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20 そんなこと言えない
あの日自分に声をかけてきた霧咲は、お酒の飲ませ方もホテルへの連れ込み方も随分と手馴れており、正気ではとても言えないような甘い言葉を沢山榛名に掛けてきた。
でも、それはあの日だけが特別だったわけではなく、相手も決して自分だけに限られたものではないのだろう。
だって、霧咲はあんなにいい男なのだから。
『まああんなイケメン、彼女の一人や二人はとーぜんいるんでしょうけどね』
夜勤の時に堂島が言った言葉が蘇る。
そうだ、きっと霧咲の夜の相手は自分だけじゃない。
少し考えれば分かることだ。
榛名のように真面目しか取りえのない芋臭い田舎者が、あんなかっこいい男に好きになってもらえる理由など何一つない。
思い当たるとすれば、真面目すぎるところが霧咲には新鮮で面白かったのだろう。
きっと周りにはいないタイプに違いない。
「ありゃ? ちょっと……落ち込んじゃった?」
「……」
男の声が耳障りだ。
『好きだ』とか『運命の人だ』なんて言われて、もしかして自分はひどく浮かれていたのだろうか。
霧咲のことなんて好きじゃないのに、迫られても抵抗せずによがり声を上げて、そんな榛名が霧咲には新しいオモチャみたいに楽しかったんじゃないだろうか。
「可哀想に……君はその人に遊ばれてたんだよ。俺が慰めてあげるから、いこ?」
(遊ばれていた……)
いや、遊ばれていた、というのは少し違うと思う。
好きだって言われたけど、自分は返事をしていないのだから。
初めて会ったときみたいに簡単に流されて霧咲の望む返事をしていたら、それで遊ばれていたといえるだろう。
(『好きだ』なんて言わなくてよかった。だって好きなんかじゃないから。なのに、なんで……なんでこんなに、胸が苦しいんだ)
「マスター、この子連れてくから連れが来たら伝えててくれますー?」
ガッと強く肩を抱かれて、榛名は半ば無理矢理カウンターから立ち上がらせられた。
男の細い身体のどこにそんな力があったのだろうか。
でも榛名は、男の勢いに飲まれてその腕を振り払うことができなかった。
「ちょっ、お客様! その人は今大事なお客様と待ち合わせ中で!」
「だって待ってる人は別に恋人じゃないんだって。友達でもないし、それならその人にこの子を縛る権利なんかないでしょ? 勿論マスターにもね」
「それはそうですけど……! お客様、いいんですか?」
「……っ」
顔を上げたら涙がこぼれそうで、榛名はマスターの顔を見れなかった。
そして、カランカラン……とドアベルの音がした。
「その人は俺の恋人だ。手を離してもらおう」
榛名と男の背後から──少し息が荒く、地を這うようなドスの効いた声が聞こえた。
まるで別人のような声だったが、榛名にはそれが霧咲のものだとすぐに分かった。
「げっ、もしかしてお連れさん今来たの? あ~ん、もうちょっと早く出てればよかったー! あのー俺を殴ったりしないでよ? この人から恋人じゃないって聞いてたんだからさ!」
「確かに彼はまだ俺の恋人じゃないが、これからなる予定なんだ。誰にも渡す気はないよ」
(これからなる予定? 何勝手なことを言ってるんだろう、別に俺は霧咲さんのこと好きじゃないのに! ……でも、)
顔が熱くてたまらない。
(やっと来てくれた……)
人前だが、今すぐ霧咲に抱きつきたいと思った。
今度は嬉しくてこぼれそうになる涙を榛名は必死にこらえる。
「うわー超強引……でも俺、そういう人好きだな~。ん? てかお兄さん超いい男じゃねえ!? ねぇねぇこの子やめて俺にしない? 俺、きっとこの子に負けないくらいいい声で啼くよ~?」
「!?」
(こ、この野郎……無節操すぎるだろ!!)
「だめ!!」
榛名は思わず、自分でも驚くくらいの大声で男にそう言っていた。
肩に置かれていた男の手を叩きおとし、守るように手を広げて霧咲の前に立ち塞がる。
他の客が何事だ? という顔で一斉に榛名たちに注目した。
「ええ~っ!? ちょっときみ、この人まだ恋人じゃないんでしょ? だったら俺に頂戴よ~!」
「だめったらダメ!! ふざけんなよ!!」
(何を言ってるんだ俺は? 霧咲さんのことをこの人に渡したくないって、そう思ったら勝手に身体が動いて、こんな……こんな、恥ずかしいこと!)
自覚してかぁっと赤面したが、もう後に引くことはできない。
「榛名、」
「ンッ」
いきなり霧咲に肩をグッと掴まれて後ろを向かされ、唇を押し付けられた。
周りの客から『おお~!』という感嘆の声とまばらな拍手が起こる。
唇を離されて、至近距離で霧咲と目が合い瞬きをした瞬間、我慢していた涙がぽろぽろっと零れ落ちた。
「随分待たせて、悪かったね」
「……っ」
分かっている。
霧咲はわざと遅れてきたわけではないと。
むしろ、仕事を終えたあと榛名のために慌てて来てくれたのだと……。
いつもと違って少しよれた服装や乱れた髪が、それを物語っている。
そのことに気付いた榛名は胸がきゅうっと締め付けられて、もう、ダメだった。
霧咲に優しく抱きしめられて、榛名も霧咲の胸に縋るようにしがみついた。
溢れる涙を霧咲のシャツに吸収させるように。
霧咲は、そんな榛名に気付くとなだめるように背中を優しくぽんぽんと叩いてくれた。
「なんだよー! 盛大に見せつけてくれちゃってぇ。何が恋人じゃないとかなる予定だよ、あーもうムカつく! マスター、おかんじょーお願い!」
「あ、榛名の……彼の分もチェックお願いします、俺が払いますので。お騒がせしてすみませんリュートさん。また今度、彼を捕まえたときの話はじっくりと……」
「はい、楽しみにしていますね」
霧咲にそう言われたマスターの声は少し弾んでいた。
騒いでいたのは自分なのに、霧咲が代わりに謝って自分が飲んだ分の金を出している……大人のくせに情けないというのは十分に痛感しているけれど、口を開いたら涙がとめどなくこぼれてしまいそうで、榛名は霧咲のしたいように従った。
「それじゃ、また来ます」
「お待ちしています」
霧咲に肩を抱かれて、ローズを出てエレベーターに乗った。
あの男はひとつ前のエレベーターで降りたようだった。
「……霧咲、先生」
「ん?」
「おしごと、終わったんですか?」
「ん、ちゃんと終わらせてきたよ。だから今は先生じゃないかな」
「……霧咲さん」
「うん?」
(ずっと待ってた、なんて言えない……)
榛名は無言で、頭を霧咲の鎖骨あたりに擦り付けた。
でも、それはあの日だけが特別だったわけではなく、相手も決して自分だけに限られたものではないのだろう。
だって、霧咲はあんなにいい男なのだから。
『まああんなイケメン、彼女の一人や二人はとーぜんいるんでしょうけどね』
夜勤の時に堂島が言った言葉が蘇る。
そうだ、きっと霧咲の夜の相手は自分だけじゃない。
少し考えれば分かることだ。
榛名のように真面目しか取りえのない芋臭い田舎者が、あんなかっこいい男に好きになってもらえる理由など何一つない。
思い当たるとすれば、真面目すぎるところが霧咲には新鮮で面白かったのだろう。
きっと周りにはいないタイプに違いない。
「ありゃ? ちょっと……落ち込んじゃった?」
「……」
男の声が耳障りだ。
『好きだ』とか『運命の人だ』なんて言われて、もしかして自分はひどく浮かれていたのだろうか。
霧咲のことなんて好きじゃないのに、迫られても抵抗せずによがり声を上げて、そんな榛名が霧咲には新しいオモチャみたいに楽しかったんじゃないだろうか。
「可哀想に……君はその人に遊ばれてたんだよ。俺が慰めてあげるから、いこ?」
(遊ばれていた……)
いや、遊ばれていた、というのは少し違うと思う。
好きだって言われたけど、自分は返事をしていないのだから。
初めて会ったときみたいに簡単に流されて霧咲の望む返事をしていたら、それで遊ばれていたといえるだろう。
(『好きだ』なんて言わなくてよかった。だって好きなんかじゃないから。なのに、なんで……なんでこんなに、胸が苦しいんだ)
「マスター、この子連れてくから連れが来たら伝えててくれますー?」
ガッと強く肩を抱かれて、榛名は半ば無理矢理カウンターから立ち上がらせられた。
男の細い身体のどこにそんな力があったのだろうか。
でも榛名は、男の勢いに飲まれてその腕を振り払うことができなかった。
「ちょっ、お客様! その人は今大事なお客様と待ち合わせ中で!」
「だって待ってる人は別に恋人じゃないんだって。友達でもないし、それならその人にこの子を縛る権利なんかないでしょ? 勿論マスターにもね」
「それはそうですけど……! お客様、いいんですか?」
「……っ」
顔を上げたら涙がこぼれそうで、榛名はマスターの顔を見れなかった。
そして、カランカラン……とドアベルの音がした。
「その人は俺の恋人だ。手を離してもらおう」
榛名と男の背後から──少し息が荒く、地を這うようなドスの効いた声が聞こえた。
まるで別人のような声だったが、榛名にはそれが霧咲のものだとすぐに分かった。
「げっ、もしかしてお連れさん今来たの? あ~ん、もうちょっと早く出てればよかったー! あのー俺を殴ったりしないでよ? この人から恋人じゃないって聞いてたんだからさ!」
「確かに彼はまだ俺の恋人じゃないが、これからなる予定なんだ。誰にも渡す気はないよ」
(これからなる予定? 何勝手なことを言ってるんだろう、別に俺は霧咲さんのこと好きじゃないのに! ……でも、)
顔が熱くてたまらない。
(やっと来てくれた……)
人前だが、今すぐ霧咲に抱きつきたいと思った。
今度は嬉しくてこぼれそうになる涙を榛名は必死にこらえる。
「うわー超強引……でも俺、そういう人好きだな~。ん? てかお兄さん超いい男じゃねえ!? ねぇねぇこの子やめて俺にしない? 俺、きっとこの子に負けないくらいいい声で啼くよ~?」
「!?」
(こ、この野郎……無節操すぎるだろ!!)
「だめ!!」
榛名は思わず、自分でも驚くくらいの大声で男にそう言っていた。
肩に置かれていた男の手を叩きおとし、守るように手を広げて霧咲の前に立ち塞がる。
他の客が何事だ? という顔で一斉に榛名たちに注目した。
「ええ~っ!? ちょっときみ、この人まだ恋人じゃないんでしょ? だったら俺に頂戴よ~!」
「だめったらダメ!! ふざけんなよ!!」
(何を言ってるんだ俺は? 霧咲さんのことをこの人に渡したくないって、そう思ったら勝手に身体が動いて、こんな……こんな、恥ずかしいこと!)
自覚してかぁっと赤面したが、もう後に引くことはできない。
「榛名、」
「ンッ」
いきなり霧咲に肩をグッと掴まれて後ろを向かされ、唇を押し付けられた。
周りの客から『おお~!』という感嘆の声とまばらな拍手が起こる。
唇を離されて、至近距離で霧咲と目が合い瞬きをした瞬間、我慢していた涙がぽろぽろっと零れ落ちた。
「随分待たせて、悪かったね」
「……っ」
分かっている。
霧咲はわざと遅れてきたわけではないと。
むしろ、仕事を終えたあと榛名のために慌てて来てくれたのだと……。
いつもと違って少しよれた服装や乱れた髪が、それを物語っている。
そのことに気付いた榛名は胸がきゅうっと締め付けられて、もう、ダメだった。
霧咲に優しく抱きしめられて、榛名も霧咲の胸に縋るようにしがみついた。
溢れる涙を霧咲のシャツに吸収させるように。
霧咲は、そんな榛名に気付くとなだめるように背中を優しくぽんぽんと叩いてくれた。
「なんだよー! 盛大に見せつけてくれちゃってぇ。何が恋人じゃないとかなる予定だよ、あーもうムカつく! マスター、おかんじょーお願い!」
「あ、榛名の……彼の分もチェックお願いします、俺が払いますので。お騒がせしてすみませんリュートさん。また今度、彼を捕まえたときの話はじっくりと……」
「はい、楽しみにしていますね」
霧咲にそう言われたマスターの声は少し弾んでいた。
騒いでいたのは自分なのに、霧咲が代わりに謝って自分が飲んだ分の金を出している……大人のくせに情けないというのは十分に痛感しているけれど、口を開いたら涙がとめどなくこぼれてしまいそうで、榛名は霧咲のしたいように従った。
「それじゃ、また来ます」
「お待ちしています」
霧咲に肩を抱かれて、ローズを出てエレベーターに乗った。
あの男はひとつ前のエレベーターで降りたようだった。
「……霧咲、先生」
「ん?」
「おしごと、終わったんですか?」
「ん、ちゃんと終わらせてきたよ。だから今は先生じゃないかな」
「……霧咲さん」
「うん?」
(ずっと待ってた、なんて言えない……)
榛名は無言で、頭を霧咲の鎖骨あたりに擦り付けた。
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