B級彼女とS級彼氏

まる。

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第二部 第1章 時を経て再び出会う

第11話〜知りたい気持ち、知られたくない気持ち〜

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「……来い」

 侮蔑するような態度で一言そう告げると、小田桐は背中を向けて歩きだした。
 央の居場所を知っている唯一の手がかりであったトレス氏が立ち去ってしまった今、この場に留まることも諦めて帰ることも出来ない。少しでも何か手がかりになるものを得るために、恐る恐るその広い背中の後を追った。

 エレベーターで上階を目指す。誰もいないその狭い箱の中でも小田桐は終始無言を貫いた。
 小田桐は一体どこまで知っているのだろう。央の居場所を知っているのだろうか。央が自分の本当の娘だと言うことは? 考えれば考えるほどに不安が増していく。出来ることなら何もかも忘れてここから逃げ出したくなった。
 何度か停止してはその都度人が乗り込んでくる。今この空間で二人きりになるのは辛く、他人が居合わせている事がこんなにも安心できるものなのかと初めて知る事となった。
 僅かな揺れを感じ、エレベーターの扉がゆっくりと開く。扉が開ききる迄の僅かな時間ですら勿体ないとばかりに、身体を斜めにして小田桐はエレベーターから先に降りた。
 あんなに急いでエレベーターから降りたというのに、小田桐は降りた場所から全く動こうとしない。あきれた様な面持ちでまだ箱の中に居座る私を睨みつけている所為で、運悪くここに居合わせてしまった人達は扉を閉めていいのかどうなのかわからないといった感じだった。

「引き摺り下ろされたいのか」
「……っ」

 抑揚のない声音で小田桐がそう告げると、ピンとその場の空気が張り詰める。私の身体はまるで石にでもなったかのように固くなり、肩に掛けたバッグの持ち手をさらにきつく握り締めていた。

「……。――!? ちょっ」

 痺れを切らした小田桐に手首を掴まれ、その言葉通り引き摺りおろされた。これでやっと扉を閉めることが出来ると、周囲が安堵の息を漏らしているのを感じる。拘束された手首は解放される事なく、そのまま引き摺られるようにして再び歩き始めた。

「や、ちょっと、も……離し――ぃっ、つ!」

 抵抗をすればするほど手首に掛かる圧が強まる。あまりの痛さに手を振り払うのを諦めた私は、足をもつれさせながらも仕方なく黙って後をついて歩いた。
 やがて、廊下の一番奥の部屋に到着する。その扉の前には女性が座っていて、私達が近づいたと同時に席を立った。

「会長と出られたのでは?」
「予定が変わった。ジュディス、お前は一時間ほど休憩にでも行って来い」
「? ……はい。では、先にお茶をおだししてから――」

 その女性は、事の顛末がまるでわからないとばかりにきょとんとした目で、小田桐に引き摺られている私に目を向けた。

「いらん。こいつは客じゃない」
「え? でも――」

 扉の中へ私を押し込めながらそう言うと、小田桐はその扉を閉めた。

 部屋の中へ入り、掴んでいた手首がやっと解放される。圧迫されていた手首を擦りながら部屋の中を見渡すと、ここは小田桐の仕事場なのだろうということがわかった。広々とした部屋の奥には立派なデスクがあり、中央には応接セットが置かれている。大きな本棚に視線を移せば、私には到底理解不能な文字が書かれた分厚い本が、所狭しとずらりと並んでいた。

「座れよ」

 私の横を通り過ぎながらソファーを指し示す。一切目を合さないままデスクへと向かい、小田桐は置いてあった書類に目を通していた。
 この間会った時とはまったく違う小田桐の態度が、妙な緊張感を生み出す。表情は勿論、声のトーンでさえ冷静さを失う事無く淡々としているその様は、彼の父親であるトレス氏を彷彿とさせた。

「……っ」

 そんな風に感じた途端、ぶるっと身震いする。片方の腕を擦る私に、書類を手にした三白眼の鋭い目が向けられた。

「『座れ』って言っただろ。いつまでそこでボーっと突っ立ってるつもりだ」
「きっ、聞きたいこと聞いたらすぐ帰るから」
「……あっそ」

 はぁっと大きな溜息を吐きながら書類を投げ捨て、一人掛けのソファーにドカッと足を組んで座る。肘掛に肘をつきながら再び私へと視線を移した。

「で? 聞きたい事って?」
「なっ、央は……、娘は――どこ、に」

 たったこれだけの台詞を言うのにも、極度の緊張のせいか声が震える。気持ちを落ち着かせるために胸に当てた両手からは、その手が跳ね返る程の鼓動を感じた。

「さぁな」
「し、知らないならもういい。私かえ――」

 扉へと身体を向けると、背後から小田桐の冷ややかに笑う声が響いた。

「おい、勘違いすんな。誰が知らないと言った? そんな簡単に教えてたまるかって意味だ」
「っ!」

 やはり、何か知っているのだと確信する。向き直ると小田桐はソファーから立ち上がり、私の方へと近づいてきた。

「知ってるの!? 央は今どこにいるの! 一体何が目的でそんなこっ、と――」

 小田桐が近づくたび後ろへ後ずさりする。背中に固いものが当たった事で、もうこれ以上逃げ場はないのだと知った。黒い影に覆われ反射的に横から逃げようとしたが、すぐに小田桐の長い腕が私の行く手を遮った。

「な、に……?」
「お前、俺の親父と一体何があった」
「それは」
「言えよ。そしたらお前の娘の居場所も教えてやる」

 央の居場所は知っているが、私とトレス氏の間に起こった事までは知らないということだろうか。

 ――知りたい。でも、知られたくない。
 どっちつかずのこの思いが、次第に私を混乱の渦へと陥れた。

「言えよ」

 小さく首を左右に振る。

「さっさと言えって!」

 急に声を張り上げた小田桐に恐怖を覚え、両手で耳を塞ぎながら今度は大きく首を振った。すると、両手首を大きな掌に掴まれてしまい、力任せに無理矢理耳から遠ざけた。

「お前ら……、俺の知らないところで一体何をしてるっていうんだ! お前の娘の所在がわからないからといって、何でお前が俺の親父に土下座する必要がある?」
「違っ――」
「は? 何がどう違うって言うんだ? さっさと白状しろ。早く言わないと娘がどうなっても知らんぞ」
「し、らっ、ない……、わかんない! もっ、央を返してよぉ!」

 一気に捲くし立てられた事で、感情のコントロールが効かなくなる。とにかく早く娘を返して欲しいと、何度も何度も懇願した。
 両手の自由がきかない所為で、醜く歪んだ顔を隠すことが出来ない。俯いた状態で顔を左右に振り、背中を壁につけながら小田桐と共にずるずると崩れていった。

「もっ、お願、い」
「……」

 半ば錯乱状態に陥っている私を見て、もう何の情報も得られないと諦めたのか両方の手首が解放される。小田桐はゆっくりと立ち上がると、床に尻をつき泣きじゃくる私をただ無言で見下ろしていた。

「お前がどうしても言わないって言うなら、こっちにも考えがある」

 衣擦れの音が遠ざかっていく事で、小田桐が私から離れたのだと知る。顔の前で小刻みに震える手を軽く握り、彼が何をしようとしているのかを固唾を飲んで見つめていた。
 受話器を取り、何処かへ電話を掛け始める。小田桐から発せられたその名前に、心臓が止まりそうになった。

「ああ、俺だ。――蓮見はいるか」
「なっ!? なんで弁護士なんか……」
「――」

 受話器に耳をあてながら冷めた目で私を見ている。しばらくして電話口に蓮見が出たのか、小田桐は再び私に背を向けて話し始めた。

「今すぐ社長室へ来てくれ。――は? ……っんなの後でもいいだろ!」

 弁護士を呼んでどうするつもり? またお金で解決しようとするの? 無茶な契約を結ばせて、あの子を返さないつもり? 央は――もう私の元には帰って来ないの?

「――」

 ――逃げなきゃ。
 本能的にそう思った。

「だからっ! そんなのは後でもいいから今すぐこっちへ来いって言ってるんだ!」

 今逃げなければ蓮見と鉢合わせしてしまう。大丈夫、小田桐はまだ電話をしているから、私が何をしようとしているかなど気付いちゃいない。
 音を立てない様にそっと扉を開けると、静かに部屋を出た。


 ◇◆◇

 蓮見の名前を聞き、トラウマとなった過去が蘇る。あのままあそこに居れば大切な何かを失いそうな気がして、その場から逃げ出してしまった。
 今となってはもう央の居場所を知るための手がかりは無いに等しい。取り合ってくれないかもしれないが、やはりここは一度警察に相談に行くべきだと考えを改めた。

「芳野!」

 小田桐のビルを出て横断歩道を渡ろうとした時、後ろから私を追ってきた小田桐の姿が見えた。今ここで掴まるわけには行かないとばかりに駆け出す私の後を、彼はしつこく追ってきていた。

 信号は青が点滅している。ここを渡りきった頃にはきっと信号は赤になり、小田桐は追って来れなくなるはずだと私は更に足を速めた。
 道路の向こう側に小田桐と再び出会うこととなったコンビニが見える。

「――、……っ」
「――? 芳野!!」

 あの頃の思い出を懐かしむ余裕もなく無我夢中で走っていると、突然目の前の景色がぐにゃりと歪み始めた。先ほどまでとは打って変わって慌てた様子の小田桐が、繰り返し私の名前を呼んでいる。
 そして私はゆっくりと意識を手放した。




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