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第1章:赴任

第50話:いやいやいやいや

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「あの、取り込み中なら出直しましょうか?」

 豪快ないびきをかいて寝ているエルハザードを見て、グランハザードさんが面目なさそうに話しかけてきた。
 俺はエルハザードを見て、当分起きないんだろうなと思い首を横に振る。

「いえ、いきなり来て暴れてただけの人を捕まえただけですので……魔族の英雄にこの扱いは、まずかったりしますかね?」

 俺の言葉に、グランハザードさんが苦笑いする。

「気にされなくて大丈夫です。捕まる方が悪いんです……まあ、英雄様のこのような姿は見たくはありませんでしたが」

 笑っているが、目が死んでいる。
 やはり、ちょっとまずかったのかもしれない。

 今回も山羊の骸骨っぽい顔したバフォンさんと、執事のセバスさんが一緒にいる。
 
「第88代魔王エルハザード様は、当時から短絡的なことがありまして……」
「そういえば、セバスはエルハザード様にも仕えていたのだったな」

 俺の家への道すがら、そんな会話が耳に聞こえてくる。

「僅か1年でしたけどね……満足に喧嘩もできない役職になんの意味があると言って、旅立ってしまいましたから」

 そうか……
 魔王だったのは1年だけなのか。

「魔王というのは、いろいろな理由で代替わりが行われますから」

 バフォンさんが、俺に耳打ちをしてくれたが。
 すぐそばに山羊の頭骨が迫ってくるのは、なかなかにくるものがある。
 口には出さないけど。
 あと、ちょっと良い匂いがした。
 香水でもつけているのかな? 

「アスマさん、お客様」

 俺が家に入ると、ゴブ美ではなくアスマさんに声を掛ける。
 いや、油断してるとソファでだらしない格好でくつろいでることが多いからな。
 先に声を掛けておく。

「うむ、気にするな。我は、ここでテレビを見ておるで」

 いや、そうじゃなくて。
 まあ、いい。
 グランハザードさんの態度からして、アスマさんの方が上っぽいし。
 というか、この人もアスマさんを配下にしようとして、返り討ちにあった人だった。
 あまり、人のことを言えないんじゃないかな?

 俺の表情を見た、バフォンさんとセバスさんが笑っている。
 グランハザードさんは、そんな2人を見て首を傾げているが。
 俺は、何も言わない。
 
「で、お茶が欲しいんでしたっけ? 他にも、紅茶とかもありますし……コーヒーとかは?」
「コーヒーですか?」

 魔王に敬語を使われてるうえに、気を遣われてる感じがしてなんともいえない気分だけど。
 とりあえず、日本では普通のことだな。
 取引先の社長さんでも、俺に丁寧な言葉で話しかけてきてくれる人もいたし。
 えてして業績が良い会社や、規模の大きな会社の社長さんに限ってそういう人が多かった気がする。

 あっ、妙に馴れ馴れしくて声の大きい元気な社長さんの会社は、居心地が良かった。
 美味しい物も食べさせてくれたし。
 スーパーの和菓子とか。
 俺これ好きなんだよねーと言いながら、社長さん自ら勧められたら断れないし。
 
「コーヒーはご存知ないんですね。ゴブ美さん、グランハザードさんたちにコーヒー淹れて上げて」

 俺の言葉に、ゴブ美が「すぐにお持ちいたします」とかしこまった言い方で、キッチンに向かって行く。
 うん……リビングで話し合いだけど、応接室作った方がいいな。
 対面アイランドキッチンだから、こういったとき裏方を見られてるみたいで恥ずかしい気がしてきた。

「良い香りですね」

 ゴブ美がお湯を注ぐと、室内にコーヒーの匂いが漂う。
 とりあえず、香りは受け入れてもらえたようだ。

「少し苦みがありますが、落ち着く飲み物ですね」

 うーん、割とマイルドな豆を選んだつもりだけど。
 まあ、いいか。
  
「お好みでミルクと砂糖をどうぞ」

 そういって、ミルクポットと角砂糖がいっぱい入った壺をを前に出す。
 グランハザードさんの頬がひくついている。

「さ……砂糖がこんなに」

 気にせず、好きなだけ入れてほしい。

 一粒3gの角砂糖。
 よく、ダイエット食品とかの番組で角砂糖を山盛りにして、ごはんやジュースでこんなに砂糖を取ってますみたいなの見るけど。
 実は、人は一日に脳みそだけで約400キロカロリーは使うらしい。
 多少は前後するだろうけど。
 大まかにブドウ糖で120g必要だとか……角砂糖で考えたら40個近い。
 うん……砂糖を積極的に取る必要はないけど、ジュースやごはんを気にせずに食べられることが分かった。
 だから、気にしなくていいですよ。

「いや、そういうことじゃなくて」

 糖質の問題ではないらしい。
 やはり、この世界ではまだ高級品なのかな?

「このような、高価なものを」

 やはり、高級品だった。
 うーん、物価とか生活様式とか、その辺りは一度アスマさんにしっかりと聞いた方がいいかもしれない。
 一般人がいないから。
 王族や冒険者の普通は、一般市民のそれとは違うだろうし。

「で、お茶なのですが」

 そうだ、グランハザードさんはお茶を買い求めに来たんだった。
 といっても、別にこの村でお金が必要なことはないし。
 今後、町に行くことがあるかもしれないから、あるに越したことはない。
 ただ、お金の価値が分からないけど。

「対価として、どの程度をお支払いすればいいかと」
 
 というか、こういう交渉って魔王が直接するものなのかな?
 そのための、バフォンさんじゃないのかな?

「流石に、これは魔王様の個人的な買い物ですから」

 そういうことか。
 それなら、そこまで真剣に考える必要もないか。

「じゃあ、このくらいと思う金額でいいですよ」
 
 とりあえず、茶筒ごと持ってくる。
 前回は、袋に入れて渡したけど。
 そんなに気に行ったなら、缶でぜひ。

「えっと……」

 グランハザードさんが困った様子で、バフォンさんを見ているけど。
 バフォンさんも困った表情だ。

 貨幣の価値が分からないから、それが高いか安いかも分からないし。
 なんなら、物々交換でもいいけど。
 
 グランハザードさんが、財布の中を確認してまたバフォンさんを見ている。
 バフォンさんが首を横に振る。

「こ、これでその中身を半分ほど」

 そういって差し出されたのは、金貨が2枚。
 価値が分からないけど、過分な対価だというのは分かる。
 流石にゴブリンじゃ、お金の価値は分からないだろうし。
 俺が困った様子でアスマさんを見ると、テレビに夢中で全然こっちに気付く気配が無かった。
 
 グランハザードさんがちょっと羨ましくなった。

 ミレーネとかでもいいけど、地球の物価をテレビで覚えているであろうアスマさんの方が確実なんだけど。
 アスマさんが気付いて、こっちに来てくれた。

「金貨1枚で、10万円程度と思ったらいい」

 ……
 うん、貰いすぎだな。

「ちなみに、この世界の金貨の金の含有量はさして高くない。これだと14Kくらいだな……今の相場でグラム4600円じゃな」

 アスマさんがスマホで、調べてくれた。
 それからゴブ美に金貨をキッチンスケールで量ってもらう。
 11g……5万円。

 いやいや、それ1枚でこれ10缶買えるんだけど?

「ちなみに、この世界だと大人1人の一ヶ月の生活費くらいじゃな。この世界は、税はあっても水道光熱費もガソリン代も通信費等も発生しないからな。代わりに薪なんかの燃料費は掛かるが」

 そうか……
 金貨1枚もらって、缶を2つ渡す。

「いやいや」

 いやいやいや。

「いやいやいやいや」

 いやいやいやいやいや。
 
 不毛なやり取りを何度か繰り返した後、金貨2枚で缶を3つで交渉成立。
 今度、本気で最高級のお茶を用意しよう。

 グランハザードさんが、かなり申し訳なさそうな表情を浮かべているが。
 たぶん、俺も同じ表情を浮かべているだろう。

 3500円のお茶が3缶で、純粋な地金の価値だけでも10万円の金貨と交換。
 心苦しい。

 色々とおまけをつけて、帰ってもらうことに。
 今度はグランハザードさんが、心苦しそうにしているけど。
 俺の心の平穏のために、押し付けてお引き取り願った。

 出がけにエルハザードの首を見て、またビクッとなってたけど。
 相変わらず、豪快ないびきをかいて寝ていたのを見て、ちょっと蹴りたくなってしまった。
 まあ、起こしたらうるさそうなので無視してお見送り。

 こっちはニコニコだけど、あっちは何度も振り返りながら村の外から転移で戻っていった。
 とりえあず、金貨が2枚手に入ったわけだけど。
 使い道はまだないから、大事に持っておこう。
 いつかくる、町に行く日のために。
 
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