サトリ

マスター

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第1章

5.笑顔

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「-おはよ」

「おはよう」

 言葉だけの挨拶が教室を飛び交う。

 スオウも挨拶を交わしながら自分の席へと向かう。

 相模が死んでから、二週間ほど経った。クラスの雰囲気は今も暗いままという事はなく、みんな相模が死ぬ前と後では大差がない。元々、クラスの人達にとっては大した事ではなかった。
 自分達の担任が殺されたというのは、みんなにとってそれなりの出来事だったが、担任が死んだというのは大した事でななかったのだ。
 前後で変わった事といえば、担任を副担任だった気の弱い女教師が代わりにやっている事ぐらいだった。
 クラスなど持った事がないから、いつもおどおどしている。何しろ突然の事だったし、卒業まで残り少ないからこのまま副担任が代わりを務めるだろう。

「気分転換に席替えをしましょう」

 その女教師がか細い声でそう言って、相模が死んで直ぐに席替えが行われた。
 席替えはクジ引きで行われ、スオウは窓側の一番後ろの席になった。
 クラス全体が見渡せる良い席になったとスオウは満足した。しかし、席替えしてからスオウは隣の席の人の事で考えを巡らせる事となった。
 何故かというと、隣の席があのAさんになったのだ。正確に言えば、「四宮しのみや 茜」という人物だった。
 スオウは彼女が再び不登校っぽくなるのではないかと考えていた。だが、考えは外れ彼女はあれからも普通に学校に来ている。携帯を触る事は殆どなくなったが、代わりによくゲーム機を触っている。

 チャットをしていた人達といきなり連絡が取れなくなったら不思議ではないのだろうか。それともあの時「絶交だ」と言っていたから連絡を取ろうとすらしていないのかもしれない。

「市村さん」

 彼女には相変わらず友達と呼べる人はいない。しかそ、彼女自身はその事を微塵も気にしていない様だ。

「…市村さん!」

 物思いにふけっているスオウは呼ばれている事に気づきハッと我に帰った。
 呼んでいるのは隣の四宮茜だった。

「…何か?」

「実は教科書を忘れちゃって、見せてくれない?」

 茜は悪戯っぽく笑って言った。

「ああ…いいよ」

 スオウは些か驚きはしたが、それが言葉に出る事はなかった。
 茜は「ありがとう」と言って机をスオウの方に寄せた。

 学校も終わり帰ろうとした時だった。スオウは校門の所で茜を見た。黒塗りの高級車に乗り込む所だった。
 そういえば、この前父親が会社の上役だと言っていた事を思い出した。金持ちは私立校に行くものだと思っていたのだが、そうでない人も居るんだなと走り去って行く車をボンヤリ眺めていた。

「金持ちはいいですな~」

 突然、後ろでハスキーな声がした。

「…瑞希みずき

 振り返るとクラスメイトの中野瑞希が立っていた。

「ね、そう思わない?」

 短いポニーテールを揺らしながら瑞希は再度言った。

「…別に」

「あー、スオウ反応が薄いよ。ま、いつもの事だけど」

「私に何か用?」

「一緒に帰ろうと思って。スオウってばすぐ教室からいなくなっちゃうんだもん。焦ったよ」

 瑞希は自分より小さいスオウにのしかかった。

「…重い。どいて。私は一人で帰る」

「ダメー」

 瑞希はケラケラと笑っている。

 スオウは何故、瑞希がこんなにも自分についてくるのか解らなかった。もう、かれこれ六、七年一緒にいる。瑞希の性格なら他にいくらでも友達ができるはずだ。現にたくさんいるのだが、こうしてスオウと一緒にいる事が多かった。

 帰っている途中で雪が降り始めた。



「-雪が降ってきた。本当に今年は良く降るわね」

 スモークのかかっている車の窓を開けて茜は呟いた。
 彼女の乗る車は修羅達のいるビルへと向かっていた。

 ビルに入りエレベーターで上へと向かう。エレベーターを降りると声をかけられた。

「あ、茜だ。どうしたの?また、泊まりに来たの?」

 ましろだった。

「あんた、何でこんな所にいるの?今日はまずいわ」

「えっと、ヒマだったからこう散歩を…」

「いいから、早く自分の部屋の階に戻って」

 茜は少し焦っていた。

「なんで?」

 白は茜の焦りに全く気づいていない。

「今日は呼ばれて来てるか-」

「おお、茜。遅かったな」

 茜の背後から重みのある声がした。
 しまったと思った。

「…お祖父様、お久しぶりです」

 茜は声のした方に向き直りお辞儀をした。
 そこには、立派な杖を持ちスーツを着た白髪の如何にも威厳のある老人が立っていた。
 茜を見て微笑んでいる。

「…あ…」

 白は茜の後ろに隠れる様にしてビクビクしている。
 その白を見つけた途端に老人の目の色が変わった。

「ん、おい。何故、お前などがここにいる?何故、あの階から出ている。私の前にいる!修羅のやつはどうした。こんなやつの見張り一つできないのか!」

 老人は声を荒げた。白を蔑む様な目で睨んでいる。

「あ…ご、ごめんなさい。そのシュラは今、仕事で出てるからシュラは…」

 白は震えながら必死に謝った。

「口答えは聞かない。とっとと失せろ。行くぞ茜」

 老人は杖をカツンと鳴らし、踵を返した。

「白、ほら、部屋に帰って。後で行くから」

 泣きそうになっている白に茜は小声で言った。
 白の顔は血の気がなかった。

「…どうしよう。シュラに迷惑が…」

 目に涙を溜めて白は言った。

「大丈夫だから。早く戻って」

 茜はそう言うと老人の後を急いで追った。

 この前からいまいちタイミングが良くない。今日に限って-お祖父様がここに来ている時に限って修羅が居ないとは。修羅が居れば、白とお祖父様が鉢合わせる事もなかったはずだ。白もあの階に居るとは…。
 白に事前に報せておくべきだったと茜は思った。


「-それで、茜。あれからどうだ?退屈していないか?」

 老人はニコニコして訊いた。

「はい、大丈夫です」

 二人は向かいあって座っていた。スーツを着た男性がコーヒーと紅茶と茶菓子を運んでくる。

「しかし、茜は本当に面白い事を思いつく。流石、孝宏たかひろの娘だ」

 孝宏とは茜の父親であり、この老人の娘婿にあたる人物の事だ。

「しかし、まだあの男は返済が済んでいないのに勝手な事をして申し訳ありませんでした」

 茜は再び頭を下げる。

「ハハッ。あんなはした金要らんよ。それより、茜が退屈していないならいい」

 男性はレモンを浮かべた紅茶を老人の前に置いた。茜の所にはコーヒーとミルクの壺を置く。

「ありがとうございます。お祖父様」

「ところで、茜は行きたい学校は決めたのか?」

「はい。行きたい所は決まっているのですが、まだ名前が分からなくて」

「ん、どういう事だ?本当に茜は面白い事を言う」

 老人は楽しそうに紅茶を口元へ運ぶ。

「お祖父様。ご気分を害する様なお話を申し訳ないのですが、先程の白の件で宜しいでしょうか?」

 茜は持っていたコーヒーカップをテーブルに置いた。

「ん?あんな奴の事はお前が気にするような事ではないぞ。後で-」

「ええ、ですからその件で。今回は私が責任を持って言っておくのでそれで怒りを収めてもらえないかと…」

「なんだ、茜。あんな奴庇った所で何の得にもならないぞ」

「私にとっては彼女達も充分、退屈しのぎになるので何にもならないという訳ではないのです」

「そうか?まぁ、別に私は構わないぞ。あいつの顔を見るのも嫌だが、あっちの方は考えただけで、吐き気がするわ」

 老人が言っているのは前者が白で後者が修羅の事だった。

「ありがとうございます」

 茜は目を細めてニッコリと微笑んだ。

 それからしばらくお茶をして、老人は席を立った。

「私は仕事があるから失礼するよ。楽しかったよ茜」

「私も楽しかったです。お祖父様」

 老人が部屋を出て行くと、入れ代わりにコーヒー等を運んできた男性が部屋に入ってきた。
 茜はその人に言って茶菓子を幾つか包んで貰うとその茶菓子を持って白の所に向かった。

 白の部屋をノックすると少ししてドアが開いて、泣き腫らした目をした白が顔を出した。
 
「お菓子、持ってきたよ」

 白は茜の持ってきたお菓子をモギュモギュっと口に詰め込んでいる。

「タイミングが悪かったわね」

 いつもより元気のないアホ毛を見ながら茜は言った。
 白は頷くだけで、お菓子を食べている。

「大丈夫よ。修羅が何か言われる事もあんたが怒られる事もないから。後、今日は泊まっていくから」

 茜は白の頭をポンポンと叩いた。

 やはり白は頷くだけだった。


 -前に修羅に訊いた事がある。

 何故、白のこころは成長しないのかと。

 自分より年上の白を置いてどんどん自分が成長していく事が不思議だったのだ。

 修羅は言った。

「-あいつは、子供のままでないと耐えられなかったんだ。目紛めまぐるしく変わっていく自分の置かれている状況に耐えられなかったんだ」

 一生、白はあのままだろうかと訊いた。

「-さぁな。…身体が成長したら…普通の人間に戻れたら、あるいは大人になれるんじゃないか」

 逆に修羅に訊かれた。

「茜はどうして白から離れていかないんだ?」

 白が変わってから親族の殆どは彼女から離れていった。

 彼女の両親でさえ彼女を見捨てた。

 彼女の両親が真っ先に見捨てのだ。

 研究所の奴らは好奇の目で見た。

 彼女は独りだった。

 白は書類上死んでいることになっている。

 もう、この世界にいないものになっているのだ。

 茜は修羅の質問に分からないと答えた。

 ただ、離れる理由がないからだとも言った。

「…そうか」

 そう言った修羅の顔が今でも忘れられない。

 いつも血の匂いをさせているこの人がこんな風に微笑わらうのだと思った。

 その顔の先にいる白の事が少しだけ羨ましいとも思った。

 自分にそういう顔を向けてくれる人はいるのだろうか?

 自分の両親でさえどうだろうか?


「-茜?」

 白に呼ばれて我に帰った。

「茜、ありがとう」

「な、何が?」

 唐突に言われて何の事だろうと思った。
 どうやら、お菓子を食べ終えて一息ついた所らしい。

「んー、いろいろ」

 白はそう言って笑った。

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