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外伝
外伝 誰にも選べなかった、ただ一人を知るまでは
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王弟アグナス・レアドール、十九歳。
第一王子である兄フィリオンの治世を支え、各地の視察や外交任務にも携わる若き有能な王族として、国中の注目を集めていた。
そしてその裏で、常に話題となっていたのが——
「殿下、今度の夜会には、エヴァンス公爵家のエリーナ嬢がご出席されるとか。大変な美貌と、音楽の才に秀でた令嬢と聞きます」
「先月はテリア侯爵家のマリアン嬢と親しくされていたとか……!」
「公的な婚約には至らずとも、殿下のお心を射止めた令嬢がいたとは聞きませんわね……」
“次に妃となるのは誰か”という話題が、王宮でも貴族社会でも絶えたことはなかった。
実際、アグナスには何人もの令嬢が“選定候補”として紹介されていた。
選び放題と言っても過言ではない。容姿、家柄、資産、教養——いずれも申し分ない娘ばかり。
けれど——
「……また“演じている”目だな」
アグナスはふと、舞踏会で向き合った令嬢の瞳を見て、ひとりごちた。
その夜、彼の前に立っていたのは、アーシェ・ディアルミナ。
十七歳。公爵家の嫡出令嬢。バイオリンと舞の腕前は宮廷でも屈指で、既に社交界では“未来の王弟妃”と囁かれていた。
「殿下、今宵もごきげんよう」
「アーシェ嬢。お美しい装いだ」
「殿下がこのドレスをご覧になると知っていたら、もっと早く選びましたのに」
完璧な挨拶。完璧な笑顔。完璧な応答。
だが、アグナスはその“完璧さ”に、いつも虚しさを覚えていた。
(誰もが“理想の王弟妃”を演じる。……私が、誰であろうと関係ない)
アーシェだけではない。
隣国の王女アルミリア。彼女は政治的安定の象徴として、数度の外交舞踏会で踊り、周囲の目を魅了した。
けれど、アグナスの心は、どれも深くは揺れなかった。
なぜなら、彼は誰にも「本当の自分」で向き合われていないと感じていたからだ。
ある日、兄王フィリオンが何気なく漏らした言葉があった。
「お前が“愛”というものを信じないのは、母上に似たな」
「愛?」
「政治の中では、愛などは最も脆い基盤だ。だが、人の心は案外それに寄りかかって動くものだ」
アグナスはその言葉を覚えていた。
「なら、私は“脆くない誰か”を選びたい」
選定者として、理想の妃を“選ぶ”。
それは義務でもあり、責務でもあった。だが、何人の令嬢に会っても、“本音”が見えなかった。
ある者は、王弟の肩書に目を輝かせ。
ある者は、王家との縁を欲しがり。
ある者は、恋する乙女を“演じて”近づいてきた。
アグナスは、ふと気づいていた。
——自分自身が、誰にも“選ばれていない”と。
それは、誇り高き王弟にとって、皮肉な孤独だった。
そして、あの春。
「神託」が下された。
『アグナス・レアドール王弟と、ラス・マデリート子爵令嬢。
この二人、来たる時代の“平衡”をもたらすものなり』
初めてその名を聞いたとき、アグナスは正直に言えば、驚きも関心も、何も湧かなかった。
子爵家。地味な家柄。
年齢は九歳下。社交界で見かけたこともない少女。
だが——
彼女のことを少しずつ知っていくうちに、アグナスの胸には、今までにない“ざわめき”が生まれていった。
控えめな態度。けれど、芯のある瞳。
豪華さも、技巧も、計算もない。
けれど、彼女だけが、アグナスの肩書でも容姿でもなく、「自分自身」に怯えていた。
——神託なんて、私にはもったいない。
その一言が、アグナスには強烈だった。
誰よりも“選ばれたこと”に戸惑っていた彼女が、誰よりも本物だった。
「なら、私が君を選ぼう。神ではなく、私の意思で」
そのとき、アグナスの“選定”は終わった。
これまで誰にも向けなかった感情。
誰にも許さなかった“本音”のすべてを、この少女になら向けてみようと——心が決めていた。
後にアグナスは、誰かに問われる。
「なぜ、ラス嬢なのですか? 他に相応しい方は、いくらでもいたはず」
そのとき彼は、静かに答えた。
「誰も選べなかった。彼女に会うまでは、誰ひとりとして」
それは、“選ばれし者”が知る、本当の孤独と、本当の救いの物語。
——そして、アグナスが“ただ一人”を愛するまでの、静かな序章だった。
第一王子である兄フィリオンの治世を支え、各地の視察や外交任務にも携わる若き有能な王族として、国中の注目を集めていた。
そしてその裏で、常に話題となっていたのが——
「殿下、今度の夜会には、エヴァンス公爵家のエリーナ嬢がご出席されるとか。大変な美貌と、音楽の才に秀でた令嬢と聞きます」
「先月はテリア侯爵家のマリアン嬢と親しくされていたとか……!」
「公的な婚約には至らずとも、殿下のお心を射止めた令嬢がいたとは聞きませんわね……」
“次に妃となるのは誰か”という話題が、王宮でも貴族社会でも絶えたことはなかった。
実際、アグナスには何人もの令嬢が“選定候補”として紹介されていた。
選び放題と言っても過言ではない。容姿、家柄、資産、教養——いずれも申し分ない娘ばかり。
けれど——
「……また“演じている”目だな」
アグナスはふと、舞踏会で向き合った令嬢の瞳を見て、ひとりごちた。
その夜、彼の前に立っていたのは、アーシェ・ディアルミナ。
十七歳。公爵家の嫡出令嬢。バイオリンと舞の腕前は宮廷でも屈指で、既に社交界では“未来の王弟妃”と囁かれていた。
「殿下、今宵もごきげんよう」
「アーシェ嬢。お美しい装いだ」
「殿下がこのドレスをご覧になると知っていたら、もっと早く選びましたのに」
完璧な挨拶。完璧な笑顔。完璧な応答。
だが、アグナスはその“完璧さ”に、いつも虚しさを覚えていた。
(誰もが“理想の王弟妃”を演じる。……私が、誰であろうと関係ない)
アーシェだけではない。
隣国の王女アルミリア。彼女は政治的安定の象徴として、数度の外交舞踏会で踊り、周囲の目を魅了した。
けれど、アグナスの心は、どれも深くは揺れなかった。
なぜなら、彼は誰にも「本当の自分」で向き合われていないと感じていたからだ。
ある日、兄王フィリオンが何気なく漏らした言葉があった。
「お前が“愛”というものを信じないのは、母上に似たな」
「愛?」
「政治の中では、愛などは最も脆い基盤だ。だが、人の心は案外それに寄りかかって動くものだ」
アグナスはその言葉を覚えていた。
「なら、私は“脆くない誰か”を選びたい」
選定者として、理想の妃を“選ぶ”。
それは義務でもあり、責務でもあった。だが、何人の令嬢に会っても、“本音”が見えなかった。
ある者は、王弟の肩書に目を輝かせ。
ある者は、王家との縁を欲しがり。
ある者は、恋する乙女を“演じて”近づいてきた。
アグナスは、ふと気づいていた。
——自分自身が、誰にも“選ばれていない”と。
それは、誇り高き王弟にとって、皮肉な孤独だった。
そして、あの春。
「神託」が下された。
『アグナス・レアドール王弟と、ラス・マデリート子爵令嬢。
この二人、来たる時代の“平衡”をもたらすものなり』
初めてその名を聞いたとき、アグナスは正直に言えば、驚きも関心も、何も湧かなかった。
子爵家。地味な家柄。
年齢は九歳下。社交界で見かけたこともない少女。
だが——
彼女のことを少しずつ知っていくうちに、アグナスの胸には、今までにない“ざわめき”が生まれていった。
控えめな態度。けれど、芯のある瞳。
豪華さも、技巧も、計算もない。
けれど、彼女だけが、アグナスの肩書でも容姿でもなく、「自分自身」に怯えていた。
——神託なんて、私にはもったいない。
その一言が、アグナスには強烈だった。
誰よりも“選ばれたこと”に戸惑っていた彼女が、誰よりも本物だった。
「なら、私が君を選ぼう。神ではなく、私の意思で」
そのとき、アグナスの“選定”は終わった。
これまで誰にも向けなかった感情。
誰にも許さなかった“本音”のすべてを、この少女になら向けてみようと——心が決めていた。
後にアグナスは、誰かに問われる。
「なぜ、ラス嬢なのですか? 他に相応しい方は、いくらでもいたはず」
そのとき彼は、静かに答えた。
「誰も選べなかった。彼女に会うまでは、誰ひとりとして」
それは、“選ばれし者”が知る、本当の孤独と、本当の救いの物語。
——そして、アグナスが“ただ一人”を愛するまでの、静かな序章だった。
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