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一話
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白練(しらねり)の軍服に黒髪を束ね、若き准将シキ・アルフリートは五月晴れの演習場に立っていた。凛とした眼差しの奥に潜むのは、ヴァイズ王国第二王子という秘められた素顔である。母ミラを早くに亡くした彼は、外祖父ベリア伯爵の庇護のもとアルフリート領で養われ、剣より先に軍略を学び、王子としての教養は夜毎ひそかに受けてきた。
「陣形、左へ転進!」
響く号令とともに、若い兵たちは砂塵を上げつつ整然と動く。その様子を胸の内で誇らしく見つめながらも、シキは己の立場を忘れまいと心を引き締めた。王都で自分を王子と呼ぶ者は少なく、彼自身もそれを望まない。軍人として、ただ国を護る盾でありたい——それが祖父へ誓った道だった。
* * *
王都の白大理石の回廊を軽やかに駆ける影がひとつ。ミリカ・ヴァイズ王女十八歳。陽光のような栗色の髪を揺らし、彼女は王宮内の戦務局へと急いでいた。
「兄上を護衛に、と父上に願い出たのに……!」
愛(いと)しい兄——異母兄でありながら幼い頃から慕い続けるシキの傍に仕えたいと願ったが、国王は「准将に余計な負担をかけるな」と首を振った。胸の奥に芽生える想いが恋慕であるとは、まだ気づいていない。ただ、彼の隣に居たい。それだけがミリカの真実だった。
その背を、銀の髪を三つ編みに結んだ女軍人が追う。リリィベル・マリス十九歳。
「陛下が許さぬなら、私が准将殿の隣を埋めるまで」
明朗な笑みの裏で、彼女は王女の想いに気づいていた。しかし、恋も戦も譲るつもりはない。互いに剣を交えるように、真っ直ぐな情熱でシキへと歩み寄る。
* * *
黄昏の弦月が城壁の向こうに懸かる頃、王宮の奥庭に灯籠が点る。白薔薇の垣根を背に、第一王子ラビリア・ヴァイズは静かに琥珀色の茶をすすった。二十五歳の彼は穏やかな瞳で庭を眺め、やがて忍び寄る二つの気配に口元をほころばせる。
「……やはり来たか。妹君と、リリィベル少尉」
ミリカは兄の前に立つと、ぐっと拳を握った。
「兄上! どうしてもシキ兄上の近衛を——」
「ミリカ。願いはわかるが、急く必要はない」
ラビリアは柔らかに諭す。
「彼は軍務に集中している。君が慌てて近づけば、かえって心を曇らせるだろう」
その言葉に、ミリカは唇を噛み、リリィベルは瞳を細めた。
「……では私が支えましょう。准将殿には、実戦で培った力が要ります」
「君もまた焦ることはない」
ラビリアは二人を見比べ、月明かりのもと微笑んだ。
「あの男は鋭いが、同時に温かい。誰が傍に立つかは、やがて彼自ら選ぶだろう」
* * *
数日後、国境警備の報が王宮に届く。北方のエスト公国が騎兵を動かし、不穏な気配を漂わせているという。シキは即座に参謀本部から命を受け、前線へ赴く準備を整えた。
「現地で合流する部隊は千。補給線の確保が急務だ」
机上に地図を広げ、指を滑らせながら軍策を練るシキ。その背後に足音が止まる。
「……兄上」
振り返ればミリカが立ち、膝をついて深く頭を垂れた。
「お願いです。どうか、この御守りをお持ちください」
差し出された銀糸の護符には、白薔薇と黒鷲が交差する王家の紋。シキは静かに受け取り、妹の手をそっと包んだ。
「ミリカ。王女としてではなく、妹として俺を案じてくれるのだな。感謝する」
その優しい声音に、ミリカの頬は朱に染まる。胸を締め付けるこの高鳴りが何なのか、彼女はまだ名を知らない。
そのやり取りを廊下の陰から見つめる影があった。リリィベルである。
「ほほう、王女殿下もなかなかやるな……だが負けんぞ」
彼女は腰の軍刀を叩き、笑みを深くした。
「次の戦で、あの人の背を守るのは私だ」
* * *
北境の荒野。乾いた風がススキを揺らし、空には鈍色の雲が垂れ込めていた。先陣の丘に立つシキは陣羽織を翻し、双眼鏡を外す。
「敵騎兵、方位北北西。第四歩兵を右に転進、第二砲兵は丘の背後へ布陣せよ」
威風堂々たる命令が走り、兵は駆けた。すると背後から軽い足取りが近づく。
「リリィベル少尉、配属願い出たと聞いたが、本当に来たのか」
「当然です、准将殿。あなたの背を守ると決めたので」
夕立の前触れの雷鳴が轟く。二人は口元に微かな笑みを浮かべ、剣の柄を確かめた。
激しい一戦の後、夜闇を切り裂く烽火(のろし)が上がる。シキの進言により迂回した第二砲兵が敵補給線を断ち、エスト公国軍は総崩れとなった。勝鬨(かちどき)が荒野に響き渡る頃、シキは膝をつき、胸の内で王国と家族の像を思い浮かべた。
* * *
戦の報告が王都に届くと、国王は王宮の謁見の間にシキを召した。
「よくぞ国を守った。そなたの働き、余は誇りに思う」
重々しい声に応え、シキは膝をついた。ミリカもリリィベルもその場に居並び、ラビリアは兄弟を見守る位置に立つ。
国王は玉座から立ち、近づいて言った。
「そなたの素性を世に明かす時が来た。第二王子として、正式に王族の列へ戻るがよい」
静まり返る大広間。シキは深く一礼し、穏やかな声で答えた。
「臣は陛下の盾として在り続けたく存じます。しかしながら、王子としての責務もまた逃れ得ぬ宿命。畏(かしこ)み承り、全霊をもって果たしましょう」
その横でミリカの瞳が潤む。「兄上……!」
リリィベルは肩で息をつき、だが目には確かな光を宿す。
ラビリアは両手を叩き、晴れやかな笑顔で告げた。
「さあ、我ら王家は新たな頁を開く。弟よ、共に未来を築こう」
こうして、黒髪の准将シキ・アルフリートは王国の前にその真名を現し、静かなる軍師から王国を導く若き王子へと歩みを進めた。
その背を追い、王女の純白の恋と女軍人の燃ゆる闘志が交差し、王家の物語は今まさに幕を開けたのである。
「陣形、左へ転進!」
響く号令とともに、若い兵たちは砂塵を上げつつ整然と動く。その様子を胸の内で誇らしく見つめながらも、シキは己の立場を忘れまいと心を引き締めた。王都で自分を王子と呼ぶ者は少なく、彼自身もそれを望まない。軍人として、ただ国を護る盾でありたい——それが祖父へ誓った道だった。
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王都の白大理石の回廊を軽やかに駆ける影がひとつ。ミリカ・ヴァイズ王女十八歳。陽光のような栗色の髪を揺らし、彼女は王宮内の戦務局へと急いでいた。
「兄上を護衛に、と父上に願い出たのに……!」
愛(いと)しい兄——異母兄でありながら幼い頃から慕い続けるシキの傍に仕えたいと願ったが、国王は「准将に余計な負担をかけるな」と首を振った。胸の奥に芽生える想いが恋慕であるとは、まだ気づいていない。ただ、彼の隣に居たい。それだけがミリカの真実だった。
その背を、銀の髪を三つ編みに結んだ女軍人が追う。リリィベル・マリス十九歳。
「陛下が許さぬなら、私が准将殿の隣を埋めるまで」
明朗な笑みの裏で、彼女は王女の想いに気づいていた。しかし、恋も戦も譲るつもりはない。互いに剣を交えるように、真っ直ぐな情熱でシキへと歩み寄る。
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黄昏の弦月が城壁の向こうに懸かる頃、王宮の奥庭に灯籠が点る。白薔薇の垣根を背に、第一王子ラビリア・ヴァイズは静かに琥珀色の茶をすすった。二十五歳の彼は穏やかな瞳で庭を眺め、やがて忍び寄る二つの気配に口元をほころばせる。
「……やはり来たか。妹君と、リリィベル少尉」
ミリカは兄の前に立つと、ぐっと拳を握った。
「兄上! どうしてもシキ兄上の近衛を——」
「ミリカ。願いはわかるが、急く必要はない」
ラビリアは柔らかに諭す。
「彼は軍務に集中している。君が慌てて近づけば、かえって心を曇らせるだろう」
その言葉に、ミリカは唇を噛み、リリィベルは瞳を細めた。
「……では私が支えましょう。准将殿には、実戦で培った力が要ります」
「君もまた焦ることはない」
ラビリアは二人を見比べ、月明かりのもと微笑んだ。
「あの男は鋭いが、同時に温かい。誰が傍に立つかは、やがて彼自ら選ぶだろう」
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数日後、国境警備の報が王宮に届く。北方のエスト公国が騎兵を動かし、不穏な気配を漂わせているという。シキは即座に参謀本部から命を受け、前線へ赴く準備を整えた。
「現地で合流する部隊は千。補給線の確保が急務だ」
机上に地図を広げ、指を滑らせながら軍策を練るシキ。その背後に足音が止まる。
「……兄上」
振り返ればミリカが立ち、膝をついて深く頭を垂れた。
「お願いです。どうか、この御守りをお持ちください」
差し出された銀糸の護符には、白薔薇と黒鷲が交差する王家の紋。シキは静かに受け取り、妹の手をそっと包んだ。
「ミリカ。王女としてではなく、妹として俺を案じてくれるのだな。感謝する」
その優しい声音に、ミリカの頬は朱に染まる。胸を締め付けるこの高鳴りが何なのか、彼女はまだ名を知らない。
そのやり取りを廊下の陰から見つめる影があった。リリィベルである。
「ほほう、王女殿下もなかなかやるな……だが負けんぞ」
彼女は腰の軍刀を叩き、笑みを深くした。
「次の戦で、あの人の背を守るのは私だ」
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北境の荒野。乾いた風がススキを揺らし、空には鈍色の雲が垂れ込めていた。先陣の丘に立つシキは陣羽織を翻し、双眼鏡を外す。
「敵騎兵、方位北北西。第四歩兵を右に転進、第二砲兵は丘の背後へ布陣せよ」
威風堂々たる命令が走り、兵は駆けた。すると背後から軽い足取りが近づく。
「リリィベル少尉、配属願い出たと聞いたが、本当に来たのか」
「当然です、准将殿。あなたの背を守ると決めたので」
夕立の前触れの雷鳴が轟く。二人は口元に微かな笑みを浮かべ、剣の柄を確かめた。
激しい一戦の後、夜闇を切り裂く烽火(のろし)が上がる。シキの進言により迂回した第二砲兵が敵補給線を断ち、エスト公国軍は総崩れとなった。勝鬨(かちどき)が荒野に響き渡る頃、シキは膝をつき、胸の内で王国と家族の像を思い浮かべた。
* * *
戦の報告が王都に届くと、国王は王宮の謁見の間にシキを召した。
「よくぞ国を守った。そなたの働き、余は誇りに思う」
重々しい声に応え、シキは膝をついた。ミリカもリリィベルもその場に居並び、ラビリアは兄弟を見守る位置に立つ。
国王は玉座から立ち、近づいて言った。
「そなたの素性を世に明かす時が来た。第二王子として、正式に王族の列へ戻るがよい」
静まり返る大広間。シキは深く一礼し、穏やかな声で答えた。
「臣は陛下の盾として在り続けたく存じます。しかしながら、王子としての責務もまた逃れ得ぬ宿命。畏(かしこ)み承り、全霊をもって果たしましょう」
その横でミリカの瞳が潤む。「兄上……!」
リリィベルは肩で息をつき、だが目には確かな光を宿す。
ラビリアは両手を叩き、晴れやかな笑顔で告げた。
「さあ、我ら王家は新たな頁を開く。弟よ、共に未来を築こう」
こうして、黒髪の准将シキ・アルフリートは王国の前にその真名を現し、静かなる軍師から王国を導く若き王子へと歩みを進めた。
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