2 / 12
出会い
02. Sorcerer’s Apprentice / 魔法使いの弟子
しおりを挟む
恰幅の良い奴隷商の男が、華奢な鍵で檻を解錠した。
たった今、扉は開いた。
ようやくこの檻から出られるというのに──。
出たいという気持ちが全く湧いてこない。
「後は良い。下がれ」
一枚の紙幣を手に入れた奴隷商が一礼して去っていく。
競売場の舞台裏に、取り残されてしまった。私を破格の値段で買った男と共に。
そう。つい先程、私はこの男のものになった。
奴隷商に奪われたので、私には一銭もお金がない。今日の寝床もないしパンひとかけらもないし、あるのはこのかろうじて身体を隠しているボロ布一枚だけ。
神様も、もういなくなってしまった。
私にはもはや、この素性の知れない仮面の男しかいないということだ。
不安しかないが、この男に付いていくしかないのだ。
ほら、不気味な仮面は置いておいて、身なりは綺麗にしているじゃないか?
私ならやれる。奴隷だって、やれる。
「……どうしたの? 怖がらないで、出ておいでよ」
高級そうな、汚れのない真っ白の手袋をした手で、チッチッと呼びよせられる。
──私は野良猫か何か?
「うう……」
この扱われ方はまだ無理だ。
先程の競売人の言葉が頭をよぎるし。
この男の屋敷で私がさせられるのは雑用だけじゃない。私がこの目の前の男に、よっ、夜の奉仕を──。
だって200ポンドなんて大金を、私と引きかえにしたのだ──。
私なんかじゃ想像さえできないことをさせられるのかも。
──で、でも、この男は他の男と違ってギラついた目をしていなかったし、そんなことはさせないかも──。
私に任される仕事は例えば、この男の部屋を掃除したり、料理を作ったり。
勇気を出して聞いてみよう。
「ひっ、ひとつお聞きしますが、ここから出たとして、あなたは私に一体何をさせるつもりなのですか」
緊張でごくりと唾をのみこむ。
すると、男はおもむろに不気味な仮面を外した。
そしてその美しい顔面を晒し、殊更に妖艶な笑みを浮かべた。
「君はこんなにも愛らしいんだもの。今夜は一晩中愛し合おう。君の望みどおりのことをしてあげる、わが家の僕のベッドでね。さあ出ておいで、僕の仔ねこちゃん?」
うッ──!
もう恥ずかしすぎて直視できない──。
こんな甘いマスクでこんな愛の言葉を囁かれたら──。
でも、夜の奉仕はやっぱり、私にはまだムリだと思う。
そう自分に言い聞かせる。
というか、恥ずかしげもなくそんな台詞が言えるなんて、かなりのクセモノには違いない。
「わっ、私には、〝仔ねこちゃん〟ではなくジョージアナ・メアリルボーンという名前があるのです。私の主人となった貴方様は、一体何者なのですか?」
「……チッ」
私がそう聞いた途端、美しかった笑顔がすっと消えた。
え、作り笑いがあからさますぎる──。
男は先程までの柔和な雰囲気までも消した。外した仮面を弄びながら、気もそぞろに言った。
「僕の名前はただの、クラレンス。生業は魔法使い」
「えっ……?!」
ま、まま、魔法使い──?
この男が──?
「お前を買ってやったのは、仕事の手伝いをさせるため。お前は今日から、僕の弟子だ」
そ、そうか、仕事の手伝い──。
ほっ──。
「先ほどのは、冗談でしたのね」
「お前を釣るための嘘に決まってるだろ」
え──。
はっきりと言い過ぎじゃないか、この人──。
「そうだな、ジョージアナ何とかは長ったらしいから、お前は今日から、ジジだ。僕のことは、師匠と呼べ」
いや、師匠と言われましても──。
まず、本当にこの人、魔法使いなのかしら? 魔法使いや魔女は、認知されているかぎりこのルースヴェン王国には三人だけと言われている。ひとりはたしか高齢のおじいさんで、ひとりは高齢のおばあさん、もうひとりもやっぱり高齢のおじいさんで──。だから私の中で、魔法使いといえばおじいさんなんだけど──。
目の前の男はおじいさんには見えない。
「本当に魔法使いだと言うなら、あなた……ではなくて、師匠の魔法を見せていただきたいですわ」
この目で見るまでは信じられない。
「……丁度いい」
男はそう言って立ち上がると、ふところから何か棒のようなものを取り出した。
あの、男の手中にある何だか一見ただの木の棒にしか見えないものが、魔法の杖なのかしら?
あれをこれから振り回すの?
「一刻も早くここから去りたいと思っていたからね。お前……ジジが無意味に渋るから時間を食ったけど」
む、無意味に渋るって──。
グサッときたけど、そのとおりかもしれない──。
というか、ジジって言われ慣れないな──。
「この、壮絶に汚れきった店から僕の家へ飛ぶ。瞬きしているうちに、僕たちはスーパークリーンな家の中だ。さあ、分かったらそこから出てこい」
男──師匠のその言葉ひとつで、私はすべてを理解した。
──瞬間移動魔法。子どもの頃に読んだ、光の魔法使いグレナヴォンと勇敢な少年の物語。
瞬間移動魔法は、もちろん、魔力のない少年にはできない。
少年は、魔法使いグレナヴォンと共に悪い魔女を倒すため、根城のある黒い森へと瞬間移動魔法で飛ぶのだが──。
そうだ、たしか少年は飛ぶ瞬間、グレナヴォンにひしとくっついていたではないか──。
「……っとその前に、ジジにひとつ伝えるべき重要なことが……」
グレナヴォンのふところはあたたかく、戦いの前の恐怖心を和らげてくれ──。
──そういうことか。
それなら、私のすべきことはひとつだ。
師匠は一刻も早くここから立ち去りたいと言っている。私にいちいち瞬間移動魔法のことを説明するのも、手間だろう。
ということで、すべてを勘よく察知した私は、すぐに檻から出ると、師匠の胴回りにひしと抱きついた。
「ッゥン゛ッ……」
「さあ、どうぞ、師匠! 飛んでください!」
──ん? 師匠何か言った?
ともかくも、気分は勇敢な少年、アルフレッドそのものだ。
まさか、子どもの頃好きだった物語の主人公と同じ体験ができるなんて──。
「……。」
──あれ?
しばらくしても全然飛ばないどころか、師匠が微動だにさえしない。
「師匠、どうされたのですか……?」
すこし離れて、師匠の顔を見上げると──。
え──?
し、白目を剥いている──?
しかも額には大量の脂汗をかいて、口の端からは、ぶくぶくと泡を吹いていた。
「ど、どどどうして?」
ついさっきまで嫌味を言って生き生きとしていたではないか──。
事態を把握しようと頭を働かせるひまもなく、重い体が一気に私に凭れかかってくる。
「ほあっ……」
何とか支えようと踏んばるが、大人の男性の全体重を非力な私はどうしても支えきれなかった──。(これまでの人生で持ったいちばん重いものはデカンターです)
師匠と私は、そのまま床へ崩れ落ちた。
たった今、扉は開いた。
ようやくこの檻から出られるというのに──。
出たいという気持ちが全く湧いてこない。
「後は良い。下がれ」
一枚の紙幣を手に入れた奴隷商が一礼して去っていく。
競売場の舞台裏に、取り残されてしまった。私を破格の値段で買った男と共に。
そう。つい先程、私はこの男のものになった。
奴隷商に奪われたので、私には一銭もお金がない。今日の寝床もないしパンひとかけらもないし、あるのはこのかろうじて身体を隠しているボロ布一枚だけ。
神様も、もういなくなってしまった。
私にはもはや、この素性の知れない仮面の男しかいないということだ。
不安しかないが、この男に付いていくしかないのだ。
ほら、不気味な仮面は置いておいて、身なりは綺麗にしているじゃないか?
私ならやれる。奴隷だって、やれる。
「……どうしたの? 怖がらないで、出ておいでよ」
高級そうな、汚れのない真っ白の手袋をした手で、チッチッと呼びよせられる。
──私は野良猫か何か?
「うう……」
この扱われ方はまだ無理だ。
先程の競売人の言葉が頭をよぎるし。
この男の屋敷で私がさせられるのは雑用だけじゃない。私がこの目の前の男に、よっ、夜の奉仕を──。
だって200ポンドなんて大金を、私と引きかえにしたのだ──。
私なんかじゃ想像さえできないことをさせられるのかも。
──で、でも、この男は他の男と違ってギラついた目をしていなかったし、そんなことはさせないかも──。
私に任される仕事は例えば、この男の部屋を掃除したり、料理を作ったり。
勇気を出して聞いてみよう。
「ひっ、ひとつお聞きしますが、ここから出たとして、あなたは私に一体何をさせるつもりなのですか」
緊張でごくりと唾をのみこむ。
すると、男はおもむろに不気味な仮面を外した。
そしてその美しい顔面を晒し、殊更に妖艶な笑みを浮かべた。
「君はこんなにも愛らしいんだもの。今夜は一晩中愛し合おう。君の望みどおりのことをしてあげる、わが家の僕のベッドでね。さあ出ておいで、僕の仔ねこちゃん?」
うッ──!
もう恥ずかしすぎて直視できない──。
こんな甘いマスクでこんな愛の言葉を囁かれたら──。
でも、夜の奉仕はやっぱり、私にはまだムリだと思う。
そう自分に言い聞かせる。
というか、恥ずかしげもなくそんな台詞が言えるなんて、かなりのクセモノには違いない。
「わっ、私には、〝仔ねこちゃん〟ではなくジョージアナ・メアリルボーンという名前があるのです。私の主人となった貴方様は、一体何者なのですか?」
「……チッ」
私がそう聞いた途端、美しかった笑顔がすっと消えた。
え、作り笑いがあからさますぎる──。
男は先程までの柔和な雰囲気までも消した。外した仮面を弄びながら、気もそぞろに言った。
「僕の名前はただの、クラレンス。生業は魔法使い」
「えっ……?!」
ま、まま、魔法使い──?
この男が──?
「お前を買ってやったのは、仕事の手伝いをさせるため。お前は今日から、僕の弟子だ」
そ、そうか、仕事の手伝い──。
ほっ──。
「先ほどのは、冗談でしたのね」
「お前を釣るための嘘に決まってるだろ」
え──。
はっきりと言い過ぎじゃないか、この人──。
「そうだな、ジョージアナ何とかは長ったらしいから、お前は今日から、ジジだ。僕のことは、師匠と呼べ」
いや、師匠と言われましても──。
まず、本当にこの人、魔法使いなのかしら? 魔法使いや魔女は、認知されているかぎりこのルースヴェン王国には三人だけと言われている。ひとりはたしか高齢のおじいさんで、ひとりは高齢のおばあさん、もうひとりもやっぱり高齢のおじいさんで──。だから私の中で、魔法使いといえばおじいさんなんだけど──。
目の前の男はおじいさんには見えない。
「本当に魔法使いだと言うなら、あなた……ではなくて、師匠の魔法を見せていただきたいですわ」
この目で見るまでは信じられない。
「……丁度いい」
男はそう言って立ち上がると、ふところから何か棒のようなものを取り出した。
あの、男の手中にある何だか一見ただの木の棒にしか見えないものが、魔法の杖なのかしら?
あれをこれから振り回すの?
「一刻も早くここから去りたいと思っていたからね。お前……ジジが無意味に渋るから時間を食ったけど」
む、無意味に渋るって──。
グサッときたけど、そのとおりかもしれない──。
というか、ジジって言われ慣れないな──。
「この、壮絶に汚れきった店から僕の家へ飛ぶ。瞬きしているうちに、僕たちはスーパークリーンな家の中だ。さあ、分かったらそこから出てこい」
男──師匠のその言葉ひとつで、私はすべてを理解した。
──瞬間移動魔法。子どもの頃に読んだ、光の魔法使いグレナヴォンと勇敢な少年の物語。
瞬間移動魔法は、もちろん、魔力のない少年にはできない。
少年は、魔法使いグレナヴォンと共に悪い魔女を倒すため、根城のある黒い森へと瞬間移動魔法で飛ぶのだが──。
そうだ、たしか少年は飛ぶ瞬間、グレナヴォンにひしとくっついていたではないか──。
「……っとその前に、ジジにひとつ伝えるべき重要なことが……」
グレナヴォンのふところはあたたかく、戦いの前の恐怖心を和らげてくれ──。
──そういうことか。
それなら、私のすべきことはひとつだ。
師匠は一刻も早くここから立ち去りたいと言っている。私にいちいち瞬間移動魔法のことを説明するのも、手間だろう。
ということで、すべてを勘よく察知した私は、すぐに檻から出ると、師匠の胴回りにひしと抱きついた。
「ッゥン゛ッ……」
「さあ、どうぞ、師匠! 飛んでください!」
──ん? 師匠何か言った?
ともかくも、気分は勇敢な少年、アルフレッドそのものだ。
まさか、子どもの頃好きだった物語の主人公と同じ体験ができるなんて──。
「……。」
──あれ?
しばらくしても全然飛ばないどころか、師匠が微動だにさえしない。
「師匠、どうされたのですか……?」
すこし離れて、師匠の顔を見上げると──。
え──?
し、白目を剥いている──?
しかも額には大量の脂汗をかいて、口の端からは、ぶくぶくと泡を吹いていた。
「ど、どどどうして?」
ついさっきまで嫌味を言って生き生きとしていたではないか──。
事態を把握しようと頭を働かせるひまもなく、重い体が一気に私に凭れかかってくる。
「ほあっ……」
何とか支えようと踏んばるが、大人の男性の全体重を非力な私はどうしても支えきれなかった──。(これまでの人生で持ったいちばん重いものはデカンターです)
師匠と私は、そのまま床へ崩れ落ちた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
いらない子のようなので、出ていきます。さようなら♪
ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
魔力がないと決めつけられ、乳母アズメロウと共に彼女の嫁ぎ先に捨てられたラミュレン。だが乳母の夫は、想像以上の嫌な奴だった。
乳母の息子であるリュミアンもまた、実母のことを知らず、父とその愛人のいる冷たい家庭で生きていた。
そんなに邪魔なら、お望み通りに消えましょう。
(小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる