お嬢様ラブな彼女に俺は翻弄されている

柊 月

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お嬢様ラブな彼女に俺は翻弄されている

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 美しい薔薇が咲き誇る庭園に見目麗しい男女が二人。熱を孕んだ男の目がふんわりと細められ、頬を桃色に染めたレディがそれに微笑み返した。彼等が肩を並べて微笑んでいる様子は、誰が見ても一枚の絵の如く完成されており、誰も邪魔をする者はいない。もうゴールが近いのかもしれないと、周囲からはまことしやかに囁かれている。

 黄昏時、男は優雅に女の前に跪くと、彼女の細く小さな手を取って自身の形の整った薄い唇にそれを寄せる。そして何千回目かの愛を囁き、胸元から求婚の花――黄色のガーベラを差し出した。

 女の宝石のような瞳は溢れんばかりに見開かれ、そこからはらりと涙が落ちる。そんな彼女を男は心底愛おしそうに見つめ、親指で女の涙を拭い、再度返事を委ねた。女は嬉しそうに幸せに溢れた笑顔で頷き、男は彼女を柔らかく抱き締める。暫くの間そうしていた二人は少し身体を離したと思うと、どちらからともなく顔は近づいて―――。







「お前何やってるんだ」

「うわっ!……何だ、リィンじゃん。ちょっと黙って。いい所なの」

「……そういう主人の色恋は見て見ない振りをするのが使用人の鉄則じゃないのか?」

「お嬢様の一大イベントなのよ!見届けなくてどうするの!」



 プロポーズ……を窓から垣間見ている彼女の名はクレハ=アドリー。まさに今ガーベラを受け取った令嬢付きの侍女だ。ハンカチ……と呼ぶには若干大きすぎる布切れを手に握り締め、およよよよと泣きに泣きながらも、視線は絶対に二人から離さない執念は凄まじい。そんなクレハに肩を竦める男の名はリィンハルト=ルードヴィッヒ。同じくまさに今ガーベラを贈った男――王太子の側近だ。

 リィンハルトはものは言い様だと溜息を一つ付き、窓際から動きそうもないクレハをひょいと俵を肩に担ぐように持ち上げた。クレハは素っ頓狂な声を上げ、じたばたと暴れて必死に降りようとするがリィンはビクともしない。



「分かったわ!もう覗き見はしない!だから下ろして!」



 リィンハルトには「もうここからは覗き見はしない」と聞こえたが、これ以上クレハに構っては居られない。王太子が狼になる可能性があるから、そろそろ二人を邪魔しに行かなくては。

 無事に着地したクレハは身嗜みを軽く整えると、侍女然とした顔つきになって凜と歩き始める。部屋を出る直前に「もうっ、お嬢様の貞操を守らなくちゃいけないのにリィンのせいで遅れちゃったらどうするのよっ」とお小言を食らったリィンハルトは、その言葉をそのままお前に返す、と心の中で呟く。音の粒にせず苦笑いを返すだけだったのは、奇遇にも考えが一緒だったからだ。

 急いで二人で向かえば、案の定王太子の手が怪しげに動いていた。良い笑顔でありながら今にも殺れそうな視線を王太子に投げ付けるクレハをリィンハルトは背で隠しつつ暴走気味の主を止める。危なかった。間一髪である。

 と、まぁそんなことはどうでも良い。
 閑話休題、だ。

 今、リィンハルトは絶賛懊悩中であった。
 ことの始まりは、殿下のプロポーズ成功後初めてのクレハの主ソフィー登城日だった。

 いつもソフィーに同伴する侍女はクレハだったのに、何故かその日以降別の侍女が付くようになった。このタイミングの入れ替えは、ソフィーが輿入れの際に伴うのはクレハではないという事を表しており、今まで近くで彼女らの信頼関係を見てきたリィンハルトに違和感と混乱を与えた。何よりリィン個人的に衝撃的であり、大きな悲しみと無力感に襲われた。

 王太子やソフィーに直接聞くわけにもいかず──と言ってもこれまでのクレハへの言動を知る彼らは、何がリィンハルトを萎れさせているのか、しっかり、ちゃっかり、分かっていた──1人機会を伺っていたが、ソフィーにバレて真実を打ち明けられたのが2ヶ月少し前。

 どうやらクレハはアドリー子爵家三女としての仕事、つまりは伴侶探しの社交を、実家の要請で強制的にやらされているらしい。

 ──クレハが誰かのものになる。

 そう思うと今まで感じたことの無い怒りが腹の底から湧き立つ。顔を顰めるリィンハルトをちらと見たソフィーは、ティーカップを傾けて意味深な言葉を漏らした。



「わたくしもクレハには一緒に来て欲しいと思っているのよ?だけれど、彼女も貴族の務めは無視出来ないもの。侍女を続けるのは無理よね。普通の、嫁ぎ方では。……これは賭けですわ、ルードヴィッヒ様」



 これで、リィンハルトの決意が一層確かなものになった。

 ……が、もうそろそろ心が折れそうだ。
 あれだけ夜会に出席しているのにも関わらず、王太子カップルのさり気ない協力があるのにも関わらず、クレハにまっっっったく遭遇しない。彼女が自分を避けているとは考えたくもないが、無きにしもあらずな所があって否定出来ないのが泣ける。

 アドリー家を訪問することも考えたが、如何せん多忙で時間が無い。それに、側近の仕事を放り投げて会いに行った暁にはクレハに一昨日来やがれと言われるのが目に見えているので却下だ。しかもアドリー家では、貴族階級では一般的である釣書による見合いはやらないという謎の伝統が受け継がれている。とても恨めしい。





「もうどうすれば……」





「何を悩んでいるの?」



 ふと心地良い声が聞こえ、まさかと振り向けば──。



「クレハっ!」



 リィンハルトは目をぱちくりさせるクレハに急いで駆け寄り、腰を抱き寄せ…………ようとして肩に手を置くだけに留めた。……おいヘタレ。

 クレハは悲痛な表情のリィンハルトを見て何を思ったのか、可哀相に……と呟いて彼の腕を労るように撫でた。久しぶりの再会に飄々としているクレハに、リィンハルトは寂しくもあり虚しくもあり、イラッとしてしまう。



「いや、待て、どういう事だ」

「どういう事って?お嬢様と殿下のグレードアップしたイチャイチャにあてられて心が抉られてるんじゃないの?」

「ちげーよ」



 じゃあ何なのよ、と言いたげなクレハの額にデコピンをお見舞いしたリィンハルト。王太子らの舞台さながらのそれに、独り身の自分が浮き彫りになって日々傷付いているが、悔しいから言ってやらない。



「……そういえば、今日はどうした?」

「あ、そうそう。リィンの事だから知ってるとは思うけど、今までお世話になったから直接言おうと思って」



 そう前置きして、クレハは急にいなくなった事への謝罪と実家の要請で侍女を辞めたのでもう二度と一緒に働けないこと、そして社交界には顔を出すから会ったら宜しくという旨を伝えた。

 ……ん?

 リィンハルトはクレハの言葉が少し引っ掛かった。



「……あーあ、お父様のばーか。私からお嬢様の侍女の仕事を奪うなんて。こうなったらとびっきり良い男を捕まえてやるんだからっ!」



 父への怒りに燃えるクレハは首を傾げるリィンハルトに気が付かない。そんな彼女を見て、リィンはほっとすると同時に何だか笑えてきた。そうだった、こんな奴だった。



「──お前にぴったりの相手、紹介するよ」

「え!ほんと?!」



 どんな人?どんな人?と目を爛々と輝かせるクレハにリィンハルトはひっそりと黒い笑みを溢す。



「そいつは侯爵家の次男で、もう一つ実家が持ってる伯爵位を継ぐ予定だ」

「おおっ!」

「収入もそこそこ高く安定しているし、社交も最低限で良い」

「おおおっ!」

「お前の諦めた侍女の仕事は続けて構わない」

「リィン、ナイスジョブ!その方紹介して欲しい!その素晴らしい方と結婚したいわ!」

「じゃあ、俺と結婚しようか」

「うん!…………うん?」



 ──言ったな?

 言質は取った。
 先程のヘタレっぷりが嘘のような華麗なる策士である。



「書類を取りに行こうか」

「いや、あの、え、ちょっ、ちょっと待って」



 クレハは扉に手を掛けるリィンハルトを引っ張る。尚も「えっ?は?えっ?」と独り言が止まらない彼女は相当動揺しているようだ。かあっと顔を赤く染めて本気なのかリィンに問う様子は最高にいじらしく可愛らしい。勿論是と答えればクレハは固まって動かなくなってしまった。

 リィンハルトは少しそれに罪悪感を感じていた。自分とは何が何でも結婚したくないと言われたら受け入れるつもりだ。ソフィーに土下座して、責任持って最高の紳士をクレハに紹介しよう。顔は広いからきっと上手くいく。……自分は立ち直れないかもしれないが。

 しかしリィンハルトの心配は無用だった。



「だっ、だって……リィンだったら、良いのにって、ずっと思ってて……それが、その……」



 殺し文句に耐えきれずヘタレは遂にクレハを抱き締めた。あたふたするクレハの頭に口付けを落とし、へなりと表情を蕩けさせるリィンハルトからは甘く、芳しい華やかな色気が放たれる。



「クレハ」



 耳元で囁かれて掛かった吐息が媚薬となってクレハの身体を駆け巡る。続いて落とされた愛の言葉に、恥ずかしくて苦しくて嬉しくて、顔を上げられずリィンハルトの胸にぐりぐりと額を押し付けた。

 リィンハルトの剣ダコとペンダコの出来た細く大きな手がクレハの頬に掛かる。

 目が合えば彼の瞳は更に蕩けて、好きだと全力で訴えてくる。

 譫言のように「クレハ」と呟いた彼の顔が徐々に近づく。

 あと、少し──。












「あっ、そういえば!!」

「……えぇぇ……空気読めよ……」



 残念。

 クレハは何故侍女を続けられるのかが気になったようで、申し訳なさげに自分の口を手で覆ったままリィンハルトに尋ねる。



「リィンが言う侍女って……」

「お前が敬愛するお嬢様の侍女だけど」



 途端クレハは表情を曇らせた。何でも、辞表を出してしまった上に父親の許可が出るか怪しいそうな。

 それについてだが、ソフィーから聞いた内容とクレハが言った内容が若干食い違っている。クレハが辞表を出した所までは同じだが、その後ソフィー側が必ずクレハに良い縁を作ってみせると言って、王太子妃専属侍女のメリットをちらつかせながらアドリー子爵を説得した事で、その辞表は破棄となったらしい。その事実を伝えればクレハは大きな溜息を付いて項垂れる。



「お父様からそんな話、一言も聞かされてない……」

「そりゃ、お前が侍女を続けられるってなったら社交をサボると分かってるからだな。子爵の判断は正しいと思うぞ」



 これからは自分も夜会に付き合うから、と一言添えれば、クレハは顔をぱっと上げて破顔した。その屈託ない笑顔をずっと守らなければとリィンハルトは改めて思った。



「……じゃ、続きな?」



 リィンハルトが黒くしかし爽やかに笑みを浮かべ、クレハの腰と後頭部に手を回し逃げられないようにして顔を近づける。クレハはぎゃーぎゃーと抵抗した。紅潮した頬も、潤む目元も、羞恥で慌てふためくその様子も、全てリィンハルトを煽るだけで逆効果だ。それを見るのも楽しいが、いい加減大人しく腕の中に収まってくれ。



「うるさい」



 だからリィンは彼女の口に噛みついてやった。







 それから王太子夫妻にからかわれて赤面地獄になったり、クレハからの甘い仕返しにタジタジになったり、親馬鹿子爵と一悶着あるのはまた別の話。







 END




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