21 / 21
第十七話「香の胎動」
しおりを挟む白磁の香炉から立ち上る煙が、まるで胎児の輪郭を描くように、静かに天井へと昇ってゆく。
王妃リアナは、その香を見つめながら、両手を腹部の上に添えた。
まだ何も感じぬ平らな腹だったが、確かにそこに“変化”があると、彼女の内なる何かが告げていた。
この香は、カナンが調合した特別なものだった。
寝所の片隅に置かれ、微かに甘く、清らかに香るその煙は、夜毎に夫婦の間の距離を、ほんの少しずつ縮めていった。
そして先日、王妃は、朝の目覚めと共に吐き気に襲われた。
侍女たちは慌てたが、リアナはただ静かに微笑み、香炉に目を向けてこう言った。
「……ありがとう。カナン、貴女の香が、私を母にしてくれるのかもしれない」
その報が伝えられたのは、シリウスとカナンが王都から戻って三日後のことだった。
王弟の私室にて、レナード王は珍しく穏やかな笑みを浮かべていた。
「リアナが子を授かったかもしれぬ……カナンの香が本物であった証だな」
「本物かどうかは……リアナ様と、陛下の心が素直であった証ですよ」
カナンは控えめに微笑んだ。だが、彼女の内心は揺れていた。
この香に用いた材料。その中に、確かに“彼の”体液が含まれていたことを――
それは彼女とシリウスの、あの夜の証。
互いの身体と願いが混ざり合い、生まれた香だった。
その香が王妃を母へ導いたなら――そこには、彼らの名もなき祈りが、確かに届いていたのかもしれない。
「……シリウス様、少し、外を歩きませんか」
その夜、カナンは彼を中庭へと誘った。
夏の名残を湛えた夜風が、肌を撫でて過ぎていく。
香のない風。何も混じらぬ、ただの空気。
でも、だからこそ、二人は静かに互いの存在を感じ合える。
「……あのラファエナという女、また香を作るでしょうか」
カナンの問いに、シリウスはゆっくりと頷いた。
「作るだろう。欲望に正しさを求めた女は、いずれ必ず“道具”に頼る」
「でも、香は“言葉を失った者の最後の祈り”であってほしい。
誰かをねじ伏せるものじゃなくて……香らせて、手を伸ばしてもらえるものがいい」
「だから、お前の香が……王妃に届いたんだよ」
そう言って、彼は手を伸ばした。
繊細なカナンの指を取り、そのまま自分の胸元に引き寄せる。
布越しに感じる鼓動が、確かに生きて、彼の中で熱を持っている。
「俺も、欲しいんだ。お前の香が。……いや、違う。お前そのものが」
その言葉に、カナンの頬がかすかに赤く染まる。
だが、目は逸らさない。ただまっすぐに、彼の瞳を見つめ返す。
「わたしも……貴方に、嗅いでほしい。
これからわたしが作るすべての香を。
そして――一緒に、未来を“香らせて”ほしい」
風がふわりと吹いた。
二人の間に、目に見えぬ煙が流れる。
それは香ではなかったが、確かに“想い”の匂いがした。
王妃の胎内に芽吹いた命。
王弟と魔女が交わした約束。
王城は静かに、次の季節へと歩み始めていた。
そしてその陰で――またひとつ、違う香が、ひそやかに調合され始めていたことを、
このとき彼らはまだ知らなかった。
10
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです
沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる