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捕食
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峠の際にて車を停めふいに空を見上げると、眩しいばかりの満天の星空がそこにある。これは現実の景色だろうか、それとも前世の記憶が見せてくれる遠い昔の瞬きか。
里梨様の元へ急がねば。
木々の生い茂る暗がりのなか、けもの道を懐中電灯で灯し注意深く、人の通った跡を確かめながら歩を進める。
「ん……」
肌に触れる空気がやけに心地よい。
あの時代の空気だ。天と地が今よりずっと密に繋がっていたあの頃の。
あの頃だって、いつも小鶴様は食事を楽しんでいて……。ふっと懐かしい情景が目に浮かぶ。
ちょうどそんな今、視界に飛び込んできたのは。
「掘っ建て小屋……ここを選んだのか」
彼女はいつも一抹の理性を残していて、ひとっこひとりいない処であっても、壁のある密な空間を捕食の根城にする。
「ヒ、イ、ィィ……」
獲物の声が漏れ聞こえ、捕食は始まったばかりと察する。
その場に一歩、また一歩と接近すると、こちらに吹く風に一筋のぬめりけが混じる。この汗と血と、体液の澱んだ臭いは……。
この小屋の中では今、より濃密な空気が充満しているだろう。
「よっと」
建て付けの悪い戸を相手に少々力を入れてみる。ギシッと重い音に被せて、耳に届く声が────
「ウガガァ、ァア゛……」
まず己の足元を懐中電灯で灯し、おもむろに角度を上げ電光を遠くへ投げる。
すると、円やかな光の幕に映し出されるのは──、
「見るな……」
獲物をしゃぶりながら、流し目をこちらにやる──里梨様は、哀しいほどに美しい。
「ああ。月夜に羽ばたく鶴だ」
獲得した肉を抱く肢体はまるで、金屏風に描かれた、羽を大きくひらく鶴。はじめは優しくついばむように、舐めて吸って甘噛みをして、それを幾度も繰り返し、その旨味を堪能する。
好物を頂く──すなわち生きる喜び。たったいま彼女は本能の赴くまま、生きる欲を最大威力で放っている。
「眩しいな」
汗ばむ白い肌が粉雪のように煌めき、うねって乱れる漆黒の髪は山川の急流のように清々しい。
細っそりした背をしなやかにのけぞり、小さな手のひらから伸びるたおやかな指で、ぬめる男の肉塊をわし掴み、その皮膚に顎を沿わせる。
「ワル、カタ……ユ、ユルシ……」
命乞いできるうちはまだ中毒の進行途中だ。
被毒者の見ているものは夢か現か。その目に映る彼女は己を飲み込む大蛇であるのか。俺にはいつも鶴に見えるが、それも泡沫の夢かもしれない。
美しい童女に誘われ上界に降り立ったと思ったら、そこは地獄で、童女は美しくも禍々しい物の怪に姿を変えた。
彼女は、恐怖で悶え狂い卑屈に縮むその眼を待っていたのだ。
脆弱な生き物をいたぶり愉悦に浸る眼が、一転して怯え、己の無益を思い知り、絶望し、運命を恨む。
捕食者から被捕食者へと変わる瞬間──、
彼女の食欲はよりそそられ、“生きている”実感を高め、身も心も幸福の園へと昇り詰める。
「アヒャァ……」
生き血をシュルリ、シュルリ、精気をジュルジュルリと吸われ、今度の獲物もいつまでもつのやら。
「ん、里梨様?」
この時、また彼女は俺に目線を流した。
「見ない、で……」
獲物に喰らい付いたまま上目で喋るから、そのたびに牙が食い込み獲物の嗚咽が漏れる。
その嗚咽に後押しされ、また余すところなく甘噛みをして、ここぞという好みの部位を彼女は探る。
彼女の瞳に俺が映るのも、もう寸分といったところだろう。俺すら幸福な時を邪魔するだけの、拙い存在となる。
ただ、この夜間に獲物の車をどうにかしなくてはならないから、所持品から車のキーを探り当てるまで立ち去れない。
彼女に背を向け、急ぎ目当てのものを手に入れた。
「美味じゃのぅ」
「ウガ、ガ、ァ……」
「美味じゃ……」
喜びを前面に表す彼女のそれは嬌声のよう。
……ああ、一刻も早く役割に着手しなくては。
「美味いのう……!」
「ア、ア、アビャぁ」
愛おしく唇でついばんだと思ったら、バリッ…とその肉を歯で破る。
これから時間をかけ、生きものが生きものたるゆえの汁を味わい、吸い尽くす。
獲物が木偶のように朽ちる頃には──、その命の筋は線香花火が落ちるのごとく、土に還るだろう。
姫。どうぞ今宵も、素敵なディナーを。
里梨様の元へ急がねば。
木々の生い茂る暗がりのなか、けもの道を懐中電灯で灯し注意深く、人の通った跡を確かめながら歩を進める。
「ん……」
肌に触れる空気がやけに心地よい。
あの時代の空気だ。天と地が今よりずっと密に繋がっていたあの頃の。
あの頃だって、いつも小鶴様は食事を楽しんでいて……。ふっと懐かしい情景が目に浮かぶ。
ちょうどそんな今、視界に飛び込んできたのは。
「掘っ建て小屋……ここを選んだのか」
彼女はいつも一抹の理性を残していて、ひとっこひとりいない処であっても、壁のある密な空間を捕食の根城にする。
「ヒ、イ、ィィ……」
獲物の声が漏れ聞こえ、捕食は始まったばかりと察する。
その場に一歩、また一歩と接近すると、こちらに吹く風に一筋のぬめりけが混じる。この汗と血と、体液の澱んだ臭いは……。
この小屋の中では今、より濃密な空気が充満しているだろう。
「よっと」
建て付けの悪い戸を相手に少々力を入れてみる。ギシッと重い音に被せて、耳に届く声が────
「ウガガァ、ァア゛……」
まず己の足元を懐中電灯で灯し、おもむろに角度を上げ電光を遠くへ投げる。
すると、円やかな光の幕に映し出されるのは──、
「見るな……」
獲物をしゃぶりながら、流し目をこちらにやる──里梨様は、哀しいほどに美しい。
「ああ。月夜に羽ばたく鶴だ」
獲得した肉を抱く肢体はまるで、金屏風に描かれた、羽を大きくひらく鶴。はじめは優しくついばむように、舐めて吸って甘噛みをして、それを幾度も繰り返し、その旨味を堪能する。
好物を頂く──すなわち生きる喜び。たったいま彼女は本能の赴くまま、生きる欲を最大威力で放っている。
「眩しいな」
汗ばむ白い肌が粉雪のように煌めき、うねって乱れる漆黒の髪は山川の急流のように清々しい。
細っそりした背をしなやかにのけぞり、小さな手のひらから伸びるたおやかな指で、ぬめる男の肉塊をわし掴み、その皮膚に顎を沿わせる。
「ワル、カタ……ユ、ユルシ……」
命乞いできるうちはまだ中毒の進行途中だ。
被毒者の見ているものは夢か現か。その目に映る彼女は己を飲み込む大蛇であるのか。俺にはいつも鶴に見えるが、それも泡沫の夢かもしれない。
美しい童女に誘われ上界に降り立ったと思ったら、そこは地獄で、童女は美しくも禍々しい物の怪に姿を変えた。
彼女は、恐怖で悶え狂い卑屈に縮むその眼を待っていたのだ。
脆弱な生き物をいたぶり愉悦に浸る眼が、一転して怯え、己の無益を思い知り、絶望し、運命を恨む。
捕食者から被捕食者へと変わる瞬間──、
彼女の食欲はよりそそられ、“生きている”実感を高め、身も心も幸福の園へと昇り詰める。
「アヒャァ……」
生き血をシュルリ、シュルリ、精気をジュルジュルリと吸われ、今度の獲物もいつまでもつのやら。
「ん、里梨様?」
この時、また彼女は俺に目線を流した。
「見ない、で……」
獲物に喰らい付いたまま上目で喋るから、そのたびに牙が食い込み獲物の嗚咽が漏れる。
その嗚咽に後押しされ、また余すところなく甘噛みをして、ここぞという好みの部位を彼女は探る。
彼女の瞳に俺が映るのも、もう寸分といったところだろう。俺すら幸福な時を邪魔するだけの、拙い存在となる。
ただ、この夜間に獲物の車をどうにかしなくてはならないから、所持品から車のキーを探り当てるまで立ち去れない。
彼女に背を向け、急ぎ目当てのものを手に入れた。
「美味じゃのぅ」
「ウガ、ガ、ァ……」
「美味じゃ……」
喜びを前面に表す彼女のそれは嬌声のよう。
……ああ、一刻も早く役割に着手しなくては。
「美味いのう……!」
「ア、ア、アビャぁ」
愛おしく唇でついばんだと思ったら、バリッ…とその肉を歯で破る。
これから時間をかけ、生きものが生きものたるゆえの汁を味わい、吸い尽くす。
獲物が木偶のように朽ちる頃には──、その命の筋は線香花火が落ちるのごとく、土に還るだろう。
姫。どうぞ今宵も、素敵なディナーを。
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