ロルスの鍵

ふゆのこみち

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監獄塔編

32. 森の歓迎

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 テイザとキサラが騎士に拘束されるのと同時刻。その持ち前の身体能力でかなりの距離を移動したシュヒアル、タスラ、シーラの三人は、森の奥にまで足を踏み入れていた。

「わ、私のせいだ。私がわがままを言ったから、キサラが、キサラがっ」

 自分が山に行きたいなどと言い出したせいで。そう責任を感じたシーラが耐えきれずに泣き出してしまった。決定的な瞬間こそ見ていないが、キサラは捕まってしまったに違いない。
 タスラはそんなシーラの背をトントンと優しく撫でた。シュヒアルも、己の無力感に歯噛みする。

 シュヒアルと使い魔が魔法で対処した場合、騎士の一人や二人簡単に御しきれただろう。しかし貴族を相手取った戦闘行為は伯爵から禁じられている。そんなシュヒアルが咄嗟に出来たことと言えば、使い魔に追跡と護衛を任せたことくらいか。

「大丈夫、大丈夫だよ」

 そうシーラを慰めるタスラの片手には、ぬいぐるみが握られていた。妙に落ち着いていると思ったが、シュヒアルの記憶が確かならこのぬいぐるみに使われた糸には特別な効果がある。

(感情を落ち着かせるおまじない、だったかしら)

 「フロムレア」という花から抽出される成分で出来た糸、ということまでは知っているが、詳しい製法は不明だ。キサラは図書館で見つけた本で学んだと言っていたが、果たして。

 何よりシュヒアルが驚いたのは加工された糸ではなく、素材として用いられた花の方だ。フロムレアの名は貴族の間でも広く知られているが、その用途は紅茶に花弁を浮かべるなど嗜好的な意味合いが強い。
 まず栽培しようにも花を咲かせるのは難しく、そう簡単に育たない。たまたま咲いたものを見つけて採取するのが一般的なため、趣向品としては最高級の扱いだ。

 だからこそシュヒアルはキサラがそれを自身の手で育て、加工品が作れるほど収穫したという事実に驚いた。何と種は幼い頃テイザから譲り受けたのだと言う。
テイザは普段キサラのことをまるで変わり者であるかのように表現することがあるが、シュヒアルからしてみれば似た者同士の兄弟だ。

 ちなみに加工された糸には「色硬糸しっこうし」という名称が付けられている。希少性の高い素材で、原材料自体があまり出回らないこともあり、こちらの知名度はほとんどない。
何でも、その糸は使い方次第で鉄すら両断出来るのだそうだ。かつてはこれを武器にしていた冒険家も存在したのだとか。

 尤も、キサラはその危険性を知らないはずだ。着目したのは恐らく「感情を落ち着かせる効果」という部分だけ。製法が書かれていたという本には、注釈など無かったと思われる。

「シーラちゃん、ぬいぐるみを出してご覧なさい」

 しゃくり上げて涙が止まらないシーラへぬいぐるみを持たせれば、見る間に状態が落ち着いていく。涙で濡れた目元を乱暴に拭ったのを見届け、シュヒアルは座っていた木の根から優雅に立ち上がった。
内心はあまり穏やかではない。キサラとの絆を見せつけられた気がして、こんなときだというのに苛立ちが腹に溜まる。

(優しい優しいキサラくん。ぬいぐるみなんて作らなくても、その糸を売ってしまえばすぐに大金が手に入るのに)

 いっそ金に目のない性格であればとシュヒアルは夢想した。そうすれば今すぐにでも囲い込めるのに。

「あら? どうやらおかしなことになっているようだわ」
「おかしなことって?」
「キサラくんはお兄さんと一緒に監獄塔へ連行されたそうよ」
「監獄塔!?」
「どうして?!」

 監獄塔は極悪人が収容される場所、というのが共通認識である。少なくとも何の説明もなく拘束され、投獄されることなどあり得ない話だ。

「伯爵家から抗議してもあまり意味はなさそうだわ。ワタクシ自身が連行されたのならまだしも、キサラくんは平民なのだし」

 シュヒアルの使い魔……ラギスによれば、監獄塔には結界が張ってあり、魔除けの効果も確認出来たそうだ。ラギス曰く単純に土地との相性も悪いそうで、魔法の使用もほとんど絶望的らしい。
上級の魔族であっても簡単に攻略させないとは、さすが国内屈指の設備と言われるだけある。

(こんなときのためにファリオンを同行させているというのに)

 今、どこで何をしているのやら。彼には彼の目的があることも理解しているが、肝心なところで役に立たないのなら少し対策を講じなければならない。

「さっき言っていたパドギリアって人でもダメなの?」
「ワタクシたちの保護までなら力を貸してくれるわ。けれど監獄塔へ入れられた人間を解放するとなると、そう簡単な話ではないわね」

 問い合わせたところではぐらかされるに決まっている。真正面から挑むより、盗むように攫った方が確実だろう。

「明らかに貴族の所有とわかる馬車を囲んでこんな暴挙に出たのだから、何か理由があるはずよ。その辺りを突いたら、キサラくんを助け出せるかもしれないわ」
「そういうことなら私たちに任せて!」

 ピン、と尻尾を伸ばしたシーラが力強く立ち上がった。その場で跳ね上がったともいう。

「任せろって、アナタには精霊魔法も使えないじゃない」
「情報収集なら簡単だよ、猫を見つけるの。私は完璧なキャット・シーには及ばないけど、猫たちとの意思疎通に血の差はないから」
「そういうことならワタクシの使い魔に探させましょう。シーラちゃんには集めた猫たちから話を聞き出してもらうわ」
「僕に出来ることはある、ますか?」
「そうね、ワタクシと一緒に拠点を作りましょう。今日はここで野宿になるわ」
「じゃあ場所は僕が確保するよ、です」

 妖精たちは危機回避の術に優れていると言われている。小さな妖精や穏やかな種族が多いため、魔物や天使たちと並べば「非力」と認識されることも多いが、要は繊細なのだ。
近年妖精たちの間では人間に対する嫌悪が高まっているとも聞く。人間界から姿を消したのではなく、単に人の目に触れないよう生活しているのかもしれない。

 他者との差異を認められないのが人間の弱さである。シュヒアルはそのように考えていた。
排除することでしか己を守れないなど、何と軟弱で滑稽な生き物か。

〔君の使い魔が猫を探すって? 安請け合いは感心しないなぁ〕
(取り敢えず監獄塔付近の猫を何匹か連れて来てちょうだい。生きた状態で、それから怪我をさせてはダメよ)
〔狩りなら得意なんだけどねぇ。無傷は難しいですよお嬢様〕

 シュヒアルの影が機嫌よく揺れる。ラギスは難題をこなすのが「趣味」なのだ。

「そうね、いつも楽しそうで良いわよね、アナタって」

 影が大きく膨れ上がり歪に変形していく。端から小さく分かれて行き、それぞれが蝙蝠の形を作りながら地面の中を飛んで行った。

「あ、シュヒアル様。この辺りは大丈夫そうだよ、です」
「動物の様子はどう?」
「うーん遠くから窺っているくらいで今のところ無害かな、ます。問題は獣の方だ、です」
「貴方驚くほど敬語がヘタね。まぁ良いわ、獣というのは魔獣のことかしら」
「ううん。僕らは凶暴な動物を獣と呼ぶ。あ、勿論獣人とは関係がなくて、えーと、同じ種類でも穏やかな子は大丈夫だけど、“獣”になると駄目ですだ。ほとんど話が通じなくてです」
「ですだ。もう良いわよ無理しなくても」
「こっちが言ってることを理解した上で強引に無視する場合と、本当に何一つ通じない場合があるりれれ」
「いやだ貴方、舌を噛んだの」

 水を呼んで口を濯がせる。聞けば獣とは高圧的で自信過剰、凶暴で最悪このことだった。……何度か遭遇した経験があるらしい。

「そうだ、森に挨拶をしておかないと。何かあったときに助けてもらえるかもしれない」

 そう言うと、タスラはおもむろに木製の楽器を取り出した。

「これ? 盗んだわけじゃないよ。キサラと一緒に作ったんだ。すごく時間がかかって、月が何度も形を変えてしまったけど」

 タスラが大事そうに楽器の表面を撫でて行く。そこには茎や葉が織り込まれていたが、シュヒアルにはこれらの植物がどういったもので、そもそも何と呼ばれる楽器なのかもわからない。
ただ、これを育てたのはキサラで間違いないだろう。彼は優しい花を咲かせる。

「では」

 誰も居ない前方へ、タスラは丁寧にお辞儀をした。楽器を口元へやり、穴へ指を添えて息を吹く。

 たったそれだけで奏でられる音の、なんと美しいことか。指の動きに合わせて流れる旋律が、木々の間を潜り抜けて葉を揺らしていく。

(ああ、こんなワタクシにもわかる)

 魔女ですら、辺りの植物たちの喜びを体感出来た。音色に応えるようにして水が躍り花が舞う。風は草木の間を通り抜け、物言わぬ者たちの歓声を届けて来た。
花が、木々が、草が、森全体がタスラの演奏に聞き入っている。やがて音に誘われた動物たちが顔を出した。

 嬉しそうに鳴いた鳥へ視線をやり、シュヒアルは目を剥いて絶句した。

(嘘でしょう? フロムが居るわ)

 フロムレアという花の名は、まさにこのフロムという鳥が由来だ。
フロムは淡い黄色と青の美しい体をしている。そして濡れれば赤色に、太陽に照らされれば夕日の色となり、夜に紛れると緑に変化する。どんな色になろうと美しく染まり上がるので、「幻の虹鳥」とも呼ばれているのだ。

 さて幻とつくことからわかるだろうが、その姿が人目に触れることはほとんどない。それが今、一体何羽枝に留まっているだろう。
 注意深く周囲を見回せば、一生に一度見ることが出来れば幸運だと言われるような希少な動物たちがそれぞれ顔を出している。それは多くの人間たちが生涯をかけ追い求め、夢見る幻想の動物たちだった。
妖精界へ逃げ延びたとまで言われる彼らが、まだこれだけ人間界に残っていたのか。

 広がる光景に魔女ですら圧倒され、言葉も出ない。

 その中心にはタスラが居る。いや、この光景を成しているのは彼だ。
“なり損ない”と嘲られ、時に居ないものとして扱われる半成が、この空間を作り上げている。

 そうしているうち、いつの間にか演奏が終わり多くの生命がタスラを窺っている。ジッと見据えて来る森に臆することなく、タスラは叫んだ。

「お邪魔します!」

 最後に一礼。ふぅ、と大きく息を吐いたタスラを見て、シュヒアルは顔を引きつらせた。あの楽器。使われている木自体が恐らくとんでもない代物のはずだ。思わず額に手が伸びる。
そして道具がどんなに上等であれ、使い手の腕で結果は大きく左右される。この場合タスラの腕前が上等なのか、素材自体が極上だったのか。シュヒアルにはその判断が出来ない。

 ただ言えることは、タスラは森に歓迎されるどころか一時支配すらしてしまった。何がなり損ないなものか。妖精ですらこれを成し得るのは、一体どれだけいるのかわからない。

 多くの動物たちはタスラの挨拶を聞くと、満足そうに喉を鳴らして去って行った。そしてごく少数だけが残り、森に現れた客人を観察している。

「ここ使って良いって」
「……それは良かった」
「馬車じゃ目立つし、この辺りの木に布だけ掛けさせてもらおう。紐を引っ張れば、雨が降らない限りはちょうど良いはず」

 早速準備に取り掛かったタスラの背を見ながら、シュヒアルは動けなくなっていた。胸の奥が熱く震え続けている。なり損ないと呼ばれていようと、何かを成せるのだ。

(ワタクシも)

 シュヒアルは、上級の魔族を従えていながら高度な魔法を使うことが出来ない。魔女としての格はどうしても下である。けれど、もしかしたら。
 たった今焼き付いた景色を、頭から逃さないように瞼を閉じた。集まった動物たちの珍しさではなく、タスラの堂々とした姿に心を打たれたのだ。

「気を引き締めなければならないのは、どうやらワタクシだけのようね」

 二人はシュヒアルが思うほど、か弱い小動物などではなかった。


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