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六章 婚約と顕れる陰謀

第59話 祝辞と贈り物

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 「リオ様、おはようございます」

 「おはようございますソフィーさん」

 新生活二日目。少し早くすっきりと目覚めた俺は、ランニングでも行こうと支度をした。もう九月も終わり。この時期にもなると朝はやや肌寒いくらいだ。

 「申し訳ありません、朝食のご用意は今から致しますので少々お待ちください」

 「いえ、大丈夫です。外走ってきます」

 頭を下げる彼女にそう告げて玄関へ向かう。見送るようについて来た彼女は徐に手帳を開いた。

 「申し上げました通り、本日から早速来客がございます。まずは当家より宰司殿含め三名、明日はソージア様、明後日は兵士隊よりナイル様、ヨハン様がいらっしゃいます」

 「お、多いですね……」

 淀みなく告げられ、ちょっと狼狽うろたえる。祝われるのは嬉しいが何とも堅苦しいというか。

 「週末にはウンディーノ家本邸にて会食がございます。明々後日の土曜は各家の巫女様より祝辞を頂き、夜はシルフィオ家の方々との食事会です。日曜は、分家の方々もご招待なされる立食パーティーがございます……いかがなさいましたか?」

 「いえ……その、忙しいなあって」

 「はい。これもリオ様のお勤めでございます。この家に招待します時はご助力致しますので、どうぞよろしくお願いします」

 そう言って更に深々と頭を下げるソフィーさん。そうだな、忙しいのは俺だけじゃないな。イレアやヒナだって大変だろうから、頑張ろう。それに祝い事だ。堅苦しいのは仕方ないが、楽しむのも大事だ。

 「じゃあ、行ってきます」

 「行ってらっしゃいませ」

 靴紐をしっかりと締め、俺は玄関を出た。



 さて。これからやる事を整理したい。住居も変わったことだしな。

 「まずは……そうだ、大精霊エレメントだ」

 寝起きの体を暖めるように軽く走りながら、昨日寝る前に考えた事を思い出す。色々な事件が重なったのもそうだが、今の今まで大精霊との対話という当初の目的を忘れかけていたのだ。

 「残りは土と火か……ん? 火……?」

 学長の所の大精霊と接触するのは難しそうだなとは思ったが、それ以上に分からないのが、火――サラマンド家だ。よく考えてみれば、これまで話題にすら出ていない気がする。

 「いやいや、いくらなんでもおかしいだろ? サラマンド家の巫女とか名前も聞いた事無いし、サラマンド家の人って会った事あるか?」

 そう、明らかに影が薄い。というか存在すら疑うレベルで「サラマンド家」という単語も出ていない。他の巫女家の人とはそれぞれ何人か関わりがあるが、サラマンド家の人だけは全く以て周りにいないのだ。しかもそれを今まで考えもしなかったのは何かおかしい。これが昨日の違和感の正体か。

 「よし。まずはそれと、ノーミオ家の大精霊に接触する方法を聞こう。本邸に呼ばれるのは週末って言ったよな」

 まだ考える事はある。留学生や学園の事だ。正直言ってこのまま通い続けるのは危険な気がするが、リギスティアさんがわざわざ学長を止めてまで俺達を通わせているのだ。一種の巫女家の義務なのだろう。
 でも、そもそも彼等の目的はなんなんだ? ミスズが俺を連れ戻すって言ってたのは、母さんに言われた「残りの大精霊と対話しろ」というのに反する。あれはミスズ個人の考えなのか、全体の方針なのかは不明だ。逆にあの言葉が母さんの独断という可能性もある。極東軍の目的は、自らは動かずにエレメント公国とドラヴィド国を争わせて国力を削ぐ事だと言われている。ならば俺達と争う事自体は目的ではないはずだが……

 「うーん、確かめようが無いな。次だ次」

 一旦思考を放棄する。分からないものは分からないのだ。

 「学長と言えば……前に学園の近くに出たけど残骸が消えた邪霊イビル、結局どうなったんだっけ?」

 もう随分と前な気がするが、まだあれも解決していない。ティフォ先輩が濡れ衣を着せられたのだが、今思えば極東軍の仕業だったのだろうか。でも邪霊が出現し始めた最初の頃は学長も対策がどうのこうのと言ってたし……いや、違うか。対策をする、つまり軍事化を進めるのが目的なんだから、最初っから仕組まれていたと考えるのが筋だ。
 それに、学園内に出現した他の邪霊については追及しないのに、あの時だけティフォ先輩が原因としたのだっておかしい。やはり先輩を追放する手段としてついでに利用した、といったところだろう。

 「邪霊が出てきたのは俺が来る前からって言ってたな。つまりは半年以上かかって今も実行されてる計画か……」

 邪霊を人の手で出現させ、長い期間をかけて回りくどい方法で公国を軍事化し、留学生というスパイを使って内部を調査する。そうまでしてドラヴィドと争わせたいのだろうか? もっとスマートなやり方があるはずだ。それに、俺だって最初は母さんの指示でここに来たのだ。俺が公国に来たのは大精霊と対話するため……そうだ、それは母さんの、極東軍の指示だった。

 「極東軍は、大精霊が目的……」

 解析するのか、利用するのか。はたまた奪うのか、破壊するのか。分からない。だが、その焦点が大精霊であることは間違いない。戦争は目的の一つに過ぎないか、もしくは何かのための手段。そう考えれば納得はできる。まあ、この考えに至ったのは俺だけではないだろう。

 「何はともあれ、週末に本邸で相談だな……いや、そうだ。今日来るのって」

 俺は行きがけにソフィーさんに言われた今日の予定を思い出し、ランニングを終えて家に帰った。


■□■□


 「それではお嬢様、若様、ヒナ様。本日のお帰りは時間通りにお願いします」

 「分かった! じゃあねお兄ぃ、イレアお姉ちゃん!」

 昨日と同じように学園まで送ってもらい、ヒナは俺達と一緒だと騒がれると言って中等部の方へ一人で走って行った。脱兎の如き走りに運転手も苦笑している。

 「じゃあお迎えもお願いします。行こうイレア」

 「うん、行ってきます」

 昨日の反省を活かして一定の距離を保って並んで歩く。受ける視線の数は昨日よりは落ち着いているかと思ったが、寧ろ昨日より多い。昨日の時点では知らなかった生徒達が多いせいだろう。

 「なあイレア。今日うちに来るの、宰司さん達って聞いてるよな?」

 「うん。ちょっと不安だけど……」

 「いや、それは大丈夫だよ。前に謝られたし、もう突っ掛かってくることは無いはず」

 夏休みの間本邸に滞在していた時、宰司に一度呼び出された事があった。その時は何を言われるのかと相当ビビったのだが、真摯に頭を下げられて丁寧な謝罪をされ、拍子抜けしたものだ。ウンディーノ家のナンバーツーだけあって、ただの嫌味な人ではないのだ。その後もちょっとした嫌味は言われたのだが、俺を婚約者と認めた上でのものだった。つい言ってしまうのは彼の性格なのだろう。

 「そうなの? でも私あの人ちょっと苦手だからさ」

 「まあ確かにひと言多いっていうか、ズバズバ言う人だよな。でも話してみると意外と分かりやすくて俺は好きだけど」

 「うーん……私がちゃんと話したこと無いだけね。今日はしっかりおもてなししないと」

 「そんなに気負うなよ。祝われる側だしな」

 「ふふっ、そうね。でも大丈夫。こういう時くらい任せて」

 「……緊張してフリーズしないか?」

 「だ、大丈夫よ。多分」

 そうは言うが、今日はともかく日曜のパーティーが心配だ。そう言うと更に慌てたため、先行き不安である。



 一日の授業が終わった。昨日と同じように昼は寮の部屋に集まり、廊下では時折見知らぬ生徒に話しかけられたりもしたが、何事も無く放課後になった。ちなみに寮はまだしばらく借りているので自由に使って良いそうだ。
 学園の様子で変わった事と言えば、演習授業がしばらくお休みになったと知らされたくらいだ。邪霊イビルのせいで演習棟も天井の一部が崩れたらしく、グラウンドは例の有様である。あとは放送室が使えなくて不便だと初老の教師がぼやいたくらいか。一番懸念していたミスズだが、不気味な程に大人しく昨日以来話しかけてすら来ていない。

 「俺達の事に集中しろって言われてるみたいだなぁ」

 「なんにも無いのは良い事でしょ。私も一日ずっと警戒してたしさ」

 「はぁ……わたしは今日も他のクラスの子達にずっと色々聞かれてたよ……」

 家に帰る車の中で、ヒナだけがげっそりとしていた。今日も大変だったらしい。

 「ちなみに何を聞かれるんだ?」

 「お兄ぃ達の馴れ初めとか、お互いの事なんて呼んでるのとか、一緒に住んでるのとか、妹のわたしはどう思ってるのとか……はぁ、昨日とおんなじ事ばっかだよ……」

 「……お疲れ様、ヒナちゃん」

 いくら社交的なヒナでも限界はあるらしい。同じ話を何度も別の人にするせいで、答えが頭からも離れないみたいだ。

 「あ、そうだ。もういっそ学園全体に放送で流しちゃおっかな」

 「おい待てっそれは恥ずかしいからやめてくれ! ……って、今放送室使えなくてマジで良かったー」

 「じゃあ張り紙にしようかな? もう何でもいいから静かに過ごしたいよ」

 虚ろな目で溜息を吐くヒナを慰めたり暴走を止めたりしながら、帰路に就くのだった。せめて家では休ませてあげよう。


■□■□


 「この度は正式な御婚約、誠におめでとうございます」

 その日の夜。予定通りの時間に来たのは、宰司とウンディーノ家の重役二人を合わせた三人だった。あとの二人は何回か会った事はあるが名前までは覚えていない。

 「ありがとうございます」

 「お祝い頂き感謝します」

 俺とイレアは頭を下げ、対面する三人も更に深くお辞儀をする。

 「どうぞお上がりください」

 イレアがリビングに案内し、すかさずソフィーさんがお茶を用意する。見た事も無い豪奢なティーカップだが、こういった時の来客用なのだろう。ちなみに同席を指定されていなかったヒナは自室に引きこもっている。

 「お嬢様。まずは私から今までの非を詫びさせて頂きたい」

 神妙な面持ちで宰司はテーブルに手をついて謝罪する。

 「当主様の貴女への扱いを、貴女を想ってこそのものとも知らずに表面的に賛同し、敬う心を忘れた私をどうかお許し下さい。お嬢様が望むのであればどのような処遇でも甘んじて受け入れる所存です」

 さらに額をテーブルにつけた。俺達も隣の二人もやや困惑気味だ。どう答えたものかと少し考えて、イレアは口を開いた。

 「宰司殿、顔を上げて下さい。私が今まで受けた扱いに対する謝罪はお婆様が代表してなさっています。貴方には責任は無いと当主として仰っていました。ですが……一つだけお願いを聞いて下さるかしら」

 「なんなりと」

 「宰司殿自身は改心なさったと思います。ですので今度は貴方以外の方にも、生まれや能力による差別をしないように伝えて下さい――いえ、命令です。いいですか?」

 「はっ」

 なるほど、まずは今までの事を水に流しておきたかったんだな。もちろんイレアには宰司に何かを命令する権限など本来無い。イレアがこんな感じの事を言うのも想定した上での謝罪だ。彼にとっては少々虫のいい話ではあるが、立場が上の者がへりくだった姿勢を見せるってのが形式的に大事なんだろう。

 「リオ殿におかれましても、数々の無礼な発言、改めてお詫び申し上げます」

 「あっ、いえ。その……俺もイレアと同じ思いです」

 俺の方にも来るとは思っていなかったが、イレアに乗っかることにした。それに満足したのか、仕切り直すように宰司は咳払いをした。

 「ごほん……では改めまして、お二人の御婚約を祝福致します」

 「私共からも、お祝い申し上げます」

 「おめでとうございます」

 三人が一斉に頭を下げ、さっきと同じやりとりだ。宰司は懐から手紙のようなものを取り出した。

 「当主様より祝辞をお預かりしていますので代読させて頂きます。『イレアーダス殿、並びにリオ殿。此度の婚約においては祖母として、そしてウンディーノ家当主として大いに祝福致します――』」

 内容は俺達への祝辞と、ウンディーノ家次期当主夫妻としての心構えを説くものと、いつでも二人で支え合っていき、困った時には自分達を頼って欲しいといったものだった。ありきたりだが、リギスティアさんの優しさを感じる文章だった。

 「――との事です。こちらはお預けします」

 宰司から手紙を受け取る。続けて三人からそれぞれ短く挨拶され、今度は高級そうな二つの木の箱がテーブルに置かれた。

 「当家の伝統として、お嬢様にはこちらのティアラを。リオ殿にはこちらの肩章エポレットを。お受け取り下さい」

 箱を開ける俺達に合わせて説明をする。中には一見シンプルだがよく見ると繊細なデザインの白金のティアラと、細やかな金糸の刺繍が施された肩章が入っていた。軍人が付けるようなものとは違い、煌びやかである。

 「っ……」

 すると、ティアラを手にしたイレアが息を飲んだ。何事かと見ると、手元をじっと見つめて震えている。

 「これ、お母様の……」

 「はい。ルミナ―ディア様のものでございます。リオ殿のものと合わせ、代々受け継がれておりますので」

 イレアは見比べるように俺の持つ肩章を眺め、そしてティアラを慈しむように指で撫でた。

 「……ありがとうございます。大切にします」

 「お二人のものが、また次代へ受け継がれる事を我々も心より願います」

 この二つは、次期当主とその婿に渡っていくものらしい。つまり、イレアの両親も付けていたものなのだ。礼を言って顔を上げたイレアの目には光るものがある。

 「私共からは、以上になります。本日はお招きいただきありがとうございました」

 「ありがとうございました。あの、最後にちょっといいですか? ……すいません、向こうでお願いします」

 今ここで聞きたい事があったが、イレアはティアラを手にしてじっと目を閉じている。邪魔しては悪いだろう。宰司と俺は部屋の外に出た。

 「何かありましたか?」

 「二つ聞きたい事が。リギスティアさんに話したかったんですけど、折角なので宰司さんにも」

 「どうぞ。私が答えられる範囲なら」

 今日の朝に思い至った事を整理する。まずはより重要な方を一つ。

 「色々と考えたんですけど、極東軍の考えが何なのかって。ノーミオ家に働きかけて公国を軍事化したり、スパイのようなものを送り込んだり……ドラヴィドとの戦争を起こすだけなら、回りくどいなって」

 「……続けて下さい」

 「それで思ったんです、他に目的があるんじゃないかと。極東軍は、大精霊エレメントを狙っているんじゃないかって」

 俺の憶測を聞いた宰司は、全て分かっているとばかりに頷いた。

 「我々の考えも同じです。リオ殿が、母上殿――極東軍のミヅカ少将から大精霊との対話を指令されている事も踏まえ、何かを仕掛けてくるのではないかと危惧しています。ですがミゲル・キリシマからは何も情報を得られませんでした」

 「ミゲルさんも知らないんですか……」

 母さんの部下だった彼も知らないらしい。ミスズのあの言動からしても、下の者には殆ど伝わっていないのだろう。

 「何か情報が入ったらお伝えください。リオ殿はこの件のキーパーソンですから。それで、他には?」

 「はい。その大精霊との対話についてです。ノーミオ家の土の大精霊はともかく、火の大精霊――サラマンド家について、よく考えたら何も知らないなって。サラマンド家の事、教えてくれませんか?」

 宰司は目を閉じ、やや考え込んでからこう答えた。

 「……サラマンド家は、我々のように分家や多くの人員を持ちません。今は当主一人のみが家を担っています。その方も滅多に人前には出てこられないそうです。リオ殿が知らないのは無理もないかと」

 人伝に知ったかのような現実味の無い話を聞かされた俺は、あまり納得はできなかった。



 俺と宰司は部屋に戻って、落ち着いたイレアと共に三人を見送った。それから話があるとイレアの部屋に呼ばれた。俺からも話す事があるので丁度いい。二人でベッドに並んで座ると、ぽつぽつとイレアが話し始めた。

 「このティアラ、お母さんも着けてたの」

 あんまり覚えてないけどね、と言ってイレアは続ける。手には白金のティアラを大事そうに持っている。

 「リオが貰ったその肩章も、たぶんお父さんが着けてたんだと思う。そっちは全く見覚え無いけど。でも、一度だけお母さんとお父さんと一緒に何かの式典に出たの思い出したんだ。二人とも正装だった。たしか私もね」

 唯一記憶にある、両親の厳かな姿だったという。今までイレアにとっては優しい母と父が全てだったが、その記憶の中の二人は巫女家の次期当主として務めていた。

 「お母さんは私の憧れなの。強くて優しいお母さんだったけど、次期当主としても凄くしっかりしてたなって思い出して。やっぱりお母さんは憧れの人なんだなってね」

 「……なれるといいな、お母さんみたいに」

 「うん」

 俯く顔から雫が一つ落ちる。ティアラをいじるたおやかな指とその表情に、宰司に聞いた話は今は無理だなと俺は思った。

 「お母さんとお父さんにも、リオに会って欲しかったな…………きっと認めてくれるから……リオは、お父さんとは気が合うんじゃないかな?」

 「今度、お墓に挨拶に行こうか」

 「……うん」

 先程よりもか細い返事をし、鼻を啜った。右手で目元を拭い、それでも左手はティアラから絶対に離さない。
 自然と体が動いた。俺は左手をイレアの肩に回し、右手で頭を撫でる。彼女が泣き止むまで、俺はずっとそうしていた。
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