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第3章 噛み合わない歯車
第28話~最後の決断~
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「OK、これで行こう」
曲が終わり、マイクを持った彼が一言そう言うと、他のスタッフが舞台セットの調整の為か一斉にステージに上がり始めた。
スタッフ達と真剣な表情で話をしているジャックに、舞台袖からビルが近づいていく。ビルが彼に耳打ちをすると、叶子の方に向かって親指を向けた。
叶子を見つけたジャックは真剣な表情から一変し、笑顔が溢れ出す。話をしていたスタッフに人差し指を立てると、マイクをビルに手渡して叶子の方へと向かってきた。
「ああ、ジャック。ちょっと次のセット見てくれない?」
「ちょっと休憩したらすぐに行くよ。……あっと、それ一枚頂戴」
今にもステージに連れ戻そうとする女性スタッフをなんなくやり過ごし、ジャックは叶子の元へとやって来た。
「良く来たね」
ジャックの顔から笑顔がこぼれ落ちる。目の前まで来ると、叶子を抱きしめ頬にキスをした。
「はい。これはお土産」
先程、女性スタッフから受け取っていた物を手渡される。手にしたそれを見た時、驚きの余り叶子は言葉を上手く紡ぎだせないでいた。
「こっ、こ、こ……!」
「そう、今度の彼のニューアルバム。まだ世に出回ってないから貴重だよ?」
CDケースをいとおしそうに撫でる叶子は既に声を失っている。頭の上から「凄く素敵なジャケットでしょ?」と自慢気に言うジャックに、周りの目も気にせず彼に飛びつきたい衝動に駆られた。
「あ、有難う! 一生大事にする!」
「僕の方こそ有難う。優秀なデザイナーさんに出会えて僕は幸せ者だよ」
いつもは企業のHPの作成などが主な仕事だった叶子。そんな彼女が初めて取り組んだCDジャケットのデザインを担当したことにより、彼と二度目の再会を果たした。そして今の二人を築いたのも、この仕事に携われたからだ。
二人の色々な想い出が詰まっているジャケットを見ながら、叶子は感動の余韻に浸っている。傍らで、誰かに呼ばれる度に少し待ってもらうようにと、ジャックは何度もスタッフに伝えていた。
「――あ、ごめんなさい! 何か凄く忙しそうだけど、私ここにいて平気なのかな?」
「こっちは大丈夫だけど。僕があんまり相手してあげられないから、君は退屈かも」
ぶんぶんと頭を振る叶子に、ジャックは「良かった」と言って微笑んだ。
「だって、彼いるんでしょ!? 何処に居るの? CDのお礼言いたい!」
ジャックの肩越しにステージの上を探すが、それらしき人影は見えない。途端、ジャックは腰に手を置き、ふーっと困った顔をした。
「困った事に、彼はまだ来ていないんだ」
「え? でも、さっき歌ってる声が……?」
先程チラッと聞こえた歌声と話し声は、明らかに録音されたものでは無かった。首を傾げ、キョトンとしているのを見たジャックはプッと噴出した。
「ああ、ごめん。あれ僕」
「はい?」
てっきり、一風変わった彼流の冗談なのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。
「リハーサルだからと言っても本人が歌うのが当たり前なんだけど、遅刻しててまだ来てないんだ。でもセットや照明、バンドとかの関係である程度感じを掴む為に僕が代わりに歌わされてるんだよ。まぁ、彼の曲の大半は僕が作った曲だし、声も本人と似てるから丁度良いみたい」
大きな目を丸くして、叶子はまだ信じられないと言った様子だ。記憶の底を辿ってみれば、確かに『ボイストレーナーをしたり、曲を作ったりもする』とか言っていたのを思い出し、ああ、と、ひとり小さく頷いた。
「僕だっていつも書類にサインばっかしてるわけじゃないんだよ?」
得意気に笑ってみせる彼に、素直に尊敬の眼差しを向けた。
「そ、そうなの!? 凄い!! 貴方の仕事って幅広いのね。……それに比べたら私の仕事なんて、私がいなくても代わりはいくらでもいるもんね。あーあ、さっさと辞めてアメリカに行く準備しなくちゃ」
叶子は自嘲するように笑った。それを聞いたジャックは叶子の手を両手で掬いあげ、急に真剣な表情を浮かべた。
「あのね、その事で少し話があるんだ」
「話?」
「うん。あのさ」
話し出そうとした時、ステージの周りにいるスタッフ達からどよめきが起こった。それに気付いたジャックは話を止めて後ろを振り返ると、どうやらこのリハーサルの主役がやっと現れたようだった。
「ああ、彼が来たから手短に言うよ。――君は焦ってアメリカに来る事はないからね」
「え?」
「辞めたくないんでしょ? 仕事」
「あ……いや、えーと」
何も言わずとも彼女のその態度がまるで本心を見抜かれたと言っているようだ。目を泳がせ途端に落ち着きが無くなった彼女に、ジャックは一つ息を吐くとにっこりと微笑みかけた。
「ほんっと、君が正直な人で良かったよ。――そうだ、もっときっぱり『行かない!』って君が思える様な話をしてあげるよ。実は、アメリカで彼のライブが成功したらワールドツアーに出る話があるんだ」
「ワールドツアー?」
「そう。だからアメリカに君が来てもそれが本決まりになったら、僕はすぐ何処かに行かなきゃいけないんだよ。ライブプロモートの仕事も勿論だけど、忙しい彼だからさっきみたいに代理をさせられる事もあるだろうし。彼もそれを見越して僕を頼ってくれてるんだと思う。ツアーは本当に過酷だから君を連れて行くのも無理があるし、かといって君を一人アメリカに置いていくのはちょっと気がかりだし。……だから僕が落ち着くまで君はここで頑張るんだ、いいね?」
先ほどまで笑っていたのが、一気に顔が曇り始めた。
「それっていつまで?」
「うーん、一年位かな?」
「い、一年? 一年も会えないの!?」
落ち着いて話をするジャックとは全く違って叶子は動揺を隠し切れなかった。一年も会えないなんて、彼女のアメリカ行きが一ヶ月先に延びるとかの非ではない。しかも、彼の口振りを見る限りでは今回は叶子に選択権があるわけでもない様子だ。
「そ、んな……。――?」
慌てふためく叶子の頬に、ジャックの手の温もりを感じた。その手はいつも通り暖かく、次第に動揺していた心が落ち着きを取り戻していく。
「カナ、僕達なら大丈夫だよ。何も心配いらないから」
「……」
果たして、今の自分に彼と一年も会えないという事が耐えられるだろうか。答えを出し渋っていると、遠くからまたジャックを呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、ジャック! 次の曲も代わりにやっといてくれってさ!」
「ああ、わかった! すぐ行くよ!」
叶子の肩に手を置いて、俯きがちなその顔を覗き込む。
「と、言う訳だから、いいね? ……あ、そうそう。次の曲は今の君にピッタリだと思うよ」
そう言ってウィンクすると、足早にステージへと戻っていった。スタッフと少しやりとりをしてからスローな曲が流れ出す。彼女も耳にした事のあるその曲は、遠く離れた彼女を想う内容の歌であった。
――君は一人じゃない
――僕はいつも側にいる
切ない歌詞が胸を締め付け、気がつけば叶子は頬を濡らしていた。
曲が終わり、マイクを持った彼が一言そう言うと、他のスタッフが舞台セットの調整の為か一斉にステージに上がり始めた。
スタッフ達と真剣な表情で話をしているジャックに、舞台袖からビルが近づいていく。ビルが彼に耳打ちをすると、叶子の方に向かって親指を向けた。
叶子を見つけたジャックは真剣な表情から一変し、笑顔が溢れ出す。話をしていたスタッフに人差し指を立てると、マイクをビルに手渡して叶子の方へと向かってきた。
「ああ、ジャック。ちょっと次のセット見てくれない?」
「ちょっと休憩したらすぐに行くよ。……あっと、それ一枚頂戴」
今にもステージに連れ戻そうとする女性スタッフをなんなくやり過ごし、ジャックは叶子の元へとやって来た。
「良く来たね」
ジャックの顔から笑顔がこぼれ落ちる。目の前まで来ると、叶子を抱きしめ頬にキスをした。
「はい。これはお土産」
先程、女性スタッフから受け取っていた物を手渡される。手にしたそれを見た時、驚きの余り叶子は言葉を上手く紡ぎだせないでいた。
「こっ、こ、こ……!」
「そう、今度の彼のニューアルバム。まだ世に出回ってないから貴重だよ?」
CDケースをいとおしそうに撫でる叶子は既に声を失っている。頭の上から「凄く素敵なジャケットでしょ?」と自慢気に言うジャックに、周りの目も気にせず彼に飛びつきたい衝動に駆られた。
「あ、有難う! 一生大事にする!」
「僕の方こそ有難う。優秀なデザイナーさんに出会えて僕は幸せ者だよ」
いつもは企業のHPの作成などが主な仕事だった叶子。そんな彼女が初めて取り組んだCDジャケットのデザインを担当したことにより、彼と二度目の再会を果たした。そして今の二人を築いたのも、この仕事に携われたからだ。
二人の色々な想い出が詰まっているジャケットを見ながら、叶子は感動の余韻に浸っている。傍らで、誰かに呼ばれる度に少し待ってもらうようにと、ジャックは何度もスタッフに伝えていた。
「――あ、ごめんなさい! 何か凄く忙しそうだけど、私ここにいて平気なのかな?」
「こっちは大丈夫だけど。僕があんまり相手してあげられないから、君は退屈かも」
ぶんぶんと頭を振る叶子に、ジャックは「良かった」と言って微笑んだ。
「だって、彼いるんでしょ!? 何処に居るの? CDのお礼言いたい!」
ジャックの肩越しにステージの上を探すが、それらしき人影は見えない。途端、ジャックは腰に手を置き、ふーっと困った顔をした。
「困った事に、彼はまだ来ていないんだ」
「え? でも、さっき歌ってる声が……?」
先程チラッと聞こえた歌声と話し声は、明らかに録音されたものでは無かった。首を傾げ、キョトンとしているのを見たジャックはプッと噴出した。
「ああ、ごめん。あれ僕」
「はい?」
てっきり、一風変わった彼流の冗談なのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。
「リハーサルだからと言っても本人が歌うのが当たり前なんだけど、遅刻しててまだ来てないんだ。でもセットや照明、バンドとかの関係である程度感じを掴む為に僕が代わりに歌わされてるんだよ。まぁ、彼の曲の大半は僕が作った曲だし、声も本人と似てるから丁度良いみたい」
大きな目を丸くして、叶子はまだ信じられないと言った様子だ。記憶の底を辿ってみれば、確かに『ボイストレーナーをしたり、曲を作ったりもする』とか言っていたのを思い出し、ああ、と、ひとり小さく頷いた。
「僕だっていつも書類にサインばっかしてるわけじゃないんだよ?」
得意気に笑ってみせる彼に、素直に尊敬の眼差しを向けた。
「そ、そうなの!? 凄い!! 貴方の仕事って幅広いのね。……それに比べたら私の仕事なんて、私がいなくても代わりはいくらでもいるもんね。あーあ、さっさと辞めてアメリカに行く準備しなくちゃ」
叶子は自嘲するように笑った。それを聞いたジャックは叶子の手を両手で掬いあげ、急に真剣な表情を浮かべた。
「あのね、その事で少し話があるんだ」
「話?」
「うん。あのさ」
話し出そうとした時、ステージの周りにいるスタッフ達からどよめきが起こった。それに気付いたジャックは話を止めて後ろを振り返ると、どうやらこのリハーサルの主役がやっと現れたようだった。
「ああ、彼が来たから手短に言うよ。――君は焦ってアメリカに来る事はないからね」
「え?」
「辞めたくないんでしょ? 仕事」
「あ……いや、えーと」
何も言わずとも彼女のその態度がまるで本心を見抜かれたと言っているようだ。目を泳がせ途端に落ち着きが無くなった彼女に、ジャックは一つ息を吐くとにっこりと微笑みかけた。
「ほんっと、君が正直な人で良かったよ。――そうだ、もっときっぱり『行かない!』って君が思える様な話をしてあげるよ。実は、アメリカで彼のライブが成功したらワールドツアーに出る話があるんだ」
「ワールドツアー?」
「そう。だからアメリカに君が来てもそれが本決まりになったら、僕はすぐ何処かに行かなきゃいけないんだよ。ライブプロモートの仕事も勿論だけど、忙しい彼だからさっきみたいに代理をさせられる事もあるだろうし。彼もそれを見越して僕を頼ってくれてるんだと思う。ツアーは本当に過酷だから君を連れて行くのも無理があるし、かといって君を一人アメリカに置いていくのはちょっと気がかりだし。……だから僕が落ち着くまで君はここで頑張るんだ、いいね?」
先ほどまで笑っていたのが、一気に顔が曇り始めた。
「それっていつまで?」
「うーん、一年位かな?」
「い、一年? 一年も会えないの!?」
落ち着いて話をするジャックとは全く違って叶子は動揺を隠し切れなかった。一年も会えないなんて、彼女のアメリカ行きが一ヶ月先に延びるとかの非ではない。しかも、彼の口振りを見る限りでは今回は叶子に選択権があるわけでもない様子だ。
「そ、んな……。――?」
慌てふためく叶子の頬に、ジャックの手の温もりを感じた。その手はいつも通り暖かく、次第に動揺していた心が落ち着きを取り戻していく。
「カナ、僕達なら大丈夫だよ。何も心配いらないから」
「……」
果たして、今の自分に彼と一年も会えないという事が耐えられるだろうか。答えを出し渋っていると、遠くからまたジャックを呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、ジャック! 次の曲も代わりにやっといてくれってさ!」
「ああ、わかった! すぐ行くよ!」
叶子の肩に手を置いて、俯きがちなその顔を覗き込む。
「と、言う訳だから、いいね? ……あ、そうそう。次の曲は今の君にピッタリだと思うよ」
そう言ってウィンクすると、足早にステージへと戻っていった。スタッフと少しやりとりをしてからスローな曲が流れ出す。彼女も耳にした事のあるその曲は、遠く離れた彼女を想う内容の歌であった。
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