竜の花嫁

紫陽花

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第1章 竜の加護

剣の姫君

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「やあああっ!」

 王宮の庭園に勇ましい少女の声が響いた。
 長い髪の毛を後頭部の高い位置で縛り、男が着るような簡素な稽古服で剣を振るう少女だ。
 続けて、硬い木の棒がぶつかり合う音。少女の木剣が、相手の木剣に弾かれた音である。

「ぬんっ!」

 少女が相対しているのは、黒い官服に身を包んだ厳つい体格の大男である。
 二人が振るう木剣の長さは同じ。しかし、大男が持っていると、小剣のようにも見えてしまう。
 精悍な雰囲気を持った男の髪には白い毛がいくらか混じっているが、それ以外に年齢を感じさせるものはない。

「いやあっ!」

 少女は気合を入れて横薙ぎに剣を振るう。
 しかし、大男はそれを簡単に受け止める。
 激しく響き渡る木剣の音。
 少女は一歩引いて、自分の正面に木剣を構え直した。まっすぐに相手を見つめ、両手で木剣の柄を握り締める。だが、握り締め過ぎない。切っ先の向こうに、相手の顔が見える。
 対する大男は木剣を片手でだらりと下げ、自然体で少女と向かい合っている。

「ふーっ、ふーっ、ふーっ……。はあっ!」

 少女は一際大きな声で気合を大男に叩きつけると、木剣を突き出した。狙うは大男の首。弾かれるのは分かっている。だから、それは誘い。
 大男は自分の首を守るかのように木剣を上げた。
 その瞬間、少女の木剣は軌道を変え、突きから横薙ぎへと変化して大男の手首へと向かう。

「……ぬ!」

 だが、これも誘い。大男が木剣で横薙ぎを受けようとした瞬間、少女の木剣が蛇のように揺らぎ、叩きつける動きから絡みつく動きとなった。そして少女が木剣を真上に振り上げた時、大男の手から木剣は失われていた。
 風を切る音とともに、くるくると回転しながら落下した大男の木剣は、王宮の広い庭園に突き刺さった。

「お見事です、ランサス姫。元騎兵団長たるこのルートも、そろそろお役御免ですかな?」
「冗談はよせ、ルート。私はまだ父上や母上のように、平気な顔をしてお前から一本を取れるわけではない。今も必死で頭を巡らせた結果だ」
「姫様はまだお若い。これからですよ」
「どうかな。もしかしたら、これ以上は伸びないかもしれない。父上や母上のようには成れないかもしれない」

 年若い姫と歴戦の剣士。年齢と技量の差を考えれば、一本を取れた少女が浮かれてもおかしくは無いのだが、無邪気に喜ぶ姿は見られなかった。

「……重荷ですかな、竜の加護は?」
「ああ、重い重い。重くて潰れてしまいそうだ」

 少女――この国の王女であるランサス・ゼフィ・パテルは、元騎兵団長に己の王族としての義務を問われた。しかし、さっきまでの物憂げな表情とは裏腹に、飄々とした風に受け流した。
 だが、不意に真面目な表情でルートに向き直る。

「竜の加護を受けられるのは、王位を持つ者と、その配偶者のみ。それは、建国以来の決まりだ。ならば王位を継ぐ者は強くあらねばならない。それでこそ、この国を守ることが出来る」
「ですな」
「ふふ……。とはいえ、父上が王位を譲るのなんて先の話だな。私が行き遅れになっても、まだまだ母上と一緒に頑張っているだろう。竜の加護があるから、毒殺や暗殺も有り得ないし」
「さて、世の中、何が起こるか分かりませぬからな。現に今も、隣国のエイフィッド王国との小競り合いを収める為に、はるばる東の国境へ、我らが騎兵団と共に御親征しておられる」
「百五十年前からの因縁か……。とはいえ、小競り合いなら、わざわざ父上たちが行かれなくても良かったのではないかと思う。過剰戦力だ」
「陛下が王位を継がれてから初めての武力衝突ですからな。エイフィッドも様子見の面があるのでしょう。今代の竜の加護はいかがなものか……と。それには答えてやらねばなりますまい」
「エイフィッドにとっては淡い期待だな。建国以来、我らは竜の意思を貫いている。『野心は持たず、暗君は生まず。ゆえにこそ竜の加護は王国を守る』」
「隣国から見れば、我が国の王と王妃は恐怖の象徴です。僅かでもその力が弱くなっていればと期待するのは、人として分からぬ話ではありません」
「そんな神頼みみたいな話に付き合わされる隣国の兵士たちが哀れだ」

 竜の加護。
 それは、パテル王国の要である。
 王と王妃にのみ与えられる人外の力。竜の力。
 人に定められた生病老死の内、病と死を絶対に回避する加護である。毒も効かない。
 そして、竜の力を得た王と王妃は、戦場においては絶対無敵。
 常に最前線で武威を振るい、外敵の侵入を防いでいた。
 王国の最強戦力。
 それが、この国の王と王妃である。

「しかし、数で押されれば分かりませぬ」
「そうか? 昔の伝え聞いた話では、王と王妃の二人で千人の騎士団を壊滅させた事が有るらしいぞ」
「百五十年前の山峡関攻防戦、エイフィッドとの最初の戦争ですな」
「我が国の騎兵団が退却したと見せかけて平野部に敵軍を誘き出し、遮るものの無い広大な平野を王と王妃の二人で蹂躙したとか」
「なるほど、確かにあれ以来、我が国の騎兵団は守りに特化し、盾としての役割を担ってまいりました。攻める力が無いわけではありませぬが、王と王妃の戦いの場に参じても、足手まといでしょうな」
「そういう事だ。数が力になり得ぬ。我が父上と母上は、そういう冗談のような存在というわけだ」

 ランサスは木剣の柄を握り締めた。城にいる同年代の者たちと比べても、ランサスは剣に秀でている。自分でも、それなりに強いという自負はある。だが、父も母も、竜の加護など無くても化け物のように強い。王国騎兵団の中でも二人に勝てる者は稀だ。

「この国を守る為、王の子は強くならなければならない。竜の加護で死は免れるが、戦う力はあくまで底上げだ。自分自身を鍛えねばな。とはいえ、今すぐというわけでもない。これからも稽古をつけてくれ、我が師よ」
「御意」
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