ロルスの鍵

ふゆのこみち

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魔王降臨編

3. 頼み事

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 シーラの「お願い」を、キサラはすぐに理解出来なかった。確かめるように「山の跡地に行きたいって?」と口にすれば、やはり間違いないと頷く。
山の跡地と言えば今は城がある。一口に噂などと言ってはいるが、信用が第一の商人だ。確たる証拠とまではいかないが、それがほとんど事実だと確信しているからこそ吟遊詩人よろしく噂を広めているのだろう。

 つまりそこには「魔王」も居る。ほぼ確実に、だ。
自分よりも正しくその存在を把握しているであろう二人には恐怖は見られない。魔物の王だと語ったにも関わらず。……魔獣を見たことがないのかもしれない。

 ここでキサラは一つの可能性に行き当たった。
話題に上ったからこそ城を最終目的として挙げただけで、本当は外に出たいだけなのではないか。それであれば律儀に魔物の巣窟へ向かう必要はない。だからこそ恐れることはない。

 ドクリ、と鼓動が大きく聞こえた。この村を出る。つまりこのお願いというのはそういうことだ。

 困惑から一転、叶えてやりたいという気持ちが芽生えた。キサラにとってこの村は愛着も思い出もあるが決して優しくはない場所だ。両親を失ったその日から、全てが余所余所しくうすら寒い。
逃げ出してしまいたいと泣いたこともある。膝を抱えて眠った日々を思い出し、心は自然と外へ向いた。

(この村を、出る)

 もう一度噛み締めるように反芻する。考えたこともなかった。キサラ一人では思い付きようもなかった話。今抱えている感情の内、一番強いのは恐怖だがそれが外へ向かっているのか、はたまたここに残り続ける自分の未来を案じてなのかはわかりようもない。

 けれど旅立つことになれば家は、小屋は。…いや、兄が居るのだ、気にすることではない。とすればキサラが思案すべきは旅費と、旅支度だ。当面の食糧や、旅に適した装いもある。
今ある仕事だって無理を言って働かせてもらっているので、即座に了承を口にすることは出来なかった。

「それじゃあまず兄さんに相談してくるね」

 二人はまるで行くことが決まったかのような喜び様だった。小さく苦笑が漏れて、そのまま息を細く吐く。
……このまま旅に出て、その先で暮らしてしまってもいいかもしれない。こんな風に小屋の中でしか暮らせない場所より、ずっと良いだろう。

 そしてそれは、キサラにとっても。

 灯りを消すように促してから小屋を出た。見慣れた景色、歩き慣れた道がまるで知らない場所のように感じられて落ち着かない。

 村の外には魔獣が出るという。村の外では貧困に喘ぐ者が盗賊となって、道行く人を襲うという。村の外では、いや、キサラは村の外について多くを知らない。暮らしていくことだけで精一杯だったのだから。そして今ある生活を手放して旅立っても、帰って来られる保証はない。

 取り留めのない考えが泡のように浮かんでは弾けていく。家の前で足は止まり、キツく目を閉じた。

 実を言うと、幼い頃からキサラは爪弾きにされていた。気に入らないことがあれば殴られ、蹴られた記憶がある。兄は当時から人気者だったので、兄が見ていないところ、不在の内に起こったことだ。きっと今だって何が起きていたのか知らないだろう。だから村を離れるという選択に驚くかもしれない。
思えばいつからかぱったりと暴力自体はなくなったが、どれだけ時間を費やしても彼らと仲良くなれる気はしない。

 父と母との大切な思い出があるのは間違いない。けれどそれすら日に日に薄れかかっているような不確かなもの。

(待っていても誰も帰って来ない)

 兄だって、いつ結婚して家庭を持つのかわからない。相手は今居ないかもしれないが、その気になればすぐに所帯が持てるだろう。そうなったらキサラは邪魔者だ。面と向かって出て行って欲しいと頼まれるよりも先に消えてしまう方が、賢い選択のような気がした。

(もう充分待った)

 今この瞬間から旅立ちに備える。キサラの中から迷いは消えた。
家の中に入ろうと扉に手をかけた瞬間、背後から気配を感じた。しかし振り返っても誰も居ない。

 辺りを見回すが誰かが立ち去った、また通りすがったというわけでもなさそうだ。気のせいかと視線を下げた瞬間、それと目が合った。

「ん?」

 暗くてよく見えなかったが、黒いものが動いている。お互い一向に視線が外れない。
しばらくそうして固まっていたが、思い切って一歩踏み込む。逃げない。恐る恐るにじり寄ってみれば黒い毛並みの美しい猫だとわかった。
 
「猫、お前こんなところでどうしたんだ? 首輪はないな。どこから来た?」

 嫌がられないのを良いことに抱き上げてみれば、大きな瞳が驚いたように見開かれた。まん丸の目が何だか可愛くて笑ってしまうが、遅れて様子がおかしいことに気付く。

「怪我でもしてるのか?」

 一瞬、猫に理知的な光が宿っているように見えた。こちらの言葉を理解しているかのように、小さく首を振る。しかしそんなわけはない、猫が言葉を理解するなんて。

「うわ、どうした!?」

 訝しんでいると急に全身から力が抜け落ち、黒猫は意識を失ってしまった。ぐったりした猫を抱えて大慌てで家へ駆け込む。急いで猫の体をベッドに横たえてから、貯水していた水を皿に注ぎ、布も用意して戻る。しかしほんの僅かな間に黒猫は消えていた。

「どこにも居ない」

 家中探したが、あの美しい黒猫の姿はどこにもなかった。窓も扉も閉じられているのに、音もなく消えるだなんて。
もしかすると死霊の類だったのだろうか? 或いは、キャット・シーなどの妖精か。
 不思議なこともあるものだと首を傾げてから、黒猫の為に用意した水を飲む。ぬるいそれで喉を潤しながらシーラの「お願い」について考えた。噂に聞いたばかりの場所へ行きたいなど、兄にどう説明したものだろう。

 目的地がどこであれ、旅立ちに対して抵抗感はまるでなくなっていた。それどころか既に閉じられた村の外へ思いを馳せている。いつも商人たちが向かう先を見つめながら、背中に向かい手を振ることしか出来なかった。
自分から踏み出そうとは一度も思わなかったのに、今は急き立てられるように外の世界へ焦がれている。

 代わり映えの無い日常や景色に不満を抱いたことは無かったのだが。

 けれど何故か「行かなくてはならない」気がするのだ。不思議な黒猫を見てどういうわけかその気持ちが強まって来た。

 自分の荷物を広げ、捨てて行くもの、持っていくものを選別し出す。この家に、村に思い入れがないと言えば噓になる。ただキサラは気付いてしまっただけだ。

 ここは自分の居場所ではないのだと。


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