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34 霧咲の講演
回収が始まり、透析室はバタバタしてきた。
回収とは透析を終了させて針を抜き、患者を機械から離脱させることだ。
透析の終了は、体外循環している血液を透析液か生理食塩水を使って体内に返す。
針を抜いたあとは、そのまま止血ベルトを巻いて帰らせる患者もいるが、人工血管でなかなか血が止まりづらい患者の場合はスタッフがガーゼや沈子(ちんし)を用いて止血を行う。
ちなみに、止血できたと思って指を離したら実はまだ止まっておらず、時間差で噴き出したりすることもある。
シャントは動脈と繋がっているため血の勢いが強く、しっかりと針穴を抑えないと血が噴き出してくるのだ。
その血が白衣にかかれば床は殺害現場さながらで、スタッフはまるで返り血を浴びた殺人犯のようになり――それらは日常茶飯事な光景ではあるが、透析患者はただでさえ貧血気味なため出血量が多いとシャレにならないので(出血しすぎた場合は点滴や後日に輸血することもある)、やはり穿刺同様に神経を使う作業だった。
「榛名主任っ、お疲れ様です!」
「あ……山本主任。お疲れ様です」
入院患者の迎えに来た外科の山本主任がストレッチャーを引いてやってきた。
そして、榛名の耳にこそっと耳打ちした。
「あの件どうなりました? 霧咲先生、合コンの話受けてくださいましたか?」
「あ、いや……恋人がいるからダメだって言ってましたよ」
「なんだ、恋人いるんですか。……ちょ、まさか確認する前に誘ったんじゃないですよね!?」
「確認する前に聞きましたけど。外科の人たちと合コンどうですかって」
「え~!? それって私たち超恥ずかしいじゃないですか!」
そんなことは榛名の知ったことではない。
ちなみに恋人がいるから、というくだりは榛名が自分で考えたセリフだ。
「榛名さんって案外そういうの気が回らないんですね~」
「すみません」
「あぁ恥ずかしい! でも、恋人がいたんですね……当たり前か、いい男だもんなぁ」
普通に『ダメでした』とだけ言えばいいのに、遠回しに攻撃するなんて榛名は自分のことをやっぱり女々しいなと思った。
しかし、後悔はしていない。
相手が知らないとはいえ、霧咲の恋人としてムカついたのでし返したかったのだ。
山本が帰ったあと、案の定そのやりとりを見ていた看護師たちに榛名は褒められた。
「なによ山本主任、よその部署のくせに図々しいったらないわねー!」
「霧咲先生は私たち透析室のアイドルですぅ!」
「榛名主任偉いわ、よくやった!」
「あははは……」
部下たちから大いに褒められて、最近は本当に女性の方が男らしいよな……と榛名は思った。
*
2週間後、霧咲の講演を聞きに日勤のスタッフ全員で仕事帰りに講演会場へ向かった。
会場はとあるビルの地下にある大ホールだ。
入り口の受付で署名をしたあと、葛西薬品のパンフレット――中には必ずと言っていいほど、レポート用紙とボールペンがおまけで付いている――と弁当を手渡された。
会場に入ると、今日は公休だった若葉と富永が参加スタッフ全員の席を取ってくれていた。
「榛名主任ーっ、ここですよ、ここっ」
「ありがとうございます。二人とも来るの早いですね」
「うふふ、霧咲先生の晴れ舞台ですしね。よく見える場所取っておきましたよっ」
子供のいるスタッフ数人は来れなかったが、ほぼ全員が来ていた。
他の病院の透析スタッフや医者もぞろぞろと会場に入ってきて、あっという間に席が埋め尽くされる。
きっと大学の関係者や霧咲が教えている医大生もいるのだろう。
榛名はパイプ椅子に座ったまま、きょろきょろと霧咲の姿を探した。
「榛名主任、霧咲先生はあそこですよっ、スーツ姿かっこいいですねぇ~!」
「あ、ほんとだ」
有坂に教えられて、霧咲の姿を見つけられた。
自分で見つけられなかったのが少し悔しいが、こういうのは女性の方が目敏いらしい。
霧咲はいつもより髪を整えていて、初めて見る濃いグレーの上品なスーツを着ていた。
(うわぁ、カッコいい……!)
似たような格好は何度も見ているものの、正式なスーツ姿を見るのは初めてだ。
榛名は暫し口を押さえて、霧咲に釘付けになった。
「榛名主任、霧咲先生に見惚れすぎですぅ」
「へっ!? いやでも、あれは見惚れるでしょ……」
堂々とそう言ってもおかしくないくらい、霧咲は格好良かった。
あれが自分の恋人だなんて、榛名はいまいち信じられない。
K大の学生らしい子たちが、席から『きゃ~! 霧咲先生~!』と黄色い声で呼んで手を振っていて、霧咲は少し頷くことで反応していた。
やはり、大学でもものすごくモテているらしい。
榛名は少しむっとしたが、あれなら騒がれるのも仕方ないと思い、渡された弁当を開けた。
霧咲の言った通り、豪華な弁当だった。
「榛名主任、私たちも手を振って呼んでみますかぁ? 霧咲先生~って」
「いや、やめとこうよ。恥ずかしいから……」
「え~!」
自分の存在には気付いて欲しいけど、あの学生たちと同じような行動は取りたくない。
霧咲にとってはいい迷惑だろう、今は集中しているに違いないから。
「ほら、有坂さんも講演始まる前にお弁当食べなって」
「はぁ~い」
榛名に促されて有坂も弁当を食べ始めた。
立食の場合は講演のあとに食べるのだが、弁当の場合は大体始まる前に食べおわる。
持って帰っても構わないのだが、仕事終わりで空腹だったため榛名はぺろりと弁当を平らげた。
「それでは、今から第11回CKD研究会を行います。本日の講演はまずはじめにK大学病院腎臓疾患治療部、准教授の霧咲誠人先生に抗凝固剤の選択についての講演をして頂きます。その後に……」
アナウンスが流れ世話役が初めの挨拶を行い、その後メイン講演の前座として霧咲の講演が始まった。
回収とは透析を終了させて針を抜き、患者を機械から離脱させることだ。
透析の終了は、体外循環している血液を透析液か生理食塩水を使って体内に返す。
針を抜いたあとは、そのまま止血ベルトを巻いて帰らせる患者もいるが、人工血管でなかなか血が止まりづらい患者の場合はスタッフがガーゼや沈子(ちんし)を用いて止血を行う。
ちなみに、止血できたと思って指を離したら実はまだ止まっておらず、時間差で噴き出したりすることもある。
シャントは動脈と繋がっているため血の勢いが強く、しっかりと針穴を抑えないと血が噴き出してくるのだ。
その血が白衣にかかれば床は殺害現場さながらで、スタッフはまるで返り血を浴びた殺人犯のようになり――それらは日常茶飯事な光景ではあるが、透析患者はただでさえ貧血気味なため出血量が多いとシャレにならないので(出血しすぎた場合は点滴や後日に輸血することもある)、やはり穿刺同様に神経を使う作業だった。
「榛名主任っ、お疲れ様です!」
「あ……山本主任。お疲れ様です」
入院患者の迎えに来た外科の山本主任がストレッチャーを引いてやってきた。
そして、榛名の耳にこそっと耳打ちした。
「あの件どうなりました? 霧咲先生、合コンの話受けてくださいましたか?」
「あ、いや……恋人がいるからダメだって言ってましたよ」
「なんだ、恋人いるんですか。……ちょ、まさか確認する前に誘ったんじゃないですよね!?」
「確認する前に聞きましたけど。外科の人たちと合コンどうですかって」
「え~!? それって私たち超恥ずかしいじゃないですか!」
そんなことは榛名の知ったことではない。
ちなみに恋人がいるから、というくだりは榛名が自分で考えたセリフだ。
「榛名さんって案外そういうの気が回らないんですね~」
「すみません」
「あぁ恥ずかしい! でも、恋人がいたんですね……当たり前か、いい男だもんなぁ」
普通に『ダメでした』とだけ言えばいいのに、遠回しに攻撃するなんて榛名は自分のことをやっぱり女々しいなと思った。
しかし、後悔はしていない。
相手が知らないとはいえ、霧咲の恋人としてムカついたのでし返したかったのだ。
山本が帰ったあと、案の定そのやりとりを見ていた看護師たちに榛名は褒められた。
「なによ山本主任、よその部署のくせに図々しいったらないわねー!」
「霧咲先生は私たち透析室のアイドルですぅ!」
「榛名主任偉いわ、よくやった!」
「あははは……」
部下たちから大いに褒められて、最近は本当に女性の方が男らしいよな……と榛名は思った。
*
2週間後、霧咲の講演を聞きに日勤のスタッフ全員で仕事帰りに講演会場へ向かった。
会場はとあるビルの地下にある大ホールだ。
入り口の受付で署名をしたあと、葛西薬品のパンフレット――中には必ずと言っていいほど、レポート用紙とボールペンがおまけで付いている――と弁当を手渡された。
会場に入ると、今日は公休だった若葉と富永が参加スタッフ全員の席を取ってくれていた。
「榛名主任ーっ、ここですよ、ここっ」
「ありがとうございます。二人とも来るの早いですね」
「うふふ、霧咲先生の晴れ舞台ですしね。よく見える場所取っておきましたよっ」
子供のいるスタッフ数人は来れなかったが、ほぼ全員が来ていた。
他の病院の透析スタッフや医者もぞろぞろと会場に入ってきて、あっという間に席が埋め尽くされる。
きっと大学の関係者や霧咲が教えている医大生もいるのだろう。
榛名はパイプ椅子に座ったまま、きょろきょろと霧咲の姿を探した。
「榛名主任、霧咲先生はあそこですよっ、スーツ姿かっこいいですねぇ~!」
「あ、ほんとだ」
有坂に教えられて、霧咲の姿を見つけられた。
自分で見つけられなかったのが少し悔しいが、こういうのは女性の方が目敏いらしい。
霧咲はいつもより髪を整えていて、初めて見る濃いグレーの上品なスーツを着ていた。
(うわぁ、カッコいい……!)
似たような格好は何度も見ているものの、正式なスーツ姿を見るのは初めてだ。
榛名は暫し口を押さえて、霧咲に釘付けになった。
「榛名主任、霧咲先生に見惚れすぎですぅ」
「へっ!? いやでも、あれは見惚れるでしょ……」
堂々とそう言ってもおかしくないくらい、霧咲は格好良かった。
あれが自分の恋人だなんて、榛名はいまいち信じられない。
K大の学生らしい子たちが、席から『きゃ~! 霧咲先生~!』と黄色い声で呼んで手を振っていて、霧咲は少し頷くことで反応していた。
やはり、大学でもものすごくモテているらしい。
榛名は少しむっとしたが、あれなら騒がれるのも仕方ないと思い、渡された弁当を開けた。
霧咲の言った通り、豪華な弁当だった。
「榛名主任、私たちも手を振って呼んでみますかぁ? 霧咲先生~って」
「いや、やめとこうよ。恥ずかしいから……」
「え~!」
自分の存在には気付いて欲しいけど、あの学生たちと同じような行動は取りたくない。
霧咲にとってはいい迷惑だろう、今は集中しているに違いないから。
「ほら、有坂さんも講演始まる前にお弁当食べなって」
「はぁ~い」
榛名に促されて有坂も弁当を食べ始めた。
立食の場合は講演のあとに食べるのだが、弁当の場合は大体始まる前に食べおわる。
持って帰っても構わないのだが、仕事終わりで空腹だったため榛名はぺろりと弁当を平らげた。
「それでは、今から第11回CKD研究会を行います。本日の講演はまずはじめにK大学病院腎臓疾患治療部、准教授の霧咲誠人先生に抗凝固剤の選択についての講演をして頂きます。その後に……」
アナウンスが流れ世話役が初めの挨拶を行い、その後メイン講演の前座として霧咲の講演が始まった。
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