追放聖女アリアンロッドは過去も未来もあきらめない! ~救国の乙女は願いを胸に時の河を超える~

松ノ木るな

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【 第五章 】 滅びの運命を知る運命

⑩ 最後まであなたと日常を生きる

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 アリアンロッドはディオニソスの執務室に向かっていた。
 彼女はこの国の行く末を知ってしまった。これを彼に話さなくてはいけない。
 未来を予知すること、それを“昼の王”に伝えること、それこそがこの国の聖女の存在意義。

(本当に、この国は侵略される運命なの……? 王宮ではどうすることもできない?)

 ディオニソスの元へ向かう足取りは重く、数歩進んでは立ち止まり、思考を行き来させ、

────国を捨てて、ディオ様とどこか遠くへ逃げたら、運命は変わらないかしら──……

 ついに、アリアンロッドは思いつめてしまっていた。
「今すぐ、というわけにはいかないけれど……」

 大事な約束のために港譲渡書を奪いに行かなくてはならない。

(それを取ったら彼と一緒に、私も海へ出るのはどうか。即位する私と彼がいなくなれば、運命はどこかしら変わるのでは?)

 そこで立ち止まり、更に思考を巡らす。胸に手を当て、今まできつく守ってきた、己の中の歯止めを、スッ……とスライドしてみたら。

(もしかしたら王家一門がみな助かる道も、拓けるかもしれないわ)
 そんな突拍子もない希望が、胸を掠める。

「……私はなにを、馬鹿なこと考えてるんだろう。あのディオ様が、国より私を選んでくれるわけ、ないじゃない」
 アリアンロッドは言うまでもなく分かっている。それでも悲しくて悔しくて、一時その場にうずくまり、今にもこぼれ落ちそうな涙を体内に押し戻そうと、固く目を閉じた。

────北へ行こうと言おう。
 たとえ叶わなくても。もう、言わずにはいられない。
 血の繋がった家族親族よりも、幾万の国民よりも、それらを守る重責をかなぐり捨てて、私を選んで、と彼に伝えよう。
 そして拒絶の言葉を聞いたなら、私はいつ命を絶ってもいい。どうせ長くはない命だもの。──────



 執務室の扉を開けようとした時だった。それは自分のではない手によって向こう側から開けられ、ドアノブを見ていたアリアンロッドの頭の上から、温かな声が降り注いだ。
「アリア?」
「ディオ様……」
 彼のいつもと変わらない、優しい笑顔に決心が鈍りそうだ。

 そんな苦慮した表情のアリアンロッドに、彼は突として言う。
「北へ行こうか? ふたりきりで」
「……え?」
 ディオニソスは午後の政務を早めに切り上げ、出かける支度を済ませた。
 
 馬舎にやってくると、ディオニソスはアリアンロッドを包むように支えて馬に乗せ、ふたり、北方へ向かったのだった。


 
 そして休憩を挟みつつ、3時間ほど飛ばしただろうか。ふたりは馬で駆けた先の、優美な土地に到着する。
 そこに広がるのは大きな大きな、鏡のような、透明で涼やかな────

「わぁ、これが海? まっすぐに伸びる光の線がきれい……きれいな夕焼け」
 アリアンロッドは水面みなもに向かって岸の砂を柔らかに踏み、その眩しさに目を細める。

「残念。国に海はないからな。これは国でいちばん大きな湖だ」
 沈みゆく太陽に照らされ、空も湖面も橙色に輝く。すべてを包み込むような壮大な陽の力に、移動の間も思いつめたままだったアリアンロッドの心の扉は、スムーズに開かれた。

「湖も絵画でしか見たことなかったわ……」
 アリアンロッドは7つで王宮に召し出される以前も、記憶の限りは山間の村か、発展した王都にいたのだった。
「君の運命を、籠の中に閉じ込めてしまって、すまない」
 ディオニソスはアリアンロッドの隣に来て、心苦し気な表情を見せた。
 
「あなたのせいじゃないわ! ……誰のせいでもない」
 ディオニソスの袖を掴んで、これを強く訴えたアリアンロッドの目に、夕陽に照らされた彼の金色の髪が、いつもよりキラキラと輝いて見える。
 その美しさへの感動で、アリアンロッドの胸は締め付けられ、いてもたってもいられなくなって言葉を繰り出した。
 
「ねぇディオ様、幸せって何だろう? 人はより高い地位を、裕福な暮らしを求めるものだけど、必ずしもその立場が幸せとは限らない、むしろ地位も財もない民の方が幸せなのかもって」
 アリアンロッドは旅に出て、人と出会って感じた思いを、ディオニソスと共有したかった。ずっと、まずは国をどう動かすかといった大枠の話をする必要があり、個人の小さな達成感や充足感についてなど、この立場においては些事であった。

 ひとたび彼から目を逸らし、まるで夕陽と語り合うように話し出す。
「私も、今は贅沢な暮らしをさせてもらっているけれど、もし以前のまま……平凡な村の娘であったなら、それはそれで満たされた暮らしだったでしょう……。今頃はもう、母親になっていたかもしれない」
 彼は一言も口にすることなく、彼女の言葉に耳を傾けている。

「だって私は、大家族の中で毎日畑と家のことをして、いつか同じ町の男性に見染められて、子を生み育てながらやっぱり家のことをして、それを死ぬまで繰り返す……そんなごくありふれた平穏な一生に憧れる」

 彼には今まで、そんな我が儘を言えなかった。歌の練習が嫌だとか、常に礼節を保つのは面倒だとか、そういったことはさんざんこぼしたが、この運命を忌み嫌うようなことは決して言えなかったのだ。
 彼に本音を言い終えたアリアンロッドは、やっと対面し、ディオニソスの目を見た。

 その時、夕陽の光を浴びた彼女の涙がディオニソスには、深い海底でまばゆい光を放ち、確かな存在を知らせる水晶のように見えた。

 彼も彼女に後押しされ、普段は胸にしまっている思いを吐き出していた。
「世が発展すればするほど人は幸せになる、というのが、まやかしだと思う時もある。国が成り立ち身分制の確立する以前の方が、人々の心は豊かであったのかもしれない。だとしたら、私の存在も日々の職務も、無駄でしかない」

 彼がその場に腰をおろし、くつろいだ体勢をとったので、アリアンロッドもその隣に座り込む。
「……ディオ様の幸せは?」
「それもまさに、身分など意味を成さないものだよ」

 彼は、湖岸の向こうの空、遥か遠くを見上げる。アリアンロッドにはその横顔が、すごく嬉しそうに見えた。

「神が造られた美しいこの世の風景、大地、空、水、太陽、月。星々、虹、木々、草花……美しいもので溢れている、この世は。それをただ眺めている瞬間がいっとう幸せだと感じる。それらに包まれ死んでいいと思うほどに」
「死んでも? ……すぐでも? たとえば……1年後でも?」

 「死」という単語に、アリアンロッドはひやりとして、たまらずこう口にしてしまった。
 眉根を寄せてそう聞く彼女に、ディオニソスはまた微笑んだ。

「でもそれよりもっと幸せなことがあったんだ」
「?」
「そんな景色を眺める時に、君が隣にいるという現実こと。この果てしない世に居て孤独ではないのだと感じる今この瞬間が、明日死んでもいいと思えるほどに幸せだ」

 そう伝え終えたや否や、このオレンジ色の光の中でディオニソスは、アリアンロッドをぐいっと抱き寄せ、その唇にそっと口づけた。

「あ……」
 突然の出来事で一度は目を見開いたアリアンロッドだったが、この出来事を受け入れ、目を緩やかに閉じた。

(ディオ様……。好き。この想いが愛という、形のない宝物……)

 唇から暖かな情感が流れ込み、するとその熱が全身をかけ巡り、とめどなく涙があふれ出た。アリアンロッドも、彼と共にいるこの幸せを噛みしめた後で、明日、死んでもいいと思った。

(だから、やっぱり言わない。)

 彼に抱きしめられて、その温かい腕の中で決意を固めた。

────視てしまった現実は、自分の胸だけに留めておこう。
 たとえ道半ばで最後の時が来ても、その瞬間まで、今のこの気持ちを大事に抱いていたいから。
 同じように抱いていて欲しいから。
 長くなくても構わない。最後まで当たり前の、何も変わらない日々を、この人の隣で生きる。────

 ふたりは寄り添い、ただ静かに陽が沈むのを眺めていた。



 目に映る風景の色彩は橙から薄紫に変化し、まもなく空はコバルトブルーに染まっていった。
「帰りたくないなぁ……」
 満天の星の下。星々の瞬きの中に、たったふたりで隔絶されたように、アリアンロッドは感じていた。

「というか今夜は帰れないからな。この森を出た先で宿泊して朝、いち早く発とう」
「泊まり?」
 その言葉の響きには、ときめかずにいられない。

「急な訪問になるが、この地の領主の家に向かう。君の身分も打ち明けて、然るべき部屋を用意させるから、しっかり休むんだよ」
「はぁ……有難いです……」

(いや、ここで負けてはいられない!)

 馬に乗せようとする彼に直談判だ。
「ね、ねぇ、別に良いお部屋でなくてもいいから、あなたと朝まで、一緒にいたい。本当の本当に、何もしないから!」
 キスもしたから、もうそれくらいイイでしょ! と言いたいアリアンロッドだった。

「だめだよ」
 それをディオニソスは相変わらずの微笑み顔で断った。

「そんな即答……」
「私が、何もしない自信はない」
「え? …………」

 言葉とは裏腹なすまし顔の彼を見つめ、アリアンロッドは「ああ、かっこいいなぁ……」とホケーっとした顔で惚れぼれしている。

「違う。ディオ様、今なんて? 実はほんとは聞こえてたけど、もう1回言って!!」




 以後、「旅は堅物を素直にする」という文言が、彼女の心の日記帳に加わったとか、加わっていないとか。

 夜中はやはり一人寝のわりに鼓動が激しく、彼のセリフとその表情を思い浮かべては、「しっかり休めるわけないでしょう!」とベッドでごろごろ転がり悶えていた。

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