運命のひと~生真面目な看護師は意地悪イケメン医師に溺愛される~

すずなりたま

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8 アフターファイブ

 現在、16時45分。終了時刻の15分前。
 今日は火曜日で透析は1クールしかないため、透析患者はとうに皆帰宅していた。
 午後から始まった怒濤の回収作業を終え、回収後の片づけや明日の透析回路組み、鉗子洗いや薬の準備を終えた透析室の看護師たちは、今はただ17時になるのを待ちながら談笑していた。
 勿論、話題は昼前に現れたイケメン医師の霧咲についてである。

「男前でしたね~! 一瞬俳優がドラマの撮影か何かに来たのかと思っちゃいましたよ!」
「私あの先生の名前見たことある、K大から来た患者さんの情報に時々名前載ってたよ、ホラ!」
「ホントだぁ~!」

   一か所に集まり、ある患者の情報のコピーをみんなで覗き込んでいる。
 透析室の看護師は年齢にバラつきはあるものの、ワンフロアで仕事をしているため皆仲良しだ。
   榛名はリーダーの仕事が地味に終わっておらず、かと言って他の人が手伝える業務ではないため一人で机に向かいせっせと仕事をしていた。

「榛名主任、5時に終わりそうですかー?」
「少し過ぎるかも。委員会の議事録も書かなきゃいけないし、俺が鍵閉めるんで皆気にしないで先に上がってくださいね」
「「「はーい」」」

   むしろ早く帰って欲しい。
 仕事をしている横で談笑をされては集中できない。
 いつもは気にならないのだが、今日は話題が話題なのでそっちの方が気になって全く仕事が捗らないのだった。
   霧咲は17時が定時だと聞かされてるだろうから、榛名を待つだろうが仕方ない。自分が誘ったわけではないのだし……。

「そういや榛名主任、あの先生にデートに誘われてましたよね? 私聞いちゃいました!」
「……デートじゃないけど」

 榛名はリーダー記録から顔を上げて、楽しそうに言う有坂を少し睨んだ。
 しかし有坂は睨まれていることにすら気付いていない。

「何それ羨ましい!    私も旦那がいなかったらなぁ~!」
「富永さん、誘われてすらいないじゃん」
「あ~言ったな~!」

 40代の看護師二人も、師長同様イケメンに浮かれている。
 この中でも比較的冷静なのは有坂くらいだろうか。
 さすがに歳が離れすぎていてそういう対象には見れないのか、もしくは好みではないのか……榛名にはどちらでもいいのだけど。

「でも主任、それならあんまり待たせたら印象悪くないですか?    委員会の議事録って別に急がないですよね~?」

 有坂の鋭い指摘に、榛名は一瞬ぎくりとした。
 できるだけ長い時間仕事をする予定で、今日の誘いはやっぱりナシにしてもらおうかな、と画策していたのだ。
 すると他の看護師からも声が上がった。

「主任明日夜勤じゃないですか、議事録はその時に書いたら?」
「それがいいよ~榛名君! それ終わったら皆で帰ろう? もう少しじゃん、頑張れ!」
「あ、ハイ……」

 目敏くリーダー記録を見られて応援までされ、結局皆と一緒に17時に透析室を出ることになった榛名だった。

(なんであの人と食事なんかしなきゃいけないんだ……でも、あの夜のことを口止めしないといけないし……ああぁぁ……)

 榛名は男子ロッカーで私服に着替え、言われた通り素直に裏玄関で霧咲を待っていた。
 気分はとても憂鬱なのに、とてもじっとは待っていられずそわそわする。
 通りかかる職員に怪訝な目で見られているが、榛名は全く気付いていない。
 そして、一台の車が榛名の前に静かに停止した。
 黒の高級外車で、名前は分からない。
 ピカピカと黒光りしており、左ハンドルで2シーターのスポーツカータイプだ。ライトはやや楕円形で大きい。
 霧咲は運転席から出てこないが、確実に榛名が乗り込んでくるのを待っている。

「……」

 乗りたくない。
 かなり乗りたくないが、このままここで立ち尽くしているわけにもいかないので、『ええいままよ!』と心の中で若干古臭い気合いを入れて、榛名は助手席のドアを開けて霧咲の顔を見ずに乗り込んだ。

 クスクスクス……

 運転席から小さな笑い声が聞こえてきたので、榛名はむっとして運転席の方を睨んだ。
 そこには、あの日の夜と同じ紺のジャケットを着た霧咲の姿があった。

「……なにがおかしいんですか?」
「だってアキ、俺の顔も見ずに乗り込んでくるんだもんな。これが俺じゃなくて他の人の車だったらどうするの? 完璧に変な人だよ」

 『アキ』

 あの日、榛名が霧咲に名乗った名前だ。
 もしかしたらあの日のことは夢だったのかもしれないと現実逃避までしかかったのが、やはり現実だったらしい。
 榛名は霧咲からぷいっと顔を背けると、少しイラついた声で言った。

「あなたの車だって確信があったから乗ったんです、霧咲先生。それと、アキって呼ばないで下さい」
「どうして? 君はあの日、自分の名前はアキだって名乗ったじゃないか」
「あれはあの日限定です」

 本当に、あの日一日だけの名前だ。
 もう自分は二度と、『アキ』にはならないと決めていた。
 自分から霧咲を求めて腰を振って、みだらな声を上げていた『アキ』。

「ふうん、じゃあアキヤでいい? 確か下の名前……」
「だ、ダメに決まってるでしょう! なんで名前呼びなんか! それと俺はアキヤじゃなくて、アキチカですっ」
「ふうん、アキチカって読むんだね。でもそれも嫌なら榛名って呼ぶけど。仕事のときはさん付けで呼ぶから、それでいい?」

 榛名が静かに頷くのを確認した後、霧咲は車を発進させた。
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