祈りの花は、王城に咲く(完結)

もちもち

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特別編 君だけが、正気に戻してくれる

1話 熱に堕ちる王太子

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冬の宵、王城レアシュタインでは年に一度の宮廷舞踏会が催されていた。
大広間に流れる音楽と笑い声、輝くシャンデリアの下を、幾百もの貴族たちが華やかに行き交う。

王太子アルフォンスは、いつものように整った礼服に身を包み、周囲から一際注目を集めていた。

――ただし今夜は、少しだけ様子が違っていた。

ナトリアは、女王の使いで一時的に場を外しており、彼の隣にはいなかった。

そしてその隙を縫うように、ひとりの令嬢が近づいてきたのだった。

「殿下、ご挨拶が遅れましたわ。カミラ・ヴァルエットと申します」

優雅に頭を下げた令嬢は、漆黒の髪と濃い紅の唇を持つ美女だった。
名門ヴァルエット伯爵家の令嬢であり、社交界でも“夜の花”と噂される艶やかな存在。

「ご機嫌麗しゅう、カミラ嬢。お招きに応じてくださり感謝します」

「恐れ入ります。あの……お疲れではございませんか? お飲み物をお持ちいたしますわ」

そして彼女は、自らの手でグラスを差し出した。

「……ありがとう」

その瞬間、アルフォンスの胸の奥に、かすかな違和感が湧いた。

だが、それは微かすぎた。
グラスに注がれていたのは、上質な赤ワイン。香りもよく、口当たりも申し分ない。

彼はひとくち、それを口に含んだ――。



異変が起きたのは、それから数分後のことだった。

舞踏会の熱気の中でも、汗ばむような感覚。
息苦しいほどの鼓動。皮膚の内側から沸き立つような熱。

(……これは、何だ)

アルフォンスは眉を寄せ、目の前の景色が少し揺らいで見えることに気づいた。

喉が渇く。頭が熱い。指先がじわじわと痺れる。

――理性の奥を、何かが焦がしてくるようだった。

人々の言葉が遠ざかっていく。
ナトリアの姿が、どこにも見えない。

(まずい……これは、薬か……)

彼は静かに、しかし迅速にその場を離れた。

礼儀も名分も無視して、ただ一人、宮廷の奥へ――
誰も来ない、西の棟にある空き客間へと。

鍵をかけ、扉を閉じると同時に、彼は額から汗を拭った。

「……くそ……っ」

手足が熱い。腰が、疼く。
理性では抗おうとしているのに、身体は明らかに異常な欲求を感じていた。

抱きたい。触れたい。
けれど、誰でもいいわけじゃない。
――ナトリアでなければ、意味がない。

しかしそのナトリアはいない。

そして、扉の外から――再び、ヒールの音が近づいてきた。



「殿下、いらっしゃいますか?」

甘やかな声。
カミラ・ヴァルエットだった。

彼女はすでに、なぜアルフォンスがこの部屋に逃げ込んだかを知っていた。
そして鍵のかかった扉を、外から静かに開けた。

(なぜ鍵が――)

彼の混乱をよそに、カミラは滑るように中へ入り、扉を閉めて鍵をかけ直した。

「お加減、悪いようでしたので……お側にと、参りました」

彼女は歩み寄る。
スカートの裾を片手で持ち上げ、もう片方の指先を胸元へ――
ドレスのボタンを、そっとひとつ外した。

「あなた様に差し上げた薬……感じていただけましたか?」

「お前……っ!」

アルフォンスの瞳に怒りが燃える。
けれど身体は、言うことを聞かない。
足に力が入らない。呼吸が乱れる。
彼女が近づくたびに、熱が上がる。

「安心してください。わたくしが、癒して差し上げます」

妖艶に微笑み、カミラは手を伸ばす。

その手が、アルフォンスの襟元に触れようとした――その瞬間。

「アルフォンス様……?」

部屋の外から、ナトリアの声が聞こえた。



「……っ!」

アルフォンスの頭の奥で、理性がかすかに戻る。

扉が開いた。
そこには、心配そうな顔のナトリア。
けれど彼女が目にしたのは――

自分に組み伏せられかけるアルフォンスと、ドレスの胸元を大きく開いた女。

ナトリアの足が止まり、目が見開かれる。

「……なに、を……しているの」

氷のように冷たい声。

その声に、カミラは微笑んだ。

「ごきげんよう。ナトリア・レイフィールド嬢。あなたの“未来のご主人様”は、今、わたくしを求めておいでですわ」

ナトリアの中で、感情が爆ぜた。

だが、彼女は怒鳴らなかった。
怒りを燃やしながら、静かに、ゆっくりとアルフォンスのもとへ歩み寄った。

「アルフォンス様、大丈夫です。……私が、来ました」

彼の目が、焦点を取り戻すようにナトリアを見つめる。

ナトリアは、その手をそっと取り、自分の胸に引き寄せた。

「あなたは……わたしが、守ります」
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