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本編
第四話 結花先生の勝ち
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カウベルの音がして、お店にお客さんが入ってきた気配がする。そして横に誰かが座った。
「マスター、こちらの先生と同じものを」
「分かりました。こちらと同じということはスプモーニですけど、よろしいですか?」
「ええ、それでかまいません」
横に座ったのは霧島さん。こちらを見ようとはせず、カクテルを作っているマスターに視線を向けたままだ。
「何よ。今夜はちゃんと杉下さんに断りをいれて、ここに来ているわよ」
私がそう言うと、霧島さんはチラリとこちらを見た。そして再びマスターの方へと視線を戻す。
「知っている。俺も仕事が終わったからここに来ただけで、君を探していたわけじゃない。毎度毎度、君を迎えに来て回収するだけで、一度も腰を落ち着けて飲んだことがなかったからな。たまには、ちゃんとした客として顔を出さないと、マスターに申し訳がたたない」
「あ、そう。それは失礼しました。いつぞやのお返しに御馳走しましょうか?」
「いや。それをすると色々とややこしいことになるだろ。だから今はやめておく」
「ふーん、意外と慎重派なんだ」
霧島さんは私の言葉に、憤慨したようにフンと笑った。
「自分が警護していた人間が、次々と政治資金絡みの不祥事やらなにやらで、釈明会見やら謝罪会見やら辞任やらをしてみろ。慎重にもなるだろ」
「まあ、その気持ちは分からないでもないけど」
マスターが、霧島さんの前にカクテルの入ったグラスを置いた。彼はすぐには飲もうとせずに、そのグラスをじっと見つめている。
「ずっと気になっていたんだが」
「なに?」
「君は何故、こればかり飲んでいるんだ?」
私の前にあるグラスと、自分の前に置かれたグラスを交互に指でさす。どうやらこの前の伝票を見て、そんな疑問を持ったようだ。
このカクテルの名前はスプモーニ。グレープフルーツジュースとトニックウォーターに、カンパリを入れたカクテルだ。ちなみにマスターは私の好みに合わせて、一般的なレシピよりもほんの少しだけカンパリを少なめ、グレープフルーツジュースを多めに入れてくれている。
「ああ、これ? 二十歳になって初めて飲んだお酒がこれだったの。だからかな」
初めて自分で選んで飲んだカクテルがスプモーニだった。そのせいか、仕事でしくじって落ち込んだ時や、イヤなことがあって気分が晴れない時にこれを飲むと、なんとなく元気が湧いてくるように気がするのだ。だから気晴らしに、ここや黒猫さんを訪れた時には必ずこれを頼んでいる。
以前は最初にこのカクテルにして、後は色々と頼んでいたものだけど、最近ではそれすら億劫になってしまい、ひたすらスプモーニだけを頼んでいた。
「よく飽きないものだな。ああ、失礼、このカクテルに文句があるわけじゃなくて」
カウンターの向こう側に立っていたマスターに申し訳なさそうに見る。
「そんなの人それぞれじゃない? 居酒屋でビールとシシャモばかり注文する霧島さんにだけは、言われたくないんだけど」
「ちょっと待て」
彼の目つきが急に鋭いものになった。
「何故それを君が知っている?」
「なによ、そんな怖い顔をして。別に変な性癖をばらされたわけでもないんだから、そこまでにらむこともないでしょ? あ、もしかして本当に、お友達に言われるようなシシャモ中毒なの?」
「私生活をのぞき見られるのは、気分の良いものじゃないぞ」
「のぞいてなんていません。種明かしをすると、あなたの同僚さんがそんな話をしていたのを、小耳にはさんだだけ。安心しなさい、あなたのシシャモ中毒は警護課の仲間内と私、それとマスターぐらいしか知らないから」
ね?とマスターに同意を求めると、マスターはわざとらしく両手で耳栓をして、なにも聞こえていませんよと笑っている。
霧島さんは溜め息をつきながら、カクテルグラスに口をつけた。そして飲んだ瞬間、甘すぎたらしく顔をしかめる。その様子を見て思わず声をあげて笑ってしまった。
「マスター、霧島さんにはもう少し大人の飲み物のほうが良いみたい」
「みたいですね。じゃあ普通にワインでもお出ししましょうか? それともウィスキーかなにか?」
「ここにはシシャモはないかわりに、美味しいチーズとチョコレートがあるのよ?」
「うるさい」
マスターは私と霧島さんのやり取りに笑いながら、じゃあせっかく話にも出たのだから味見をしていただきましょうと言って、バックヤードへと下がっていった。
マスターが姿を消すと、店内は私と霧島さんだけになった。もともと今夜は週の中日だし、普段から遅い時間はお客さんも少ないとは聞いていたけれど、こんな風に、店内の有線でジャズが流れている以外、人の気配の無い静かな状態というのは珍しかった。そのせいか、隣に座っている霧島さんの存在が際立っていて、なんとも落ち着かない。
「ねえ」
「なんだ?」
「霧島さんは私のことどう思う?」
「……どうって?」
何故か霧島さんが、わずかに警戒しているような表情を浮かべてこちらを見た。
「霧島さんからは重光結花議員はどう見える?」
「ああ、そういうことか。そうだな、たまに突飛なことを言って周囲を驚かせてはいるが、なかなか見込みがあるんじゃないのか?」
「それだけ?」
他には?と催促すると、真面目な顔をしてしばらく考え込む。
「……俺は政治には詳しくないから、政治的手腕に関しては何とも言えないが、君は親の権威を笠に着ず、自分の力であの場所に立っているように見えるが? それでは不満なのか?」
「これからもやっていけると思う?」
そんな問い掛けに、珍しく霧島さんは戸惑った表情をした。まさかこんなことを聞かれるとは、思っていなかったという顔だ。
「そういうことは、俺よりも君の方が分かっているんじゃないのか? それか君の父親とか母親とか」
「両親には聞けないから、あなたに聞いているんじゃない。正直に答えて」
正直にねえと呟くと、首をかしげた。
「これまで散々迷惑をかけられたからな。以後は先生の成長ぶりを期待していますとしか言いようがない、というのが正直なところだ」
「あ、そう」
「なんだ、言われた通り正直に言ったまでなんだが。これでは不満だったのか? そんなに褒め称えて欲しいなら、後援会の連中や支持者の前で講演でもすれば良い。まさか俺が、おべんちゃらを使うと期待していたわけじゃないんだろう?」
確かにその通りだから反論のしようが無い。だけどやはりハッキリ言われると結構、傷つくものだ。
「しかしどうして急にそんなことを? 重光先生になにか言われたのか?」
この前の件でとうとうこっぴどく叱られでもしたのか?とつけくわえる。
「別にそういうわけじゃないけど、聞いてみたかっただけ。有権者からどう見られているかっていうのは、意外と気になるものなんだけど、自分では分かりにくいことだから」
「だったら、以後は勝手にトンズラはしないことだな。そこが改善されれば、君に対する評価は俺の中でかなり高くなる」
「二度とあなたに担がれて階段を上がるようなことはありませんから、御安心ください」
「それが本当かどうか、しばらく様子見をさせていただきますよ、先生」
「なんだかムカつくわね、その言い方」
そう呟きながら、グラスのカクテルを飲み干した。そこへタイミングよく、マスターがグラスとお皿を持って戻ってくる。
「こちらなら霧島さんも気入りますよ」
「すみません、ありがとうございます」
「結花さんは?」
「私はいつもので」
「分かりました」
マスターが手際よくカクテルを作っていくのを眺めながら、何となく疑問に思ったことを口にしてみることにした。
「ねえ、霧島さんってどうしていまだに独身なの?」
私の質問に彼はワインにむせる。
「今夜は色々と質問が多いな、先生」
「だって、こんな風にゆっくり話すことなんてなかなかないじゃない? 普段はあなたが警護している先生がいるところですれ違う程度だし、お店に来た時は大抵はお説教モードだし。だから今のうちに、気になることは聞いておこうかなって。こういう機会ってなかなか無いでしょ?」
「そういう君はどうなんだ?」
「私?」
そんなことに興味なんて無いような人だとばかり思っていたから、質問を返されるとは思ってもみなくて驚いてしまった。
「君だって独身だろ」
「私は、この人ならっていう人が現れたら、結婚しても良いかなとは思ってるわよ。だけど今はこっちの仕事が大事。だから当分はするつもりはないかな」
「できないんじゃなくて?」
「し、な、い、の。それで? 質問をしたのは私が先なんだけど」
ムッとしながら相手の答えをうながす。
「今の仕事が思いのほかやりがいがあって面白かった。気がつけば今の年だ。結婚なんて考えたことなっかったな」
そう言って霧島さんは肩をすくめた。
「ふーん。つまりは行き遅れちゃったんだ」
「どうしてそういうことになるだ」
私が同情するような顔をすると、腹立たし気な表情を浮かべる。
「だってそうでしょ? 気がついたら今の年ってことは、仕事に夢中になっているうちに行き遅れちゃったってことじゃない。なーんだ、人のこと言えないじゃない、霧島さんも」
「君と一緒にするな」
嬉しそうに言ったのがお気に召さなかったのか、ますます不愉快そうな顔つきになった。
「だって考えてなくて気がついたらその年でしょ? 私は、少なくとも誰かいい人が現れたらしようと思って、この年まで結婚しなかった。この違いは大きい。うん、私の勝ちね」
「どうしてそういう理屈になるんだ」
物凄く嫌そうな、いや、これはもしかして悔しそうな顔をしていると言うべきか。自分でも負けたとか思ってる?
「あ、そうだ。良いこと考えた。もしお嫁さんのきてがないなら、私があなたのこと、もらってあげましょうか?」
「……マスター、このカクテルのアルコール度はどれぐらいなんですか?」
「いや、そんなに高くないはずなんだけど……」
「ちょっと失礼ね、冗談も通じないの?」
ちょっとした冗談なのに、二人してなんでそんな深刻な顔をしているんだか。
「どう思いますか、マスター」
「いやあ……もしかしてカンパリを入れる量を間違えたかな……」
二人とも本人を前にして、なんだか物凄く失礼なことを言ってるんじゃない?
+++++
そして霧島さんが送ると言い張ったので、マスターにタクシーを呼んでもらった。マンションのエントランスまでで良いと言い張ったのに、霧島さんはタクシーの運転手さんに待っていてくださいと言って、私の後ろからぴったりとついてくる。
「送っていただいたのはありがたいんですけれど、私、酔っぱらってなんかいないんですけどね」
「自分で気がつかないうちに泥酔している場合もある」
まったく聞き入れてもらえなくてうんざりしてしまう。本当に酔っ払ってなんかいないのに。
「どうして冗談が通じなかったのか、そっちの方が不思議だわ」
「たちの悪い冗談だったぞ」
「そうかしら。これって親切な申し出だと思わない?」
「思わない」
エレベーターに押し込まれ、部屋があるのは何階かとたずねられたので答えると、霧島さんはイラついた様子でそのフロアのボタンを押した。
「どうしていまだに独身だって話だが」
エレベーターが上がっていく途中で、霧島さんがポツリと呟いた。
「行き遅れちゃったって話?」
「……まあそのへんは好きに考えてくれ。仕事が楽しくて気がついたらこの年になっていたと答えたが、本当は少し違う」
「違う? どういうこと?」
「実のところ一度だけ、一生添い遂げたいと思った女性にめぐり逢ったって、確信したことがあるんだ」
「だけどいまだに独身ってことは、推して知るべしよね」
「そうだな」
エレベーターが止まって扉が開く。ここは上層階になるとワンフロアに一世帯だけとなっている。仕事がら帰宅が夜遅くになることが多い私にとっては、お隣さんを気にしなくても良いので好都合な物件だった。廊下を歩きながらバッグの中の鍵を引っ張り出すと、横を歩く霧島さんを見上げる。
「つまり、その人のことをまだあきらめていないってことね。だから私の冗談に笑えないと」
「少し違う」
「また違うの?」
ドアの前に立つと、霧島さんは私の手から鍵を奪い取って鍵を開けた。そして再び鍵を私の手に握らせる。
「男のプライドってやつだな。妻にしたいと思っている相手から、嫁のきてがなかったらもらってやるなんて言われたら、男としての立つ瀬が無いだろ」
「うーん、そういうもの……?」
なにも考えずに首をかしげて、玄関ホールに入った。
「まあそういうことだから仕切り直しだな、お休み、先生」
「お休み~」
私があくびを噛み殺している間にドアはそっと閉められ、足音が遠ざかっていった。
…………ん? ちょっと待って?
「……今のって、どういうこと?」
「マスター、こちらの先生と同じものを」
「分かりました。こちらと同じということはスプモーニですけど、よろしいですか?」
「ええ、それでかまいません」
横に座ったのは霧島さん。こちらを見ようとはせず、カクテルを作っているマスターに視線を向けたままだ。
「何よ。今夜はちゃんと杉下さんに断りをいれて、ここに来ているわよ」
私がそう言うと、霧島さんはチラリとこちらを見た。そして再びマスターの方へと視線を戻す。
「知っている。俺も仕事が終わったからここに来ただけで、君を探していたわけじゃない。毎度毎度、君を迎えに来て回収するだけで、一度も腰を落ち着けて飲んだことがなかったからな。たまには、ちゃんとした客として顔を出さないと、マスターに申し訳がたたない」
「あ、そう。それは失礼しました。いつぞやのお返しに御馳走しましょうか?」
「いや。それをすると色々とややこしいことになるだろ。だから今はやめておく」
「ふーん、意外と慎重派なんだ」
霧島さんは私の言葉に、憤慨したようにフンと笑った。
「自分が警護していた人間が、次々と政治資金絡みの不祥事やらなにやらで、釈明会見やら謝罪会見やら辞任やらをしてみろ。慎重にもなるだろ」
「まあ、その気持ちは分からないでもないけど」
マスターが、霧島さんの前にカクテルの入ったグラスを置いた。彼はすぐには飲もうとせずに、そのグラスをじっと見つめている。
「ずっと気になっていたんだが」
「なに?」
「君は何故、こればかり飲んでいるんだ?」
私の前にあるグラスと、自分の前に置かれたグラスを交互に指でさす。どうやらこの前の伝票を見て、そんな疑問を持ったようだ。
このカクテルの名前はスプモーニ。グレープフルーツジュースとトニックウォーターに、カンパリを入れたカクテルだ。ちなみにマスターは私の好みに合わせて、一般的なレシピよりもほんの少しだけカンパリを少なめ、グレープフルーツジュースを多めに入れてくれている。
「ああ、これ? 二十歳になって初めて飲んだお酒がこれだったの。だからかな」
初めて自分で選んで飲んだカクテルがスプモーニだった。そのせいか、仕事でしくじって落ち込んだ時や、イヤなことがあって気分が晴れない時にこれを飲むと、なんとなく元気が湧いてくるように気がするのだ。だから気晴らしに、ここや黒猫さんを訪れた時には必ずこれを頼んでいる。
以前は最初にこのカクテルにして、後は色々と頼んでいたものだけど、最近ではそれすら億劫になってしまい、ひたすらスプモーニだけを頼んでいた。
「よく飽きないものだな。ああ、失礼、このカクテルに文句があるわけじゃなくて」
カウンターの向こう側に立っていたマスターに申し訳なさそうに見る。
「そんなの人それぞれじゃない? 居酒屋でビールとシシャモばかり注文する霧島さんにだけは、言われたくないんだけど」
「ちょっと待て」
彼の目つきが急に鋭いものになった。
「何故それを君が知っている?」
「なによ、そんな怖い顔をして。別に変な性癖をばらされたわけでもないんだから、そこまでにらむこともないでしょ? あ、もしかして本当に、お友達に言われるようなシシャモ中毒なの?」
「私生活をのぞき見られるのは、気分の良いものじゃないぞ」
「のぞいてなんていません。種明かしをすると、あなたの同僚さんがそんな話をしていたのを、小耳にはさんだだけ。安心しなさい、あなたのシシャモ中毒は警護課の仲間内と私、それとマスターぐらいしか知らないから」
ね?とマスターに同意を求めると、マスターはわざとらしく両手で耳栓をして、なにも聞こえていませんよと笑っている。
霧島さんは溜め息をつきながら、カクテルグラスに口をつけた。そして飲んだ瞬間、甘すぎたらしく顔をしかめる。その様子を見て思わず声をあげて笑ってしまった。
「マスター、霧島さんにはもう少し大人の飲み物のほうが良いみたい」
「みたいですね。じゃあ普通にワインでもお出ししましょうか? それともウィスキーかなにか?」
「ここにはシシャモはないかわりに、美味しいチーズとチョコレートがあるのよ?」
「うるさい」
マスターは私と霧島さんのやり取りに笑いながら、じゃあせっかく話にも出たのだから味見をしていただきましょうと言って、バックヤードへと下がっていった。
マスターが姿を消すと、店内は私と霧島さんだけになった。もともと今夜は週の中日だし、普段から遅い時間はお客さんも少ないとは聞いていたけれど、こんな風に、店内の有線でジャズが流れている以外、人の気配の無い静かな状態というのは珍しかった。そのせいか、隣に座っている霧島さんの存在が際立っていて、なんとも落ち着かない。
「ねえ」
「なんだ?」
「霧島さんは私のことどう思う?」
「……どうって?」
何故か霧島さんが、わずかに警戒しているような表情を浮かべてこちらを見た。
「霧島さんからは重光結花議員はどう見える?」
「ああ、そういうことか。そうだな、たまに突飛なことを言って周囲を驚かせてはいるが、なかなか見込みがあるんじゃないのか?」
「それだけ?」
他には?と催促すると、真面目な顔をしてしばらく考え込む。
「……俺は政治には詳しくないから、政治的手腕に関しては何とも言えないが、君は親の権威を笠に着ず、自分の力であの場所に立っているように見えるが? それでは不満なのか?」
「これからもやっていけると思う?」
そんな問い掛けに、珍しく霧島さんは戸惑った表情をした。まさかこんなことを聞かれるとは、思っていなかったという顔だ。
「そういうことは、俺よりも君の方が分かっているんじゃないのか? それか君の父親とか母親とか」
「両親には聞けないから、あなたに聞いているんじゃない。正直に答えて」
正直にねえと呟くと、首をかしげた。
「これまで散々迷惑をかけられたからな。以後は先生の成長ぶりを期待していますとしか言いようがない、というのが正直なところだ」
「あ、そう」
「なんだ、言われた通り正直に言ったまでなんだが。これでは不満だったのか? そんなに褒め称えて欲しいなら、後援会の連中や支持者の前で講演でもすれば良い。まさか俺が、おべんちゃらを使うと期待していたわけじゃないんだろう?」
確かにその通りだから反論のしようが無い。だけどやはりハッキリ言われると結構、傷つくものだ。
「しかしどうして急にそんなことを? 重光先生になにか言われたのか?」
この前の件でとうとうこっぴどく叱られでもしたのか?とつけくわえる。
「別にそういうわけじゃないけど、聞いてみたかっただけ。有権者からどう見られているかっていうのは、意外と気になるものなんだけど、自分では分かりにくいことだから」
「だったら、以後は勝手にトンズラはしないことだな。そこが改善されれば、君に対する評価は俺の中でかなり高くなる」
「二度とあなたに担がれて階段を上がるようなことはありませんから、御安心ください」
「それが本当かどうか、しばらく様子見をさせていただきますよ、先生」
「なんだかムカつくわね、その言い方」
そう呟きながら、グラスのカクテルを飲み干した。そこへタイミングよく、マスターがグラスとお皿を持って戻ってくる。
「こちらなら霧島さんも気入りますよ」
「すみません、ありがとうございます」
「結花さんは?」
「私はいつもので」
「分かりました」
マスターが手際よくカクテルを作っていくのを眺めながら、何となく疑問に思ったことを口にしてみることにした。
「ねえ、霧島さんってどうしていまだに独身なの?」
私の質問に彼はワインにむせる。
「今夜は色々と質問が多いな、先生」
「だって、こんな風にゆっくり話すことなんてなかなかないじゃない? 普段はあなたが警護している先生がいるところですれ違う程度だし、お店に来た時は大抵はお説教モードだし。だから今のうちに、気になることは聞いておこうかなって。こういう機会ってなかなか無いでしょ?」
「そういう君はどうなんだ?」
「私?」
そんなことに興味なんて無いような人だとばかり思っていたから、質問を返されるとは思ってもみなくて驚いてしまった。
「君だって独身だろ」
「私は、この人ならっていう人が現れたら、結婚しても良いかなとは思ってるわよ。だけど今はこっちの仕事が大事。だから当分はするつもりはないかな」
「できないんじゃなくて?」
「し、な、い、の。それで? 質問をしたのは私が先なんだけど」
ムッとしながら相手の答えをうながす。
「今の仕事が思いのほかやりがいがあって面白かった。気がつけば今の年だ。結婚なんて考えたことなっかったな」
そう言って霧島さんは肩をすくめた。
「ふーん。つまりは行き遅れちゃったんだ」
「どうしてそういうことになるだ」
私が同情するような顔をすると、腹立たし気な表情を浮かべる。
「だってそうでしょ? 気がついたら今の年ってことは、仕事に夢中になっているうちに行き遅れちゃったってことじゃない。なーんだ、人のこと言えないじゃない、霧島さんも」
「君と一緒にするな」
嬉しそうに言ったのがお気に召さなかったのか、ますます不愉快そうな顔つきになった。
「だって考えてなくて気がついたらその年でしょ? 私は、少なくとも誰かいい人が現れたらしようと思って、この年まで結婚しなかった。この違いは大きい。うん、私の勝ちね」
「どうしてそういう理屈になるんだ」
物凄く嫌そうな、いや、これはもしかして悔しそうな顔をしていると言うべきか。自分でも負けたとか思ってる?
「あ、そうだ。良いこと考えた。もしお嫁さんのきてがないなら、私があなたのこと、もらってあげましょうか?」
「……マスター、このカクテルのアルコール度はどれぐらいなんですか?」
「いや、そんなに高くないはずなんだけど……」
「ちょっと失礼ね、冗談も通じないの?」
ちょっとした冗談なのに、二人してなんでそんな深刻な顔をしているんだか。
「どう思いますか、マスター」
「いやあ……もしかしてカンパリを入れる量を間違えたかな……」
二人とも本人を前にして、なんだか物凄く失礼なことを言ってるんじゃない?
+++++
そして霧島さんが送ると言い張ったので、マスターにタクシーを呼んでもらった。マンションのエントランスまでで良いと言い張ったのに、霧島さんはタクシーの運転手さんに待っていてくださいと言って、私の後ろからぴったりとついてくる。
「送っていただいたのはありがたいんですけれど、私、酔っぱらってなんかいないんですけどね」
「自分で気がつかないうちに泥酔している場合もある」
まったく聞き入れてもらえなくてうんざりしてしまう。本当に酔っ払ってなんかいないのに。
「どうして冗談が通じなかったのか、そっちの方が不思議だわ」
「たちの悪い冗談だったぞ」
「そうかしら。これって親切な申し出だと思わない?」
「思わない」
エレベーターに押し込まれ、部屋があるのは何階かとたずねられたので答えると、霧島さんはイラついた様子でそのフロアのボタンを押した。
「どうしていまだに独身だって話だが」
エレベーターが上がっていく途中で、霧島さんがポツリと呟いた。
「行き遅れちゃったって話?」
「……まあそのへんは好きに考えてくれ。仕事が楽しくて気がついたらこの年になっていたと答えたが、本当は少し違う」
「違う? どういうこと?」
「実のところ一度だけ、一生添い遂げたいと思った女性にめぐり逢ったって、確信したことがあるんだ」
「だけどいまだに独身ってことは、推して知るべしよね」
「そうだな」
エレベーターが止まって扉が開く。ここは上層階になるとワンフロアに一世帯だけとなっている。仕事がら帰宅が夜遅くになることが多い私にとっては、お隣さんを気にしなくても良いので好都合な物件だった。廊下を歩きながらバッグの中の鍵を引っ張り出すと、横を歩く霧島さんを見上げる。
「つまり、その人のことをまだあきらめていないってことね。だから私の冗談に笑えないと」
「少し違う」
「また違うの?」
ドアの前に立つと、霧島さんは私の手から鍵を奪い取って鍵を開けた。そして再び鍵を私の手に握らせる。
「男のプライドってやつだな。妻にしたいと思っている相手から、嫁のきてがなかったらもらってやるなんて言われたら、男としての立つ瀬が無いだろ」
「うーん、そういうもの……?」
なにも考えずに首をかしげて、玄関ホールに入った。
「まあそういうことだから仕切り直しだな、お休み、先生」
「お休み~」
私があくびを噛み殺している間にドアはそっと閉められ、足音が遠ざかっていった。
…………ん? ちょっと待って?
「……今のって、どういうこと?」
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