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丼空抄(どんくうしょう)
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丼といえば、ご飯に具をのせただけの簡易な食べ物と思われがちな料理であるが、実は、その道は深く、果てしない。
かつて私は、カツ丼の美味に溺れ、天丼の妙味に耽った。その後、牛丼、親子丼、他人丼、木の葉丼、ハイカラ丼、中華丼、豚丼、焼肉丼、ローストビーフ丼、うな丼、マーボー丼、海鮮丼、鉄火丼、イクラ丼、ネギトロ丼、しらす丼……と、ありとあらゆる丼料理を食べて食べて食べまくった。
タレが、餡が、ツユが絡んだメシ、そして硬軟さまざまな具。それらが渾然一体となって胃袋へ突撃するとき、私は一個の肉体から解放され、魂で丼を味わった。まさにそれは魂を震わせる法悦の境地であった。
胃袋が丼いっぱいのメシで満たされ、「これ以上、何も入らない」というサインを発する。やがて、急激に上昇する血糖値は意識を混濁の彼方へと送り込み、泥のような眠りをもたらす。
かつて、ある人は「強い酒を飲んで記憶が切れる時。これは最高の快楽の境地なんだよね」と語った。それはおそらく、酒飲みにとって一つの真実なのだろう。しかし私にとって、丼料理で胃袋を自由に満たし、食後のひと時、まどろむことこそが至福なのであった。名づけるならば無限の丼製(Unlimited Rice Works)。一日五食の丼という、暴食に暴食を重ねるような生活であった。その結果、私に待っていたもの。それは無情な医師による「強制終了」なのだった。
血糖値。コレステロール値。血中脂肪。血圧。健康診断の結果通知書には最低の「D」評価が並び、ありとあらゆる数値が異常を示し、産業医からは「命に関わるので、いますぐ入院が必要です」と言い渡された。
無機質な淡いグレーの壁と天井。真っ白なシーツ。漂う薬品のニオイ。
病院とは、清潔だがあまりに無味乾燥で淡白な世界だった。
入院した私を待っていたのは、検査と服薬、「理学療法」という名の筋力トレーニングと有酸素運動、そして……ほんの少量の食事だった。
よく言えば素材の味を生かした、悪く言えば最低限の味つけしかされていない、キノコや海藻、野菜ばかりの料理。油っ気のない肉と味噌汁。そして、信じられないほど小さな椀に入ったご飯。
それは私の生命維持に必要な最低限の栄養素を配合しただけの、特別管理食という名の素食だった。
一日分をまとめて食べたとしても、かつての私の一回分の食事にも満たない量である。私が感じたのは、空腹感などという生易しいものではない。飢餓であった。食物への渇望であった。
「あなたはもう、丼を食べてはいけない」
医師の言葉は私にとって、現世からの隔絶であり、断絶を告げる無慈悲な宣告だった。
食べたい。食べたい。食べたい。
運動のため院内を歩けば、否応なしに自動販売機やコンビニエンスストアが目に入る。ああ、このスマホをほんの少しかざすだけで、あの美味が手に入る。いまなら、コンビニのチルド棚に陳列されている、手のひらにすっぽり収まりそうなほど小さなカツ丼でさえ、万金を積んでも惜しくない。否、いま一度あの愉楽に浸れるのであれば、命と引き換えにしても悔いはないほどであった。
私は何度も、無意識のうちにそれらを手に取ろうとした。それができなかったのは、院内を移動する際は医師や看護師が私のそばにいて、常に私の動きに目を光らせていたからであった。
ああ、カツ丼よ。天丼よ。牛丼に親子丼よ。お前たちにもう一度会いたい。ずしりと重い丼をこの手に抱きしめ、食欲の赴くままに頬張りたい。
私は涙した。満たされぬ腹に、終わりなき飢餓に、はらはらと涙を流すことしかできなかった。
ある日、私は夢を見た。
丼たちの夢であった。食卓に丼たちが満載されていた。いずれも山盛りであった。
熱い丼はいままさに盛りつけられたばかりのごとくホカホカと湯気を上げ、海鮮丼やローストビーフ丼はヒンヤリと輝いていた。
私は天丼を手に取った。
エビ天が語る。「我こそが主役。我なくして天丼は成立せぬ」
イカ天が叫ぶ。「この弾力のある体を噛み切れるものなら、噛み切ってみたまえ!」
ナス天が静かにたたずむ。「私は私。ただここにいるだけでいい」
シシトウ天がつぶやく。「甘く見てると、ヤケドするぜ」
天丼が語る。「私たちは個にして全。一にして多。個別の天ぷらであると同時に、丼という一つの料理なのだ」
私はカツ丼を持ち上げた。
卵とツユをまとったロースカツが、寂しそうに言う。「久しぶりね。あんなに長い時間、一緒にいたのに、最近はほかの丼に浮気ばっかりして……」
隣にいたソースカツ丼が、「だけど、たまには私たちのことも思い出してくれたらいいんじゃないの?」と話しかけてくる。
海鮮丼が、焼肉丼が、牛丼が、親子丼が、中華丼が、ありとあらゆる丼たちが私に向かって思いのたけをぶつけてきた。
彼らの願いは共通していた。
「私を食べて」
かなうことなら、私も彼らを食べたかった。私と丼はまさに相思相愛、何人たりとも切り離しえないほど強い絆で結ばれていた。
しかしその願いが、現世でかなうことはない。
現世でかなわないのであれば、せめて夢の中だけでも……。
私は手にしていたカツ丼を、一口、頬張った。
トロリとした卵と、甘辛いツユの絡んだ熱々のカツの旨味が、舌を通して脳髄まで突き刺さる。
ああ……。カツ丼って、なんておいしいんだ……。
痺れるほどの旨味の洪水の中で、私は感動のため息をもらす。
瞬く間にカツ丼を食べきった私は、続いて天丼を食べ始めた。
カリカリと口の中で砕ける衣の中からほとばしる、具材の旨味。絡んだツユの味わいが、ご飯を一口、また一口、食べずにはいられなくする。
天丼……。この美味さは何物にも代えられない……。
私は海鮮丼を、中華丼を、親子丼を、牛丼を、焼肉丼を、手の届く場所にある丼を片っ端から取り上げ、食べ続けた。
夢の中の出来事である。どれだけ食べても腹は満たされない。それでも私の唇は、歯は、舌は、丼たちの記憶を鮮やかに取り戻していた。一口一口の味わいを、それこそ米一粒に至るまで鮮やかに再現していた。
心ゆくまで丼を味わい尽くしたとき、彼ら(彼女ら?)が語りかけてきた。
「私たちは、あなたの幸福のためにあったのです。私たちは、あなたに食べられることで消える。しかし、私たちの味は、記憶としてあなたの中に残る。私たちは、あなたと一つになるのです。たとえあなたが、私たちを食べることができなくなっても、私たちはいなくなったわけではありません。あなたの心に、あなたの細胞に、私たちは在り続けるのです」
そうか……。そうだったのか……。私はもう丼を食べることができないという事柄に絶望していたけれど、それは「食べる」という行為のみに捉われた考えだったのだ。
これまで私は、丼を味わってきた。しかし同時に「丼に味わわれている」とも感じていた。丼と私自身が一つになるような感覚を持ち続けてきた。
そうなのだ。私と丼は、一つになっていたのだ。
食べるという行為を経なくても、丼は既に私の中にある。
そう悟った私は、驚くほどすがすがしい気持ちで夢から覚めたのだった。
真っ暗な病室で、私はベッドから起き上がった。
深夜の病室は意外とにぎやかだ。心電図モニターの規則的な電子音が誰かのベッドから響いてくる。不規則なイビキは、向かいのベッドに寝ているじいさんのものだろうか。廊下からは慌ただしく病室を行き来する看護師の足音が聞こえる。
口元にあふれたヨダレをタオルで拭ったとき、サイドテーブルに回収し忘れられた茶碗が残っているのが目に入った。
私はその茶碗を手に取った。
これは茶碗だ。丼ではない。しかし、ご飯を盛り付ける器であることに変わりはない。丼と茶碗を隔てるものがあるとすれば、それは大きさだけの問題ではないか?
そう。これは、茶碗であると同時に、小さな丼と言ってもいいのだ。
私はじっと、その茶碗である小さな丼を見つめた。
大きく開いた茶碗の口は、完全な円を描いている。
「始まりも、終わりもない」「角がなく、流れ続ける」ところから、円という形は禅において執着から解放された心、「空の境地」を表すとされる。また、見る者の心を映す鏡であるとも言われる。
丼たち……。お前たちは、こんなところにいたのだな。私の手のひらに収まるこの小さな円の中に、全てが在ったのだ。
この手の中に丼がある。私の中に丼がある。私の血に、肉に、骨に、丼たちが宿っている。
いま、私が見つめている丼は、空だ。しかし、それは同時に空でもある。何も入っていない丼は空の器だが、丼という実体を持たない空に満たされた器でもある。
実体としての丼を食べることにこだわる必要はないのだ。私の中に丼があり、丼の中に私がある。だから、この器の中に満たされるものが米飯であれ、白湯であれ、豆腐や蒸し野菜であれ、全ては丼へとつながっている。この器が丼であり、この丼が私なのだ。
仏教で説く「色即是空、空即是色」の境地は、この丼にあったのだ。
線香の匂いがしみついた本堂で、住職は長い話を終えました。
私は取材ノートにメモを取りながら、わずかに視線を上げ、目の前に座る住職を見つめました。
「吹けば飛ぶような」という言葉が似合いそうな、枯れ木のように痩せた体をした、小柄なおじいさんです。とても、ほんの十数年前まで「一日五食の山盛り丼を食べ続けていた」ようには見えません。
しかし、住職が見せてくれた写真は確かに、日本人離れというか、人間離れした巨体で、おいしそうに丼メシを頬張る若き日の住職その人のものなのでした。
「まさか……丼から、悟りを開かれるとは……。まったく、思いもしませんでした」
私はしみじみと思いを述べました。住職はにっこりと笑ってうなずきます。
「周利槃特は掃除を通して大悟し、興教洪寿は崩れる薪の音から悟りを得ました。茶碗一つ、飯粒一つにも、悟りはあるのです」
「貴重なお話を、ありがとうございました。記事が完成しましたら、掲載号をお届けさせてもらいます。それとは別に、個人的なことで恐縮なのですが……。実は私、プライベートでも作家活動をしておりまして、ご住職のお話を題材に小説を書かせてもらってもよろしいでしょうか……?」
「私の話なんかが、小説になるのですか? まあ、好きなようにしていただいたらいいですよ。ただ、檀家さんとの関係もありますので、私の名前や、この寺のことは分からないようにしていただけますか」
「承知いたしました。この件は今回の取材とはまったく別の、私の個人的なお願いですので、作品が出来上がりましたらご住職にも公開前にご確認いただきます。ご覧いただきましたうえで、もし不都合だと思われる内容がありましたらご指摘ください」
このようなやり取りをして、私は取材を終えました。
そして本業の雑誌にインタビュー記事を執筆した後、ご住職のお話の中でも、特に印象的だった部分をまとめて執筆したのが「カツ丼礼賛」「天丼黙示録」であり、本作なのです。
「丼三部作」とでも言うべき本作の最後は、ご住職の言葉で締めくくりたいと思います。
「食べることは、執着ではない。味わうことは、感謝なのです」
かつて私は、カツ丼の美味に溺れ、天丼の妙味に耽った。その後、牛丼、親子丼、他人丼、木の葉丼、ハイカラ丼、中華丼、豚丼、焼肉丼、ローストビーフ丼、うな丼、マーボー丼、海鮮丼、鉄火丼、イクラ丼、ネギトロ丼、しらす丼……と、ありとあらゆる丼料理を食べて食べて食べまくった。
タレが、餡が、ツユが絡んだメシ、そして硬軟さまざまな具。それらが渾然一体となって胃袋へ突撃するとき、私は一個の肉体から解放され、魂で丼を味わった。まさにそれは魂を震わせる法悦の境地であった。
胃袋が丼いっぱいのメシで満たされ、「これ以上、何も入らない」というサインを発する。やがて、急激に上昇する血糖値は意識を混濁の彼方へと送り込み、泥のような眠りをもたらす。
かつて、ある人は「強い酒を飲んで記憶が切れる時。これは最高の快楽の境地なんだよね」と語った。それはおそらく、酒飲みにとって一つの真実なのだろう。しかし私にとって、丼料理で胃袋を自由に満たし、食後のひと時、まどろむことこそが至福なのであった。名づけるならば無限の丼製(Unlimited Rice Works)。一日五食の丼という、暴食に暴食を重ねるような生活であった。その結果、私に待っていたもの。それは無情な医師による「強制終了」なのだった。
血糖値。コレステロール値。血中脂肪。血圧。健康診断の結果通知書には最低の「D」評価が並び、ありとあらゆる数値が異常を示し、産業医からは「命に関わるので、いますぐ入院が必要です」と言い渡された。
無機質な淡いグレーの壁と天井。真っ白なシーツ。漂う薬品のニオイ。
病院とは、清潔だがあまりに無味乾燥で淡白な世界だった。
入院した私を待っていたのは、検査と服薬、「理学療法」という名の筋力トレーニングと有酸素運動、そして……ほんの少量の食事だった。
よく言えば素材の味を生かした、悪く言えば最低限の味つけしかされていない、キノコや海藻、野菜ばかりの料理。油っ気のない肉と味噌汁。そして、信じられないほど小さな椀に入ったご飯。
それは私の生命維持に必要な最低限の栄養素を配合しただけの、特別管理食という名の素食だった。
一日分をまとめて食べたとしても、かつての私の一回分の食事にも満たない量である。私が感じたのは、空腹感などという生易しいものではない。飢餓であった。食物への渇望であった。
「あなたはもう、丼を食べてはいけない」
医師の言葉は私にとって、現世からの隔絶であり、断絶を告げる無慈悲な宣告だった。
食べたい。食べたい。食べたい。
運動のため院内を歩けば、否応なしに自動販売機やコンビニエンスストアが目に入る。ああ、このスマホをほんの少しかざすだけで、あの美味が手に入る。いまなら、コンビニのチルド棚に陳列されている、手のひらにすっぽり収まりそうなほど小さなカツ丼でさえ、万金を積んでも惜しくない。否、いま一度あの愉楽に浸れるのであれば、命と引き換えにしても悔いはないほどであった。
私は何度も、無意識のうちにそれらを手に取ろうとした。それができなかったのは、院内を移動する際は医師や看護師が私のそばにいて、常に私の動きに目を光らせていたからであった。
ああ、カツ丼よ。天丼よ。牛丼に親子丼よ。お前たちにもう一度会いたい。ずしりと重い丼をこの手に抱きしめ、食欲の赴くままに頬張りたい。
私は涙した。満たされぬ腹に、終わりなき飢餓に、はらはらと涙を流すことしかできなかった。
ある日、私は夢を見た。
丼たちの夢であった。食卓に丼たちが満載されていた。いずれも山盛りであった。
熱い丼はいままさに盛りつけられたばかりのごとくホカホカと湯気を上げ、海鮮丼やローストビーフ丼はヒンヤリと輝いていた。
私は天丼を手に取った。
エビ天が語る。「我こそが主役。我なくして天丼は成立せぬ」
イカ天が叫ぶ。「この弾力のある体を噛み切れるものなら、噛み切ってみたまえ!」
ナス天が静かにたたずむ。「私は私。ただここにいるだけでいい」
シシトウ天がつぶやく。「甘く見てると、ヤケドするぜ」
天丼が語る。「私たちは個にして全。一にして多。個別の天ぷらであると同時に、丼という一つの料理なのだ」
私はカツ丼を持ち上げた。
卵とツユをまとったロースカツが、寂しそうに言う。「久しぶりね。あんなに長い時間、一緒にいたのに、最近はほかの丼に浮気ばっかりして……」
隣にいたソースカツ丼が、「だけど、たまには私たちのことも思い出してくれたらいいんじゃないの?」と話しかけてくる。
海鮮丼が、焼肉丼が、牛丼が、親子丼が、中華丼が、ありとあらゆる丼たちが私に向かって思いのたけをぶつけてきた。
彼らの願いは共通していた。
「私を食べて」
かなうことなら、私も彼らを食べたかった。私と丼はまさに相思相愛、何人たりとも切り離しえないほど強い絆で結ばれていた。
しかしその願いが、現世でかなうことはない。
現世でかなわないのであれば、せめて夢の中だけでも……。
私は手にしていたカツ丼を、一口、頬張った。
トロリとした卵と、甘辛いツユの絡んだ熱々のカツの旨味が、舌を通して脳髄まで突き刺さる。
ああ……。カツ丼って、なんておいしいんだ……。
痺れるほどの旨味の洪水の中で、私は感動のため息をもらす。
瞬く間にカツ丼を食べきった私は、続いて天丼を食べ始めた。
カリカリと口の中で砕ける衣の中からほとばしる、具材の旨味。絡んだツユの味わいが、ご飯を一口、また一口、食べずにはいられなくする。
天丼……。この美味さは何物にも代えられない……。
私は海鮮丼を、中華丼を、親子丼を、牛丼を、焼肉丼を、手の届く場所にある丼を片っ端から取り上げ、食べ続けた。
夢の中の出来事である。どれだけ食べても腹は満たされない。それでも私の唇は、歯は、舌は、丼たちの記憶を鮮やかに取り戻していた。一口一口の味わいを、それこそ米一粒に至るまで鮮やかに再現していた。
心ゆくまで丼を味わい尽くしたとき、彼ら(彼女ら?)が語りかけてきた。
「私たちは、あなたの幸福のためにあったのです。私たちは、あなたに食べられることで消える。しかし、私たちの味は、記憶としてあなたの中に残る。私たちは、あなたと一つになるのです。たとえあなたが、私たちを食べることができなくなっても、私たちはいなくなったわけではありません。あなたの心に、あなたの細胞に、私たちは在り続けるのです」
そうか……。そうだったのか……。私はもう丼を食べることができないという事柄に絶望していたけれど、それは「食べる」という行為のみに捉われた考えだったのだ。
これまで私は、丼を味わってきた。しかし同時に「丼に味わわれている」とも感じていた。丼と私自身が一つになるような感覚を持ち続けてきた。
そうなのだ。私と丼は、一つになっていたのだ。
食べるという行為を経なくても、丼は既に私の中にある。
そう悟った私は、驚くほどすがすがしい気持ちで夢から覚めたのだった。
真っ暗な病室で、私はベッドから起き上がった。
深夜の病室は意外とにぎやかだ。心電図モニターの規則的な電子音が誰かのベッドから響いてくる。不規則なイビキは、向かいのベッドに寝ているじいさんのものだろうか。廊下からは慌ただしく病室を行き来する看護師の足音が聞こえる。
口元にあふれたヨダレをタオルで拭ったとき、サイドテーブルに回収し忘れられた茶碗が残っているのが目に入った。
私はその茶碗を手に取った。
これは茶碗だ。丼ではない。しかし、ご飯を盛り付ける器であることに変わりはない。丼と茶碗を隔てるものがあるとすれば、それは大きさだけの問題ではないか?
そう。これは、茶碗であると同時に、小さな丼と言ってもいいのだ。
私はじっと、その茶碗である小さな丼を見つめた。
大きく開いた茶碗の口は、完全な円を描いている。
「始まりも、終わりもない」「角がなく、流れ続ける」ところから、円という形は禅において執着から解放された心、「空の境地」を表すとされる。また、見る者の心を映す鏡であるとも言われる。
丼たち……。お前たちは、こんなところにいたのだな。私の手のひらに収まるこの小さな円の中に、全てが在ったのだ。
この手の中に丼がある。私の中に丼がある。私の血に、肉に、骨に、丼たちが宿っている。
いま、私が見つめている丼は、空だ。しかし、それは同時に空でもある。何も入っていない丼は空の器だが、丼という実体を持たない空に満たされた器でもある。
実体としての丼を食べることにこだわる必要はないのだ。私の中に丼があり、丼の中に私がある。だから、この器の中に満たされるものが米飯であれ、白湯であれ、豆腐や蒸し野菜であれ、全ては丼へとつながっている。この器が丼であり、この丼が私なのだ。
仏教で説く「色即是空、空即是色」の境地は、この丼にあったのだ。
線香の匂いがしみついた本堂で、住職は長い話を終えました。
私は取材ノートにメモを取りながら、わずかに視線を上げ、目の前に座る住職を見つめました。
「吹けば飛ぶような」という言葉が似合いそうな、枯れ木のように痩せた体をした、小柄なおじいさんです。とても、ほんの十数年前まで「一日五食の山盛り丼を食べ続けていた」ようには見えません。
しかし、住職が見せてくれた写真は確かに、日本人離れというか、人間離れした巨体で、おいしそうに丼メシを頬張る若き日の住職その人のものなのでした。
「まさか……丼から、悟りを開かれるとは……。まったく、思いもしませんでした」
私はしみじみと思いを述べました。住職はにっこりと笑ってうなずきます。
「周利槃特は掃除を通して大悟し、興教洪寿は崩れる薪の音から悟りを得ました。茶碗一つ、飯粒一つにも、悟りはあるのです」
「貴重なお話を、ありがとうございました。記事が完成しましたら、掲載号をお届けさせてもらいます。それとは別に、個人的なことで恐縮なのですが……。実は私、プライベートでも作家活動をしておりまして、ご住職のお話を題材に小説を書かせてもらってもよろしいでしょうか……?」
「私の話なんかが、小説になるのですか? まあ、好きなようにしていただいたらいいですよ。ただ、檀家さんとの関係もありますので、私の名前や、この寺のことは分からないようにしていただけますか」
「承知いたしました。この件は今回の取材とはまったく別の、私の個人的なお願いですので、作品が出来上がりましたらご住職にも公開前にご確認いただきます。ご覧いただきましたうえで、もし不都合だと思われる内容がありましたらご指摘ください」
このようなやり取りをして、私は取材を終えました。
そして本業の雑誌にインタビュー記事を執筆した後、ご住職のお話の中でも、特に印象的だった部分をまとめて執筆したのが「カツ丼礼賛」「天丼黙示録」であり、本作なのです。
「丼三部作」とでも言うべき本作の最後は、ご住職の言葉で締めくくりたいと思います。
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