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14 霧咲先生の回診
今朝目が覚めて、榛名が思ったこと。
それは……
(今日、仕事行きたくないな)
ということだった。
そんなことを思ったのはいつぶりだろう。
榛名が看護師になったのは今から8年前、なりたての3か月目の頃はいつも辞めたいと思っていた。
慣れない環境、慣れない仕事、慣れない一人暮らし。そして、言葉。
今は方言女子などというものが流行って囃されているが、榛名が上京した頃はそんな流行はなかった。
しかも普通の男だから『可愛い』などとは言われず、ただひたすら芋臭いと思われていたと思う。
高齢患者受けはひどく良かったが、話せばすぐに『きみ九州の子?』と地元がバレた。
自分では標準語を話してるつもりでも、イントネーションの違いですぐに地方出身だとバレる。
榛名が頑張って標準語をマスターしたのは、それから3年も後のことだった。
そして東京での彼女という存在も、できるようになった。
別に地方出身であることを恥じているわけではないのだけど。
ベッドの中でそんな昔のことをぼんやりと思い返していたら、起きる予定の時間を10分も経過していて、榛名は慌てて飛び起きた。
トーストを焼いて、コーンスープとコーヒー、そして目玉焼きを作る。
榛名の朝食はいつも同じメニューだ。それと時々、ヨーグルトも付ける。
榛名は料理は得意でも不得意でもないが、人に出せるレベルではない。
もし次回、霧咲が朝までいるようなことがあったら、いつもと同じ朝食でいいのだろうか……なんてことを無意識に考えてしまい、ぶんぶんと頭を振った。
(三度目なんか、あるはずがない)
霧咲に再会した一昨日から、榛名の思考の大半は霧咲が占めていた。
寝ても覚めても仕事中も考えるのは霧咲のことばかりで、自分は頭がどうかしてしまったんじゃないのか、と思ったが、それだけ強烈な印象だったのだ。
もう二度と会わないと思ってた人物と、思わぬところで再会した。
そして、二度とないと思っていたのにまたズルズルと身体を重ねてしまった。
(まるで、安っぽいドラマみたいじゃないか……)
ドラマと違うこと──それは、自分たちが男同士だということだ。
もし霧咲が女性だったならば、榛名は間違いなく『運命の出会いだ!』と思ったことだろう。
しかし霧咲が女性だった場合、平凡な榛名に声をかけることはなかっただろうし、ましてや女版霧咲──きっと妖艶な美女だろう──が、自分程度の男をホテルに誘うわけがない、と思った。
榛名は女友達が多いため、女心というものをわりかし理解している方だ。
しかもあの日、女役だったのは自分の方なのだ。
非日常的な出来事が平凡な自分の人生で立て続けて起こり、きっと処理しきれていないのだ。
それだけに決まってる、と榛名は自分に言い聞かせた。
そして、いつも通り出勤した。
「おはようございます」
「おはよう榛名君! 夜勤明けで悪いんだけど、今日の霧咲先生の回診補助お願いねっ」
「はい……」
師長も人が悪い。奥本はナースを連れての回診などやらないし、今まで透析室に助っ人で他の医師が来たことなどないので、霧咲がどんな回診をするのか全く分からない。
そんな未知の業務を主任の榛名に丸投げしているのだ。
それに検査データの出し方や指示入力の仕方などはそれぞれ施設によってやり方が違うので、しいては全部を霧咲に教えながら指示まで受けろ、ということだ。
しかし、それらを他のナースに押し付けようとは榛名も思わないし、主任だから仕方がないよな、と腹をくくってもいた。
今日は別の意味で忙しくなるな……と思い、榛名は師長に気付かれないように小さくため息を吐いた。
それと別の意味でも、霧咲に会いたくない。
きっと相手が霧咲じゃなくて他の先生だったなら、回診につくにしてもこんなに気が重くはなかったんじゃないか、と思った。
(でもせっかく助っ人に来てくれるんだし、頭を切り替えて……)
「そういえば榛名君、おととい霧咲先生とお食事したんでしょ? どう、少しは仲良くなれた?」
「え!? まぁ、それなりですかね……」
一瞬、ため息を吐いたのがバレたのかと思い榛名は焦った。
「うふふ、やっぱり男同士だと打ち解けるのも早いわよねぇ。今日の回診はばっちりね!」
「だと、いいんですけどね……」
「霧咲先生の院内PHSの内線番号は767よ。準備ができたら呼んで下さいって」
「分かりました」
(まあ今日は初めての回診だし、きっと患者に挨拶して回る程度だろう)
榛名はそう思っていたのだが、そんな考えは3時間後には覆されていたのだった。
10時半すぎに穿刺がすべて無事終了し、榛名はふうと一息ついた。
外来カルテ、入院カルテも配ったし、回診用のノートPCの立ち上げもばっちりだ。
これから、霧咲を透析室に呼びだす。
自分の携帯からは決してかけられなかった霧咲の携帯──といっても、院内PHSだが──に電話を掛けた。
プルルル……
『はい、霧咲です』
ドキッ
「……おはようございます、透析室の榛名です。準備ができましたので、回診をお願いします」
『オーケー、すぐに行くよ』
交わした会話はたったそれだけなのに、榛名は自分で気付かないくらい緊張していた。
何か変なことを言われるかと思ったけど、霧咲は普通だった。
……当たり前だけれど。
それは……
(今日、仕事行きたくないな)
ということだった。
そんなことを思ったのはいつぶりだろう。
榛名が看護師になったのは今から8年前、なりたての3か月目の頃はいつも辞めたいと思っていた。
慣れない環境、慣れない仕事、慣れない一人暮らし。そして、言葉。
今は方言女子などというものが流行って囃されているが、榛名が上京した頃はそんな流行はなかった。
しかも普通の男だから『可愛い』などとは言われず、ただひたすら芋臭いと思われていたと思う。
高齢患者受けはひどく良かったが、話せばすぐに『きみ九州の子?』と地元がバレた。
自分では標準語を話してるつもりでも、イントネーションの違いですぐに地方出身だとバレる。
榛名が頑張って標準語をマスターしたのは、それから3年も後のことだった。
そして東京での彼女という存在も、できるようになった。
別に地方出身であることを恥じているわけではないのだけど。
ベッドの中でそんな昔のことをぼんやりと思い返していたら、起きる予定の時間を10分も経過していて、榛名は慌てて飛び起きた。
トーストを焼いて、コーンスープとコーヒー、そして目玉焼きを作る。
榛名の朝食はいつも同じメニューだ。それと時々、ヨーグルトも付ける。
榛名は料理は得意でも不得意でもないが、人に出せるレベルではない。
もし次回、霧咲が朝までいるようなことがあったら、いつもと同じ朝食でいいのだろうか……なんてことを無意識に考えてしまい、ぶんぶんと頭を振った。
(三度目なんか、あるはずがない)
霧咲に再会した一昨日から、榛名の思考の大半は霧咲が占めていた。
寝ても覚めても仕事中も考えるのは霧咲のことばかりで、自分は頭がどうかしてしまったんじゃないのか、と思ったが、それだけ強烈な印象だったのだ。
もう二度と会わないと思ってた人物と、思わぬところで再会した。
そして、二度とないと思っていたのにまたズルズルと身体を重ねてしまった。
(まるで、安っぽいドラマみたいじゃないか……)
ドラマと違うこと──それは、自分たちが男同士だということだ。
もし霧咲が女性だったならば、榛名は間違いなく『運命の出会いだ!』と思ったことだろう。
しかし霧咲が女性だった場合、平凡な榛名に声をかけることはなかっただろうし、ましてや女版霧咲──きっと妖艶な美女だろう──が、自分程度の男をホテルに誘うわけがない、と思った。
榛名は女友達が多いため、女心というものをわりかし理解している方だ。
しかもあの日、女役だったのは自分の方なのだ。
非日常的な出来事が平凡な自分の人生で立て続けて起こり、きっと処理しきれていないのだ。
それだけに決まってる、と榛名は自分に言い聞かせた。
そして、いつも通り出勤した。
「おはようございます」
「おはよう榛名君! 夜勤明けで悪いんだけど、今日の霧咲先生の回診補助お願いねっ」
「はい……」
師長も人が悪い。奥本はナースを連れての回診などやらないし、今まで透析室に助っ人で他の医師が来たことなどないので、霧咲がどんな回診をするのか全く分からない。
そんな未知の業務を主任の榛名に丸投げしているのだ。
それに検査データの出し方や指示入力の仕方などはそれぞれ施設によってやり方が違うので、しいては全部を霧咲に教えながら指示まで受けろ、ということだ。
しかし、それらを他のナースに押し付けようとは榛名も思わないし、主任だから仕方がないよな、と腹をくくってもいた。
今日は別の意味で忙しくなるな……と思い、榛名は師長に気付かれないように小さくため息を吐いた。
それと別の意味でも、霧咲に会いたくない。
きっと相手が霧咲じゃなくて他の先生だったなら、回診につくにしてもこんなに気が重くはなかったんじゃないか、と思った。
(でもせっかく助っ人に来てくれるんだし、頭を切り替えて……)
「そういえば榛名君、おととい霧咲先生とお食事したんでしょ? どう、少しは仲良くなれた?」
「え!? まぁ、それなりですかね……」
一瞬、ため息を吐いたのがバレたのかと思い榛名は焦った。
「うふふ、やっぱり男同士だと打ち解けるのも早いわよねぇ。今日の回診はばっちりね!」
「だと、いいんですけどね……」
「霧咲先生の院内PHSの内線番号は767よ。準備ができたら呼んで下さいって」
「分かりました」
(まあ今日は初めての回診だし、きっと患者に挨拶して回る程度だろう)
榛名はそう思っていたのだが、そんな考えは3時間後には覆されていたのだった。
10時半すぎに穿刺がすべて無事終了し、榛名はふうと一息ついた。
外来カルテ、入院カルテも配ったし、回診用のノートPCの立ち上げもばっちりだ。
これから、霧咲を透析室に呼びだす。
自分の携帯からは決してかけられなかった霧咲の携帯──といっても、院内PHSだが──に電話を掛けた。
プルルル……
『はい、霧咲です』
ドキッ
「……おはようございます、透析室の榛名です。準備ができましたので、回診をお願いします」
『オーケー、すぐに行くよ』
交わした会話はたったそれだけなのに、榛名は自分で気付かないくらい緊張していた。
何か変なことを言われるかと思ったけど、霧咲は普通だった。
……当たり前だけれど。
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