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五章 権謀術数と戦う者達

第58話 引っ越しと新生活

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 それから午後もクラスメイト達が話しかけて来ることは無く、放課後を迎えた。警戒していたミスズもついぞ姿を現さなかった。安心した俺とイレアは、ヒナを迎えに行って帰ろうとしたのだが……

 「……なあヒナ、あの子達は?」

 「ごめん、撒けなかった」

 イレアと二人で中等部の玄関に行くと、ヒナの後ろ……というか奥の方から顔を覗かせている女子生徒が数人。ヒナの口ぶりから事情は察した。

 「お兄ぃ、どうする? 帰ってもいいと思うけど」

 「いや。折角だしな」

 俺はイレアの手を引いて彼女達に方へ向かう。小さく黄色い悲鳴が聞こえたが、流石に逃げはしないようだ。

 「こんにちは。ヒナのクラスメイトかな?」

 「は、ははははいぃ!!」

 「あのっ、この度は、ご、ご、ご結婚、おめでとうございますっ!」

 カチコチに緊張されたが、隣のイレアを見ると……うん、こっちも似たようなもんだ。それと結婚じゃなくてまだ婚約だってのは野暮なツッコミか。

 「ありがとう。ヒナの事も宜しくね」

 「ひゃぁっ、こっこちらこそっ、よろしくお願いしますぅっ!」

 「あはは、そんなに慌てないでくれ。でも、あまり騒ぎ立てないでくれると嬉しいかな。お祝いの気持ちだけ頂くよ」

 「ごご、ごめんなさいっ!! 失礼しますっっ!」

 そう言うと揃って皆走り去ってしまった。これで大丈夫だろうか? じゃあ帰ろうかと踵を返したが、

 「おーい、イレアー?」

 急に全く知らない人に囲まれてフリーズしたようだ。俺が対応して正解だったな。少しして、ハッとしたように動き出した。

 「……う、うん。任せちゃってごめん」

 「まあいいよ。こういうのも役目だと思うし」

 「でもお兄ぃも緊張してたよねー。なんか言葉遣い変な感じだったよ」

 バレたか。変なキャラだと思われたかもしれないな。そんな話をしながら、今度こそ帰ろうと俺達は正門に向かうが――

 「――あっ、リオくーん! おーい!」

 門の外から小柄な人影。最後の最後で、彼女は現れたのだ。



 「まったく、人使いが荒いわね。忙しい時期じゃなくて良かったわ……」

 放課後の教員棟。こちらも今日は普段より騒がしかった。とはいえ彼等も大人。巫女家令嬢の婚約の事よりも、半壊した中央棟や被害を受けた校舎などの対応に奔走しているのだった。

 「それにしても手際が良い。いつから予定していたのかしら? ノーミオの息がかかった先生達はびっくりするくらい落ち着いてるし……学園ここもきな臭くなってきたわね」

 明日の授業の準備と並行して中央棟を使うはずだった予定を組みなおしたりと、ソージアはぶつぶつと呟きながらいつも通り仕事をしていた。ここ数日に使う予定があまり入っていない、資料室の使用申請一覧を見て顔を顰める。更に、重要な資料は使用中と銘打って殆どが昨日までに他の場所に運び込まれているのだ。どう見てもあの襲撃は計画通り、予定通りだったのだろう。

 「はあ……イレアさん達はもう帰ったかしら。時間ができたらあの家に改めて挨拶にでも行きたいわね」

 溜息を吐いて嫌な思考から暫し逃げる。イレアとは長年の付き合いで気兼ね無い仲だが、彼女の住む家を訪ねるのは落ち着いてからの方がいいだろう。ヒナもいるので婚約者というよりは三兄妹のような三人だが、何やら最近は良い雰囲気である。今やあの家は二人が主人のウンディーノ家別邸だ。一護衛の自分がおいそれと気安く行ける場所ではなくなったのだが、全く顔を出さないのもそれはそれで可愛い妹分を悲しませるだろう。

 「……さて、もうひと頑張り!」

 かぶりを振って思考を戻す。ソージアは仕事に集中し始めた。



 「ミスズ……何しに来た」

 「何って、リオ君に会いに来たんだよ」

 イレアとヒナを隠すように俺は一歩前に出た。後ろ手で制して二人が前に出るのを止める。

 「ねえねえ、聞いたよ? そこのお嬢様と婚約したんだ」

 「ああそうだ。言ったろ、帰るつもりは無いって」

 「うんうん、分かってるよ」

 にっこりと笑ってミスズは近づいてきた。俺は二人に近づけまいと更に前に出る。すると、目の前まで迫ったミスズが小声で囁いた。

 「すごいよリオ君、婚約までしてウンディーノ家に潜入するんだ。もしかして最初からそれが目的だったの? だからあんな態度だったんだね。ごめんね、勘違いしちゃって。ミヅカ隊長のご命令だったんでしょ?」

 「……は?」

 「ノーミオ家に敵対するウンディーノ家に忍び込んで、中から操るんでしょ? ふふん。あのお嬢様も騙しちゃうなんて凄いね!」

 「……」

 「大丈夫、私も協力するよ。良い報告待ってるから!」

 そう満面の笑みで言い、一歩下がった。

 「じゃあね、また明日! ばいばーい」

 何かあるのかと警戒したが、ミスズはそのまま去って行った。その姿が見えなくなってから、ようやく俺達は緊張を解いた。

 「……はぁ。また面倒な事になったな」

 「どうしたの? 何か変な事でも言われた?」

 彼女の発言をそのまま二人に伝えると、同じく眉を顰めた。何とも自分本位な解釈である。

 「――てな訳だが、俺にそんなつもりは微塵も無い。とんだ迷惑だな」

 「うん。リオがそんな事する訳ないから……ふふっ、もしそうだとしたら、リオの演技力は世界一だね」

 冗談めかして言うが、全く疑っていないようで安心した。まあ俺もイレアに疑われるとは思っていないが。

 「その時はわたしもグルってこと? すごいねー、なんかとんでもないご都合解釈っていうか、お花畑っていうか」

 「お花畑な割には物騒な奴だけどな。さ、帰ろう」

 気にしても仕方ないと、俺達は迎えの人力車で家路についた。色々と邪魔が入ったが、今日から本格的な同居生活だ。


■□■□


 「お帰りなさいませ旦那様方。この家でお世話をさせて頂きます、ソフィーと申します。これから誠心誠意仕えさせて頂きますので、何なりとお申し付けください」

 家に入るなり、玄関でメイドが深々と頭を下げた。いきなりの事に少し驚く。昨日はいなかったようだが、彼女がこの家の使用人のようだ。

 「よ、よろしくお願いします。でも旦那様はちょっと……まだ婚約ですし」

 「ではリオ様、ヒナ様と。お荷物は既にお部屋に運ばせて頂きました。荷解きも致しましょうか?」

 「いえ、自分でやります」

 「承知しました。それでは夕食の支度ができましたらお呼びします」

 そう言って再び頭を下げるメイド。むず痒いなあ……

 「ソフィーさん、二人にこの家の事は私から教えておきます」

 「ありがとうございます、お嬢様。部屋は以前決めた通りでよろしかったでしょうか?」

 「うん。また何かあったら呼びます」

 「畏まりました」

 一方、慣れたやり取りをする二人。後で聞いた事だが、彼女はイレアが生まれた時から乳母を務めており、この家に来てからもずっと身の回りの世話を任されているという。ウンディーノ家の中でもソージア先生と同じくらい付き合いが長く、信頼をおいているそうだ。

 「さ、二人の部屋は二階よ。ついて来て」

 イレアを追って階段を上る。外から見て小さいと思ったけど、意外とこの家は奥行きがあるな。ちなみに昨日はまだ何も準備ができていなかったようで、二階には入れてくれなかったのだ。寝るのも一階の居間を使っていた。

 「こっちが私の部屋、こっちが納戸でこっちが居間、そっちの二つの部屋がリオとヒナちゃんのだから」

 「おー、念願の一人部屋ー!」

 「ありがとな。寮の荷物も運んでくれたんだ」

 「リオの部屋にあった荷物は全部運んじゃったけど、もしかしたらティフォ先輩のも混じってるかもって」

 「どうせそのうち取りに来るか、要らないならそのままだろうな。俺が持っておくよ」

 俺とヒナは自分の部屋で荷解きをし、二階の部屋を見回った。今回は無かったが、ティフォ先輩の手紙が紛れていないか探すのは俺達には恒例になっている。

 「居間は使ってなかったから今はテーブルとソファくらいしかないけど、共用だから好きに使って良いよ」

 「日当たりもいいな。集まるのに良さそうだ」

 「でも結局誰かの部屋に集まるからって使わなくなりそうだねー」

 空気を読まず、何ともあり得そうな事を言うヒナに苦笑する。それから各々の部屋を片付けていると。

 「リオ様、お客様です」

 ソフィーさんが俺を呼んだ。噂をすればあの男がやって来たようだ。



 「やあやあ久しぶりー!」

 「しばらくぶりですね、ティフォ先輩」

 来客はもちろんこの男だった。夏休みが明けてから見なかったが、どこにいたのだろうか?

 「まあまあ、とりあえず婚約おめでとう。はいこれ」

 「わざわざありがとうございます。でも昨日の今日でよく来ましたね……ってまあどうせ俺の動向も知ってるんでしょうけど」

 「常にどこにいるかくらいは分かるからねー」

 手土産を渡しながらサラリと言ったが、とんだストーカーである。こんな時ばかり先輩が味方で良かったと思うな。

 「あ、こんにちはティフォ先輩。どうぞ上がって下さい」

 「んじゃお邪魔しまーす」

 二階から降りてきたイレアも挨拶したが、同席はしないようだ。一階のリビングに招くと、すぐにソフィーさんが紅茶を出した。実に洗練された動作だが、彼女は急な来客にあまり良い心象を抱かなかった。もっとも、それを気付かれるような真似はしないが。

 「うん、良い香りだ」

 しかし、客人を見る目はすぐに畏敬の籠ったものに変わった。見惚れる程に優雅な所作でカップを傾ける彼に、並々ならぬ高貴さを感じたのだ。すぐに自分の思い込みを恥じ、茶菓子を用意しにキッチンへ向かった。これもまた誰にも気付かれる事は無かったが。
 閑話休題。

 「で、先輩は最近何してたんですか?」

 「もっぱらドラヴィド国の方にかかりっきりだよ。シルフィオ家が交渉してる所についてったり、一人で向こうに行って調査したりさ。お陰でしばらくは大人しいと思うよ」

 「なるほど、静かだと思ったけど今はそんな感じなんですか。でもシルフィオ家と一緒にいるんですか?」

 「色々条件付けてしばらく俺を捕まえないようにさせたよ。いやー、ぶっちゃけそれが一番の目的だけどね。シルフィオ家に借りを作っとけば、俺も大手を振って歩けるってもんよ」

 「うーん……まあ公国に役立ってるならいいのかな。ともあれお疲れ様です」

 「まあね。そっちこそ大変らしいじゃん?」

 「はい。ここに住んでるのも、そのせいですし……」

 ティフォ先輩も学園の様子はだいたい知っているようだ。昨日の出来事を話すと、芳しくない状況に珍しく考え込んでいる。

 「……うん。向こうでやる事は粗方片付いたし、俺もしばらくこっちにいるよ」

 「そうなんですか?」

 「後は外交の問題だからシルフィオ家の人に任せるさ。外にいる間にこっちで何かあったら本末転倒だしな」

 先輩がいてくれるなら心強いが、逆に言えばそれくらい心配な状況という事だ。気を引き締めよう。

 「さ、つまんない話はこの辺で終わり! 本題は違うんだよリオ君」

 「はい?」

 一転してニヤっと笑い、顔を近づけてくる。何を言いたいのかは察した。

 「ご婚約おめでとうございますって事で……お嬢様とは、どうよ?」

 「どうって……別にそんなに変わってませんよ」

 「えーホント~? ヤってないのー?」

 あんまりな物言いに閉口する。そうだよ、先輩はこういう奴だよ。

 「……はぁぁ、何も無いですよ。つーか先輩はるんでしょうが」

 「まさか。プライベートな内容はシャットアウトしてるし、後輩の痴情なんか直で聞きたくはないさ。で、どうなん? どうなん?」

 この出歯亀野郎が。もしあったとて絶対言うか。

 「って顔してるけど、何かそういう事で困ったら先輩に言うんだぞ~? 可愛い後輩の相談くらい乗ってやるさ」

 「言いたくないからそういう顔してるんですよ」

 「つれないなあ。でもリオ君はそのうち俺に相談するような感じがするよ。意外とあっさり済ましそうな気もするけど」

 「何言ってんすか」

 それからも最近の様子をしつこく聞かれたり、しょうもない事を言ってるうちに日が落ちてきた。なにが「ああいう娘は仕込み甲斐があるぞ~」だ!
 ちなみに寮の部屋にあった荷物は処分して構わないそうだ。会話が少し聞こえたのか、通りかかったソフィーさんは微妙な顔をしていた。

 「じゃ、俺はそろそろ失礼するよ。何かあればすぐ来るから呼んでくれよ。お嬢様の事でもいいぜ」

 「はい。学園の方でまた何かあれば呼びます」

 「そんな強調して言わんでもいいじゃん~」

 「はいはい、さよなら。お土産ありがとうございますね」

 「はいよ。んじゃあねー」

 そう言ってティフォ先輩は帰って行った。いつもいつも騒がしい人だな。玄関が閉まると、二階からまたイレアが降りてきた。

 「先輩帰ったんだね」

 「ああ。しばらくこっちにいるみたいだよ。呼べば来るって言ってたけど、呼ばなくてもまた来るんだろうな」

 「あはは、そうかもね。ところでリオ。これって何?」

 イレアは預かっていた先輩の土産の袋から何か小さい瓶を取り出した。他の中身は有名店のお菓子のようだが、これだけ剥き出しのまま入っていたという。

 「…………んー、分からん。とりあえず預かっとく」

 「そう? 何か飲み物かな?」

 「さあな。部屋に置いてくるよ」

 バリバリ見覚えがあった。いつだか繁華街の裏路地にある露店で先輩に見せられた、超強力な精力剤だった。ホント最後までティフォ先輩はティフォ先輩だな……

 「何か分かったら教えてね。薬みたいなものかな?」

 「さ、さあな?」

 妙に勘が良いが、イレアにだけはバレないようにしよう。
 ちなみにソフィーさんには知られていたらしく、さっきの会話の内容も合わせて苦い顔をされた。悪い人じゃないんですよ。一応。


■□■□


 その日の夜。質の良いベッドと見慣れぬ天井に、俺はウトウトしながらも寝付けずにいた。いや、それだけが理由ではないだろう。

 「婚約、か……」

 ドタバタとしている内にこんな事になってしまったが、この約半年、悪い話ばかりではなかった。母さんとは対立してしまうし、戦争は起こりそうになるし、国家の争いには巻き込まれるし。
 だが、ずっと知りたかった自身の出生や母の秘密を知った。そしてイレアだ。一人の友人として、そして異性としても彼女のことは好きだ。まだ実感は無いものの、婚約という言葉に舞い上がってしまうのは仕方ないだろう。俺だって一人の男だ。

 「……まあ、なるようになるか。今はそれどころじゃないしな」

 目先の問題はいくらでもある。極東軍との繋がりがある留学生達や、巫女家の対立。それに母さんも言っていた、残りの大精霊エレメントとの対話。まだ水と風にしか接触できてないし――

 ――あれ、なんか違和感があるけど……なんだ……?

 「ふわぁ……そろそろ寝るか……」

 何かが喉に刺さった小骨のように引っ掛かるが、いまいちピンと来ないまま大きな欠伸で飲み込む。それよりもソフィーさんに言われた直近の問題があるな。

 「婚約したから、挨拶に来る人がいるって言ってたな……そういうもんか……ふわぁぁ……」

 ウンディーノ家の本邸で会食とか直接この家に来るとか色々あるらしい。婚約した者の務めだという。

 「明日から……また、忙しく……なるのかな…………」

 まだどこか他人事のように考えつつ、俺は眠りに落ちたのだった。
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