上 下
11 / 23
A Midsummer Night's Dream

To be, or not to be, that is the question.

しおりを挟む
どこか空っぽな部屋の中で、情報を貪り喰らう。

通常、ここまで騒がれた公判は最高裁判所HPに載っていることが多い。

だが本件は載っていない。傍聴席がーとか連日のニュースとしては確かに凄かったんだろう。

しかし、おそらくプライベートなことが多いこと、説諭で傲慢さを指摘されたが「事件」としてはありふれている有名人の薬物事件として処理されたのだろう。

判例百選などにも記載がない。
あるのは「週刊誌」などゴシップばかりだ。

つまり、法律学的にはありふれた薬物事件でしかなかった。という論文のネタにならない事件でしかなかったということである。

ざっくり調べてわかったことは、ごく若いうちに成功して名を上げた。そして「途中で壊れた」だろうか。「世論」に、ご自身の「才能」に負けた、なのか。雁字搦めな印象。

「彼」は世代としては、俺の親の世代の有名人か。

そう考えると、またはご自身の下っていく感覚に耐えられなかったのか。

人には「思春期」「青年期」「成熟期」「老齢期」があるという。これは精神の話だが「成熟期」からは下っていく感覚と付き合うことになる。

一般人の俺ですら、不惑近い我が身の思考も記憶も体力も絶頂期から外れていく感覚は、抗い難い不快感がある。ましてや、成功体験を地で行ったのだ。「彼」の苦悩は想像さえもできない。

ひとまずの調べた感想としては、極ありふれた有名人の破滅であり、身近に例えると更年期障害だったのかな、とは思った。

会社だと「異動」で済むが、作り上げられたイメージ含めて「逃れられない」とき、人は「何を思うのか」。

クソッタレな日常から逃れるかのように、どこか夢中になってその音楽家の人生を調べるうちに、今の俺の年齢もその音楽家のように下り坂に入っていく年齢なんだな、と自然に理解できた。

それは、俺に恐怖を齎らした。

完全なる根無草であり、ただがむしゃらに漠然と生きてきた。記憶力だけはあるから仕事そのものを選ばなければ生きてはいられる。他を全部引き換えにした「オートマタ」。

しかし、俺自身が死ぬ時に何か思わないでいられるのか?

戯曲は続く。例え、全世界的な疫病が流行ろうが世界が止まらないように。
小さな小さな機械人形の心の中の波紋も、また続いていく。
しおりを挟む

処理中です...