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二章 大精霊と巫女
第18話 ティフォグランデという男
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「リオ君さ、もしかして水の大精霊に会ってない?」
休日の夜、寮の一室。向かい合うのは全裸にタオル一枚の男――ティフォ先輩。シュールな光景だが、俺の心臓は早鐘を打っていた。こういう時の先輩は本当に鋭い。というか、何故その発想が最初に出てきた? ウンディーノ家に招待されたとしか言ってないのに。
「えっと……なんでそう思うんですか?」
「なんとなく」
そしてこの返答だ。勘で言い当てられるのは本当に困る。さて、何と言うべきか。先輩の表情はいつになく真面目だ。
「いや、今のウソ。事故か偶然かは知らんけど、大精霊に会ったんでしょ?」
「えっと……はい。ちょっと興味本位で頼んでみたら入れて貰えて……」
うん、嘘ではない。俺自身も大精霊の存在に興味があったのだ。先輩の顔を伺うが……
「あー分かる分かる、やっぱ気になるよねアレ!」
「えっと?」
「いやあ、俺も昔入った事あってさ、大精霊の間に」
は?
「は?」
思った事がそのまま口から出てしまった。
しばし固まる思考。ハイッタ……大精霊の間に入った?
「待ってください、先輩も大精霊とたい……会った事あるんですか?」
危ない、対話したかどうかは知らないはずだ。驚いて口を滑らせないよう気を付けねば。
「そうそう。俺は風の大精霊だけどね」
「先輩って何者なんですか」
これは心からの純粋なツッコミだ。ホントなんなのこの人。
「まあ俺が何者かは置いといて。何年前だっけな、その部屋に侵入したことあるんだよ」
「侵入ぅ!?」
「しーっ、夜だから大声出さない!」
この男に正論を言われるのは一番腹立つ。それより、侵入したって?
「いやー、この国に来たばっかの頃ね、大精霊で精霊術を使ってみたいなって思ったのよ」
「この国に来た頃?」
「あっやべ、今のナシで」
おっと、先に口を滑らせたのは先輩の方のようだ。後でとことん追求しよう。
「オホン。そんで、まあ色々あってシルフィオ家に招待されてね。ちょっと空いた時間にウロウロしてたら、すっげえオーラ的な? 何か感じる部屋があったんだよ」
あくまで誤魔化し通すつもりのようだが、招待されたってのも気になるな。例えばシルフィオ家と繋がりのある国賓か何か……良い線いってる気がする。
「まあ気になるじゃん? 当然入ったのよ」
「バカですね」
「うん、否定はしない」
「それで、どうなったんですか?」
「いたよ、大精霊がね。なんとか精霊術を試そうとしたんだけど、見つかっちゃってさ」
当然だ。むしろ入れたのが奇跡なくらい、大精霊の間の警備はしっかりしているはずなのだ。
「そしたら巫女さんがとんでもない形相で追っかけてきてさー、マジで焦ったよ」
「あ、巫女に勝ったことがあるってのは」
「そうそう、その時。で、なんとか逃げ切ってから気付いたんだけど、精霊術の威力とか精度が急に上がってたんだよ」
「威力と精度……あー、そういうことですか」
ティフォ先輩が気付いたのは、俺の水系統の精霊術がその時と同じように急に強くなったという事だ。身に覚えがあってピンときたのだろう。
「まさか自分以外にも同じ事が起こるとはってビックリしたよ。これ誰にも言ってないよね?」
「勿論です」
大精霊に触れると精霊術が強くなる。こんな事が広まったら大変だろう。リギスティアさんからも何も聞いていないし、巫女家でも未確認なのだろうか? 人によって適正などがあるのかもしれない。
「ともかく、この話は俺達だけで留めとくってことで。もう今日は疲れたから寝るよ~」
「ちょっと待って下さい。今度は俺の番ですよ」
「今日は寝る! 明日にして!」
「言いましたからね。絶対逃がしませんよ」
そうだ、ヒナも連れて来るか。明日の放課後一番に教室に行って先輩を捕まえよう。
「明日授業サボるか……」
ベッドに潜った先輩がボソッと呟いたが、その後何回も念押しして明日尋も……追求をする事にした。
■□■□
翌日。昼休みだがトーヤは用事があるとかで今はいない。代わりに席に着いているのはイレアだ。先ほどからチラチラと感じる視線は、この組み合わせの珍しさが原因だろう。
「リオ、やっぱり帰っていい……?」
「だーめ。イレアちゃん誘ってもいっつも断られちゃうじゃん!」
「だって知らない人いるみたいだし……」
哀れトーヤ、クラスメイトで委員長なのに知らない人扱いだ。そんなイレアが俺を信用できるのも改めて不思議だな。イレアはリギスティアさんと俺の両親との関わりは知らないはずだ。
「なあイレア、改めて聞くけど、なんで俺とかヒナとは普通に話せるんだ?」
「……確かに、なんでだろう? あ、でも初めて会った時から似たような雰囲気だなって思ってたんだよ」
「人見知り同士ってやつだねー」
「いやヒナ、俺は別に……うん、やっぱ人見知りだ俺」
でしょ? とイレアにも問うヒナ。頷くイレアも同感らしい。
「まーでも注目されるなんて今更でしょ。ほらごはん冷めちゃうよ」
「ああ、いただきます」
そう言って黙々と食べ始めた。残念ながら思ったより話す内容の無い面子だ。
「そうそう、俺アルバイトを始めたんだよ」
「アルバイト?」
「あ、それあたしも初耳。お兄ぃが働くって想像できないな」
堪えかねて話題を出したが二人して微妙な顔だ。お嬢様のイレアがきょとんとしてるのはアルバイトというものに馴染みが無いからだろう。
「普通のレストランだよ。ティフォ先輩の紹介でな」
「ふーん、そう言えば前にお金無いって言ってたね」
「ティフォ先輩?」
「うちのルームメイトの先輩だよ。ティフォ・ベントっていう駄目男さ」
イレアにティフォ先輩の事を話すのは初めてか。まあ関わりは無いし関わらせたくもないな。
「ティフォ・ベント……それって三年生の?」
「いや、二年生だよ。あーでも留年したらしいから歳的には三年生だな。何か知ってるのか?」
「リオ、ティフォ・ベント――ティフォグランデ・ベントにはあまり関わらない方が良い。危険な人物だから」
ヒナと顔を見合わせる。ティフォグランデ……まただ。学長も言っていた、先輩の本名。やはり巫女家の人間は知っているのだろうか? 昨日聞いた話を思い出す。
「昔、巫女家と何かあったらしいけど」
「知ってるんだね。詳しくは言えないけど、以前問題を起こして巫女家、特にシルフィオ家から目を付けられてるの。それに出身が国外らしくて……」
調べた情報、そして先輩から聞いた事に合致する。
「ごめん。私は詳しく知らないんだけど、その時から色々と疑われてる人らしいんだ。立場的にはリオと似てるのかもしれないね」
「……スパイって事か」
「うん。あっ違うの、今もリオを疑ってるってことじゃなくて、その」
「分かってる分かってる」
慌てるイレアも珍しいな。だがそれだけティフォ先輩への疑いがあるという事だ。しかし俺はそうは思えない。怪しい所や隠している事も多いが、先輩の行動に悪意があるとは感じないのだ。
「忠告ありがとうイレア。でも俺も最初は疑われてた訳だし、自分で見極めることにするよ」
「そう……でも何かあったら」
「ああ、その時は頼らせてもらおうかな」
そう、イレアが言う事も確かだ。何かあった時の逃げ道は必要だろう。コネと言ったら悪いが、イレアやリギスティアさんとの関係は役立つはずだ。
「――ごちそうさま。教室戻ろうか」
「うん、こんな話になっちゃってごめん」
「いーの、じゃあ今度は楽しい話してご飯食べよ?」
さらっと次も来るように言うヒナ。やはり策士だ。食堂を出て別れ際、今日の予定を伝えるのを思い出した。
「ヒナ、今日の放課後一番にうちの教室まで来てくれ」
「ん? 今日は大丈夫だけど、何かあるの?」
「ティフォ先輩を問い詰めに行くぞ」
■□■□
放課後、二年生の教室前の廊下をこっそりと歩く影があった。男は誰かに見つかるのを避けるように周囲を確認すると、ダッシュで階段を降りようとして――
「確保ぉ!」
「のわあぁ!」
男――ティフォ先輩の背後から俺は飛びかかるように腕を掴むが、
「マジかっ、精霊よ――!」
先輩は精霊術で一気に加速し、文字通り風のように走り抜けようとする! このままでは逃がしてしまうが――
「想定通り。ヒナ、頼む!」
「任せて!」
階段の踊り場で待ち構えるのはヒナ。風の壁で道を遮り、足止めをする!
「ウソだろ!?」
予想外の風圧にしゃがみこんだ先輩は後ろを振り向くが、そこには俺が立っている。
「まったく、ホントに逃げるとは……まあ予想通りでしたけど」
先輩は目をパチクリさせてから、観念したようにため息を吐いた。
「ティフォ先輩は精霊術で逃げるかもしれないから、一応構えておいてくれ」
「そこまでする? まあ分かったけど……」
数分前。俺の教室に来たヒナと二年生の階まで歩きながら作戦会議をしていた。とは言っても、人の少ない階段から降りるであろう先輩を捕まえるだけだ。今日はちゃんと授業に出ているのは確認済みだ。
「俺が後ろから追いかけるからヒナは前で挟み撃ちだな」
「なんか男子って歳関係なくこんな感じだね」
そんな話をして現在に至る。流石に人前でする話でもないので、寮まで連行……もとい、連れて来た。
「はあぁー。昨日ポロっと言っちゃったの、無かったことにしてくれない?」
「駄目ですよ、ほら話してください。どうせその内話させますから」
「分かったよ~。でも後でリオ君たちの事も聞くからね」
諦めてどっかりと座り込んだ先輩は、おもむろに話し始めた。
「まず昨日言った通り、俺は外国――ドラヴィド国の出身だ。ここに来たのは五年くらい前になるかな」
「やっぱり。まあ極東じゃなければそっちですよね」
「で、本名っていうか? ティフォグランデってのが正式な名前。シルフィオ家で色々あってから目立ちたくなくてね、勝手に変えたよ。その時から家族とはまともに会ってないかな」
前に学長が言っていた、一族諸共引き入れたという言葉。ドラヴィド国から来たのはやはり先輩一人ではないようだ。家族の話をしないなと思っていたが、いるにはいるみたいだ。
「正式な立場は明かせない……って言ったらもう明かしてるみたいなものかな。妹ちゃん、心当たりあるんでしょ?」
「うん。すっごい前だけどね、極東にもニュースが来たんだ」
今まで静かだったヒナも口を開いた。以前言いかけた亡命という単語が記憶から蘇る。
「――ドラヴィド国の王族の分家がエレメント公国に亡命したっていうニュース。五年くらい前のはずだから時期も合ってるね」
「……よく覚えてるじゃん、ブラボーブラボー」
力無く息を吐き、ヒナの記憶力を称賛する先輩。それを聞く俺の頭の中は驚愕と納得が入り混じっていた。昨日の話を聞いて、国賓か何かとは思っていた。先輩の雰囲気に似合わぬ洗練された所作も高い身分を感じさせるものだった。だが、王族とまでは予想していなかったのだ。
「ティフォグランデ・ベント・ドラヴィド。それが俺の元の名前。今じゃドラヴィドを名乗るのは許されてないし、ティフォグランデの名前も捨てた。ただのティフォだよ」
「分かりました。じゃあさらに質問です」
「えっ、今のしんみりした雰囲気で終わるとこじゃなかったの?」
哀愁を漂わせた顔で何やら話を終わらせようとしていたようだが、本題はこれからだ。一呼吸おいて質問を切り出す。
「端的に問います。先輩はスパイですか?」
「お兄ぃ!?」
「わーお、そう来たか」
単刀直入な質問。本来なら遠回しに聞くべきだろうが、ここは敢えての質問だ。
「変に聞いてはぐらかされるのも嫌ですからね」
「まあそうだよねー。なら俺もハッキリ言おう。俺はドラヴィド国のスパイではない」
じっと目を見る。小さい頃に何か誤魔化そうとした時に母さんにやられた方法だ。俺に嘘を見抜くような技術は無いが、何か隠そうとすれば分かるはずだ。しばし固まる時間は先に目を離した俺が終わらせた。
「そうですね、信じましょう。そもそも最初から疑ってませんし」
「そう言ってくれると助かるよ。妹ちゃんの方はイマイチだけど、まあ仕方ないね」
「とりあえずお兄ぃがそう言うなら……」
ヒナとしては不十分なのだろう。まあ何かあった時のためにヒナが疑っておくのは悪くはない。俺の気持ちには、先輩を信じたいという感情も含まれているのだから。
「さて、こんなもんで良いかい? どうせだし妹ちゃんも一緒に飯行くか! リオ君今日からバイトだからさ、お兄ちゃんの雄姿を見に行くのはどう?」
少し張り詰めた雰囲気を壊すべくヒナを夕食に誘う先輩。俺もそろそろ初出勤の時間だな。
「ご自由にどうぞ、俺は時間なので先に行ってますね。ヒナ、この人飲むと厄介だから気を付けろよ」
「分かった、わたしも聞きたい事あるし一緒に行くよ」
「よし、そんじゃあまた後でねー」
やや気まずそうな組み合わせの二人を残し、俺は繁華街のレストランへ向かうのだった。
休日の夜、寮の一室。向かい合うのは全裸にタオル一枚の男――ティフォ先輩。シュールな光景だが、俺の心臓は早鐘を打っていた。こういう時の先輩は本当に鋭い。というか、何故その発想が最初に出てきた? ウンディーノ家に招待されたとしか言ってないのに。
「えっと……なんでそう思うんですか?」
「なんとなく」
そしてこの返答だ。勘で言い当てられるのは本当に困る。さて、何と言うべきか。先輩の表情はいつになく真面目だ。
「いや、今のウソ。事故か偶然かは知らんけど、大精霊に会ったんでしょ?」
「えっと……はい。ちょっと興味本位で頼んでみたら入れて貰えて……」
うん、嘘ではない。俺自身も大精霊の存在に興味があったのだ。先輩の顔を伺うが……
「あー分かる分かる、やっぱ気になるよねアレ!」
「えっと?」
「いやあ、俺も昔入った事あってさ、大精霊の間に」
は?
「は?」
思った事がそのまま口から出てしまった。
しばし固まる思考。ハイッタ……大精霊の間に入った?
「待ってください、先輩も大精霊とたい……会った事あるんですか?」
危ない、対話したかどうかは知らないはずだ。驚いて口を滑らせないよう気を付けねば。
「そうそう。俺は風の大精霊だけどね」
「先輩って何者なんですか」
これは心からの純粋なツッコミだ。ホントなんなのこの人。
「まあ俺が何者かは置いといて。何年前だっけな、その部屋に侵入したことあるんだよ」
「侵入ぅ!?」
「しーっ、夜だから大声出さない!」
この男に正論を言われるのは一番腹立つ。それより、侵入したって?
「いやー、この国に来たばっかの頃ね、大精霊で精霊術を使ってみたいなって思ったのよ」
「この国に来た頃?」
「あっやべ、今のナシで」
おっと、先に口を滑らせたのは先輩の方のようだ。後でとことん追求しよう。
「オホン。そんで、まあ色々あってシルフィオ家に招待されてね。ちょっと空いた時間にウロウロしてたら、すっげえオーラ的な? 何か感じる部屋があったんだよ」
あくまで誤魔化し通すつもりのようだが、招待されたってのも気になるな。例えばシルフィオ家と繋がりのある国賓か何か……良い線いってる気がする。
「まあ気になるじゃん? 当然入ったのよ」
「バカですね」
「うん、否定はしない」
「それで、どうなったんですか?」
「いたよ、大精霊がね。なんとか精霊術を試そうとしたんだけど、見つかっちゃってさ」
当然だ。むしろ入れたのが奇跡なくらい、大精霊の間の警備はしっかりしているはずなのだ。
「そしたら巫女さんがとんでもない形相で追っかけてきてさー、マジで焦ったよ」
「あ、巫女に勝ったことがあるってのは」
「そうそう、その時。で、なんとか逃げ切ってから気付いたんだけど、精霊術の威力とか精度が急に上がってたんだよ」
「威力と精度……あー、そういうことですか」
ティフォ先輩が気付いたのは、俺の水系統の精霊術がその時と同じように急に強くなったという事だ。身に覚えがあってピンときたのだろう。
「まさか自分以外にも同じ事が起こるとはってビックリしたよ。これ誰にも言ってないよね?」
「勿論です」
大精霊に触れると精霊術が強くなる。こんな事が広まったら大変だろう。リギスティアさんからも何も聞いていないし、巫女家でも未確認なのだろうか? 人によって適正などがあるのかもしれない。
「ともかく、この話は俺達だけで留めとくってことで。もう今日は疲れたから寝るよ~」
「ちょっと待って下さい。今度は俺の番ですよ」
「今日は寝る! 明日にして!」
「言いましたからね。絶対逃がしませんよ」
そうだ、ヒナも連れて来るか。明日の放課後一番に教室に行って先輩を捕まえよう。
「明日授業サボるか……」
ベッドに潜った先輩がボソッと呟いたが、その後何回も念押しして明日尋も……追求をする事にした。
■□■□
翌日。昼休みだがトーヤは用事があるとかで今はいない。代わりに席に着いているのはイレアだ。先ほどからチラチラと感じる視線は、この組み合わせの珍しさが原因だろう。
「リオ、やっぱり帰っていい……?」
「だーめ。イレアちゃん誘ってもいっつも断られちゃうじゃん!」
「だって知らない人いるみたいだし……」
哀れトーヤ、クラスメイトで委員長なのに知らない人扱いだ。そんなイレアが俺を信用できるのも改めて不思議だな。イレアはリギスティアさんと俺の両親との関わりは知らないはずだ。
「なあイレア、改めて聞くけど、なんで俺とかヒナとは普通に話せるんだ?」
「……確かに、なんでだろう? あ、でも初めて会った時から似たような雰囲気だなって思ってたんだよ」
「人見知り同士ってやつだねー」
「いやヒナ、俺は別に……うん、やっぱ人見知りだ俺」
でしょ? とイレアにも問うヒナ。頷くイレアも同感らしい。
「まーでも注目されるなんて今更でしょ。ほらごはん冷めちゃうよ」
「ああ、いただきます」
そう言って黙々と食べ始めた。残念ながら思ったより話す内容の無い面子だ。
「そうそう、俺アルバイトを始めたんだよ」
「アルバイト?」
「あ、それあたしも初耳。お兄ぃが働くって想像できないな」
堪えかねて話題を出したが二人して微妙な顔だ。お嬢様のイレアがきょとんとしてるのはアルバイトというものに馴染みが無いからだろう。
「普通のレストランだよ。ティフォ先輩の紹介でな」
「ふーん、そう言えば前にお金無いって言ってたね」
「ティフォ先輩?」
「うちのルームメイトの先輩だよ。ティフォ・ベントっていう駄目男さ」
イレアにティフォ先輩の事を話すのは初めてか。まあ関わりは無いし関わらせたくもないな。
「ティフォ・ベント……それって三年生の?」
「いや、二年生だよ。あーでも留年したらしいから歳的には三年生だな。何か知ってるのか?」
「リオ、ティフォ・ベント――ティフォグランデ・ベントにはあまり関わらない方が良い。危険な人物だから」
ヒナと顔を見合わせる。ティフォグランデ……まただ。学長も言っていた、先輩の本名。やはり巫女家の人間は知っているのだろうか? 昨日聞いた話を思い出す。
「昔、巫女家と何かあったらしいけど」
「知ってるんだね。詳しくは言えないけど、以前問題を起こして巫女家、特にシルフィオ家から目を付けられてるの。それに出身が国外らしくて……」
調べた情報、そして先輩から聞いた事に合致する。
「ごめん。私は詳しく知らないんだけど、その時から色々と疑われてる人らしいんだ。立場的にはリオと似てるのかもしれないね」
「……スパイって事か」
「うん。あっ違うの、今もリオを疑ってるってことじゃなくて、その」
「分かってる分かってる」
慌てるイレアも珍しいな。だがそれだけティフォ先輩への疑いがあるという事だ。しかし俺はそうは思えない。怪しい所や隠している事も多いが、先輩の行動に悪意があるとは感じないのだ。
「忠告ありがとうイレア。でも俺も最初は疑われてた訳だし、自分で見極めることにするよ」
「そう……でも何かあったら」
「ああ、その時は頼らせてもらおうかな」
そう、イレアが言う事も確かだ。何かあった時の逃げ道は必要だろう。コネと言ったら悪いが、イレアやリギスティアさんとの関係は役立つはずだ。
「――ごちそうさま。教室戻ろうか」
「うん、こんな話になっちゃってごめん」
「いーの、じゃあ今度は楽しい話してご飯食べよ?」
さらっと次も来るように言うヒナ。やはり策士だ。食堂を出て別れ際、今日の予定を伝えるのを思い出した。
「ヒナ、今日の放課後一番にうちの教室まで来てくれ」
「ん? 今日は大丈夫だけど、何かあるの?」
「ティフォ先輩を問い詰めに行くぞ」
■□■□
放課後、二年生の教室前の廊下をこっそりと歩く影があった。男は誰かに見つかるのを避けるように周囲を確認すると、ダッシュで階段を降りようとして――
「確保ぉ!」
「のわあぁ!」
男――ティフォ先輩の背後から俺は飛びかかるように腕を掴むが、
「マジかっ、精霊よ――!」
先輩は精霊術で一気に加速し、文字通り風のように走り抜けようとする! このままでは逃がしてしまうが――
「想定通り。ヒナ、頼む!」
「任せて!」
階段の踊り場で待ち構えるのはヒナ。風の壁で道を遮り、足止めをする!
「ウソだろ!?」
予想外の風圧にしゃがみこんだ先輩は後ろを振り向くが、そこには俺が立っている。
「まったく、ホントに逃げるとは……まあ予想通りでしたけど」
先輩は目をパチクリさせてから、観念したようにため息を吐いた。
「ティフォ先輩は精霊術で逃げるかもしれないから、一応構えておいてくれ」
「そこまでする? まあ分かったけど……」
数分前。俺の教室に来たヒナと二年生の階まで歩きながら作戦会議をしていた。とは言っても、人の少ない階段から降りるであろう先輩を捕まえるだけだ。今日はちゃんと授業に出ているのは確認済みだ。
「俺が後ろから追いかけるからヒナは前で挟み撃ちだな」
「なんか男子って歳関係なくこんな感じだね」
そんな話をして現在に至る。流石に人前でする話でもないので、寮まで連行……もとい、連れて来た。
「はあぁー。昨日ポロっと言っちゃったの、無かったことにしてくれない?」
「駄目ですよ、ほら話してください。どうせその内話させますから」
「分かったよ~。でも後でリオ君たちの事も聞くからね」
諦めてどっかりと座り込んだ先輩は、おもむろに話し始めた。
「まず昨日言った通り、俺は外国――ドラヴィド国の出身だ。ここに来たのは五年くらい前になるかな」
「やっぱり。まあ極東じゃなければそっちですよね」
「で、本名っていうか? ティフォグランデってのが正式な名前。シルフィオ家で色々あってから目立ちたくなくてね、勝手に変えたよ。その時から家族とはまともに会ってないかな」
前に学長が言っていた、一族諸共引き入れたという言葉。ドラヴィド国から来たのはやはり先輩一人ではないようだ。家族の話をしないなと思っていたが、いるにはいるみたいだ。
「正式な立場は明かせない……って言ったらもう明かしてるみたいなものかな。妹ちゃん、心当たりあるんでしょ?」
「うん。すっごい前だけどね、極東にもニュースが来たんだ」
今まで静かだったヒナも口を開いた。以前言いかけた亡命という単語が記憶から蘇る。
「――ドラヴィド国の王族の分家がエレメント公国に亡命したっていうニュース。五年くらい前のはずだから時期も合ってるね」
「……よく覚えてるじゃん、ブラボーブラボー」
力無く息を吐き、ヒナの記憶力を称賛する先輩。それを聞く俺の頭の中は驚愕と納得が入り混じっていた。昨日の話を聞いて、国賓か何かとは思っていた。先輩の雰囲気に似合わぬ洗練された所作も高い身分を感じさせるものだった。だが、王族とまでは予想していなかったのだ。
「ティフォグランデ・ベント・ドラヴィド。それが俺の元の名前。今じゃドラヴィドを名乗るのは許されてないし、ティフォグランデの名前も捨てた。ただのティフォだよ」
「分かりました。じゃあさらに質問です」
「えっ、今のしんみりした雰囲気で終わるとこじゃなかったの?」
哀愁を漂わせた顔で何やら話を終わらせようとしていたようだが、本題はこれからだ。一呼吸おいて質問を切り出す。
「端的に問います。先輩はスパイですか?」
「お兄ぃ!?」
「わーお、そう来たか」
単刀直入な質問。本来なら遠回しに聞くべきだろうが、ここは敢えての質問だ。
「変に聞いてはぐらかされるのも嫌ですからね」
「まあそうだよねー。なら俺もハッキリ言おう。俺はドラヴィド国のスパイではない」
じっと目を見る。小さい頃に何か誤魔化そうとした時に母さんにやられた方法だ。俺に嘘を見抜くような技術は無いが、何か隠そうとすれば分かるはずだ。しばし固まる時間は先に目を離した俺が終わらせた。
「そうですね、信じましょう。そもそも最初から疑ってませんし」
「そう言ってくれると助かるよ。妹ちゃんの方はイマイチだけど、まあ仕方ないね」
「とりあえずお兄ぃがそう言うなら……」
ヒナとしては不十分なのだろう。まあ何かあった時のためにヒナが疑っておくのは悪くはない。俺の気持ちには、先輩を信じたいという感情も含まれているのだから。
「さて、こんなもんで良いかい? どうせだし妹ちゃんも一緒に飯行くか! リオ君今日からバイトだからさ、お兄ちゃんの雄姿を見に行くのはどう?」
少し張り詰めた雰囲気を壊すべくヒナを夕食に誘う先輩。俺もそろそろ初出勤の時間だな。
「ご自由にどうぞ、俺は時間なので先に行ってますね。ヒナ、この人飲むと厄介だから気を付けろよ」
「分かった、わたしも聞きたい事あるし一緒に行くよ」
「よし、そんじゃあまた後でねー」
やや気まずそうな組み合わせの二人を残し、俺は繁華街のレストランへ向かうのだった。
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