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1 運命とは
運命なんて信じない。
元々の考え方もそうだし、そんな浮ついたことを平気で言うようなお年頃でもない。
だから彼女との出会いは運命などではなく、ましてや生涯の伴侶になるという未来も存在しなかった。運命なんて、ただ自分に都合のいい偶然の呼び方だ。
一人残されたカフェの席で、榛名暁哉は自分にそう言い聞かせた。
――遡ること数分前。
『ごめんなさい榛名くん。別れたいの~』
ふんわりと髪を巻いて、洋菓子のような色合いの服を着た素朴な顔の彼女はそう言った。
『っ、え?』
突然の言葉に榛名は一瞬どもって聞き返したが、彼女はそんな榛名を気にもせずぺらぺらと喋り続けた。
『榛名くんが悪いわけじゃないの。でもなんかぁ、優しすぎて私には物足りなかったっていうかぁ~……やっぱり私、グイグイ引っ張ってくれる男の人が好きみたいなの』
『は……?』
『ここは私が払っておくから、本当にごめんね? じゃ、元気でね~』
頼んだ飲み物にほとんど手を付けずに席を立った彼女を、わざわざ追いかけることはしなかった。
偶然一部始終を見ていたらしい若い女性店員が、呆然とした顔で榛名を見ている。
ちらりと視線を投げると、店員は慌てて目を逸らした。
付き合ってまだ1ヶ月未満だった。
彼女は前の彼氏にDV――つまり暴力を奮われていたらしく、『次に付き合うなら絶対に優しい人がいい』と言っていたらしい。
それで女性に暴力を奮うことなど絶対にありえない、ごく普通の男の榛名に紹介されたのだ。
『榛名くん看護師さんなんだぁ、それなら絶対優しいよね~』
『うーんどうかな……、患者さんには結構厳しい方だと思うけど……』
『でもそれって患者さんを思ってのことでしょ? やっぱり優しいと思う~、いいなぁそういう人、好きだなぁ~』
彼女はそんな風に言ってくれていた。
前の男から酷いDVを受けていたと聞いていたから、榛名はとても彼女に気を遣っていた。
それなのに――否、彼女にはそれが良くなかったのか。
(結局、暴力男を引き寄せていたのは自分じゃないか……)
冷めたコーヒーを一気に飲み干して、榛名はカフェを出た。
9月下旬の今は少し涼しい。今日は日曜日で、まさにデート日和だった。
榛名は看護師なので休みは不定期だが、職場の腎透析科は日曜が定休日だ。
透析室は外来のため、病棟と違って日曜は休みと決まっている。ただし他の曜日は祝日だろうと関係ないシフト制だ。
そして一週間のうち2回ある休みのうち、貴重なもう一回の休みを来週月曜に入れていた。
つまり、明日も休みだ。だから今夜は遅くなっても大丈夫だったのに。
「はぁ……」
榛名は深い溜め息をついた。彼女にフラれてショックだった――というわけではない。
ただ、形だけの失恋のあとはいつもなんとなく途方に暮れる。
榛名の初恋相手は男だった。
小学校の同級生で、下の名前は忘れたが名字は『岩切』といった。もちろん周りと違うことは分かっていたので告白はせず、ただ遠くから見ているだけだった。
しかし何故か噂になったことがある。榛名が岩切を好きらしい、と。
同じように岩切を好きな女子に問い詰められたが、心を殺してきっぱりと否定したのでイジメにまでは発展しなかった。
が、暫くの間周りからは奇異の目で見られ、ヒソヒソと噂されたのは苦い思い出だ。
だからその後は男を好きだったことなんて忘れて、ちゃんと女の子を好きになろうと努力した。
そんなトラウマがあるせいか、または性格のせいか、榛名はどんな女性と付き合っても長続きしなかった。
告白はされる方だが、フラれるのも必ず榛名の方だ。
理由はいつも『なんとなく好きじゃなくなった』『他の人を好きになった』などと言われるので、榛名自身に原因があって振られるわけではないらしい。
なので榛名は相手を追ったり、『別れたくない』などと縋ったりしたことは今まで一度もない。
別れたいと言った相手にそんなことを言われたら迷惑だろうし、別れ話をされてなお付き気合い続けたいとも思わない。
それにどんな気持ちが『好き』だったか、恋とはどんな感情だったか、榛名は思い出せないのだ。
同級生を遠くから見つめていた自分は、確かに相手のことが好きだった。
しかしそれは小学生の頃の話で、どんな気持ちだったのかなんてもう覚えていない。相手の顔すらも思い出せないのだから当然だ。
ドラマや映画で見るような、甘く切ない感情が持てない。
女の子は素直に可愛いと思うし、嫌いじゃなければ付き合う相手には『好きだよ』と簡単に口にできるが、それも本心からではない。
けれど、大人の恋愛とはそんなものだろうと思っていた。
別に冷めているわけではなくて、榛名なりにいつも恋愛は誠実だった。
浮気なんてしたことがないし、性行為はあまり好きではないが、もし万が一子供ができた時はいつでもその責任は果たそう、と思うくらいには。
それ以上の誠実を、榛名は知らない。
そんな榛名は来年で28歳になる。
この年まで自分が独身なんて、20代前半の頃は思いもしなかった。
榛名は決してチャラ男ではないが、告白されたらすぐにホイホイ付き合っていたものだから、学生時代の友人達には一番早く結婚するだろう、と言われていた。
自分でもまあそうなのかな、と思っていた。
相手を本気で好きになったりはしないけれど、適当な相手と適当な恋愛をして、人並みの家庭を築いて人並みに幸せな人生を送るんだろう、と。
しかし、人生はそう甘くはなかった。
今まで榛名がモテていたのは環境のせいだったのかもしれない。
なにせ榛名が身を置いていた看護学校の生徒はほぼ女性だ。数少ない男子生徒の中では、多少イケてるように見えていただけなのだろう。
榛名は太っても痩せすぎでもないし、イケメンでもないが目を覆いたくなるほどのブサイクでもない。身長も175センチあり、チビと言われることもない。
やや童顔で柔らかな雰囲気なので高齢の患者からの受けも良く、上司や同僚、後輩からも信頼されている。
つまるところ、普通――どこにでもいる平凡な男だ。
さっきの彼女を紹介してくれたのは、看護学生時代の友人の女性だ。
勤め先は違うものの、榛名と同じ就職と同時上京組である。
きっと今夜は友人から謝罪の電話が来るに違いない。もっとも彼女が友人に『榛名君と別れちゃった~』と報告すればの話だが。
元々の考え方もそうだし、そんな浮ついたことを平気で言うようなお年頃でもない。
だから彼女との出会いは運命などではなく、ましてや生涯の伴侶になるという未来も存在しなかった。運命なんて、ただ自分に都合のいい偶然の呼び方だ。
一人残されたカフェの席で、榛名暁哉は自分にそう言い聞かせた。
――遡ること数分前。
『ごめんなさい榛名くん。別れたいの~』
ふんわりと髪を巻いて、洋菓子のような色合いの服を着た素朴な顔の彼女はそう言った。
『っ、え?』
突然の言葉に榛名は一瞬どもって聞き返したが、彼女はそんな榛名を気にもせずぺらぺらと喋り続けた。
『榛名くんが悪いわけじゃないの。でもなんかぁ、優しすぎて私には物足りなかったっていうかぁ~……やっぱり私、グイグイ引っ張ってくれる男の人が好きみたいなの』
『は……?』
『ここは私が払っておくから、本当にごめんね? じゃ、元気でね~』
頼んだ飲み物にほとんど手を付けずに席を立った彼女を、わざわざ追いかけることはしなかった。
偶然一部始終を見ていたらしい若い女性店員が、呆然とした顔で榛名を見ている。
ちらりと視線を投げると、店員は慌てて目を逸らした。
付き合ってまだ1ヶ月未満だった。
彼女は前の彼氏にDV――つまり暴力を奮われていたらしく、『次に付き合うなら絶対に優しい人がいい』と言っていたらしい。
それで女性に暴力を奮うことなど絶対にありえない、ごく普通の男の榛名に紹介されたのだ。
『榛名くん看護師さんなんだぁ、それなら絶対優しいよね~』
『うーんどうかな……、患者さんには結構厳しい方だと思うけど……』
『でもそれって患者さんを思ってのことでしょ? やっぱり優しいと思う~、いいなぁそういう人、好きだなぁ~』
彼女はそんな風に言ってくれていた。
前の男から酷いDVを受けていたと聞いていたから、榛名はとても彼女に気を遣っていた。
それなのに――否、彼女にはそれが良くなかったのか。
(結局、暴力男を引き寄せていたのは自分じゃないか……)
冷めたコーヒーを一気に飲み干して、榛名はカフェを出た。
9月下旬の今は少し涼しい。今日は日曜日で、まさにデート日和だった。
榛名は看護師なので休みは不定期だが、職場の腎透析科は日曜が定休日だ。
透析室は外来のため、病棟と違って日曜は休みと決まっている。ただし他の曜日は祝日だろうと関係ないシフト制だ。
そして一週間のうち2回ある休みのうち、貴重なもう一回の休みを来週月曜に入れていた。
つまり、明日も休みだ。だから今夜は遅くなっても大丈夫だったのに。
「はぁ……」
榛名は深い溜め息をついた。彼女にフラれてショックだった――というわけではない。
ただ、形だけの失恋のあとはいつもなんとなく途方に暮れる。
榛名の初恋相手は男だった。
小学校の同級生で、下の名前は忘れたが名字は『岩切』といった。もちろん周りと違うことは分かっていたので告白はせず、ただ遠くから見ているだけだった。
しかし何故か噂になったことがある。榛名が岩切を好きらしい、と。
同じように岩切を好きな女子に問い詰められたが、心を殺してきっぱりと否定したのでイジメにまでは発展しなかった。
が、暫くの間周りからは奇異の目で見られ、ヒソヒソと噂されたのは苦い思い出だ。
だからその後は男を好きだったことなんて忘れて、ちゃんと女の子を好きになろうと努力した。
そんなトラウマがあるせいか、または性格のせいか、榛名はどんな女性と付き合っても長続きしなかった。
告白はされる方だが、フラれるのも必ず榛名の方だ。
理由はいつも『なんとなく好きじゃなくなった』『他の人を好きになった』などと言われるので、榛名自身に原因があって振られるわけではないらしい。
なので榛名は相手を追ったり、『別れたくない』などと縋ったりしたことは今まで一度もない。
別れたいと言った相手にそんなことを言われたら迷惑だろうし、別れ話をされてなお付き気合い続けたいとも思わない。
それにどんな気持ちが『好き』だったか、恋とはどんな感情だったか、榛名は思い出せないのだ。
同級生を遠くから見つめていた自分は、確かに相手のことが好きだった。
しかしそれは小学生の頃の話で、どんな気持ちだったのかなんてもう覚えていない。相手の顔すらも思い出せないのだから当然だ。
ドラマや映画で見るような、甘く切ない感情が持てない。
女の子は素直に可愛いと思うし、嫌いじゃなければ付き合う相手には『好きだよ』と簡単に口にできるが、それも本心からではない。
けれど、大人の恋愛とはそんなものだろうと思っていた。
別に冷めているわけではなくて、榛名なりにいつも恋愛は誠実だった。
浮気なんてしたことがないし、性行為はあまり好きではないが、もし万が一子供ができた時はいつでもその責任は果たそう、と思うくらいには。
それ以上の誠実を、榛名は知らない。
そんな榛名は来年で28歳になる。
この年まで自分が独身なんて、20代前半の頃は思いもしなかった。
榛名は決してチャラ男ではないが、告白されたらすぐにホイホイ付き合っていたものだから、学生時代の友人達には一番早く結婚するだろう、と言われていた。
自分でもまあそうなのかな、と思っていた。
相手を本気で好きになったりはしないけれど、適当な相手と適当な恋愛をして、人並みの家庭を築いて人並みに幸せな人生を送るんだろう、と。
しかし、人生はそう甘くはなかった。
今まで榛名がモテていたのは環境のせいだったのかもしれない。
なにせ榛名が身を置いていた看護学校の生徒はほぼ女性だ。数少ない男子生徒の中では、多少イケてるように見えていただけなのだろう。
榛名は太っても痩せすぎでもないし、イケメンでもないが目を覆いたくなるほどのブサイクでもない。身長も175センチあり、チビと言われることもない。
やや童顔で柔らかな雰囲気なので高齢の患者からの受けも良く、上司や同僚、後輩からも信頼されている。
つまるところ、普通――どこにでもいる平凡な男だ。
さっきの彼女を紹介してくれたのは、看護学生時代の友人の女性だ。
勤め先は違うものの、榛名と同じ就職と同時上京組である。
きっと今夜は友人から謝罪の電話が来るに違いない。もっとも彼女が友人に『榛名君と別れちゃった~』と報告すればの話だが。
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