君達の世界では特にと、付け加えられた。それに対しては反論できない。何故なら、父親を見ていると、時折それは真理であると、思うことがあるのだから。
まあ父親の場合は、馬鹿は馬鹿でも「恋は人を愚かにする」を体現している、馬鹿なんだけれど。
「重光先生から、君を見つけ次第、自宅に連れて来てくれと言われた」
「どうして?」
「そういうことは、俺じゃなく秘書に聞け。恐らく君がトンズラなんてしなければ、今頃は杉下さんから話を聞けいたんじゃないのか?」
「……」
反論できないところが悔しい。これ以上は、なにを言っても悔しいことしか言われそうにないので、黙っていることにする。私が黙ったことで、霧島さんも運転に集中することにしたらしく、車の中は再び沈黙が流れた。
こっそり、横で運転をしている相手を観察する。普段は一分の隙も無く整えられた髪が少し乱れ気味なのは、長時間の仕事が終わり、やっと解放されたところだから。そしてその口元が真一文字に固く結ばれたままでいるのは、私に対する苛立ちから。私の視線に気がついたのか、銀縁の眼鏡の隙間から、こちらに視線をチラリと向けてきた。
「なんだ?」
「いいえ、なんでもありません」
このちょっと強面の、ヘタすれば、インテリヤクザに間違えられそうな銀縁眼鏡のSPお兄さんと初めて会ったのは、たしか私が、高校受験を無事に乗り切った直後のことだったと思う。
あれから十三年。お互いを取り囲む環境は、驚くほど変わっていた。
+++++
――― 十三年前
ピンポーン
「奈緒ちゃん、インターホン鳴ったよ~~どうする? 出ようか?」
「あ、ごめん。いま手が離せないから出てくれる? 渉達だと思うから」
「OK」
その日は、長かった受験勉強にどっぷりと浸かった生活が終わり、その報告を兼ねて、受験勉強でお世話になった奈緒さんの家に遊びに来ていた。
奈緒さんというのは、うちの父親と親しくしている陸上自衛官の森永さんの奥さんで、私達の家の近くにある、大学附属病院で心療内科を担当しているお医者さんだ。
父親と御主人の森永さんとの御縁もあり、家族ぐるみで交流するようになって、それがもとで、兄の幸斗君と私の勉強を時々見てくれていた。で、その成果の報告というわけで、お宅にお邪魔していたのだ。そして始め私の言葉に話が戻るというわけ。
インターホンのモニターを覗き込んで、ギョッとなる。そこに映っていたのは、可愛い奈緒さんちの息子さんと娘さんの顔じゃなく、強面眼鏡のお兄さんだった。慌てて奈緒さんを呼ぶ。
「なななな、奈緒ちゃん! 大変だよ!!」
「ん? なに? なんか変な虫でも出た?」
「虫どころじゃないよ、不審人物がインターホン鳴らしてる!! もしかして変な政治団体か何かじゃないかな?!」
奈緒さんの御主人は陸上自衛隊の偉い人だ。周囲には、御主人の職業のことはあまり話してはいないみたいだけど、たまにこんな風にして、変な思想団体や政治団体の「お宅訪問」があるって話だったから、その時は、てっきりそっち系の人が押し掛けてきたと慌てていた。
「ええ?」
私の言葉に、首をかしげながらやって来ると、モニターを覗き込んだ。そして映し出された映像を見て、ほっと安心したように笑うと、私の肩をポンポンと叩いた。
「安心して。この人、は私のイトコだから」
「奈緒ちゃんのイトコ? だって奈緒ちゃんと全然似てないじゃない! めっちゃ怖そうだよ?!」
「司君の弟よ。ほら、よく見て。渉と友里が一緒にいるでしょ?」
その言葉に、もう一度モニターに目を向ける。
その不審人物にばかり目が行っていたけど、その人の横で、ピョンピョン飛び跳ねる黒い頭が二つ。たしかに、渉君と友里ちゃんだ。なんだ~とホッとしていると、モニターに映っている人が、不機嫌そうな顔をしながら、もう一度インターホンを鳴らした。
「遅くなってごめーん。どうぞー」
奈緒ちゃんはオートロックの開錠ボタンを押すと、玄関へと足早に向かった。私がこっそりと様子をうかがっていると、玄関のドアが開いて元気な声が響き渡った。
「「ただいまー!!」」
「お帰り。結花ちゃんが来ているよ。ちゃんと御挨拶してね」
「「はーい!!」」
靴を蹴り飛ばすように脱いだ二人が、こっちに走ってくる。そんな二人に「靴は脱ぎ散らかさないって言ったでしょ? それから廊下は走らないの!」って注意している奈緒ちゃんの後ろには、さっきの不審人物が立っていた。渉君と友里ちゃんにまとわりつかれながらも、耳をダンボにして玄関の様子をうかがう。
「どうしたの? 珍しいね、冬吾君がこんな時間にうちに来るなんて」
「いや。信吾さんに借りていた本を、返そうと思って立ち寄っただけなんだけど、途中で二人に捕まっちゃって……」
「もしかして、仕事中ってことはないよね?」
「今日は休みです」
「だったら、あがっていきなよ。お茶とお菓子ぐらいならあるから」
「いや、来客中みたいだし……」
そう言ったお兄さんの目は、蔭からこっそりと様子を見ていた私のことを真っ直ぐ見ていた。ばっちり目が合ってしまい、慌てて頭を引っ込める。
「ああ。重光先生のお嬢さんが来ているの。ほら、受験勉強のお手伝いをしているって、話したことがあったでしょ? 試験が終わったから、その報告に来てくれてね。あ、そうだ。挨拶ぐらいしておいて損は無いんじゃない? 将来は、先生の警護をすることになるかもしれないし、今のうちに、御家族の心証を良くしておいたほうが、良いんじゃないかな?」
「まだ俺がSPになれるかどうか……」
「大丈夫大丈夫。信吾さんと司君がついてるんだもの。そんじょそこらの警察官には負けないって……少なくとも射撃と体力ではね」
奈緒さんはそう言って笑うと、その人のことを強引に家にあげてしまった。
+++
「……」
「……」
お茶とケーキを前に、黙り込んでいる私達を、不思議そうに交互に見詰める奈緒ちゃん。
「もう、二人ともそんなに緊張しないで。結花ちゃんも冬吾君もどうしちゃったの? いつもの元気は何処に行っちゃったのー?」
そりゃ、相手は私が不審者扱いしたことは知らないんだから、いつもみたいに「どうも初めまして」って、重光議員のお嬢さんとして、明るく挨拶をしておけば良いんだってことは分かっていた。だけど、どうしたことか、この人を前にすると、いつもの挨拶の言葉が出てこない。
相手の様子をチラッとうかがうと、あちらも視線を明後日の方向に向けて途方に暮れている様子で、私と似たり寄ったりの状態みたいだ。
「大丈夫ー? 結花おねーちゃん、頭、痛いー?」
渉君が私の顔を覗き込んでくる。いつの間にか眉間にシワができていたみたいで、渉君を心配させてしまったみたいだ。そして友里ちゃんは、気まずげに私の前に座っているお兄さんの顔を同じように「大丈夫ー? お腹、痛いー?」と言いながら、覗き込んでいる。
「なかなか二人で自己紹介ができないみたいだから、私がそれぞれを紹介しておいてあげるね。冬吾君、こちらは重光議員のお嬢さんで、結花ちゃん。結花ちゃん、こちらは私のイトコで、司君の弟さんの霧島冬吾君。ちゃんと顔は覚えておいてね。ちょっと怖い目つきだけど、不審者じゃないから♪」
「ふ、不審者……?!」
そのお兄さんは、奈緒ちゃんの言葉にあんぐりと口を開けて、私のことを見詰めた。
―― 奈緒ちゃんてば、なんでばらすのぉぉぉぉ!! ――
私は思わずテーブルに突っ伏してしまった。
+++++
その時、私が不審人物扱いをした強面のお兄さんが、横でハンドルを握っている霧島さんだった。当時は、まだSPの候補者に選ばれたばかりで、警察学校での特別な訓練を受ける直前だったはずだ。正式なSPに任命されたという話を奈緒さんから聞いたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
―― まさかあの時に私が不審者扱いした人が、本当に、お父さんの警護をすることになるなんてね…… ――
思わず笑いが込み上げてきた。
「なんだ、いきなり気色の悪い」
「初めて霧島さんに会った時のことを、思い出してた」
「ああ、俺が君に不審者扱いされた時のことか」
霧島さんもその時のことは覚えているらしく、口元にチラリと笑みを浮かべた。
「心証を良くするどころか、不審者扱いだったんだよな、あの時は」
「だって可愛い幼稚園児がいると思っていたら、強面のお兄さんが、不機嫌そうに立っていたんだもの。そりゃあ不審者扱いされて当然でしょ?」
「まさか、あの時の口の達者な小娘が政治家になるとはなあ。世の中どうなっているんだか。間違ってないか」
なにやら聞き捨てらない、失礼なことを言っているわね。
「あのね。私は昔から、父親と同じ政治家になるって決めていたの。そのために頑張って勉強もしたし、就職もして少しの間ではあったけれど、きちんとサラリーマン生活も経験した。それの何処が間違っているわけ?」
「動機も準備も間違ってはいないが、今の君の所業はどう考えてもおかしい」
「結局そこに話が戻るわけね……」
ウンザリして溜め息が漏れてしまう。政治家になったら、息抜きも許されないってわけ?
「だから、手順を踏めと何度も言っているだろ。君はそこを考えずに行動するから、周囲が振り回されて迷惑することになるんだ」
私の言葉に、鋭い指摘が飛んでくる。
「誰に迷惑を……」
「これの何処が、誰にも迷惑をかけていないって話になるんだ? 俺はともかく、渉は学校のルールを捻じ曲げているんだぞ? これで彼の将来が潰れたら責任が取れるのか? 森永さんに、どう弁明するつもりでいるんだ?」
まったく、この人はいつもいつも、痛いところばかりを突いてくる。自分のことを言われるだけなら、あれこれと屁理屈も混ぜ込んで反論できるけど、杉下さんや渉君のことを引き合いに出されると、ぐうの音も出ない。その辺を分かって、彼等のことを話に出してくるのだから狡い男だ。もしかしたらSPじゃなく、政治家に向いているのでは?とたまに思えてくる。
「……でも、渉君にまで探してくれなんて、私が言ったわけじゃないもの」
それでも言われっぱなしは悔しくて、なんとか言葉を捻り出した。
「ああ、たしかに君は言ってないな。君からすれば、渉は君や重光先生への好意のあらわれとして、勝手に手助けを買って出てくれているだけなんだろうさ。その辺を分かっているから、森永さんも奈緒さんも内心ではどう思っていようが、君には何一つ文句を言わないんだろう。だが相手が何も言ってこないからと言って、何度も何度もやらかして良いってことじゃないぞ。その膨れっ面はやめろ、子供じゃあるまいし」
黙り込んでしまった私に、霧島さんは容赦がない。
「議員になって何年だ?」
「……二年目」
「そろそろ、議員としての自覚を持ってもいい頃なんじゃないのか? 野党議員ならまだしも、君は政権与党の議員なんだぞ?」
そう言って、霧島さんは溜め息をついて黙り込んだ。
それからしばらくして、父親の自宅前に到着した。霧島さんは車を止めて、素早く降りてこちらに回ってくる。それがいつもの習慣なのか、左右を確かめてから助手席のドアをそっと開けた。
「さて到着だ、先生。もうこれ以上、お父さんに余計な心配をかけるなよ。精力的に仕事をしているから普段は気にならないかもしれないが、先生だってもう七十だ。昔なら、楽隠居をしている年なんだからな」
そう言って私を車から降ろすと、周囲を確かめながら自宅の玄関へと私をいざなった。
「今さら逃亡しようとは、思いませんから」
「さて、どうだかな」
まったく信用されていない。今までのことを思えば、当然のことなんだろうけど。
霧島さんは私のことを軽く睨みながら、運転席の方へと向かった。そして運転席に腰を落ち着けると、素早くロックをかける。
「だから、今さら逃亡しないってば」
「自分が信用されているとでも?」
「……思ってないです」
「そういうことだ」
お互いに一言も喋らず、気まずい沈黙が流れる中、車は町の中を走る。
深夜とあって、普段は渋滞している道路も、交通量はかなり減っていた。そして、とある交差点に車がさしかかった時、そこを曲がらずに直進したことで、自宅マンションに向かっているわけではないことに気がついた。
「何処へ行くつもり?」
「重光先生宅」
「私のマンションは、今の交差点を左に曲がったほうが、近いんだけど」
「先生違いだ。俺が言っているのは、君の父親のほうの重光先生」
お前呼ばわりから、普段の君呼ばわりに戻ったということは、いくぶんかクールダウンしたということだ。つまり先ほどまでは、本当に腹を立てていたということになる。
「なんだ、何か言いたそうだな」
チラリとこちらに視線を向けた。
「勤務時間外とは言え、国会議員をお前呼ばわりするSPなんて、なかなかいないわよねって考えていただけ」
「そう呼ばれるようなことをしている、議員先生が悪い」
「それは悪うございました」
「そう思っているなら態度で示せ」
今後は大人しくしていろと言いたいらしい。
「俺は、君が好き勝手したあげくスキャンダルに巻き込まれたとしても、なんとも思わないが、秘書の杉下さんは責任感の強い人だ。そんなことになったら、彼女がどんな気持ちになるか、考えたことはないのか?」
私がどうなってもなんとも思わないと言われ、加えて杉下さんのことを心配する言葉に対し、少しばかりモヤモヤしたものを感じてしまう。
「ねえ」
「なんだ」
「もしかして杉下さんが好きなの? 彼女、既婚者だけど」
車がガクンと変な動きをしたので、慌てて前のダッシュボードに手をつく。
「もしかして図星?」
「なにを言っているんだ君は」
信号が赤になったのでそこで車は止まったけれど、青のまま直進していたら、その辺の電柱にぶつかっていたかもしれない。普段から沈着冷静な霧島さんが、こんな風に動揺するなんて珍しいことだ。本当に図星だったりしてと思ったけれど、こっちを見ている彼の表情を見れば、それは有り得ないという結論に達した。
「冗談よ。そんな馬鹿な子を見るような目で、見ないでくれる?」
「実際のところ、君のことを馬鹿なんじゃないかと、思い始めているところだ」
「失礼ね。これでも学校では成績優秀だったし、勤めていた会社でも仕事ができる子だって、言われていたんだから」
「学問や仕事ができても、馬鹿なヤツは大勢いるだろ」
君達の世界では特にと、付け加えられた。それに対しては反論できない。何故なら、父親を見ていると、時折それは真理であると、思うことがあるのだから。
まあ父親の場合は、馬鹿は馬鹿でも「恋は人を愚かにする」を体現している、馬鹿なんだけれど。
「重光先生から、君を見つけ次第、自宅に連れて来てくれと言われた」
「どうして?」
「そういうことは、俺じゃなく秘書に聞け。恐らく君がトンズラなんてしなければ、今頃は杉下さんから話を聞けいたんじゃないのか?」
「……」
反論できないところが悔しい。これ以上は、なにを言っても悔しいことしか言われそうにないので、黙っていることにする。私が黙ったことで、霧島さんも運転に集中することにしたらしく、車の中は再び沈黙が流れた。
こっそり、横で運転をしている相手を観察する。普段は一分の隙も無く整えられた髪が少し乱れ気味なのは、長時間の仕事が終わり、やっと解放されたところだから。そしてその口元が真一文字に固く結ばれたままでいるのは、私に対する苛立ちから。私の視線に気がついたのか、銀縁の眼鏡の隙間から、こちらに視線をチラリと向けてきた。
「なんだ?」
「いいえ、なんでもありません」
このちょっと強面の、ヘタすれば、インテリヤクザに間違えられそうな銀縁眼鏡のSPお兄さんと初めて会ったのは、たしか私が、高校受験を無事に乗り切った直後のことだったと思う。
あれから十三年。お互いを取り囲む環境は、驚くほど変わっていた。
+++++
――― 十三年前
ピンポーン
「奈緒ちゃん、インターホン鳴ったよ~~どうする? 出ようか?」
「あ、ごめん。いま手が離せないから出てくれる? 渉達だと思うから」
「OK」
その日は、長かった受験勉強にどっぷりと浸かった生活が終わり、その報告を兼ねて、受験勉強でお世話になった奈緒さんの家に遊びに来ていた。
奈緒さんというのは、うちの父親と親しくしている陸上自衛官の森永さんの奥さんで、私達の家の近くにある、大学附属病院で心療内科を担当しているお医者さんだ。
父親と御主人の森永さんとの御縁もあり、家族ぐるみで交流するようになって、それがもとで、兄の幸斗君と私の勉強を時々見てくれていた。で、その成果の報告というわけで、お宅にお邪魔していたのだ。そして始め私の言葉に話が戻るというわけ。
インターホンのモニターを覗き込んで、ギョッとなる。そこに映っていたのは、可愛い奈緒さんちの息子さんと娘さんの顔じゃなく、強面眼鏡のお兄さんだった。慌てて奈緒さんを呼ぶ。
「なななな、奈緒ちゃん! 大変だよ!!」
「ん? なに? なんか変な虫でも出た?」
「虫どころじゃないよ、不審人物がインターホン鳴らしてる!! もしかして変な政治団体か何かじゃないかな?!」
奈緒さんの御主人は陸上自衛隊の偉い人だ。周囲には、御主人の職業のことはあまり話してはいないみたいだけど、たまにこんな風にして、変な思想団体や政治団体の「お宅訪問」があるって話だったから、その時は、てっきりそっち系の人が押し掛けてきたと慌てていた。
「ええ?」
私の言葉に、首をかしげながらやって来ると、モニターを覗き込んだ。そして映し出された映像を見て、ほっと安心したように笑うと、私の肩をポンポンと叩いた。
「安心して。この人、は私のイトコだから」
「奈緒ちゃんのイトコ? だって奈緒ちゃんと全然似てないじゃない! めっちゃ怖そうだよ?!」
「司君の弟よ。ほら、よく見て。渉と友里が一緒にいるでしょ?」
その言葉に、もう一度モニターに目を向ける。
その不審人物にばかり目が行っていたけど、その人の横で、ピョンピョン飛び跳ねる黒い頭が二つ。たしかに、渉君と友里ちゃんだ。なんだ~とホッとしていると、モニターに映っている人が、不機嫌そうな顔をしながら、もう一度インターホンを鳴らした。
「遅くなってごめーん。どうぞー」
奈緒ちゃんはオートロックの開錠ボタンを押すと、玄関へと足早に向かった。私がこっそりと様子をうかがっていると、玄関のドアが開いて元気な声が響き渡った。
「「ただいまー!!」」
「お帰り。結花ちゃんが来ているよ。ちゃんと御挨拶してね」
「「はーい!!」」
靴を蹴り飛ばすように脱いだ二人が、こっちに走ってくる。そんな二人に「靴は脱ぎ散らかさないって言ったでしょ? それから廊下は走らないの!」って注意している奈緒ちゃんの後ろには、さっきの不審人物が立っていた。渉君と友里ちゃんにまとわりつかれながらも、耳をダンボにして玄関の様子をうかがう。
「どうしたの? 珍しいね、冬吾君がこんな時間にうちに来るなんて」
「いや。信吾さんに借りていた本を、返そうと思って立ち寄っただけなんだけど、途中で二人に捕まっちゃって……」
「もしかして、仕事中ってことはないよね?」
「今日は休みです」
「だったら、あがっていきなよ。お茶とお菓子ぐらいならあるから」
「いや、来客中みたいだし……」
そう言ったお兄さんの目は、蔭からこっそりと様子を見ていた私のことを真っ直ぐ見ていた。ばっちり目が合ってしまい、慌てて頭を引っ込める。
「ああ。重光先生のお嬢さんが来ているの。ほら、受験勉強のお手伝いをしているって、話したことがあったでしょ? 試験が終わったから、その報告に来てくれてね。あ、そうだ。挨拶ぐらいしておいて損は無いんじゃない? 将来は、先生の警護をすることになるかもしれないし、今のうちに、御家族の心証を良くしておいたほうが、良いんじゃないかな?」
「まだ俺がSPになれるかどうか……」
「大丈夫大丈夫。信吾さんと司君がついてるんだもの。そんじょそこらの警察官には負けないって……少なくとも射撃と体力ではね」
奈緒さんはそう言って笑うと、その人のことを強引に家にあげてしまった。
+++
「……」
「……」
お茶とケーキを前に、黙り込んでいる私達を、不思議そうに交互に見詰める奈緒ちゃん。
「もう、二人ともそんなに緊張しないで。結花ちゃんも冬吾君もどうしちゃったの? いつもの元気は何処に行っちゃったのー?」
そりゃ、相手は私が不審者扱いしたことは知らないんだから、いつもみたいに「どうも初めまして」って、重光議員のお嬢さんとして、明るく挨拶をしておけば良いんだってことは分かっていた。だけど、どうしたことか、この人を前にすると、いつもの挨拶の言葉が出てこない。
相手の様子をチラッとうかがうと、あちらも視線を明後日の方向に向けて途方に暮れている様子で、私と似たり寄ったりの状態みたいだ。
「大丈夫ー? 結花おねーちゃん、頭、痛いー?」
渉君が私の顔を覗き込んでくる。いつの間にか眉間にシワができていたみたいで、渉君を心配させてしまったみたいだ。そして友里ちゃんは、気まずげに私の前に座っているお兄さんの顔を同じように「大丈夫ー? お腹、痛いー?」と言いながら、覗き込んでいる。
「なかなか二人で自己紹介ができないみたいだから、私がそれぞれを紹介しておいてあげるね。冬吾君、こちらは重光議員のお嬢さんで、結花ちゃん。結花ちゃん、こちらは私のイトコで、司君の弟さんの霧島冬吾君。ちゃんと顔は覚えておいてね。ちょっと怖い目つきだけど、不審者じゃないから♪」
「ふ、不審者……?!」
そのお兄さんは、奈緒ちゃんの言葉にあんぐりと口を開けて、私のことを見詰めた。
―― 奈緒ちゃんてば、なんでばらすのぉぉぉぉ!! ――
私は思わずテーブルに突っ伏してしまった。
+++++
その時、私が不審人物扱いをした強面のお兄さんが、横でハンドルを握っている霧島さんだった。当時は、まだSPの候補者に選ばれたばかりで、警察学校での特別な訓練を受ける直前だったはずだ。正式なSPに任命されたという話を奈緒さんから聞いたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
―― まさかあの時に私が不審者扱いした人が、本当に、お父さんの警護をすることになるなんてね…… ――
思わず笑いが込み上げてきた。
「なんだ、いきなり気色の悪い」
「初めて霧島さんに会った時のことを、思い出してた」
「ああ、俺が君に不審者扱いされた時のことか」
霧島さんもその時のことは覚えているらしく、口元にチラリと笑みを浮かべた。
「心証を良くするどころか、不審者扱いだったんだよな、あの時は」
「だって可愛い幼稚園児がいると思っていたら、強面のお兄さんが、不機嫌そうに立っていたんだもの。そりゃあ不審者扱いされて当然でしょ?」
「まさか、あの時の口の達者な小娘が政治家になるとはなあ。世の中どうなっているんだか。間違ってないか」
なにやら聞き捨てらない、失礼なことを言っているわね。
「あのね。私は昔から、父親と同じ政治家になるって決めていたの。そのために頑張って勉強もしたし、就職もして少しの間ではあったけれど、きちんとサラリーマン生活も経験した。それの何処が間違っているわけ?」
「動機も準備も間違ってはいないが、今の君の所業はどう考えてもおかしい」
「結局そこに話が戻るわけね……」
ウンザリして溜め息が漏れてしまう。政治家になったら、息抜きも許されないってわけ?
「だから、手順を踏めと何度も言っているだろ。君はそこを考えずに行動するから、周囲が振り回されて迷惑することになるんだ」
私の言葉に、鋭い指摘が飛んでくる。
「誰に迷惑を……」
「これの何処が、誰にも迷惑をかけていないって話になるんだ? 俺はともかく、渉は学校のルールを捻じ曲げているんだぞ? これで彼の将来が潰れたら責任が取れるのか? 森永さんに、どう弁明するつもりでいるんだ?」
まったく、この人はいつもいつも、痛いところばかりを突いてくる。自分のことを言われるだけなら、あれこれと屁理屈も混ぜ込んで反論できるけど、杉下さんや渉君のことを引き合いに出されると、ぐうの音も出ない。その辺を分かって、彼等のことを話に出してくるのだから狡い男だ。もしかしたらSPじゃなく、政治家に向いているのでは?とたまに思えてくる。
「……でも、渉君にまで探してくれなんて、私が言ったわけじゃないもの」
それでも言われっぱなしは悔しくて、なんとか言葉を捻り出した。
「ああ、たしかに君は言ってないな。君からすれば、渉は君や重光先生への好意のあらわれとして、勝手に手助けを買って出てくれているだけなんだろうさ。その辺を分かっているから、森永さんも奈緒さんも内心ではどう思っていようが、君には何一つ文句を言わないんだろう。だが相手が何も言ってこないからと言って、何度も何度もやらかして良いってことじゃないぞ。その膨れっ面はやめろ、子供じゃあるまいし」
黙り込んでしまった私に、霧島さんは容赦がない。
「議員になって何年だ?」
「……二年目」
「そろそろ、議員としての自覚を持ってもいい頃なんじゃないのか? 野党議員ならまだしも、君は政権与党の議員なんだぞ?」
そう言って、霧島さんは溜め息をついて黙り込んだ。
それからしばらくして、父親の自宅前に到着した。霧島さんは車を止めて、素早く降りてこちらに回ってくる。それがいつもの習慣なのか、左右を確かめてから助手席のドアをそっと開けた。
「さて到着だ、先生。もうこれ以上、お父さんに余計な心配をかけるなよ。精力的に仕事をしているから普段は気にならないかもしれないが、先生だってもう七十だ。昔なら、楽隠居をしている年なんだからな」
そう言って私を車から降ろすと、周囲を確かめながら自宅の玄関へと私をいざなった。
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