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ボリジの章
⑳ 今夜はしっぽりと
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「はっ……」
ぱっと目を開けたら、白い天井。
そこは白が基調の、清潔な匂いに満ちた静かな部屋。
「ここは……?」
小夜へ向かう寸での明るさに引かれ、ゆっくり振り向くと大きな人影が。
「ダインスレイヴ様……」
少し離れた窓際で彼は、薄紫の光を浴びていた。
『ああ、無理に起き上がるな』
『大丈夫です……』
ここは学院の医務室。彼が私を労りながら、ひとつずつ説明してくれた。
私は一時気を失っただけで大事ないが、今夜は安静にしておくよう校医に念を押されたようだ。
『心配したよ。ヨルズ・フォーゲンを探しても見つからず、注意喚起しようと部室に顔を出したら、君まで……』
彼は2日間の調査の結果、ヨルズの出自の怪しさまでを突き止めたのだと。
『あの時、西から部室へ向かった私と君はすれ違わなかった。だから東に走っていったとみた』
『そ、そうです……。私は美術室へ向かいました。東方面といっても校舎は広いですし、どうやって私の居場所を?』
『部室を出たらまず、東方面の廊下をじろじろ見た。全室開けて回るわけにもいかなかったしな』
目立った行動はできないものね。それにしても、廊下をじろじろ??
『すると落ちていたんだ』
『な、何が』
『君の髪の毛が!』
!?
『待ってください、意味が分かりかねます』
『君はこの二日間で、校舎のおよそ中心である天文部部室から、西側方面しか移動していなかったよな』
『ん? そうでしたか?』
『ミセス・マルグレットの教官室、教務棟、教室はすべて西側だ。だから落ちた君の髪の毛があの時の君の進行方向を教えてくれた』
あの、ちょっと待って……。ああ、声にならなかった。
『私は普段からそんなに髪の毛を落としながら歩いているのでしょうか……』
『いや? 数本くらいだったが』
『たった数本をどうやって見つけたというのですか!?』
『私の視力は13.0だからそれぐらい訳ない!』
視力13.0って何!
……目の力なんて測ったことないから凄さがよく分からないんだけど、きっとものすごいのね?
この方の眼球は筋肉でできているの……? こんなに透き通る天然水晶の瞳も、素材は筋肉なの?
あ、またその瞳で私をじっと見てきて……。
『君の青の髪はこの視界によく映えて、“私はこっち”って訴えてくるようだった』
「…………」
私、あの瞬間、あなたに助けを求めてた。もう私の心の片隅には、あなたが存在していて……。
『そして結果的に、君のおかげで犯人を自白と共に捕えられた。お手柄だ』
『いえ……』
また頭をぽんぽんして……。
『ただ……、あまり無茶なことはしないでくれ。私は、必ず君を守るけれど、さすがに身体がひとつしかなくてだな……。今回は、正直、焦った……』
彼の声は先細りし、意外なほど余裕のない表情を見せた。それに私はなぜか胸がうずいて、思わず手を差し伸べようとしたら。
『しかし、これでまた事後処理が増えた。私は宮廷に戻る。しばらくはあまり邸宅に帰れなさそうだ』
……そうよね。
『分かりました。私、あなたの名代として邸宅を守りますので』
『ああ、任せた』
彼は私の頭を最後にもう一度ぽんとして、微笑んだ。
助けてくださったこと、ありがとうと言葉にしなくては……でも、まだいろんな気持ちが胸をぐるぐる駆けまわって、なんだか言葉にならないの。ありがとうとか、ひどいなんて思ってしまってごめんなさいとか。
「~~~~~~」
両手で胸を押さえてぽろぽろ泣き出す私に、
『なんだ、寂しいのか。この城中のどこかにはいるし、半月ほどだから耐えてくれ』
そんなふうに子ども扱いしてくるのだった。
翌日、学院に出勤し教室に入ったら、生徒がわらわらと寄ってきた。
『先生がスパイを撃退したんですってね!』
『先生、英雄じゃないか!』
『こんな短時間で事件解決なんて、先生は名探偵か』
『どうしてフォーゲンがスパイだと分かったんですか!?』
えぇ……。
どうやら顛末は学院中に知れ渡り、とくにこのクラスは噂の火元なので情報の精度も高い。まぁ彼女を捕らえたのはダインスレイヴ様なのだけど。それは隠しておかなくてはならないこと。私が英雄の替え玉だ。
ともかく、クラス内の雰囲気はずいぶん穏やかなものに生まれ変わった。身の危険はなく、同士らが打ち解け始め、やっと学習に本腰を入れられる。
ただひとつだけ、片付けられた机のあとに残る、文字通りの“空席”を私は見つめて────。
初級ウルズ語の授業はカリキュラムに従い順調に滑りだした。
たまにダインスレイヴ様扮するレイ=ヒルドが何食わぬ顔で出席する。しかし黙々と板書するだけで誰とも私語を交わさないまま、ベルが鳴ればふっと消えてしまう。クラスの中で彼は、暗黙の了解で特別待遇生だ。
とはいえ、クラスの3分の1は事情を知る武官の息子たちであり、彼らがレイ=ヒルドの欠席中は持ち回りでノートを取っている。
ダインスレイヴ様とは一度だけ会話をする機会があり、伝えられたのは、ヨルズ・フォーゲンの実家であるフォーゲン伯爵家当主の処遇についてだ。
このたびは当主の、実子への監督不行き届きが招いた不名誉な事件。彼は失態を多方面から責められ、王家から奪爵を言い渡された。
本物のヨルズは、お空でこれをどう見ているのかしら。
私は後味の悪い思いを噛みしめていた。
そして初出勤から半月が過ぎ、私が監修した教科書もまだ薄いものだが、初版がみなの手に渡った。
「じゃぁ、今日のダイアログを読んでくれるのは?」
「「「はい!!」」」
**
この日も夕焼けのもと、私はひとり、ほんの短い下校の路につく。
帰宅後は軽く食事を済ませ、閑静な月夜の時に安らう。
「忙しない日々にもようやくひと段落ついた気がするわ」
心を落ち着かせるため、自室でラスの淹れてくれた香りのよい紅茶を嗜んでいる。彼の茶葉の配合は私好みにフィットした黄金比率で、もちろんその時々の私の気分に、完璧に合わせた気遣い尽くしのテイストだ。
「よく眠れる香を焚きます。少々お待ちくださいね」
「いつもありがとう」
ここでバタン! と豪快に扉が開く。
「アンジュ、慌ただしいぞ。ユニ様は今、ごゆっくりとティータイムをお過ごしだ」
「たたたっ、大変ですっユニ様!」
「?」
「ダ、ダインスレイヴ様がお帰りで、早々……ふたりでバスタイムをゆっくり過ごそうとのお誘いです~~!!」
「「!!?」」
突如としてそこには、緊張と興奮の混沌濁流が渦巻いたのだった。
「え、えっとお風呂って、バスタブで……!?」
そんな狭いところで、密着して入浴? それはさすがに気まずいのでは。
「いいえ、この邸宅の離れにダインスレイヴ様専用、大理石の大浴場が存在するのだそうです!」
「あんっっの×××王子、ユニ様と混浴だと!? 夫という立場をなんだと思っているのだ職権乱用も甚だしい!!」
「何を言ってるんですかラスさん! 夫婦なんだから一緒にお風呂は社会通念上なんの問題もないですっ」
「どうしましょう。大浴場なんて、ロオマ時代の文献で読んだことはあるけれど、現代のものは作法が分からないわ」
「それは大衆浴場のことでは……。ともかく、浴場でのお作法は彼の方にお任せすればいいのです! 反抗してはなりません!」
「ユニ様!」
「ん?」
一瞬立ち消えたラスが早業で持ち運んできたのは、古の物語の中で人々が着用するキトンのような、大きな布を重ねた衣服。
でも、彼の手にあるそれはイメージより薄手で、被っても涼しそう。
「このようなこともあろうかと、着衣のまま水に入っても快適にお過ごしいただける衣装をご用意いたしました! 特別な繊維で制作されておりまして、水を吸っても重くなく、お身体にまつわりもしません。無装飾の素朴なデザインですが、ゆえにこそ、おまといになったユニ様はさぞ、湖の女神にも遜色ないお美しさでしょう」
「あら、着衣でお風呂に入ってもいいの?」
「さすがラスさん! 殿下に脱衣の楽しみもご提供するという気遣いですね! ……あ、鬼の形相怖いですっ」
「ではアンジュ、髪が湯に浸からないように結ってくれるかしら」
「はいっ。うなじを見せていきましょう!」
ぱっと目を開けたら、白い天井。
そこは白が基調の、清潔な匂いに満ちた静かな部屋。
「ここは……?」
小夜へ向かう寸での明るさに引かれ、ゆっくり振り向くと大きな人影が。
「ダインスレイヴ様……」
少し離れた窓際で彼は、薄紫の光を浴びていた。
『ああ、無理に起き上がるな』
『大丈夫です……』
ここは学院の医務室。彼が私を労りながら、ひとつずつ説明してくれた。
私は一時気を失っただけで大事ないが、今夜は安静にしておくよう校医に念を押されたようだ。
『心配したよ。ヨルズ・フォーゲンを探しても見つからず、注意喚起しようと部室に顔を出したら、君まで……』
彼は2日間の調査の結果、ヨルズの出自の怪しさまでを突き止めたのだと。
『あの時、西から部室へ向かった私と君はすれ違わなかった。だから東に走っていったとみた』
『そ、そうです……。私は美術室へ向かいました。東方面といっても校舎は広いですし、どうやって私の居場所を?』
『部室を出たらまず、東方面の廊下をじろじろ見た。全室開けて回るわけにもいかなかったしな』
目立った行動はできないものね。それにしても、廊下をじろじろ??
『すると落ちていたんだ』
『な、何が』
『君の髪の毛が!』
!?
『待ってください、意味が分かりかねます』
『君はこの二日間で、校舎のおよそ中心である天文部部室から、西側方面しか移動していなかったよな』
『ん? そうでしたか?』
『ミセス・マルグレットの教官室、教務棟、教室はすべて西側だ。だから落ちた君の髪の毛があの時の君の進行方向を教えてくれた』
あの、ちょっと待って……。ああ、声にならなかった。
『私は普段からそんなに髪の毛を落としながら歩いているのでしょうか……』
『いや? 数本くらいだったが』
『たった数本をどうやって見つけたというのですか!?』
『私の視力は13.0だからそれぐらい訳ない!』
視力13.0って何!
……目の力なんて測ったことないから凄さがよく分からないんだけど、きっとものすごいのね?
この方の眼球は筋肉でできているの……? こんなに透き通る天然水晶の瞳も、素材は筋肉なの?
あ、またその瞳で私をじっと見てきて……。
『君の青の髪はこの視界によく映えて、“私はこっち”って訴えてくるようだった』
「…………」
私、あの瞬間、あなたに助けを求めてた。もう私の心の片隅には、あなたが存在していて……。
『そして結果的に、君のおかげで犯人を自白と共に捕えられた。お手柄だ』
『いえ……』
また頭をぽんぽんして……。
『ただ……、あまり無茶なことはしないでくれ。私は、必ず君を守るけれど、さすがに身体がひとつしかなくてだな……。今回は、正直、焦った……』
彼の声は先細りし、意外なほど余裕のない表情を見せた。それに私はなぜか胸がうずいて、思わず手を差し伸べようとしたら。
『しかし、これでまた事後処理が増えた。私は宮廷に戻る。しばらくはあまり邸宅に帰れなさそうだ』
……そうよね。
『分かりました。私、あなたの名代として邸宅を守りますので』
『ああ、任せた』
彼は私の頭を最後にもう一度ぽんとして、微笑んだ。
助けてくださったこと、ありがとうと言葉にしなくては……でも、まだいろんな気持ちが胸をぐるぐる駆けまわって、なんだか言葉にならないの。ありがとうとか、ひどいなんて思ってしまってごめんなさいとか。
「~~~~~~」
両手で胸を押さえてぽろぽろ泣き出す私に、
『なんだ、寂しいのか。この城中のどこかにはいるし、半月ほどだから耐えてくれ』
そんなふうに子ども扱いしてくるのだった。
翌日、学院に出勤し教室に入ったら、生徒がわらわらと寄ってきた。
『先生がスパイを撃退したんですってね!』
『先生、英雄じゃないか!』
『こんな短時間で事件解決なんて、先生は名探偵か』
『どうしてフォーゲンがスパイだと分かったんですか!?』
えぇ……。
どうやら顛末は学院中に知れ渡り、とくにこのクラスは噂の火元なので情報の精度も高い。まぁ彼女を捕らえたのはダインスレイヴ様なのだけど。それは隠しておかなくてはならないこと。私が英雄の替え玉だ。
ともかく、クラス内の雰囲気はずいぶん穏やかなものに生まれ変わった。身の危険はなく、同士らが打ち解け始め、やっと学習に本腰を入れられる。
ただひとつだけ、片付けられた机のあとに残る、文字通りの“空席”を私は見つめて────。
初級ウルズ語の授業はカリキュラムに従い順調に滑りだした。
たまにダインスレイヴ様扮するレイ=ヒルドが何食わぬ顔で出席する。しかし黙々と板書するだけで誰とも私語を交わさないまま、ベルが鳴ればふっと消えてしまう。クラスの中で彼は、暗黙の了解で特別待遇生だ。
とはいえ、クラスの3分の1は事情を知る武官の息子たちであり、彼らがレイ=ヒルドの欠席中は持ち回りでノートを取っている。
ダインスレイヴ様とは一度だけ会話をする機会があり、伝えられたのは、ヨルズ・フォーゲンの実家であるフォーゲン伯爵家当主の処遇についてだ。
このたびは当主の、実子への監督不行き届きが招いた不名誉な事件。彼は失態を多方面から責められ、王家から奪爵を言い渡された。
本物のヨルズは、お空でこれをどう見ているのかしら。
私は後味の悪い思いを噛みしめていた。
そして初出勤から半月が過ぎ、私が監修した教科書もまだ薄いものだが、初版がみなの手に渡った。
「じゃぁ、今日のダイアログを読んでくれるのは?」
「「「はい!!」」」
**
この日も夕焼けのもと、私はひとり、ほんの短い下校の路につく。
帰宅後は軽く食事を済ませ、閑静な月夜の時に安らう。
「忙しない日々にもようやくひと段落ついた気がするわ」
心を落ち着かせるため、自室でラスの淹れてくれた香りのよい紅茶を嗜んでいる。彼の茶葉の配合は私好みにフィットした黄金比率で、もちろんその時々の私の気分に、完璧に合わせた気遣い尽くしのテイストだ。
「よく眠れる香を焚きます。少々お待ちくださいね」
「いつもありがとう」
ここでバタン! と豪快に扉が開く。
「アンジュ、慌ただしいぞ。ユニ様は今、ごゆっくりとティータイムをお過ごしだ」
「たたたっ、大変ですっユニ様!」
「?」
「ダ、ダインスレイヴ様がお帰りで、早々……ふたりでバスタイムをゆっくり過ごそうとのお誘いです~~!!」
「「!!?」」
突如としてそこには、緊張と興奮の混沌濁流が渦巻いたのだった。
「え、えっとお風呂って、バスタブで……!?」
そんな狭いところで、密着して入浴? それはさすがに気まずいのでは。
「いいえ、この邸宅の離れにダインスレイヴ様専用、大理石の大浴場が存在するのだそうです!」
「あんっっの×××王子、ユニ様と混浴だと!? 夫という立場をなんだと思っているのだ職権乱用も甚だしい!!」
「何を言ってるんですかラスさん! 夫婦なんだから一緒にお風呂は社会通念上なんの問題もないですっ」
「どうしましょう。大浴場なんて、ロオマ時代の文献で読んだことはあるけれど、現代のものは作法が分からないわ」
「それは大衆浴場のことでは……。ともかく、浴場でのお作法は彼の方にお任せすればいいのです! 反抗してはなりません!」
「ユニ様!」
「ん?」
一瞬立ち消えたラスが早業で持ち運んできたのは、古の物語の中で人々が着用するキトンのような、大きな布を重ねた衣服。
でも、彼の手にあるそれはイメージより薄手で、被っても涼しそう。
「このようなこともあろうかと、着衣のまま水に入っても快適にお過ごしいただける衣装をご用意いたしました! 特別な繊維で制作されておりまして、水を吸っても重くなく、お身体にまつわりもしません。無装飾の素朴なデザインですが、ゆえにこそ、おまといになったユニ様はさぞ、湖の女神にも遜色ないお美しさでしょう」
「あら、着衣でお風呂に入ってもいいの?」
「さすがラスさん! 殿下に脱衣の楽しみもご提供するという気遣いですね! ……あ、鬼の形相怖いですっ」
「ではアンジュ、髪が湯に浸からないように結ってくれるかしら」
「はいっ。うなじを見せていきましょう!」
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