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【 第一章 】 時の河を超える聖女
⑦ 崖の上の裏切り
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一方その頃のアンヴァルは────
湿った空気の牢内で寝転んだまま、思考を巡らせていた。
「ああ、腹が減ったな」
腹の虫が鳴いている。
聖女の神と繋がる力でここ、不思議な時空に飛ばされたことは理解した。
「こんなのアリかよって思うけどな……」
目覚めた時、なぜか隣国に派遣されたはずのイナンナと顔を合わせて驚いたが、このアクシデントに関して手がかりを掴めたのは助かった。
「イナンナの言ったことに嘘がないなら、ここはだいたい1年先の未来か」
しかも、“アリアンロッドが和睦の大使として送られた先”だ。天啓としか言いようがない。近い未来の有り様を覗いているのだ。
「しかしだなぁ……」
あまりに突発過ぎてなんの準備もないという現実。
「無茶すぎるだろ、いくらなんでも」
外交において素人のアリアンロッドが大使に任命されたというのも腑に落ちない。だのに、後から来たという、書状を持った者の出現やら、手に追えない事態の連続に歯がゆい思いを抱いている。
「ん。ここが1年後だというなら、この時間の自分はどうしてるんだ?」
今時点のアンヴァルは和議の内容について、アリアンロッドのようにイナンナから細かい説明を受けておらず、和議そのものに懐疑的だ。
「あれ、いや、ちょっと待て」
独り言にしては大きな声が出た。
怪我をして、訳の分からない状況に巻き込まれ、頭が混乱していたせいか単純なことを忘れていた。
この時間の自分はどうしてる、なんて愚問だ。
自分だったらアリアンロッドを助けに来るに決まっている。こうなることを知っているのだから。
「それか、逆なのか」
────ここは未来なのだから、この経験を経た自分たちが、この神隠しに合わせて用意した舞台……だとしたら?
そう閃いた時、上からけたたましい足音が聞こえてきた。
「ヴァル!」
「!? アリア?」
この場に走ってきたのは、侍女服をまとったアリアンロッドであった。
「どうしたんだ? ひとりか?」
「う、うん。ねぇ、ここを出て」
アリアンロッドが戸を開く。彼女は片手で格子に捕まり、もう片方の手を差し出した。
「なんで急に? イナンナは?」
戸惑いながらもアンヴァルはその手を取った。すると即座にアリアンロッドは彼の手を引っぱり、駆けだすのだった。
「誰かに見つかったらどうするんだよ!」
「その時はその時!」
「んん??」
1階へ上がり廊下を走り、そしてレストルームへ向かう通用口から外へ出た。
アンヴァルは手を引かれながら、彼女の身に何か、切羽詰まるような事態が起こったのだと案じた。
まもなく、屋敷の南西の角を曲がったところの川岸で、彼を引っぱってきたアリアンロッドは立ち止まる。
その背に向かってアンヴァルは、
「何があった? まさかイナンナがお前に何かしたのか?」
冷静さを欠いた顔にて問い詰めた。特段よく見なくても、彼女の様子は平常と変わらないのに。
おそらく彼の中に、花摘みどうこう言われたからと、自分の元から少しでも彼女を放した負い目があるのだろう。
「んー。……ヴァル」
アリアンロッドはここから見える北側の、別邸の建つ崖の上方を指さし、こう告げた。
「私、すぐ行くから、話を聞いて」
◇◆◇
アリアンロッドは別邸の前庭、むき出しの崖に戻った。
使用人が通りすがる心配もあったので、土ならしでもするふりをしようと考えながら立ち呆けている。
イナンナはなかなかやってこずで、霧も出てきて心細くなってきた。
「あ。来た」
ようやくイナンナが戻ってきたが、その顔は困惑を表していた。
「アリアンロッド様、遅れて申し訳ございません。実はアンヴァルが……」
彼の様子を見に地下に行ったら牢がもぬけの殻だったと、彼女は息せき切って報告する。
「ええ!? 彼が勝手な行動を取るとは思えない。誰かに連れ去られたんじゃ……」
「そんなヤワな男じゃないでしょう」
そんなふうに疑りながらイナンナは崖の縁に片ひざをつき、下方に向かって彼の名を叫んだ。
「何を? 人が来ちゃう!」
「もう日が暮れるので兵は舎に戻りました。邸は石造りです、中にいる者には聞こえませんが、川辺にいるならこの声が聞こえます。一度だけ、あなた様の声でお試しを。返事がなければ探しに行きましょう」
「う、うん」
アリアンロッドも両膝を折り、
「……ヴァル──!!」
川に向かってめいっぱい声を張り上げた。が、少し待っても返事はなかった。
「どこに行ってしまったの……」
不安げに、乗り出した顔をひっこめたその時。
“アリア!”
「!」
微かすかに呼び声が聞こえた。声のした先、屋敷方向の崖淵に膝をついた。
下の方から確かに、自分を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。
しかし霧がかかっている。どこかの室内にいるかもしれないし、ここから眺めても仕方ない。
屋敷にはきっといるのだから探しに行けばいい。そう気を取り直して、振り向きざまに立ち上がろうとした。
すると、目に映るイナンナが異様な笑みを浮かべ、両手でこの身体を押し出そうとするのだった。
「っ!?」
アリアンロッドは即座に彼女の両腕を掴んだ。
「何を!?」
イナンナはアリアンロッドを振り払おうとし、アリアンロッドはそれに反発し力を振り絞る。
結果押し合いになり、不利なアリアンロッドの踵は崖縁に寄り体勢を崩した。
そこで横に倒れ、腕を地に付け耐えようとした瞬間、左肩を蹴られたので、とっさにイナンナの左足首を右手で掴む。
下半身が崖から滑り落ちようとも、彼女の足首を力いっぱい握った。そして肩から腕にかけて全力を集中し、崖にしがみついた。
「なん……で……」
この状態、上にいる人物が協力的であれば助かるのだろう。
しかしわざと自分を突き出したのだ、この女は。
「あなた、は……国、の……」
「ええ、誓って国の人間ですわ。でも私……、我が主、ヒルディス様を愛してしまったの」
イナンナの目尻に、口の端に、薄暗い笑みが浮かび上がる。
「そん……な……」
「あなたは不注意で川に滑り落ち、溺れて死ぬのよ。それを客室からアンヴァルも目撃する。そのためにさっき牢から出してきたから。そして私は国に密書を送るわ。国宝を持ったまま、あなたはどこかの川底にいると」
後は国宝を探しだし、それをユング王に差し出し主の手柄とする。そうイナンナは言い放ったが、死物狂いなアリアンロッドにはもう聞こえない。
「……っ、……あっ……」
崖の砂がほろほろと落ちる。アリアンロッドは恐怖で意識が朦朧としてきた。そんな中、頭の片隅でアンヴァルの「一瞬でも長く」がどよめく。
(ヴァル……助けて……)
残された力はもうわずかだが、諦めるわけにはいかないと口内を噛んだ。なんとしてでも這い上がろうと必死で抗うのだが──。
「それだけ着こんでいれば早々浮かばないでしょうね。ふふふ、愉快だわ。最後に教えてあげる。私、本当はあなたが嫌いなの。聖女も、聖女に心酔する男たちも、両親も国のしきたりも、みんなみんな……大嫌い!」
イナンナは持てる力を腰に集め、アリアンロッドの掴んだ手を蹴り払った。
「な……」
そしてそのまま踵を返し、崖縁を後にした。
湿った空気の牢内で寝転んだまま、思考を巡らせていた。
「ああ、腹が減ったな」
腹の虫が鳴いている。
聖女の神と繋がる力でここ、不思議な時空に飛ばされたことは理解した。
「こんなのアリかよって思うけどな……」
目覚めた時、なぜか隣国に派遣されたはずのイナンナと顔を合わせて驚いたが、このアクシデントに関して手がかりを掴めたのは助かった。
「イナンナの言ったことに嘘がないなら、ここはだいたい1年先の未来か」
しかも、“アリアンロッドが和睦の大使として送られた先”だ。天啓としか言いようがない。近い未来の有り様を覗いているのだ。
「しかしだなぁ……」
あまりに突発過ぎてなんの準備もないという現実。
「無茶すぎるだろ、いくらなんでも」
外交において素人のアリアンロッドが大使に任命されたというのも腑に落ちない。だのに、後から来たという、書状を持った者の出現やら、手に追えない事態の連続に歯がゆい思いを抱いている。
「ん。ここが1年後だというなら、この時間の自分はどうしてるんだ?」
今時点のアンヴァルは和議の内容について、アリアンロッドのようにイナンナから細かい説明を受けておらず、和議そのものに懐疑的だ。
「あれ、いや、ちょっと待て」
独り言にしては大きな声が出た。
怪我をして、訳の分からない状況に巻き込まれ、頭が混乱していたせいか単純なことを忘れていた。
この時間の自分はどうしてる、なんて愚問だ。
自分だったらアリアンロッドを助けに来るに決まっている。こうなることを知っているのだから。
「それか、逆なのか」
────ここは未来なのだから、この経験を経た自分たちが、この神隠しに合わせて用意した舞台……だとしたら?
そう閃いた時、上からけたたましい足音が聞こえてきた。
「ヴァル!」
「!? アリア?」
この場に走ってきたのは、侍女服をまとったアリアンロッドであった。
「どうしたんだ? ひとりか?」
「う、うん。ねぇ、ここを出て」
アリアンロッドが戸を開く。彼女は片手で格子に捕まり、もう片方の手を差し出した。
「なんで急に? イナンナは?」
戸惑いながらもアンヴァルはその手を取った。すると即座にアリアンロッドは彼の手を引っぱり、駆けだすのだった。
「誰かに見つかったらどうするんだよ!」
「その時はその時!」
「んん??」
1階へ上がり廊下を走り、そしてレストルームへ向かう通用口から外へ出た。
アンヴァルは手を引かれながら、彼女の身に何か、切羽詰まるような事態が起こったのだと案じた。
まもなく、屋敷の南西の角を曲がったところの川岸で、彼を引っぱってきたアリアンロッドは立ち止まる。
その背に向かってアンヴァルは、
「何があった? まさかイナンナがお前に何かしたのか?」
冷静さを欠いた顔にて問い詰めた。特段よく見なくても、彼女の様子は平常と変わらないのに。
おそらく彼の中に、花摘みどうこう言われたからと、自分の元から少しでも彼女を放した負い目があるのだろう。
「んー。……ヴァル」
アリアンロッドはここから見える北側の、別邸の建つ崖の上方を指さし、こう告げた。
「私、すぐ行くから、話を聞いて」
◇◆◇
アリアンロッドは別邸の前庭、むき出しの崖に戻った。
使用人が通りすがる心配もあったので、土ならしでもするふりをしようと考えながら立ち呆けている。
イナンナはなかなかやってこずで、霧も出てきて心細くなってきた。
「あ。来た」
ようやくイナンナが戻ってきたが、その顔は困惑を表していた。
「アリアンロッド様、遅れて申し訳ございません。実はアンヴァルが……」
彼の様子を見に地下に行ったら牢がもぬけの殻だったと、彼女は息せき切って報告する。
「ええ!? 彼が勝手な行動を取るとは思えない。誰かに連れ去られたんじゃ……」
「そんなヤワな男じゃないでしょう」
そんなふうに疑りながらイナンナは崖の縁に片ひざをつき、下方に向かって彼の名を叫んだ。
「何を? 人が来ちゃう!」
「もう日が暮れるので兵は舎に戻りました。邸は石造りです、中にいる者には聞こえませんが、川辺にいるならこの声が聞こえます。一度だけ、あなた様の声でお試しを。返事がなければ探しに行きましょう」
「う、うん」
アリアンロッドも両膝を折り、
「……ヴァル──!!」
川に向かってめいっぱい声を張り上げた。が、少し待っても返事はなかった。
「どこに行ってしまったの……」
不安げに、乗り出した顔をひっこめたその時。
“アリア!”
「!」
微かすかに呼び声が聞こえた。声のした先、屋敷方向の崖淵に膝をついた。
下の方から確かに、自分を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。
しかし霧がかかっている。どこかの室内にいるかもしれないし、ここから眺めても仕方ない。
屋敷にはきっといるのだから探しに行けばいい。そう気を取り直して、振り向きざまに立ち上がろうとした。
すると、目に映るイナンナが異様な笑みを浮かべ、両手でこの身体を押し出そうとするのだった。
「っ!?」
アリアンロッドは即座に彼女の両腕を掴んだ。
「何を!?」
イナンナはアリアンロッドを振り払おうとし、アリアンロッドはそれに反発し力を振り絞る。
結果押し合いになり、不利なアリアンロッドの踵は崖縁に寄り体勢を崩した。
そこで横に倒れ、腕を地に付け耐えようとした瞬間、左肩を蹴られたので、とっさにイナンナの左足首を右手で掴む。
下半身が崖から滑り落ちようとも、彼女の足首を力いっぱい握った。そして肩から腕にかけて全力を集中し、崖にしがみついた。
「なん……で……」
この状態、上にいる人物が協力的であれば助かるのだろう。
しかしわざと自分を突き出したのだ、この女は。
「あなた、は……国、の……」
「ええ、誓って国の人間ですわ。でも私……、我が主、ヒルディス様を愛してしまったの」
イナンナの目尻に、口の端に、薄暗い笑みが浮かび上がる。
「そん……な……」
「あなたは不注意で川に滑り落ち、溺れて死ぬのよ。それを客室からアンヴァルも目撃する。そのためにさっき牢から出してきたから。そして私は国に密書を送るわ。国宝を持ったまま、あなたはどこかの川底にいると」
後は国宝を探しだし、それをユング王に差し出し主の手柄とする。そうイナンナは言い放ったが、死物狂いなアリアンロッドにはもう聞こえない。
「……っ、……あっ……」
崖の砂がほろほろと落ちる。アリアンロッドは恐怖で意識が朦朧としてきた。そんな中、頭の片隅でアンヴァルの「一瞬でも長く」がどよめく。
(ヴァル……助けて……)
残された力はもうわずかだが、諦めるわけにはいかないと口内を噛んだ。なんとしてでも這い上がろうと必死で抗うのだが──。
「それだけ着こんでいれば早々浮かばないでしょうね。ふふふ、愉快だわ。最後に教えてあげる。私、本当はあなたが嫌いなの。聖女も、聖女に心酔する男たちも、両親も国のしきたりも、みんなみんな……大嫌い!」
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「な……」
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