旦那様は秘書じゃない

鏡野ゆう

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本編

第二話 結花先生お説教をされる

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 お店の裏に止めてあった車の助手席に放り込まれ、有無を言わさずシートベルトを着用させられた。そして顔を上げた霧島さんは、黙ったままでこちらをひとにらみする。つまり、自分が運転席に行くまでに、逃げようなんて考えるなよと言いたいらしい。

「今さら逃亡しようとは、思いませんから」
「さて、どうだかな」

 まったく信用されていない。今までのことを思えば、当然のことなんだろうけど。

 霧島きりしまさんは私のことを軽く睨みながら、運転席の方へと向かった。そして運転席に腰を落ち着けると、素早くロックをかける。

「だから、今さら逃亡しないってば」
「自分が信用されているとでも?」
「……思ってないです」
「そういうことだ」

 お互いに一言も喋らず、気まずい沈黙が流れる中、車は町の中を走る。

 深夜とあって、普段は渋滞している道路も、交通量はかなり減っていた。そして、とある交差点に車がさしかかった時、そこを曲がらずに直進したことで、自宅マンションに向かっているわけではないことに気がついた。

「何処へ行くつもり?」
重光しげつみ先生宅」
「私のマンションは、今の交差点を左に曲がったほうが、近いんだけど」
「先生違いだ。俺が言っているのは、君の父親のほうの重光先生」

 お前呼ばわりから、普段の君呼ばわりに戻ったということは、いくぶんかクールダウンしたということだ。つまり先ほどまでは、本当に腹を立てていたということになる。

「なんだ、何か言いたそうだな」

 チラリとこちらに視線を向けた。

「勤務時間外とは言え、国会議員をお前呼ばわりするSPなんて、なかなかいないわよねって考えていただけ」
「そう呼ばれるようなことをしている、議員先生が悪い」
「それは悪うございました」
「そう思っているなら態度で示せ」

 今後は大人しくしていろと言いたいらしい。

「俺は、君が好き勝手したあげくスキャンダルに巻き込まれたとしても、なんとも思わないが、秘書の杉下すぎしたさんは責任感の強い人だ。そんなことになったら、彼女がどんな気持ちになるか、考えたことはないのか?」

 私がどうなってもなんとも思わないと言われ、加えて杉下さんのことを心配する言葉に対し、少しばかりモヤモヤしたものを感じてしまう。

「ねえ」
「なんだ」
「もしかして杉下さんが好きなの? 彼女、既婚者だけど」

 車がガクンと変な動きをしたので、慌てて前のダッシュボードに手をつく。

「もしかして図星?」
「なにを言っているんだ君は」

 信号が赤になったのでそこで車は止まったけれど、青のまま直進していたら、その辺の電柱にぶつかっていたかもしれない。普段から沈着冷静な霧島さんが、こんな風に動揺するなんて珍しいことだ。本当に図星だったりしてと思ったけれど、こっちを見ている彼の表情を見れば、それは有り得ないという結論に達した。

「冗談よ。そんな馬鹿な子を見るような目で、見ないでくれる?」
「実際のところ、君のことを馬鹿なんじゃないかと、思い始めているところだ」
「失礼ね。これでも学校では成績優秀だったし、勤めていた会社でも仕事ができる子だって、言われていたんだから」
「学問や仕事ができても、馬鹿なヤツは大勢いるだろ」

 君達の世界では特にと、付け加えられた。それに対しては反論できない。何故なら、父親を見ていると、時折それは真理であると、思うことがあるのだから。

 まあ父親の場合は、馬鹿は馬鹿でも「恋は人を愚かにする」を体現している、馬鹿なんだけれど。

「重光先生から、君を見つけ次第、自宅に連れて来てくれと言われた」
「どうして?」
「そういうことは、俺じゃなく秘書に聞け。恐らく君がトンズラなんてしなければ、今頃は杉下さんから話を聞けいたんじゃないのか?」
「……」

 反論できないところが悔しい。これ以上は、なにを言っても悔しいことしか言われそうにないので、黙っていることにする。私が黙ったことで、霧島さんも運転に集中することにしたらしく、車の中は再び沈黙が流れた。

 こっそり、横で運転をしている相手を観察する。普段は一分の隙も無く整えられた髪が少し乱れ気味なのは、長時間の仕事が終わり、やっと解放されたところだから。そしてその口元が真一文字に固く結ばれたままでいるのは、私に対する苛立ちから。私の視線に気がついたのか、銀縁の眼鏡の隙間から、こちらに視線をチラリと向けてきた。

「なんだ?」
「いいえ、なんでもありません」

 このちょっと強面こわもての、ヘタすれば、インテリヤクザに間違えられそうな銀縁眼鏡のSPお兄さんと初めて会ったのは、たしか私が、高校受験を無事に乗り切った直後のことだったと思う。

 あれから十三年。お互いを取り囲む環境は、驚くほど変わっていた。



+++++


 ――― 十三年前

 ピンポーン

奈緒なおちゃん、インターホン鳴ったよ~~どうする? 出ようか?」
「あ、ごめん。いま手が離せないから出てくれる? あゆむ達だと思うから」
「OK」

 その日は、長かった受験勉強にどっぷりと浸かった生活が終わり、その報告を兼ねて、受験勉強でお世話になった奈緒さんの家に遊びに来ていた。

 奈緒さんというのは、うちの父親と親しくしている陸上自衛官の森永もりながさんの奥さんで、私達の家の近くにある、大学附属病院で心療内科を担当しているお医者さんだ。

 父親と御主人の森永さんとの御縁もあり、家族ぐるみで交流するようになって、それがもとで、兄の幸斗ゆきと君と私の勉強を時々見てくれていた。で、その成果の報告というわけで、お宅にお邪魔していたのだ。そして始め私の言葉に話が戻るというわけ。

 インターホンのモニターを覗き込んで、ギョッとなる。そこに映っていたのは、可愛い奈緒さんちの息子さんと娘さんの顔じゃなく、強面こわもて眼鏡のお兄さんだった。慌てて奈緒さんを呼ぶ。

「なななな、奈緒ちゃん! 大変だよ!!」
「ん? なに? なんか変な虫でも出た?」
「虫どころじゃないよ、不審人物がインターホン鳴らしてる!! もしかして変な政治団体か何かじゃないかな?!」

 奈緒さんの御主人は陸上自衛隊の偉い人だ。周囲には、御主人の職業のことはあまり話してはいないみたいだけど、たまにこんな風にして、変な思想団体や政治団体の「お宅訪問」があるって話だったから、その時は、てっきりそっち系の人が押し掛けてきたと慌てていた。

「ええ?」

 私の言葉に、首をかしげながらやって来ると、モニターを覗き込んだ。そして映し出された映像を見て、ほっと安心したように笑うと、私の肩をポンポンと叩いた。

「安心して。この人、は私のイトコだから」
「奈緒ちゃんのイトコ? だって奈緒ちゃんと全然似てないじゃない! めっちゃ怖そうだよ?!」
つかさ君の弟よ。ほら、よく見て。渉と友里ゆうりが一緒にいるでしょ?」

 その言葉に、もう一度モニターに目を向ける。

 その不審人物にばかり目が行っていたけど、その人の横で、ピョンピョン飛び跳ねる黒い頭が二つ。たしかに、渉君と友里ちゃんだ。なんだ~とホッとしていると、モニターに映っている人が、不機嫌そうな顔をしながら、もう一度インターホンを鳴らした。

「遅くなってごめーん。どうぞー」

 奈緒ちゃんはオートロックの開錠ボタンを押すと、玄関へと足早に向かった。私がこっそりと様子をうかがっていると、玄関のドアが開いて元気な声が響き渡った。

「「ただいまー!!」」
「お帰り。結花ゆいかちゃんが来ているよ。ちゃんと御挨拶してね」
「「はーい!!」」

 靴を蹴り飛ばすように脱いだ二人が、こっちに走ってくる。そんな二人に「靴は脱ぎ散らかさないって言ったでしょ? それから廊下は走らないの!」って注意している奈緒ちゃんの後ろには、さっきの不審人物が立っていた。渉君と友里ちゃんにまとわりつかれながらも、耳をダンボにして玄関の様子をうかがう。

「どうしたの? 珍しいね、冬吾とうご君がこんな時間にうちに来るなんて」
「いや。信吾しんごさんに借りていた本を、返そうと思って立ち寄っただけなんだけど、途中で二人に捕まっちゃって……」
「もしかして、仕事中ってことはないよね?」
「今日は休みです」
「だったら、あがっていきなよ。お茶とお菓子ぐらいならあるから」
「いや、来客中みたいだし……」

 そう言ったお兄さんの目は、蔭からこっそりと様子を見ていた私のことを真っ直ぐ見ていた。ばっちり目が合ってしまい、慌てて頭を引っ込める。

「ああ。重光先生のお嬢さんが来ているの。ほら、受験勉強のお手伝いをしているって、話したことがあったでしょ? 試験が終わったから、その報告に来てくれてね。あ、そうだ。挨拶ぐらいしておいて損は無いんじゃない? 将来は、先生の警護をすることになるかもしれないし、今のうちに、御家族の心証を良くしておいたほうが、良いんじゃないかな?」
「まだ俺がSPになれるかどうか……」
「大丈夫大丈夫。信吾さんと司君がついてるんだもの。そんじょそこらの警察官には負けないって……少なくとも射撃と体力ではね」

 奈緒さんはそう言って笑うと、その人のことを強引に家にあげてしまった。


+++


「……」
「……」

 お茶とケーキを前に、黙り込んでいる私達を、不思議そうに交互に見詰める奈緒ちゃん。

「もう、二人ともそんなに緊張しないで。結花ちゃんも冬吾君もどうしちゃったの? いつもの元気は何処に行っちゃったのー?」

 そりゃ、相手は私が不審者扱いしたことは知らないんだから、いつもみたいに「どうも初めまして」って、重光議員のお嬢さんとして、明るく挨拶をしておけば良いんだってことは分かっていた。だけど、どうしたことか、この人を前にすると、いつもの挨拶の言葉が出てこない。

 相手の様子をチラッとうかがうと、あちらも視線を明後日あさっての方向に向けて途方に暮れている様子で、私と似たり寄ったりの状態みたいだ。

「大丈夫ー? 結花おねーちゃん、頭、痛いー?」

 渉君が私の顔を覗き込んでくる。いつの間にか眉間にシワができていたみたいで、渉君を心配させてしまったみたいだ。そして友里ちゃんは、気まずげに私の前に座っているお兄さんの顔を同じように「大丈夫ー? お腹、痛いー?」と言いながら、覗き込んでいる。

「なかなか二人で自己紹介ができないみたいだから、私がそれぞれを紹介しておいてあげるね。冬吾君、こちらは重光議員のお嬢さんで、結花ちゃん。結花ちゃん、こちらは私のイトコで、司君の弟さんの霧島きりしま冬吾君。ちゃんと顔は覚えておいてね。ちょっと怖い目つきだけど、不審者じゃないから♪」
「ふ、不審者……?!」

 そのお兄さんは、奈緒ちゃんの言葉にあんぐりと口を開けて、私のことを見詰めた。

―― 奈緒ちゃんてば、なんでばらすのぉぉぉぉ!! ――

 私は思わずテーブルに突っ伏してしまった。



+++++



 その時、私が不審人物扱いをした強面こわもてのお兄さんが、横でハンドルを握っている霧島さんだった。当時は、まだSPの候補者に選ばれたばかりで、警察学校での特別な訓練を受ける直前だったはずだ。正式なSPに任命されたという話を奈緒さんから聞いたのは、それからしばらく経ってからのことだった。

―― まさかあの時に私が不審者扱いした人が、本当に、お父さんの警護をすることになるなんてね…… ――

 思わず笑いが込み上げてきた。

「なんだ、いきなり気色の悪い」
「初めて霧島さんに会った時のことを、思い出してた」
「ああ、俺が君に不審者扱いされた時のことか」

 霧島さんもその時のことは覚えているらしく、口元にチラリと笑みを浮かべた。

「心証を良くするどころか、不審者扱いだったんだよな、あの時は」
「だって可愛い幼稚園児がいると思っていたら、強面こわもてのお兄さんが、不機嫌そうに立っていたんだもの。そりゃあ不審者扱いされて当然でしょ?」
「まさか、あの時の口の達者な小娘が政治家になるとはなあ。世の中どうなっているんだか。間違ってないか」

 なにやら聞き捨てらない、失礼なことを言っているわね。

「あのね。私は昔から、父親と同じ政治家になるって決めていたの。そのために頑張って勉強もしたし、就職もして少しの間ではあったけれど、きちんとサラリーマン生活も経験した。それの何処が間違っているわけ?」
「動機も準備も間違ってはいないが、今の君の所業はどう考えてもおかしい」
「結局そこに話が戻るわけね……」

 ウンザリして溜め息が漏れてしまう。政治家になったら、息抜きも許されないってわけ?

「だから、手順を踏めと何度も言っているだろ。君はそこを考えずに行動するから、周囲が振り回されて迷惑することになるんだ」

 私の言葉に、鋭い指摘が飛んでくる。

「誰に迷惑を……」
「これの何処が、誰にも迷惑をかけていないって話になるんだ? 俺はともかく、渉は学校のルールを捻じ曲げているんだぞ? これで彼の将来が潰れたら責任が取れるのか? 森永さんに、どう弁明するつもりでいるんだ?」

 まったく、この人はいつもいつも、痛いところばかりを突いてくる。自分のことを言われるだけなら、あれこれと屁理屈も混ぜ込んで反論できるけど、杉下さんや渉君のことを引き合いに出されると、ぐうの音も出ない。その辺を分かって、彼等のことを話に出してくるのだから狡い男だ。もしかしたらSPじゃなく、政治家に向いているのでは?とたまに思えてくる。

「……でも、渉君にまで探してくれなんて、私が言ったわけじゃないもの」

 それでも言われっぱなしは悔しくて、なんとか言葉を捻り出した。

「ああ、たしかに君は言ってないな。君からすれば、渉は君や重光先生への好意のあらわれとして、勝手に手助けを買って出てくれているだけなんだろうさ。その辺を分かっているから、森永さんも奈緒さんも内心ではどう思っていようが、君には何一つ文句を言わないんだろう。だが相手が何も言ってこないからと言って、何度も何度もやらかして良いってことじゃないぞ。その膨れっ面はやめろ、子供じゃあるまいし」

 黙り込んでしまった私に、霧島さんは容赦がない。

「議員になって何年だ?」
「……二年目」
「そろそろ、議員としての自覚を持ってもいい頃なんじゃないのか? 野党議員ならまだしも、君は政権与党の議員なんだぞ?」

 そう言って、霧島さんは溜め息をついて黙り込んだ。

 それからしばらくして、父親の自宅前に到着した。霧島さんは車を止めて、素早く降りてこちらに回ってくる。それがいつもの習慣なのか、左右を確かめてから助手席のドアをそっと開けた。

「さて到着だ、先生。もうこれ以上、お父さんに余計な心配をかけるなよ。精力的に仕事をしているから普段は気にならないかもしれないが、先生だってもう七十だ。昔なら、楽隠居をしている年なんだからな」

 そう言って私を車から降ろすと、周囲を確かめながら自宅の玄関へと私をいざなった。
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