B級彼女とS級彼氏

まる。

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第二部 第1章 時を経て再び出会う

第1話〜理由〜

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 春の暖かな日差しの中。のんびりお昼寝タイムを満喫していたというのに、今は何とも落ち着かない。視線を横に移せば、今ここに居るはずのない人物が何食わぬ顔でドカッと踏ん反り返っているのだから、挙動不審になってしまうのも仕方がないだろう。
 私がそんな状態だというのに当の小田桐はと言うと、飲み物を買いに行ったついでに売店で新聞も買ってきたのか「スポーツ新聞しか置いてないとか、なんともふざけた病院だな」とぶつくさ文句を垂れていた。
 ご丁寧に私の分の缶コーヒーも買ってきてくれたはいいが、それを手渡された時、どうして今病院のベッドの上に居るのかを完全に忘れてしまっている自分が居た。もう少しで昨晩からの絶食を無駄にするだけでなく、高額な検査料金がぶっ飛ぶところだった。

「……」

 しかし、何故今このタイミングで小田桐が現れたのかがさっぱりわからない。急に現れただけでも面食らったというのに、声高らかに「もう一度口説く」と宣言をされてしまい、私の頭の中はまともな思考が出来なくなっていた。
 小田桐から逃げる様にして別れてから二十数年もの時が経っている。その間、小田桐と会うこともなければ連絡があったという事も今の今まで一度たりともなかったが、あの時に味わった辛い思い出は今でも私の心の中でしっかりと根付いていた。
 小田桐の婚約者が現れても私には何の説明もなかったり、彼の父親と弁護士から手切れ金を渡されたこともあった。丁度、体調を崩していたのもあってか、それらはとても残酷な仕打ちに思えた。せめて、小田桐から安心できるような言葉の一つでも貰えれば乗り越えられたのかも知れないが、残念ながら彼の口から何も語られることはなくもやもやしたものが一気に溢れ出し、全くと言っていいほど収集がつかなくなった。

 そして全てが嫌になった私は自分から別れを告げた。
 あっさりと別れることに合意されてしまった事が、更に追い打ちをかける。ああ、やっぱり、と、彼の本音を聞いてしまったような気がして、暫くまともに食事をとることも出来ないほど落ちることろまで落ちた。
 私に対する気持ちはきっと、一過性のものに過ぎないのだと何度も自分に言い聞かせ、小田桐の事を忘れようと必死だった。
 数日後、全てを忘れ去る様にして桑山さんと共に途上国へと出発した。慣れない環境のせいか傷心に浸る余裕もなく、目まぐるしい毎日を過ごしたのがあの時の私には丁度良かった。
 現地での生活に大分慣れて来た頃、桑山さんから大事な話があると言われ、私と小田桐が別れた翌朝に小田桐が事務所に来たのだという事実を知らされる。その時の小田桐の様子を聞いた時、涙がとめどなく溢れ出し、桑山さんを随分困らせてしまったのをつい昨日の事の様に思い出す。

 自分から別れを告げたものの、消化不良なあの時の感情は長い間私の心をむしばみ続けた。

 今こうやって私の前に現れたという事はもしかすると小田桐も私と同じく、今になってあの時下した決断が間違っていたのだと少しでも後悔してくれたからだろうか。

「――」

 そう思った途端、そんなわけないとすぐに考えを改めた。
 声を出して問わずとも答えは既に出ている。小田桐が本気で探せば私の居場所なんて何処の国に居ようがすぐに見つけられるはずなのに、二十数年もの間全く音沙汰無かったのは結局そういう事なのだ。
 じゃあ、何故今になって急に現れたのか。――爆弾がどうとかって、随分昔の話ではあったが、聞き間違いかなんかで様子を見に来たとかならまだ納得はいく。でも、「もう一度口説く」だなんて、何故そんなに軽々しく言えるのかが私にはわからなかった。

「……わかんない」
「あー?」

 気が付くと、思っていることを口に出していた。

「なんで急に現れるのよ」

 自分は色々と思い悩んだ挙句にお互いの為にと別れる決心をしたというのに、何食わぬ顔で私の隣にいる小田桐が無性に腹が立ち、布団の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。

「……」

 私の様子がおかしいと思ったのか、新聞を二つに折りたたむとポンッとサイドテーブルの上に置き、私の方に向き直る。何か言われるのかと少し身構えたが、小田桐は何も語ろうとせず、ただ、私の顔をじっと見つめているだけだった。
 その沈黙に耐え切れなくなり、ついペラペラと余計な事まで喋り始めてしまった。

「もう二十年以上経ってるのに。……二十代の頃と違って肌のハリはないし、おばさんもいいとこなのに。何で、今になってそんな事言うか、な」

 ――ああ、やばい、泣きそう。
 さっきはギャーギャーと騒いだと思ったら今度は泣き始めたよって、同室の人たちに変な奴扱いされてしまう。でも、込みあがって来るものを簡単に止めることが出来ず、せめて泣いているのを悟られないようにしようと、顔を窓側へと向けた。

「……。――?」

 シャーっと言う音がしたと思ったら急に視界が薄暗くなった。入り口側のカーテンを小田桐が閉めるとそのまま反対側に周り、窓側のカーテンも閉じる。私のベッドが完全に周囲から遮断されたのを確めると再び定位置に腰を下ろした。

「……」

 今度は私の方が無言になり、呆けた顔で小田桐の顔をじっと見つめていた。そんな私に気付いたのか、小田桐は右腕をベッドの上に置くと左手で私の頭をそっと撫でた。その瞬間、私の目から一筋の涙が頬を伝った。

「な、に?」
「それって、つまり――」

 頭を撫でていた手がするりと下りはじめ、あの頃に比べかなり長くなった私の髪を一房掬う。小田桐の手の動きを目で追いかけていると、掬った髪に小田桐がそっと唇を寄せた。
 伏せた睫毛がピクリと動く。パチッと開いた瞼の中にある大きな瞳が私を捕えた時、ぐっと心臓が掴まれた様な感覚に襲われ、そっと左手を胸元に置いた。

「もっと早く迎えに来て欲しかったってこと?」
「そっ、んな……」

 かあっと頬が紅潮するのが自分でも良くわかる。まるで言い当てられた様で、すごく恥ずかしくなった。
 さっきの言い方だとそんな風に捉えられても仕方が無い。自分から別れを告げておいて、この二十年もの間ずっと迎えに来てくれるのを待っていたとか。そんなの、自分勝手もいいとこだし、白馬に乗った王子様が迎えに来るのをいつまでも待っている憐れな女みたいで、なんだかひどく惨めだ。

「そんな意味じゃ……」
「へぇ? じゃあどういう意味?」

 否定しようとすると、待ってましたとばかりに小田桐が言葉を被せた。

「それは、えっと」

 言い淀む私を見て、まるで悪戯をしかけた少年の様に小田桐がクスリと笑う。本気でそんな事を言ったわけではなかったのだと知り、私は眉間に皺を寄せた。

「……相変わらず性格悪い」
「それはどうも」

 勝ち誇った顔で笑みを浮かべていた。
 何だかずっと小田桐のペースに巻き込まれっぱなしだ。久しぶりに味わうこのくすぐったい感覚に、嫌悪感どころかもう少し味わいたいとさえ思い始めていた。
 だが、そんなものを懐かしんで余韻に浸る間もなく、更なる問題が降りかかってきた。

「歩ちゃん?」
「――!!」

 カーテン越しに聞きなれた声が聞こえ、ビクッと身体が硬直する。声のする方に視線を向けると、今まさにこのカーテンを開けようとしている人影が見えた。

「あっ、な、なかば? あの、ちょ、今は……」

 今、この二人を会わせたくない。瞬時にそう思って言ったものの、私の声は自分でも気づくほど明らかに上ずっている。そのことが、余計に央をこのカーテンの中へ招き入れるきっかけとなってしまった。





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