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第一章 勇者ああああと妹

1-7 ただ、前へ

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 柔らかな朝日と小鳥のさえずり。

 心地よい気分のまま目が覚める。でも目は開かない。

 ずっとこのままでもいい。こんな幸せに浸っていたい。

 ちょっとばかり寒い空気から、真白の毛布が優しく守ってくれる。

 もし、もしもそれがお兄ちゃんだったのなら。

 私をそっと、優しく抱きしめてくれたなら。



 もう永久に訪れることのない想像が生まれる。だってお兄ちゃんは変わってしまったから。だから余計に私は求めるのだろう。

 でも私は諦めていない。きっと戻ってくる。その為の旅なんだ。



 宿敵、漆黒皇帝ドラガヌギオスを倒す。それがお兄ちゃんの使命。

 それこそお兄ちゃんが狂ってしまった原因にして、唯一の救いの道のはず。

 私はそれを助けて、お兄ちゃんに勝ってもらう。



 折角の気持ちいい朝だったのに、なんでこんなこと考えちゃったんだろう。

 お兄ちゃんのことを考えると、いつも暗くなってしまう。それは今がとても辛いからだろうか。

 でも明日を見なくちゃ、何も始まらない。私の使命も果たせない。



 私は目を開く。歩き出すために。そう決めたから。

 体を起こし、幸せを捨てて今日を始めよう。最善への一日目を。



 私はハンモックから足を降ろす。

「?」

 ハンモック……?

 ところでここはどこだろう。

 少なくとも私の部屋ではない。見たことないし、ベッドだし。



「あー!」

 何もかもを思い出したところで、つい大声をあげてしまった。

 お兄ちゃんも私も怪物にやられてとどめを刺されたんじゃなかったっけ!?

 じゃあもしかして……

「てん……ごく……?」

 その結論にたどり着いたところで、後ろから声がかかった。



「やあ! 起きたかい?」

「ひゃあ!?」

 びっくり仰天。私は驚きすぎてハンモックから転げ落ちてしまった。

「……そんなに驚くことかい? まあ目覚めてよかったよ」

「……すみません」



 この家の住民だと思われる青年は優しく手を伸ばしてくる。

 礼を言いつつその手を取ると、その男の顔が窓から差す朝日に照らされた。



 男は綺麗な白髪で、顔はまさに爽やかな美男子であった。

 どことなく、あの天使に似ていると思った。彼はとても落ち着いていて捉えどころのない性格をした印象であったが、こちらは笑顔で明るい楽し気な雰囲気だ。

 そういえば、今考えてみるとあの天使は私たちを助けてくれた人だったんだ。早く礼を言いに行かないと。

「あの、あの怪物たちってどうなりました?」

「ん? 怪物って?」

「え?」

 男はきょとんと首を傾げる。そのあとも詳しく説明をしたが全く分からないようだ。

「んんー、僕は君たちが家の前で倒れてただけだから家に入れただけなんだけどね」

「そうですか」



 どうやらここはパプライラ王国から北に大きく離れた場所で、あの後どうなったかは分からないようだ。大事がないといいけど……

「ていうかよくここまで来れたね! 王国からここまで、馬でも一日かかる距離だよ!」

 それも、とても不思議なことだ。もしかしてあの男の人が魔法で何とかしてくれたのだろうか。でもそんな強力な魔法が使える人って……

 そして私はあることを思い出す。とても重要なこと。聞いておかなければならないこと。



「あの! お兄ちゃんはどこですか!?」

「ああ、彼ならいま身支度して出て行ったけど? 用事でもあるのかな~? 早めに帰ってくればいいけどね~」

「それを早く言ってください!」



 まずい! お兄ちゃんのことだ。さっさと出て行って旅の続きを始めるつもりだ。

「服服服服!」

「そこにかかってるよ~」

 いままでにない高速な動きで準備する。

 魔導衣! 杖! 指輪! 兜……は重いから背負っていく!



「ありがとうございました!」

 まるで盗人の如く、逃げるように家から飛び出す。今さっき出たのなら追いつけるはず!

「じゃあね~! あ、そこまっすぐ行くと会えるはずだよ~!」

「分かりました~!」

 彼は手寧に道を教えてくれた。何も考えずに飛び出したので、実際あの人が教えてくれなかったら私の旅は終わっていたかもしれない。



 走りながら、昨日のことを思う。

 怪物たちの圧倒的な戦力。一撃にして倒されたお兄ちゃん。いとも簡単に蹴散らされた王国騎士団。

 誰がどう見ても無事とは言えない状況だろう。今すぐにでも街に戻って確認したい。王国には私たちの家族もいるし、友達も、いろんな人がいる。

 でも、お兄ちゃんが進む方角は王国と真逆。もう町へ戻ることはできない。



「大丈夫だといいけど……」

 今の私には、ただ祈ることしかできない。せめて遠見の魔法とか使えたらよかったんだろうけど、そんなのあと何十年先のことか……

 そんなことに思いを馳せているうちに見覚えのある姿が見えてくる。



「あ! お兄ちゃーん!」

 相変わらず、返事どころか一切反応がない。

 お兄ちゃんの後ろまで着くと、安堵の息を漏らす。これではぐれることはないだろう。



「もう! 私にも声くらいかけてほしいんだけど……」

 返事はない。所詮、これは私のただの独り言だ。

 お兄ちゃんと私。たった二人で深い森の中を歩く。

 どうやら道はあるようで、草は生えているものの、二人並んで歩くには十分な幅があった。

 なんだか懐かしい気分だ。昨日からこの感覚が多くなった気がするが、それはお兄ちゃんと一緒にいることが増えたからだろう。

 昔はよく一緒に歩いたし、二人並んで買い物とかもよくしてた。



 ところで一体いつまで歩くつもりなんだろう。森の中なので当然、次の町とかは見えないし、人の気配もない。

 しばらく歩いたところで、急にお兄ちゃんが立ち止まった。



「どうしたの?」

 お兄ちゃんは銅像のように一点を見つめている。私もその視線の先を見てみたが、何かあるわけでもない。

 休憩でも始めたのかと疑問に思っていると、隣のお兄ちゃんに動きがあった。



 突然、剣を振り回し始めたのだ。

「危なっ、なに!?」

 剣舞とも思えない、ただの素振りが始まった。

 いったい何がしたいのか。呆然と立ち尽くしていると木々の方にざわつく茂みがあった。



 もしかしなくても、何かの魔物。私は杖を構え、詠唱文を頭に思い浮かべ、臨戦状態に入る。

 すると、ざわつきは私たちの周り全体に響きだす。十、もしかしたら百もいるかもしれないと予想し、すこし動揺してしまう。

 でも大丈夫だ。私にはお兄ちゃんがついてる。どんな敵だって返り討ちにして見せる!

 そしてついに茂みから魔物が現れた! そこにいたのは……



「! あれって!」

 そこにいた魔物。否、茂みから出てきたすべての魔物。それはあらゆる能力を高めるとされる生命の木の実を持っている虹色のスライム、その名をレインスライムであった。

「もしかして、お兄ちゃんが?」

 呼び寄せたのだろうか。

 ただでさえ珍しいその魔物は、奇跡と言うに等しい程の数で私たちの目の前に現れたのだ。

 こんな量のレインスライムを倒したら、生命の実の量は計り知れない。

 もしかしたら、彼の漆黒皇帝すら倒せるかもしれない……!



 横を見ると、既に素振りをやめて剣を構えるお兄ちゃんの姿があった。

 森の暗闇の中でひと際輝く光の剣。それを持つお兄ちゃんの姿はまさに勇者そのもの。



「いくよ、お兄ちゃん!」

 隣で駆けだす音がした。それ同時に詠唱を紡ぐ。

 強化魔法。そして全体攻撃魔法。まだ見習い程度の魔法だけど、きっとお兄ちゃんの役に立って見せる!

 旅を始めて最初の共闘。その無双ともいえる戦いぶりは、誰もいない森の中で繰り広げられたのであった。
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