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第二章 勇者ああああとバレンタインの魔女

2-5 悲観、怒り、嫉妬。

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「ところで貴女、何て名前?」

 大通りの喧騒を潜り抜けながら、黒のローブをはためかせつつ彼女は言う。

 そう言えばまだ名乗っていなかったっけ。ヒリアさんの名前は出会って早々聞いたけど、いろいろあったから自己紹介を忘れていたようだ。



「名乗り遅れました。私、いいいいと申します。」

「は? イー?」

「いいいいです。」

「いいいい? いいいい? マジで? いいいい? マヂ?」



 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして彼女はこちらを見つめる。何かおかしなことを言ってしまっただろうか。

 すると突然、ヒリアさんは表情を崩し、歯を見せるようにして笑い始める。

「ホントに? ナハハッ、変な名前!」



 街を巡る二人の魔法使い。ここではその光景が当たり前のものであり、誰もが何も言わず通り過ぎていく。

 大通りにある全てのものに魔法的な意味があるようで、肌に触れる魔力の濃い空気、壁や床のいたるところに刻まれた魔法印、歌のように聞こえてくる魔法詠唱、屋台で売っていた舐める度に味が変わるアイスクリーム、鼻を刺す薬品の臭い等々、一歩進むごとにまだ見習いである私を圧倒させる。



 私たちが向かっているのは先ほど入った市門をまっすぐ進んだところ。そこにヒリアさんの家があるということだ。

 しばらく歩いていると、ヒリアさんが振り向いて道の先を指さす。

「ほらほら、見えてきた! アレが私の家!」



 そこには石造りの大きな城のような建物があった。

「はぁぁ……すごい! すごくおっきい!」

「でしょでしょ? さっ、入り口はこっちだから入って!」



 それはずいぶんと年季の入った建物で、ところどころに風化したような部分が見えるのが何とも味がある。

 一流の魔法使いは家そのものにも細工や仕掛けを施しているそうだがはてさて。

 エントランスポーチは道路と直結しており、厳かな石の灰色と木の扉が出迎えてくれる。

 後に聞いた話によるとこの家の辺りの地域は文化遺産にも登録されているほどで、街の様々な伝説の舞台になっているらしい。



「おじゃましまーす……」

 ヒリアさんの後に続き、へっぴり腰で扉を抑えながら中へと入る。

「え!? 広い!?」



 私がいったい何に驚いたかというと、外観からは想像するよりも明らかに大きい面積で内側の空間が広がっていたからだ。それも体感でいうと二倍ほどの。

「あなたも魔法使いなら知ってるでしょ? ここは空間を広げてあるの」

「きょ、教科書でなら見たことありますけど……」

 実際に目にするのはこれが初めてだ。

 パプライラは魔法教育というものはあるけれど、ウィッチ街程の力の入れようではなかったので、この街の常識は度々私を驚かせる。



 質素な外観とは違い、内側はロココ風の女性的な様式になっていた。私たちの服装は黒色なため、この白い空間の中では際立って浮いている存在のようだ。

 居間へと入り小さなテーブルの前にある椅子へと座ると、ヒリアさんは二人分のカップに紅茶を注ぎこちらへ差し出す。



「ところでいーちゃん、ホントに彼氏いないの?」

 いつの間にか私のあだ名が作られており、なんだか照れくさくて俯いてしまう。

「ホントにいませんよ。十二歳の男子なんてまだ子供ばっかりです」

「そうよね~、私もその年ごろなんてみんなガキばっかりだったわ。みんな学校で騒いで起こられて、くだらない男子しかいなかったし」

「そうですよ! この前なんて昼休みに窓ガラスを壊して反省文書いてましたし、どうして考えなしに騒ぐんでしょうか」

「あったわ~、私の学校だと魔法科の男子が対戦ごっことか言って廊下で暴れて火事を起こしかけたり」

「え! それって大丈夫だったんですか!?」



 他愛もない会話が続く。こんな日常は王国にいたころはいつものことであったが、旅を始めた今ではきっと貴重な時間になっていくのだろう。短い時間かもしれないけれど、いまこの時間を大切にしていかなくちゃ。

「でもさあ、一人ぐらい気になる男子は居たんじゃないの? 学年に一人二人はかっこいい子がいるもんじゃない?」

「そ、それは……その……」



 好きになった男子はいたかもしれない。でも思いつくのは友達の男子くらいで、好意を寄せているような人はまだ思い浮かばない。

 その中でふと、一人の顔が強く思い浮かぶ。この旅を共にする、というよりも私が供をする相手。

 お兄ちゃん。そういえば何か忘れているような……。



「あ!」

 思い出した! お兄ちゃんを置いてきちゃった! 早く探さないとはぐれちゃうかも!

 ガシャンと音を立てて勢いよく椅子から立ち上がり、ヒリアさんに最低限のお礼を

告げて立ち去ろうとする。



「すいません! 急用を思い出したので失礼します! 時間があったらまたお礼に参りますので!」

「え!? 急にどうしたの!? ちょっと!」

 玄関は……あっちだっけ。

 曖昧な記憶を引っ張り出して走り出した瞬間――――



「キャアアアアアアアアアア!」

「!?」

 悲鳴? それはヒリアさんの方から聞こえたわけでもないし、そもそも彼女の声とは違うものだった。

 出口の方へと向かっていた体は一気に方向転換し、悲鳴の方へと駆ける。



「ちょっと待って! そっちは……!」

 ヒリアさんの呼び止める声が聞こえたが、今は気にしていられない。

 先ほどの悲鳴は尋常ではなかった。キッチンに虫が出たとか、料理を床に落としてしまったような生易しいものではない。まさに命の危機を訴えるかのような恐怖の声色。

 それにさっきの会話でヒリアさんは一人暮らしだと言っていた。しかし現にこの家には別の人間が、しかも叫び声が聞こえるなんて。

 ――明らかに異常なことが起こっている。



「……ここだ」

 先にあったのは古く朽ちかけた木の扉。

 この一帯だけは先ほどのロココ風の様式とは違い、この家の外観を思わせるような風化した石積の空間であった。



 ヒリアさんには悪いが、扉を開けさせてもらおう。

 恐る恐る扉を前へと押す。内側の空間に扉の軋む音が反響し、不気味な雰囲気を漂わせる。

 中には暗闇が広がっており、そこから湧き上がってくる魔力を色濃く含んだ空気は喉を焼くような感覚を覚えさせる。

 少し咳きこみながら足を踏み入れると、壁の灯が点灯する。その妖艶な紫色の炎は童話に出てくる魔女の屋敷のようであった。



 光は下へと続いており、どうやら扉の手前にある階段を下ることで地下に行くことができるようだ。

 灯があると言ってもまだ歩くには不自由な明るさの中で、足元をしっかりと確認しながらゆっくりと下っていく。

 鼻を刺す何かの薬品の臭い。ここは何かの実験場なのか。とても正常とは思えない匂いが立ち込めており、階段を下る度にそれは強さを増していく。

 やがて地下へとたどり着き、目も暗闇に慣れてきたところで震えた女性が視界に映った。



「大丈夫ですか!?」

 素早く駆け寄るも、彼女の元には手が届かない。そこは鋼鉄の格子が張られており、入ることも出ることも許されない状態となっていた。

 それでも私は諦めず、どこかに抜け道はないかと辺りを見渡す。



 格子に手を当てながら横へと移動していくと、そこにはまた人が閉じ込められており、彼らは気を失っているのか倒れたまま動いていない状態だった。

 そこで私はこの場所が何なのかを思い知ることとなる。格子で閉じられた部屋は無数。そこには何人もの若い男女。

 そう、この部屋はバッドウィッチ伝説に登場する悪魔の監獄そのものであった。



「ここは何処!? 早く出して! お願い!」

 先ほどの女性が悲鳴を上げる。

 すると私の背後から見知った声が響いた。



「あーあ、見ちゃったんだね」

「ヒリアさん……まさかあなたが……!」

 バッドウィッチ伝説の再来。魔女の姿をした悪魔。人の生き血を啜る魍魎であるというのか……!



「ええ、ここ最近起きてる事件の犯人は私。でも勘違いしないでよね、私は悪魔なんかじゃないし、これは正当な復讐なの」

「誘拐のどこが正当ですか!」

 突然声を荒らげた自分に我ながら驚く。だがこれだけは譲れない。ヒリアさんのやっていることは明らかな悪なのだから。



「だってそうでしょう? そこの檻のリア充連中は、みんな仲良く街を歩いて私を見下してくる。彼氏がいるからって、偉そうに私を慰めてくる。男なんていっぱいいるからそのうちできるよなんて。」

 地下と一階をつなぐ扉からの逆光が、震えながら語る魔女の姿を照らし出す。



「でもそんなのは全て嘘! いつまでたっても出来やしない! だから私は平等にする。そいつらが今まで味わった幸せを私に渡しなさい! あなた達の死を私の快楽へと変えてねぇ!」

 支離滅裂な言動。自己中心的すぎる世迷言の数々。

 貴女はそんなにまで彼らを恨んでいるの……?



「……でも、貴女は笑っていました」

「は?」

「さっき! 私と話しているとき楽しそうに笑っていた! だからこんなことは止めてください! 悪に手を染めて楽しい人生を棒に振るなんてことは!」

「貴女には分からないのよ!」



 私の言葉を切り裂くように、黒き魔女の腕が天へと振り上げられる。

 あの動作はきっと、魔法の行使。

 ……攻撃が来る――――!



 逃げ場など無いにも関わらず、恐怖と共に足が後退りする。

 自分の臆病な気持ちを表した足に、自分自身に憤りを感じ、足元に目が移る。そのとき自身の立っていた床が眩く光りだしていたことに気が付いた。

「! これって……」

 見たことがある。先ほどこの街に入ってすぐに見た物だ。



「アンパー!?」

 魔法を増幅させるための役割を持つ魔法印。魔力が最も影響を受けるという月の形が刻まれた床。否、床だけではない。次第に壁も光だし、さらには天井まで模様が続いていた。

 月の形は満月、半月、三日月、新月など形によって属性を変えるため、通常のアンパーには基本属性の形だけが描かれるが、この部屋は違う。

 ここは私が図鑑で見たことがある限りのすべての属性、そして私の知らない属性の形が無数に描かれている。

 こんな状態で魔法を使われたら、一たまりもなくやられる……! そうなるくらいなら……



「このアンパー、私も利用させてもらいます!」

 アンパーの影響を受けるのはヒリアさんだけではない。私の魔法だって増幅される筈!



「……火神よ、我に力を与えたまえ。フレイム!」



 私の体に灼熱の火炎が纏われる。普段なら小さな火の玉が宙に浮かぶ程度の魔法のそれだが、この場では数段階も上位の魔法と変質し、目の前には火炎で構成された竜の姿が現れた。

 だが、そこで終わり。

「ぐっ……ああっ!?」

 火炎の竜はたちまち爆散し、それは激痛へと変わって体中に押し寄せてきた。

 そのあまりの痛みに耐えきれず、地面へと倒れこむ。



「パンクしたみたいね。ここで魔法を使ったら体がもつわけないでしょ?」

 ここで私の希望は潰えた。未熟な魔法使いの旅はここで終わり。

 例えこの痛みが無くなったとしても、この体にはもう魔力は残っていない。

 私は馬鹿だ。考えなしに全力疾走してまんまと罠に嵌ってしまうなんて。



「ゴーレム、一、二、三、形成。警戒態勢をとれ」

 ヒリアさんは手を振り上げたまま魔法の詠唱をしている。

「石梁形成。伸縮。いいいいを締め上げろ」

 詠唱に応じるように、壁から石の棒がまるで蛇のようにうねりながら私の体に巻き付く。



 完璧に防衛態勢を整えたためか、ヒリアさんは余裕綽綽と階段を下った。

 やがて私の目の前へとくると、苛ついた顔をこちらに晒しながら呟き始めた。

「そうよ、よく考えてみれば貴女だって私を馬鹿にしてたんでしょ? 貴女みたいな純粋そうな子は彼氏なんてすぐできるもんねぇ」

 何か言葉を返そうにも呻くことしかできない。

 ヒリアさんに対して何も訴えかけることができずに、話は最悪の方向へと続く。



「いいいい、この部屋が何の施設か教えてあげる」

 名前を呼び捨てた彼女は、闇の中でぐつぐつと音を立てている何らかの熱源へと近づく。

 それはとても大きな壺であり、先ほどから鼻を刺す臭いはそこから発せられているようだ。

 ヒリアさんは壺の上に置いてある蓋を開けて、その中の正体をさらけ出す。



「これは私が作った特製のチョコレート。バレンタインの日にピッタリの、飲めば地獄に落ちて不幸になれるチョコレートよ」

 毒入りチョコレート。これを食べさせることによって皆を殺そうというのか。

 彼女は小さな瓶を取り出し、そこに壺から掬ったチョコレートを注ぎゴーレムへと手渡す。



「この日のために、このチョコレートのために作った施設。そうね、このチョコレートが本当に完成しているか、まずは貴女で試させてもらうわ」

 万が一のことを想定してか、ヒリアさんは後ろの安全な方へと行って壁に寄りかかっていた。

「あ……」

 力が入らずだらしなく開いた口の中にチョコレートが注ぎ込まれようとしている。

 これで終わりだと情けなく涙を流しながら瞼を閉じた。



 ……最後に、お兄ちゃんの顔を見ておきたかったかな。



 そう諦めかけたとき、扉の方から足音が響いた。

 その音は私の内心を叱りつけるようだ。弱い自分を奮い立たせるものだ。

 足音を鳴らす本人がそう思っているかどうかなんてどうだっていい。私は立ち上がらなくちゃいけない!



 まだ……終わってなんかいない――――!
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