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【 第五章 】 滅びの運命を知る運命
⑧ 逃げたい
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アリアンロッドは、今朝、出向こうとしていた屋敷へ向かってひた走り、エルヴィラと夫はその後を激しい雨に打たれながらもついていった。
「!!」
目的地へ続く小道で、3人は地面に伏す人影に気付く。小さい妹が倒れているのだった。
「アイラ!!」
エルヴィラは大慌てで彼女を抱き起こす。必死に名を呼ぶが返事はない。少女は高熱にさらされ意識混濁している。
「エルヴィラ、早くこの子を連れて帰って! 私は医師を連れてくるから!」
エルヴィラは妹を抱きかかえた夫と急いで自宅に駆け戻り、アリアンロッドは朝、医師見習いの娘に聞いたその居所へ向かった。
アリアンロッドは見習いの娘をエルヴィラの元に届けてから、今度こそ、姉妹の実家である屋敷に足を踏み入れようと決意した。
刻一刻と、御し難い怒りが膨れ上がっていくのだった。
雨と強風の中、屋敷にたどり着いた頃には、髪も衣服もひどく乱雑になっていた。
「しょせん継母だもの……実母のようには愛せないでしょう。それでも人の優しさというものは……? お母様のような、人としての優しさが……ひとかけらでもあったなら……」
その時、奥の部屋から呻き声が聞こえた。
アリアンロッドはその人物をどうしたいのかよく分からない。罪に問うのか? と自問しても、そんな権限などないことも分かっている。冷静になれず、自身の心を顧みることもできずであったが突き進み、ごくりと唾を呑んでそこの扉を開けた。
「えっ……」
そこにいたのは、異様に憔悴した顔の女だった。髪は結われておらず乱れて散らばり、衣服もよれて、目線はどこを見ているのやら。そのおぼつかない身体をゆらゆら揺らし、薄笑いを浮かべている。
「もっと……もっとちょうだい……」
「……っ」
妖魔に出くわしたような、見てはいけないものを見てしまった恐怖で、アリアンロッドは尻込みした。
そこで、足元まで転がってくる瓶を目にした。濃紺色の、まさしく見覚えのある瓶だ。
「まさか、これを全部……」
そのとき初めて女と目が合った。女はこう、声を掛けながら寄ってくる。
「お母様……来てくれたの……?」
そして、伸びた爪が刺さった指を震わせ、その手を伸ばしてくる。
「い、いやっ……」
アリアンロッドは思わず、それを力いっぱい振り払った。
「わ、私は、あなたの、お母様じゃないわ……」
すると彼女は異様にこけた顔を突き出し、アリアンロッドをまっすぐに見つめ懇願する。
「どうしてそんなこと言うのお母様……私を、抱……」
アリアンロッドはこれ以上見ていられず、そこから脇目も振らず逃げ出したのだった。
────欲しいのはこんな、幻の幸せじゃないのに……!
雨でずぶ濡れ、泥にまみれたまま、アリアンロッドは帰宅した。そこらの布で身体を拭いているとエルヴィラが、ひとまずは安心した、という顔で話しかけてくる。
「お医者様のおかげで、一命は取りとめたみたい……本当にありがとう。あなたが教えてくれなければ、きっと……」
アリアンロッドも安心した。しかし、エルヴィラはまたこう続けて涙を流すのだった。
「もう、どこか遠くへ逃げてしまいたい……。誰も知った人がいない、どこか遠いところへ。死んでしまいたいと思うこともあるけれど、私には家族がいる……。みんなでまたはじめから、生きていくことができるなら、どんなにいいだろうか……」
「エルヴィラ……」
アリアンロッドは嗚咽する彼女を抱きしめて、しばらく背中を撫でていた。
────逃がしたい。どこか遠くへ逃げて、幸せになって欲しい。
ぼんやりと、幼い娘を逃がした隣国の前王はこんな思いだったのかなと、思い出していた。
着替えを済ませ、くたくたになったアリアンロッドは自室に戻り、自分も幻の見える薬に当てられてしまったのか、扉口を背にひとり呟いていた。
「ねぇ、ヴァルはどう思う? ……ねぇ答えて。返事して?」
彼はすぐそこにいて、いつものように呆れた顔で見つめてくるから、つい甘えてしまう。
「いつもすぐ応えてくれるじゃない。なんでもいいから、聞かせてよ……」
そしてバタリとベッドに倒れ込んだ瞬間、我に返った。
ここにはひとりで来ていて、彼は今いないのだ。
「あれ、私、どうしちゃったんだろう……」
そもそも相談するならディオ様ではないか、と思い返す。アンヴァルじゃすぐに、「は?」とか言って、否定してくるのだから。
「でも旅のお供はいつもヴァルだから……。今まさに相談に乗ってほしい時なのに……」
仰向けになったアリアンロッドはそうこぼしながら、彼と連れ立った先の、晴れた空のイメージを思い浮かべた。
「帰ったらまたヴァルと出かけるんだ。なんせ今度はイナンナを連れ返しに行く、大がかりな旅だよ」
この独り言でアリアンロッドはパッと目を見開いた。
大きく目を開けたまま、とび起きた。
イナンナの表情、そして彼女の様々な言葉までが頭を駆け巡った時、ある単語が引っ掛かった。
「港譲渡書……」
それは北の港と船を、国が使えるというもの。
鼓動が高鳴る。
「遠くに、どこか遠くに。誰も知らない遠いところへエルヴィラの家族を……!?」
しかしすぐに、一呼吸して心を落ち着かせた。なんて無謀なことを、と。
(どうしてわざわざ海の向こうへ? どこか行くにしても、陸路でしょう? どうしてより危険の多い海路を選ばなくてはいけないの?)
「危険の多い、道……!?」
アリアンロッドはまた記憶の種を掘り出して、声を張り上げた。
「御母様がおっしゃっていた。神が力をお貸しくださるって。どうしてあの夢をみたばかりで、今こんなことが起こって……私は思いついてしまったの」
これは母の示す手掛かりなのか。つまりは、神の導きか。
もはやこの道しか考えられない。神の力を借る聖女とはそういうものだ。
国が倒れて1年であれば、この領土を整えるために、きっと港までは手に付けられていない。もちろん港を管理するその土地の住民には、十分説き伏せておこう。努力で成せることなら何でもする。
それでも自分は神の言葉をただ代言するだけ。それを受け入れるか否かは、エルヴィラとその家族の選択だ。
「エルヴィラに話してみよう……」
「!!」
目的地へ続く小道で、3人は地面に伏す人影に気付く。小さい妹が倒れているのだった。
「アイラ!!」
エルヴィラは大慌てで彼女を抱き起こす。必死に名を呼ぶが返事はない。少女は高熱にさらされ意識混濁している。
「エルヴィラ、早くこの子を連れて帰って! 私は医師を連れてくるから!」
エルヴィラは妹を抱きかかえた夫と急いで自宅に駆け戻り、アリアンロッドは朝、医師見習いの娘に聞いたその居所へ向かった。
アリアンロッドは見習いの娘をエルヴィラの元に届けてから、今度こそ、姉妹の実家である屋敷に足を踏み入れようと決意した。
刻一刻と、御し難い怒りが膨れ上がっていくのだった。
雨と強風の中、屋敷にたどり着いた頃には、髪も衣服もひどく乱雑になっていた。
「しょせん継母だもの……実母のようには愛せないでしょう。それでも人の優しさというものは……? お母様のような、人としての優しさが……ひとかけらでもあったなら……」
その時、奥の部屋から呻き声が聞こえた。
アリアンロッドはその人物をどうしたいのかよく分からない。罪に問うのか? と自問しても、そんな権限などないことも分かっている。冷静になれず、自身の心を顧みることもできずであったが突き進み、ごくりと唾を呑んでそこの扉を開けた。
「えっ……」
そこにいたのは、異様に憔悴した顔の女だった。髪は結われておらず乱れて散らばり、衣服もよれて、目線はどこを見ているのやら。そのおぼつかない身体をゆらゆら揺らし、薄笑いを浮かべている。
「もっと……もっとちょうだい……」
「……っ」
妖魔に出くわしたような、見てはいけないものを見てしまった恐怖で、アリアンロッドは尻込みした。
そこで、足元まで転がってくる瓶を目にした。濃紺色の、まさしく見覚えのある瓶だ。
「まさか、これを全部……」
そのとき初めて女と目が合った。女はこう、声を掛けながら寄ってくる。
「お母様……来てくれたの……?」
そして、伸びた爪が刺さった指を震わせ、その手を伸ばしてくる。
「い、いやっ……」
アリアンロッドは思わず、それを力いっぱい振り払った。
「わ、私は、あなたの、お母様じゃないわ……」
すると彼女は異様にこけた顔を突き出し、アリアンロッドをまっすぐに見つめ懇願する。
「どうしてそんなこと言うのお母様……私を、抱……」
アリアンロッドはこれ以上見ていられず、そこから脇目も振らず逃げ出したのだった。
────欲しいのはこんな、幻の幸せじゃないのに……!
雨でずぶ濡れ、泥にまみれたまま、アリアンロッドは帰宅した。そこらの布で身体を拭いているとエルヴィラが、ひとまずは安心した、という顔で話しかけてくる。
「お医者様のおかげで、一命は取りとめたみたい……本当にありがとう。あなたが教えてくれなければ、きっと……」
アリアンロッドも安心した。しかし、エルヴィラはまたこう続けて涙を流すのだった。
「もう、どこか遠くへ逃げてしまいたい……。誰も知った人がいない、どこか遠いところへ。死んでしまいたいと思うこともあるけれど、私には家族がいる……。みんなでまたはじめから、生きていくことができるなら、どんなにいいだろうか……」
「エルヴィラ……」
アリアンロッドは嗚咽する彼女を抱きしめて、しばらく背中を撫でていた。
────逃がしたい。どこか遠くへ逃げて、幸せになって欲しい。
ぼんやりと、幼い娘を逃がした隣国の前王はこんな思いだったのかなと、思い出していた。
着替えを済ませ、くたくたになったアリアンロッドは自室に戻り、自分も幻の見える薬に当てられてしまったのか、扉口を背にひとり呟いていた。
「ねぇ、ヴァルはどう思う? ……ねぇ答えて。返事して?」
彼はすぐそこにいて、いつものように呆れた顔で見つめてくるから、つい甘えてしまう。
「いつもすぐ応えてくれるじゃない。なんでもいいから、聞かせてよ……」
そしてバタリとベッドに倒れ込んだ瞬間、我に返った。
ここにはひとりで来ていて、彼は今いないのだ。
「あれ、私、どうしちゃったんだろう……」
そもそも相談するならディオ様ではないか、と思い返す。アンヴァルじゃすぐに、「は?」とか言って、否定してくるのだから。
「でも旅のお供はいつもヴァルだから……。今まさに相談に乗ってほしい時なのに……」
仰向けになったアリアンロッドはそうこぼしながら、彼と連れ立った先の、晴れた空のイメージを思い浮かべた。
「帰ったらまたヴァルと出かけるんだ。なんせ今度はイナンナを連れ返しに行く、大がかりな旅だよ」
この独り言でアリアンロッドはパッと目を見開いた。
大きく目を開けたまま、とび起きた。
イナンナの表情、そして彼女の様々な言葉までが頭を駆け巡った時、ある単語が引っ掛かった。
「港譲渡書……」
それは北の港と船を、国が使えるというもの。
鼓動が高鳴る。
「遠くに、どこか遠くに。誰も知らない遠いところへエルヴィラの家族を……!?」
しかしすぐに、一呼吸して心を落ち着かせた。なんて無謀なことを、と。
(どうしてわざわざ海の向こうへ? どこか行くにしても、陸路でしょう? どうしてより危険の多い海路を選ばなくてはいけないの?)
「危険の多い、道……!?」
アリアンロッドはまた記憶の種を掘り出して、声を張り上げた。
「御母様がおっしゃっていた。神が力をお貸しくださるって。どうしてあの夢をみたばかりで、今こんなことが起こって……私は思いついてしまったの」
これは母の示す手掛かりなのか。つまりは、神の導きか。
もはやこの道しか考えられない。神の力を借る聖女とはそういうものだ。
国が倒れて1年であれば、この領土を整えるために、きっと港までは手に付けられていない。もちろん港を管理するその土地の住民には、十分説き伏せておこう。努力で成せることなら何でもする。
それでも自分は神の言葉をただ代言するだけ。それを受け入れるか否かは、エルヴィラとその家族の選択だ。
「エルヴィラに話してみよう……」
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