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天丼黙示録
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いけないと分かっていても、つい、やってしまう。あるいは、やらずにいられない。人間なら誰しも、そんな葛藤を一つや二つは抱えているのではないだろうか?
かつて私は、カツ丼の信徒だった。
おそらく、この言葉を目にした読者は、怪訝な顔をして「『カツ丼の信徒』とは何ぞや?」と疑問を抱くことであろう。
世の中には、さまざまな趣味嗜好を持つ人がいる。ソーシャルゲームのガチャに何万円も課金する人もいれば、電車の写真を撮るために全国の駅を巡る人もいる。私にとって、その「好き」の対象がカツ丼だったということなのだ。ある日、私はカツ丼の美味に目覚め、カツ丼に浸り、一日五食のカツ丼生活を送った。その結果、私の腹回りは1メートルを超え、体重は0・1トンを優に超越するに至った。
当時の私にとってカツ丼は、人生そのものであった。
しかし、賢明なる読者諸氏は、これらがすべて過去形で語られていることに気づかれていることであろう。
そう、私にとってカツ丼は、既に過去の栄光に過ぎない。
いまの私を耽溺させるもの。
それが、天丼なのである。
私と天丼の出合いは、まったくの偶然であった。
ある日、訪れた飯屋で、私は例のごとくカツ丼を注文した。しかし、あにはからんや、その日に限ってカツ丼は売り切れており、私は別メニューを注文することを余儀なくされた。そして、次善策としてやむを得ず注文したのが天丼だったのだ。
ところが、この出合いが私の人生を、否、私そのものを狂わせるきっかけとなった。
丼に鎮座する天ぷらの数々。黄金色の聖なる衣に包まれたそれらは、天から遣わされた祝福の使徒か、はたまたにこやかな笑顔で地獄へといざなう堕落の悪魔か。
かじれば口中に響く妙なる音。カリ、とも、サク、とも言える軽快な響きは、ただ一口だけで脳髄を支配し、至福の境地へと導く。そこに甘辛いタレが加わり、具材の味わいと重なることで、天ぷらは一気にご飯の相棒に変身する。単体では「ワタクシ、お買い物は銀座の三越でしか、したことありませんの」とでも言いそうな上品ではかなげな天ぷらが、タレをまとった瞬間、「ガハハ! うちがナンボでもどんぶりメシ食わせたるわ! 好きなだけドカ食いしていけや!」と豪快な笑い声を上げる庶民のおかずへと姿を変えるのだ。
プリプリした弾力のイカ。熱の奔流をもって舌を侵すナス。目に鮮やかな緑と、ピリッとした辛味をもたらすシシトウ。優しく、とろける甘さで包み込むカボチャ。そして忘れてはならない、主役のエビ。それぞれが異なる食感と旨味を持ち、それでいて調和した世界を作り上げている。
そんな世界が、一口ごとに私の中で崩れてゆく。砕けてゆく。そして圧倒的美味をもって支配してゆく。
私は知ってしまったのだ。カツ丼は序章に過ぎなかった。真の悦楽、真の終末は天丼にこそ宿っていたのだと。
天丼の魅力。その第一が天ぷらの衣にあることは言を俟たないであろう。
カツ丼の衣は肉の旨味を逃がさないための保護具である。もちろん、その保護具が卵に絡み、ツユを吸うことで渾然一体とした美味さを生み出すことは誰もが認めるところだ。
しかし、天ぷらの衣はそれ自体が美の極致と言っていい。
揚げ油と小麦粉の生地が織りなし、生み出した衣はすべて唯一無二の形態である。偶然の産物と言ってもいい。3Dプリンターで同じ形のものを複製でもしない限り、天ぷらは一つとして同じ形にならない。
そしてもちろん、食べれば美味い。具の力を借りずとも、衣自体が美味い。たぬきそばやたぬき丼など、天かすをメインの具材として味わう料理が存在することを考えても、その美味さは分かることであろう。カツ丼では、そういうわけにいかない。肉のないトンカツはトンカツとしての存在意義を失うのだ。
しかし、天ぷらのみで天丼が成立するわけではない。タレこそ、天丼の要なのである。
天丼のタレ。それは単なる調味料ではない。丼全体を抱擁する魂である。私の理性を溶かす液体の奈落である。静謐な出汁の旨味にみりんの甘露が合わさり、それらを深遠な闇のごとく濃口醤油が包み込む。みりんがソプラノなら出汁はテノール、濃口醤油がバリトン。それらが響き合い、重層和音となって天ぷらとご飯を結びつけるのだ。
エビにイカ、ナス、カボチャ、シシトウ。時にアナゴやレンコン、シイタケが加わることもある。普通に生きていたら交わるはずのなかった海の幸と山の幸が丼の上で邂逅し、一つの世界を築き上げる。そう、それはトランペットやバイオリン、フルートといった、まったく違う世界で生まれた楽器たちが、管弦楽団として共に一つの曲を奏でるようなものなのだ。それぞれが独立した世界を持ちつつも、丼の中で一つの終末を奏でる。それが天丼という食べ物なのだ。
天丼とは言うまでもなく「天ぷらどんぶり」の略語であり、「天ぷら」はポルトガル語で「調理」を意味する「Tempero」に由来すると言われている。
しかし、天丼の持つ世界は、そのような浅薄なものだろうか。
古来より天とは「天空」すなわち大空を示す言葉であり、「天運」「天命」といえば人智を超えた巡り合わせを指し示す。また、神々の座す世界を「天界」と称する。つまり天丼とは、無限の広がりを持つ空の世界であり、天運を乗せた丼であり、食べる人に天啓、天命をもたらすものである。単に天ぷらを乗せてタレをかけたものではない。天上界の神々への供物を模した至高の食べ物こそ、天丼と言えるのではないか。
天ぷらにかじりつき、タレのしみたご飯をかき込むとき、私は忘我の境地に至る。既にそこに「私」という概念はなく、天丼と合一せんとする一個の味蕾が存在するばかりなのだ。天丼を味わいつつ、私もまた、天丼に味わわれているのではないかと思う。
私は天丼道を邁進している。この道に際限はなく、行きつく先は見えない。私の命が尽きるのが先か、私が天丼を食べ尽くすのが先か。一人の求道者として、己の信じた道を歩み続けるばかりである。
人は食べたものでできている。ならば私は、天ぷらと米でできているに違いない。
これは私の天丼への祈りである。
I am the coat of my Tempura.(体は天ぷらでできている)
Sauce is my blood, and rice is my heart.(血潮はタレで、心は米飯)
I have ordered over a thousand bowls.(幾たびのおかわりを越えて不敗)
Known to finish,(ただの一度も食べ残しはなく、)
Nor known to share.(ただの一度も分かち合わない)
Have embraced joy to satisfy my hunger.(彼の者は常に独り 丼の丘で満腹に酔い)
I have no regrets. My fulfillment is the path.(故に、生涯に意味はなく)
My whole life was "Unlimited Tendon Works."(その体は、きっと天丼でできていた)
かつて私は、カツ丼の信徒だった。
おそらく、この言葉を目にした読者は、怪訝な顔をして「『カツ丼の信徒』とは何ぞや?」と疑問を抱くことであろう。
世の中には、さまざまな趣味嗜好を持つ人がいる。ソーシャルゲームのガチャに何万円も課金する人もいれば、電車の写真を撮るために全国の駅を巡る人もいる。私にとって、その「好き」の対象がカツ丼だったということなのだ。ある日、私はカツ丼の美味に目覚め、カツ丼に浸り、一日五食のカツ丼生活を送った。その結果、私の腹回りは1メートルを超え、体重は0・1トンを優に超越するに至った。
当時の私にとってカツ丼は、人生そのものであった。
しかし、賢明なる読者諸氏は、これらがすべて過去形で語られていることに気づかれていることであろう。
そう、私にとってカツ丼は、既に過去の栄光に過ぎない。
いまの私を耽溺させるもの。
それが、天丼なのである。
私と天丼の出合いは、まったくの偶然であった。
ある日、訪れた飯屋で、私は例のごとくカツ丼を注文した。しかし、あにはからんや、その日に限ってカツ丼は売り切れており、私は別メニューを注文することを余儀なくされた。そして、次善策としてやむを得ず注文したのが天丼だったのだ。
ところが、この出合いが私の人生を、否、私そのものを狂わせるきっかけとなった。
丼に鎮座する天ぷらの数々。黄金色の聖なる衣に包まれたそれらは、天から遣わされた祝福の使徒か、はたまたにこやかな笑顔で地獄へといざなう堕落の悪魔か。
かじれば口中に響く妙なる音。カリ、とも、サク、とも言える軽快な響きは、ただ一口だけで脳髄を支配し、至福の境地へと導く。そこに甘辛いタレが加わり、具材の味わいと重なることで、天ぷらは一気にご飯の相棒に変身する。単体では「ワタクシ、お買い物は銀座の三越でしか、したことありませんの」とでも言いそうな上品ではかなげな天ぷらが、タレをまとった瞬間、「ガハハ! うちがナンボでもどんぶりメシ食わせたるわ! 好きなだけドカ食いしていけや!」と豪快な笑い声を上げる庶民のおかずへと姿を変えるのだ。
プリプリした弾力のイカ。熱の奔流をもって舌を侵すナス。目に鮮やかな緑と、ピリッとした辛味をもたらすシシトウ。優しく、とろける甘さで包み込むカボチャ。そして忘れてはならない、主役のエビ。それぞれが異なる食感と旨味を持ち、それでいて調和した世界を作り上げている。
そんな世界が、一口ごとに私の中で崩れてゆく。砕けてゆく。そして圧倒的美味をもって支配してゆく。
私は知ってしまったのだ。カツ丼は序章に過ぎなかった。真の悦楽、真の終末は天丼にこそ宿っていたのだと。
天丼の魅力。その第一が天ぷらの衣にあることは言を俟たないであろう。
カツ丼の衣は肉の旨味を逃がさないための保護具である。もちろん、その保護具が卵に絡み、ツユを吸うことで渾然一体とした美味さを生み出すことは誰もが認めるところだ。
しかし、天ぷらの衣はそれ自体が美の極致と言っていい。
揚げ油と小麦粉の生地が織りなし、生み出した衣はすべて唯一無二の形態である。偶然の産物と言ってもいい。3Dプリンターで同じ形のものを複製でもしない限り、天ぷらは一つとして同じ形にならない。
そしてもちろん、食べれば美味い。具の力を借りずとも、衣自体が美味い。たぬきそばやたぬき丼など、天かすをメインの具材として味わう料理が存在することを考えても、その美味さは分かることであろう。カツ丼では、そういうわけにいかない。肉のないトンカツはトンカツとしての存在意義を失うのだ。
しかし、天ぷらのみで天丼が成立するわけではない。タレこそ、天丼の要なのである。
天丼のタレ。それは単なる調味料ではない。丼全体を抱擁する魂である。私の理性を溶かす液体の奈落である。静謐な出汁の旨味にみりんの甘露が合わさり、それらを深遠な闇のごとく濃口醤油が包み込む。みりんがソプラノなら出汁はテノール、濃口醤油がバリトン。それらが響き合い、重層和音となって天ぷらとご飯を結びつけるのだ。
エビにイカ、ナス、カボチャ、シシトウ。時にアナゴやレンコン、シイタケが加わることもある。普通に生きていたら交わるはずのなかった海の幸と山の幸が丼の上で邂逅し、一つの世界を築き上げる。そう、それはトランペットやバイオリン、フルートといった、まったく違う世界で生まれた楽器たちが、管弦楽団として共に一つの曲を奏でるようなものなのだ。それぞれが独立した世界を持ちつつも、丼の中で一つの終末を奏でる。それが天丼という食べ物なのだ。
天丼とは言うまでもなく「天ぷらどんぶり」の略語であり、「天ぷら」はポルトガル語で「調理」を意味する「Tempero」に由来すると言われている。
しかし、天丼の持つ世界は、そのような浅薄なものだろうか。
古来より天とは「天空」すなわち大空を示す言葉であり、「天運」「天命」といえば人智を超えた巡り合わせを指し示す。また、神々の座す世界を「天界」と称する。つまり天丼とは、無限の広がりを持つ空の世界であり、天運を乗せた丼であり、食べる人に天啓、天命をもたらすものである。単に天ぷらを乗せてタレをかけたものではない。天上界の神々への供物を模した至高の食べ物こそ、天丼と言えるのではないか。
天ぷらにかじりつき、タレのしみたご飯をかき込むとき、私は忘我の境地に至る。既にそこに「私」という概念はなく、天丼と合一せんとする一個の味蕾が存在するばかりなのだ。天丼を味わいつつ、私もまた、天丼に味わわれているのではないかと思う。
私は天丼道を邁進している。この道に際限はなく、行きつく先は見えない。私の命が尽きるのが先か、私が天丼を食べ尽くすのが先か。一人の求道者として、己の信じた道を歩み続けるばかりである。
人は食べたものでできている。ならば私は、天ぷらと米でできているに違いない。
これは私の天丼への祈りである。
I am the coat of my Tempura.(体は天ぷらでできている)
Sauce is my blood, and rice is my heart.(血潮はタレで、心は米飯)
I have ordered over a thousand bowls.(幾たびのおかわりを越えて不敗)
Known to finish,(ただの一度も食べ残しはなく、)
Nor known to share.(ただの一度も分かち合わない)
Have embraced joy to satisfy my hunger.(彼の者は常に独り 丼の丘で満腹に酔い)
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