B級彼女とS級彼氏

まる。

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第4章 恋の手ほどきお願いします

第16話〜素直になれたなら〜

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 飼い犬に噛まれるとはこのことか。
 主催者が途中立腹して退場すると言う異例の事態が起こり、妙な雰囲気でパーティーは終了した。トレス氏の怒りの原因となるものの一つに、小田桐が私との交際宣言をしたことが含まれているに違いない。私に対する表情や態度、言葉遣い。全てが高圧的に感じ、どこの誰が見ても私は歓迎されていないのだと言う事が見て取れた。

「今日は色々と悪かったな。疲れたろ」
「――」

 少し考えればこうなるって事くらいわかるはずなのに、今まですぐ側に小田桐の父親の存在を感じなかったせいか、どうやら私は少し浮かれてしまっていたようだ。会社を経営する父を持つ小田桐は世間で言う“御曹司”、そして自分は“庶民”なのだ。自覚していたつもりだったが綺麗なドレスを身に纏い、梨乃さんにしてもらったお化粧と髪型のお陰で少しは見られるようになったせいか、いつの間にかそんな自覚もぼんやりとしたものになっていた。
 上流階級の仲間に入れて貰えた様な気になっていた私に、トレス氏はまざまざと“現実”というものを見せつけたのだった。
 今、自分が着ているラベンダー色したドレスを軽く掴み、そこに視線を落とす。そんな事を頭の中でずっと考えていると、自分が酷く滑稽に思えて情けなくなった。シースルーのエレベーターから吹き抜けになっているロビーを覗き込むと、ガラスに額をピタリと張り付け重い溜息を吐いた。

 部屋の中へと入り、私は長椅子に腰を下ろした。つい数時間前にこの部屋に入ったと言うのに、目の前に見える景色が随分違ったものに見えてしまう。豪華な部屋だと思うのは一緒だが、今は“自分はここにいるべき人間ではない”と言う思いが重く圧し掛かってくる。

「――の、……し――の」

 ――目を覚まさなければ。
 諦めかけていたカメラの仕事を手に入れたばかりか、小田桐の様なハイクラスな人間と付き合える事になったのがそもそもおかしかったのだと。浮かれてばかりいるのではなく、ちゃんと現実に目を向けそれを受け入れる時がやって来たのだと、今更ながら痛感したのだった。

「芳野」
「――、……え?」
「さっきから何回も話しかけてるのに。ずっと上の空だな」

 考え事をしていたせいか、目の前のソファーに足を組んでふんぞり返っている小田桐を認識しながらも、目の前の人物と今私の頭を悩ませている人が同一人物なのだということを理解出来ていなかった。

「あっ、ごめん。何?」
「……疲れてるんだったらこのままここに泊まってっていいぞ」
「あ、いや、大丈夫。すぐ着替える」

 帰宅を急かされているのだと思った私は慌てて腰を上げた。

「別に今帰ろうが明日帰ろうが払う金は変わらん。明日の朝、何時に迎えに来ればいいか教えてくれればその時間に迎えに来るから」
「え? 小田桐は帰るの?」
「ああ」
「そうなの? ジャッ君は先に帰ったみたいだったし、てっきり小田桐がここに泊まるんだと思ってた」

 小田桐の家に余分なベッドは無いのを知っていたからそんな考えが頭に浮かんでいた。

「こっちにも家建てたから。ジャックも親父もそっちに帰った」
「へ、……へぇ、そうなんだ」

 普通の人はそんなにポンポンと気軽に家を買うなんて出来ない。一生ある中で一番大きな買い物だと言われているものを既に二つも手に入れている。いや、私が知らないだけでもしかすると他にも別荘やらとかあるのかも知れない。そう思うと又もや二人の間に距離が生まれていくのを感じた。

「で?」
「?」

 両手を肘掛に置き、そこに体重を掛けながら小田桐が立ち上がる。数歩あるいて私の目の前に来ると優しい瞳をのぞかせた。

「明日は何時に迎えに来ればいい? お姫様」

 手を掬うと甲にそっと口づけを落とす。そんな事をされたら私が大袈裟に騒ぐだろうと思ってやったのか、唇を離すと口角をキュッと上げ私の反応を楽しみにしている様な笑みを浮かべていた。しかし、小田桐の顔から笑みはみるみる消えていく。その理由はきっと今の私の表情にあるのだろう。

「どうした?」

「お姫様」と呼ばれた事に対し私は強い拒絶反応を示した。こんな行為一つにしても、小田桐はやけに板についている。普通なら恥ずかしくて決して出来ないような事なのに、何の躊躇いも無くやってのける。今までは単に女性慣れしているだけだと思ってきたがきっとそれだけではなく、そんな環境で育ってきたから自然にしてしまえることなのだと言う事に気が付いた。
 小田桐が育ってきた環境と私が育った環境。あまりにも、――違いすぎた。

「……っ、ううん! 何でも、ない」
「何でもなくないだろ? 何だ? ――もしかして、俺が目を離した隙に誰かに酷いことでも言われたのか?」
「ちがっ、……全、然」

 否定はするがはっきりとワケを話さない私に業を煮やし、小田桐は急に声を荒らげた。

「じゃあ、なんだってんだよ! 言えよ!!」
「もう! 怒鳴んないでよ!」

 つい大声を張り上げてしまった事を後悔し心を鎮めようとでも思ったのか、小田桐は私の手を離すと窓の側に行きウロウロと行ったり来たりを繰り返している。しばらくそうしているとだんだん落ち着きを取り戻してきたのか、明らかにさっきとは違う様子で再び私の目の前に立つと大きく深呼吸した。

「――なに? 思うことあるなら言ってみ?」

 息を吐き出した後、優しい声で問いかけられると何でも話せる様な気になってくる。私は顔を上げ小田桐の目をじっと見据えながら息を呑んだ。

「あの、私達このままじゃ駄目なんじゃないかな……って」

 思い切ってそう告げると小田桐は一際大きな息を吐き、そっぽを向いて首の後ろを撫でた。

「やっぱり反対されてるみたいだし」
「……親父の言った事は気にすんなって言ったろ?」
「でも」

 やれやれそんな事かと言いたげな態度を示した後、そっぽを向いていた視線を元に戻した。少し冷たさを感じるその目を見ると、言葉を続けることが出来なかった。

「何? お前、俺と別れたいの?」
「そんな事、……言ってないじゃんか」
「じゃあ、もういいだろ。ったく、こんなくだらねー話、もうやめやめ。――で? 明日は何時に来ればいいんだよ?」

 くるりと背を向けると小田桐は扉へと向かって歩き出そうとしていた。

「小田桐!」
「あ゛あ゛っ!? まだなんかあんのかっ、……よ、」

 出て行こうとする小田桐のジャケットの裾を咄嗟に握り締めると、すぐに私は顔を伏せた。

「いいの? ほんとに私、あんたの事……好きでいていいの、かな」
「芳野……」

 誰が見ても分不相応な自分。父親には反対されていると言うのに、それでも尚、小田桐の事を好きでいていいのだろうか。そんな事してはいけない、小田桐を困らせるような事してはいけないと思う反面、それでも小田桐の事を想う気持ちが日を増すごとに膨らんでいく。それらが心の中でぐちゃぐちゃになって暴れだし、遂には甘い言葉を強請り始める。
『いいよ』と言って欲しくて、頭の中で何度も何度もその言葉が木霊していた。

「抱いていいか?」
「――」

 その言葉にハッとして顔を上げると、振り返った小田桐が私を囲うようにして両手を伸ばしていた。私の顔を見てすぐに自分が言った台詞が違う意味に捉えられていると気付いたのか、慌てて訂正する。

「あ、違っ、そう言う意味じゃなくてだな。その、ただ単純に――」

 いつも冷静な小田桐が珍しくしどろもどろになっている。以前、『もう二度とお前には触れない。自分からお願いしろ』と言った手前、私の了承を得ずに触れる事は許されないと思い確認をとったのだなんて弁解せずともわかる。――勿論、それは下心あっての意味ではなく、ただ抱き締めたいと思って言った台詞だと言うことも。
 強情と言うか、律儀と言うか。そんな小田桐の胸にポスッと顔を埋めると、私はゆっくりと彼の背中に手を回した。

「ぎゅっ、て……して欲しい」
「っ!」

 そう言うと、手持ち無沙汰に宙を彷徨っていた小田桐の両手が、私の身体にキツク巻きついた。




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