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第一部 邂逅
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「困らせてしまってすみません。フフッ、少しだけ聞いてもらっても良いですか? 聞いてもらえるだけで有難いんです。話せる相手がいないもので」
なんだか切なそうなそんな目を向け鏑木は眉を下げながら微笑む。蒼司は断ることなど出来ないことが分かったため、なにも言葉にせず頷いた。珠子はすっかりお菓子を食べ終え、御神木の周りで遊び出す。きなこは蒼司と鏑木の話を聞いているのかいないのか、昼寝でもするように縁台に丸くなって目を閉じた。
「ありがとうございます。蒼司くんにも一度紹介したことがあるとは思うのですが、私には妻がいました」
御神木を見上げながらゆっくり話し出す鏑木。蒼司は「いました」という言葉が引っ掛かった。それは今現在はいないということ。死別してしまったのか、それとも離婚でもしたのか。しかし、鏑木の噂話などは一切聞いたことがない。買い物に出掛けたときには、近所のひとや店のひととも世間話はする。しかし、そんな話は一切聞かない。怪訝に思いながらも蒼司は顔に出さないよう、ただ黙って聞いていた。
「同い年の妻だったのですがね、五年前に突然姿を消してしまいました……」
「えっ」
思いもよらない言葉に、蒼司は思わず驚きを声に出してしまった。そのことに鏑木はただ笑った。
「『ごめんなさい』というひと言だけ書き残して、本当に突然姿を消してしまったのです。私は妻とは問題なく過ごせているものと思っていました。大学時代の同級生でね、その頃からお付き合いをしていたのですよ。私は妻を愛していましたし、妻も私のことを愛してくれていると思っていました。結婚してからもずっと仲の良い夫婦だと自分では思っていました。でもどうやらそれは私の勘違いだったようで……」
鏑木は泣き出しそうなほどの目をしながらも微笑んだ。
「もしかしたら妻はずっとなにか悩んでいたのかもしれない。私に不満があったのかもしれない。それを言い出せずに苦しんでいたのかもしれない。どれも憶測でしかありませんが、私は妻のことをなにも分かっていなかったのだな、と情けなくなりました……」
まるで懺悔でもするかのように膝の上で両手を組み、俯きながらじっとその両手を見詰めている。鏑木の顔は後悔しかなかった。気付いてやれなかったことに対して自分を責めていた。しかし、そんな鏑木に蒼司はどう声を掛けたら良いのか分からない。「そんなことはない。貴方のせいではない」と、そんな上辺だけの言葉などあっても意味がない。それだけは蒼司にすら分かる。
鏑木はただ聞いて欲しかっただけなのだ。教会で行う懺悔のような、自分の罪を誰かに聞いてもらうことで、今の苦しさから少しでも解放されたかったのかもしれない。きっとこの五年の間、ずっと悩み苦しみ後悔してきたのだろう。そして今蒼司に語ることが出来たのは、鏑木自身のなかでなにか気持ちの整理がついたのかもしれない。だからこそ蒼司はただ聞いていた。どうしてやることも出来ないし、恐らく鏑木もそれを求めていない。
鏑木はしばらく俯いていたかと思うと、両手をグッと握り締め、そして顔を上げた。その顔はなにか吹っ切れたのか清々しい顔をしていた。
「聞いてくれてありがとうございます。こんな話を申し訳ない。ひと回り以上も年下の蒼司くんにこんな愚痴のような話をするなんてお恥ずかしい。本当に申し訳ない」
「いえ、僕は話を聞いただけですから。これで鏑木さんのお気持ちが楽になるのなら、お話くらいいくらでも聞きますよ」
本当に聞くだけしか出来ないが、と付け加えようかと思った蒼司だが、それは大人として不要なひと言だろう、と飲み込んだ。
「フフッ、ありがとうございます。皆さん、私に妻がいたことを忘れてしまっているのか、それとも妻に逃げられた可哀想な男だと思われているのか、最近女性を紹介されて困っていたんですよね。でも今日こうやって蒼司くんに聞いてもらえたおかげで、妻の行方がハッキリするまで頑張って探し続けてみようと思えました。だってね、離婚届もなにもなかったのですよ。ただひと言『ごめんなさい』と、それだけ。それって嫌いになったから別れたい、という訳ではないかもしれないでしょう? 街の皆さんにも聞かれたら正直に答えるようにしようと思います」
ニコリと笑った鏑木の姿はもう悩んでいる素振りは見えなかった。その様子にホッと胸を撫で下ろす蒼司だった。
しばらく世間話をしていたが、昼に差し掛かってきたため、蒼司たちは彌勒堂へと帰ることにした。珠子は相変わらず御神木の傍で遊んでいたため、名を呼び、そしてきなこは珠子を呼んだことによって目を覚ましたのか、丸まっていた姿からむくりと顔を上げ、大きく伸びをする。
「では帰りますね」
「はい、今日は色々とありがとうございました」
色々と――それは恐らく先程の鏑木の妻の話についてのことだろう。蒼司は「いえいえ」とふんわり微笑み、そして逢比神社をあとにした。そのとき御神木が見送ってくれているかのような錯覚に陥る。なにかに呼ばれたような気さえして、蒼司は御神木に振り返り見上げた。ザザッと風が吹き、枝が大きく揺らいだ。背後では鏑木が見送りながら手を振ってくれていた。
「ねぇ、珠子さん、もしかして御神木となにか会話していたかい?」
蒼司は前を歩く珠子の背中に声を掛けた。珠子は振り向きフフッと笑う。
『やっぱりソージは分かってたんだ』
「いや、なんとなくとしか……やっぱりそうだったんだね?」
『うん』
「きなこさんも気付いていたよね」
『あたしは寝てただけだにゃ。御神木の霊がいたなんて気付いてないにゃ』
あからさまに変な言い訳になっているきなこに笑いそうになる蒼司。きなこはあまり関わりたくないのかもしれない。珠子もどちらかと言えば言い辛そうではある。しかし、そこはやはり聞いておかないといけない気がした。蒼司は歩きながら珠子に聞く。
「御神木の霊ってもしかして逸話に出て来た『逢比』という女性の霊?」
なんだか切なそうなそんな目を向け鏑木は眉を下げながら微笑む。蒼司は断ることなど出来ないことが分かったため、なにも言葉にせず頷いた。珠子はすっかりお菓子を食べ終え、御神木の周りで遊び出す。きなこは蒼司と鏑木の話を聞いているのかいないのか、昼寝でもするように縁台に丸くなって目を閉じた。
「ありがとうございます。蒼司くんにも一度紹介したことがあるとは思うのですが、私には妻がいました」
御神木を見上げながらゆっくり話し出す鏑木。蒼司は「いました」という言葉が引っ掛かった。それは今現在はいないということ。死別してしまったのか、それとも離婚でもしたのか。しかし、鏑木の噂話などは一切聞いたことがない。買い物に出掛けたときには、近所のひとや店のひととも世間話はする。しかし、そんな話は一切聞かない。怪訝に思いながらも蒼司は顔に出さないよう、ただ黙って聞いていた。
「同い年の妻だったのですがね、五年前に突然姿を消してしまいました……」
「えっ」
思いもよらない言葉に、蒼司は思わず驚きを声に出してしまった。そのことに鏑木はただ笑った。
「『ごめんなさい』というひと言だけ書き残して、本当に突然姿を消してしまったのです。私は妻とは問題なく過ごせているものと思っていました。大学時代の同級生でね、その頃からお付き合いをしていたのですよ。私は妻を愛していましたし、妻も私のことを愛してくれていると思っていました。結婚してからもずっと仲の良い夫婦だと自分では思っていました。でもどうやらそれは私の勘違いだったようで……」
鏑木は泣き出しそうなほどの目をしながらも微笑んだ。
「もしかしたら妻はずっとなにか悩んでいたのかもしれない。私に不満があったのかもしれない。それを言い出せずに苦しんでいたのかもしれない。どれも憶測でしかありませんが、私は妻のことをなにも分かっていなかったのだな、と情けなくなりました……」
まるで懺悔でもするかのように膝の上で両手を組み、俯きながらじっとその両手を見詰めている。鏑木の顔は後悔しかなかった。気付いてやれなかったことに対して自分を責めていた。しかし、そんな鏑木に蒼司はどう声を掛けたら良いのか分からない。「そんなことはない。貴方のせいではない」と、そんな上辺だけの言葉などあっても意味がない。それだけは蒼司にすら分かる。
鏑木はただ聞いて欲しかっただけなのだ。教会で行う懺悔のような、自分の罪を誰かに聞いてもらうことで、今の苦しさから少しでも解放されたかったのかもしれない。きっとこの五年の間、ずっと悩み苦しみ後悔してきたのだろう。そして今蒼司に語ることが出来たのは、鏑木自身のなかでなにか気持ちの整理がついたのかもしれない。だからこそ蒼司はただ聞いていた。どうしてやることも出来ないし、恐らく鏑木もそれを求めていない。
鏑木はしばらく俯いていたかと思うと、両手をグッと握り締め、そして顔を上げた。その顔はなにか吹っ切れたのか清々しい顔をしていた。
「聞いてくれてありがとうございます。こんな話を申し訳ない。ひと回り以上も年下の蒼司くんにこんな愚痴のような話をするなんてお恥ずかしい。本当に申し訳ない」
「いえ、僕は話を聞いただけですから。これで鏑木さんのお気持ちが楽になるのなら、お話くらいいくらでも聞きますよ」
本当に聞くだけしか出来ないが、と付け加えようかと思った蒼司だが、それは大人として不要なひと言だろう、と飲み込んだ。
「フフッ、ありがとうございます。皆さん、私に妻がいたことを忘れてしまっているのか、それとも妻に逃げられた可哀想な男だと思われているのか、最近女性を紹介されて困っていたんですよね。でも今日こうやって蒼司くんに聞いてもらえたおかげで、妻の行方がハッキリするまで頑張って探し続けてみようと思えました。だってね、離婚届もなにもなかったのですよ。ただひと言『ごめんなさい』と、それだけ。それって嫌いになったから別れたい、という訳ではないかもしれないでしょう? 街の皆さんにも聞かれたら正直に答えるようにしようと思います」
ニコリと笑った鏑木の姿はもう悩んでいる素振りは見えなかった。その様子にホッと胸を撫で下ろす蒼司だった。
しばらく世間話をしていたが、昼に差し掛かってきたため、蒼司たちは彌勒堂へと帰ることにした。珠子は相変わらず御神木の傍で遊んでいたため、名を呼び、そしてきなこは珠子を呼んだことによって目を覚ましたのか、丸まっていた姿からむくりと顔を上げ、大きく伸びをする。
「では帰りますね」
「はい、今日は色々とありがとうございました」
色々と――それは恐らく先程の鏑木の妻の話についてのことだろう。蒼司は「いえいえ」とふんわり微笑み、そして逢比神社をあとにした。そのとき御神木が見送ってくれているかのような錯覚に陥る。なにかに呼ばれたような気さえして、蒼司は御神木に振り返り見上げた。ザザッと風が吹き、枝が大きく揺らいだ。背後では鏑木が見送りながら手を振ってくれていた。
「ねぇ、珠子さん、もしかして御神木となにか会話していたかい?」
蒼司は前を歩く珠子の背中に声を掛けた。珠子は振り向きフフッと笑う。
『やっぱりソージは分かってたんだ』
「いや、なんとなくとしか……やっぱりそうだったんだね?」
『うん』
「きなこさんも気付いていたよね」
『あたしは寝てただけだにゃ。御神木の霊がいたなんて気付いてないにゃ』
あからさまに変な言い訳になっているきなこに笑いそうになる蒼司。きなこはあまり関わりたくないのかもしれない。珠子もどちらかと言えば言い辛そうではある。しかし、そこはやはり聞いておかないといけない気がした。蒼司は歩きながら珠子に聞く。
「御神木の霊ってもしかして逸話に出て来た『逢比』という女性の霊?」
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