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第二章 勇者ああああとバレンタインの魔女
2-6 その男、疾風怒濤。
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靴が床を叩く音。救世主など現れる筈のないこの状況で――否、こんな状況にこそ現れる者が救世主なのだろう。
嗚呼、この瞬間を誰もが待ちわびたであろう。数日も牢獄に入れられて、何もできずに諦めかけた者たちはこの瞬間、瞳に一条の光を宿した。
あの高い高い扉の向こう側。そこには暗闇に希望の光を照らす者の姿が――――
……いない。
そこにはただ白い光があり、奥の廊下の風景が見えるだけ。
「何者だ!」
あまりにも定番で何の捻りもない台詞。
少しばかりの焦りを秘めた魔女の声が、静まり返った監獄へと響き渡る。
先ほどまで響いていた足音は全く聞こえない。
もしかして私の勘違いか? そう思った者はこの中に多数いた。
それはあの魔女も同じ。彼女は安心して溜息を洩らす。のように思えたが――
「――がぁッ!?」
斬撃――――横なぎの一線が予兆もなしに魔女の体を叩き切る……!
一体何処から!?
背は壁と密着している。視界に敵は誰もいない。どういうことだ? 透明化の魔法? だがこの部屋では魔法は使えない。出力の大きさに耐えきれず自壊する筈――!
思考はハッキリしているのに答えが何も浮かばない。なんだこれは? こんなことがあり得るのか? 私は一体何に攻撃されている!?
全くの想定外。これまで、この部屋に訪れた誰もを圧倒してきた黒の魔女は、いま絶対的な危機的状況に陥っていた。
だが、まだ彼女にも手はある。万が一のために自らの体に埋め込んでいた盾の魔法印。この防御が切れない限り命は守られる。
とはいってもこのまま斬撃が続けばシールドも破壊されてしまうだろう。黒のローブをボロボロにしながら、彼女はその限りない時間で敵の正体を探る。
五回目の斬撃を食らったところで、魔女は敵の居場所を確実に把握する。だがそれは……
「壁の中!?」
それは一体どんな魔法か。この壁は元々ここに存在してあった構造物であり、断じてこの攻撃の主がダミーとして配置したものではない。
ならば物質の中に入り込んでいる? だがそんな魔法を使える者がいるのか? 人間の体で物をすり抜けるなど――
敵の場所を見つけたところで魔女の反撃は叶わず、既に最初の斬撃を食らった時点で何もかもが遅かったのだ。
成すすべなく切りつけられる魔女の体が、ガラスが弾けるような音を響かせるとともに中央の方へと弾き飛ばされる。
やっとのことで解放された魔女は、即座に立ち上がり後方へと振り替える。
――――そこには男がいた。その男の様子はあまりに異常。霊体でもない只の人間が、まるで飛び出す絵本のように平面から浮き上がって現れたのだ……!
「貴方、一体なんの魔法を使ったの? ……もしや神塔の使いか!?」
男は暗闇の中で一際派手に映る色をしていた。銀色が目立つ防具。最低限の装備を身に着け、紫の灯に照らされる中でも鎧は元の色の光を放ち続けている。それ程のオーラが彼にはあった。
瞳から放たれる鋭い眼光は魔女の目を捉えて離さない。そのままゆっくりと前進し、男は縛り付けられている少女の前に力強く仁王立ちした。
彼の名は、ああああ。漆黒皇帝を倒すべくして生まれた、最強の聖剣を携えし勇者ああああである。
「……ふふ、そうなの。やっぱり騙してたんだね、いーちゃん。いるじゃない貴女の王子様。そんなに私を虚仮にしたかったの?」
わなわなと体を振るえさせ、俯いた顔面からは巨大な怒り表した歪んだ顔が垣間見える。
何か言いたそうに、縛られた少女の口が開かれるが声は聞こえない。
遂に怒りを最高潮まで爆発させた魔女は、怒涛のような叫びを持って戦闘の開幕を告げる。
「もう何もかも消えてしまえ!! このヒリアージュ・バレンタインの牢の中で、全員地獄に落としてやる!!」
叫びと共に悪臭を放つ壺へと、三体の内の一体のゴーレムが走る。魔女のあまりの強い念が、この部屋の魔法印へと命令を与えたのだ。
だが遅い。瞬時に勇者の持つ剣の宝石が青く輝き、どこからともなく現れた水流がゴーレムを一瞬にして泥へと溶かしつくした。
魔女が驚いている間に間髪入れず、剣が一体のゴーレムへと投擲され砕かれる。
既に三分の二が倒された。だが魔女は今が好機だと口元を歪ませる。得物を持たぬ剣士がゴーレムに勝てるわけがない。
即座に残りの一体を勇者へと殴り掛からせる。
背後からの攻撃。その巨体では考えられないような速度で距離を詰める。……勝った! そう確信した魔女の笑顔は容易く砕かれる。
背中を向けていた彼の方向から突然、衝撃が走ったのだ。
それは銀色の打撃。なんと勇者は後ろに目がついているかの如くゴーレムに反応し、後方に向けて格闘家もかくやという程の蹴りを放ったのだ。
威力ともに精度は完璧で、一撃の内に三体目を粉砕する。
驚愕する魔女をよそに、銀の勇者は素早く聖剣を回収する。
もはやこれ以上戦力を増やしても無駄だと悟った魔女は、詠唱により少女を縛ったときの数百倍はある数の石梁、石柱を召喚した。
「全形成! その男を捉えよ!」
緊急事態のためか、少女を縛っていた物も解け戦闘に参加する。
一匹の得物を奪い合う無数の蛇ように、伸縮する石柱が勇者へと向かう。
だがそんなことに全く動じない彼は、唯一一点のみを見つめる。
――――魔女。この魔法を仕掛ける者。それさえ倒してしまえばすべてが終わる。
「……」
男はいつものように無言。しかし少女は見ていた。
感情を捨てたはずの彼が、少女の知る彼らしくない、不敵な笑みを浮かべえる瞬間を――
彼は一気に走り出し、正面の石の群れへと駆けだした。
「なに!?」
「……!?」
この時、倒れている少女はあることを思っただろう。あの時と同じだと。
旅を始める直前、王国で真正面から敵に打たれたあの時の姿と一緒であると。
彼女の脳内ではその何もかもが重なり、声にならない声が喉を走った。
「ゃ……め……」
対して魔女はどう思っただろうか。
今の状況に至るまで、男は超常とも思える手段で自分の攻撃を打ち消してきた。
常識が通用する相手ではない。この男は、必ずこの攻撃を回避する……!
そう、魔女の判断は正しかった。此度の彼はあの時とは違いすぎる。
だがそれも時すでに遅し。勝利の女神は銀の勇者へと微笑んでいた。
魔法発動。男は剣に光を纏わせ、真正面へと投げ込む。それは綺麗に水平を保ちながら石を砕き飛んでいく。
剣は一色線に魔女の方向へと飛んでくるも、それを読んでいた彼女は容易く躱す。だが攻撃の手は終わらなかった。
今の投擲で開けた石注の群れのわずかな隙間。なんとその小さな穴から勇者が飛び込んできたのだ!
高速で向かってくる飛び蹴りが魔女を襲う。彼女は間一髪回避するも、体勢を崩し薬品棚へと倒れ込んでしまう。
追撃は止まらず、気づけば勇者は真上からとどめを刺しに飛びかかっている。
反撃の手は間に合わない。彼女は明らかに詰んでいる。
魔法を発動する時間もない彼女は、見苦しくも最後の悪あがきに出ていた。
この薬品棚には劇薬が豊富に備わっている。
先ほどの転倒で、手には一つの薬が握られている。
これに賭けるしかない……!
恐怖のためか魔女の瞼は閉じ、持つ瓶は強く握りしめられ……
もうどうにでもなれと、魔女は腕を振り上げ薬品を投げつけた――――!
…………………………………………
まるで時が静止したように、部屋が静まり返る。
魔女の攻撃は成功したのか?
一瞬の無音を過ぎた空間の中には、水が滴る音が響いていた。
勇者は馬乗りになったような状態で動かない。魔女も倒れた状態で動かない。
なぜ攻撃が止まったのかは不思議だが、もう一つおかしなことが起こっていた。
「……わたしの…………」
先ほどまで真っ向から対立していた魔女が、顔を赤らめとろんとした瞳で勇者のことを見つめていたのだ。
そのまま、彼女は勇者の首へ手を回し――――
「王子様……」
顔を引き寄せ、頬に優しく唇が触れた。
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
声も出せない筈の少女の、勇者の妹である彼女の声だけが、大きく大きく監獄の中で響いたのであった。
嗚呼、この瞬間を誰もが待ちわびたであろう。数日も牢獄に入れられて、何もできずに諦めかけた者たちはこの瞬間、瞳に一条の光を宿した。
あの高い高い扉の向こう側。そこには暗闇に希望の光を照らす者の姿が――――
……いない。
そこにはただ白い光があり、奥の廊下の風景が見えるだけ。
「何者だ!」
あまりにも定番で何の捻りもない台詞。
少しばかりの焦りを秘めた魔女の声が、静まり返った監獄へと響き渡る。
先ほどまで響いていた足音は全く聞こえない。
もしかして私の勘違いか? そう思った者はこの中に多数いた。
それはあの魔女も同じ。彼女は安心して溜息を洩らす。のように思えたが――
「――がぁッ!?」
斬撃――――横なぎの一線が予兆もなしに魔女の体を叩き切る……!
一体何処から!?
背は壁と密着している。視界に敵は誰もいない。どういうことだ? 透明化の魔法? だがこの部屋では魔法は使えない。出力の大きさに耐えきれず自壊する筈――!
思考はハッキリしているのに答えが何も浮かばない。なんだこれは? こんなことがあり得るのか? 私は一体何に攻撃されている!?
全くの想定外。これまで、この部屋に訪れた誰もを圧倒してきた黒の魔女は、いま絶対的な危機的状況に陥っていた。
だが、まだ彼女にも手はある。万が一のために自らの体に埋め込んでいた盾の魔法印。この防御が切れない限り命は守られる。
とはいってもこのまま斬撃が続けばシールドも破壊されてしまうだろう。黒のローブをボロボロにしながら、彼女はその限りない時間で敵の正体を探る。
五回目の斬撃を食らったところで、魔女は敵の居場所を確実に把握する。だがそれは……
「壁の中!?」
それは一体どんな魔法か。この壁は元々ここに存在してあった構造物であり、断じてこの攻撃の主がダミーとして配置したものではない。
ならば物質の中に入り込んでいる? だがそんな魔法を使える者がいるのか? 人間の体で物をすり抜けるなど――
敵の場所を見つけたところで魔女の反撃は叶わず、既に最初の斬撃を食らった時点で何もかもが遅かったのだ。
成すすべなく切りつけられる魔女の体が、ガラスが弾けるような音を響かせるとともに中央の方へと弾き飛ばされる。
やっとのことで解放された魔女は、即座に立ち上がり後方へと振り替える。
――――そこには男がいた。その男の様子はあまりに異常。霊体でもない只の人間が、まるで飛び出す絵本のように平面から浮き上がって現れたのだ……!
「貴方、一体なんの魔法を使ったの? ……もしや神塔の使いか!?」
男は暗闇の中で一際派手に映る色をしていた。銀色が目立つ防具。最低限の装備を身に着け、紫の灯に照らされる中でも鎧は元の色の光を放ち続けている。それ程のオーラが彼にはあった。
瞳から放たれる鋭い眼光は魔女の目を捉えて離さない。そのままゆっくりと前進し、男は縛り付けられている少女の前に力強く仁王立ちした。
彼の名は、ああああ。漆黒皇帝を倒すべくして生まれた、最強の聖剣を携えし勇者ああああである。
「……ふふ、そうなの。やっぱり騙してたんだね、いーちゃん。いるじゃない貴女の王子様。そんなに私を虚仮にしたかったの?」
わなわなと体を振るえさせ、俯いた顔面からは巨大な怒り表した歪んだ顔が垣間見える。
何か言いたそうに、縛られた少女の口が開かれるが声は聞こえない。
遂に怒りを最高潮まで爆発させた魔女は、怒涛のような叫びを持って戦闘の開幕を告げる。
「もう何もかも消えてしまえ!! このヒリアージュ・バレンタインの牢の中で、全員地獄に落としてやる!!」
叫びと共に悪臭を放つ壺へと、三体の内の一体のゴーレムが走る。魔女のあまりの強い念が、この部屋の魔法印へと命令を与えたのだ。
だが遅い。瞬時に勇者の持つ剣の宝石が青く輝き、どこからともなく現れた水流がゴーレムを一瞬にして泥へと溶かしつくした。
魔女が驚いている間に間髪入れず、剣が一体のゴーレムへと投擲され砕かれる。
既に三分の二が倒された。だが魔女は今が好機だと口元を歪ませる。得物を持たぬ剣士がゴーレムに勝てるわけがない。
即座に残りの一体を勇者へと殴り掛からせる。
背後からの攻撃。その巨体では考えられないような速度で距離を詰める。……勝った! そう確信した魔女の笑顔は容易く砕かれる。
背中を向けていた彼の方向から突然、衝撃が走ったのだ。
それは銀色の打撃。なんと勇者は後ろに目がついているかの如くゴーレムに反応し、後方に向けて格闘家もかくやという程の蹴りを放ったのだ。
威力ともに精度は完璧で、一撃の内に三体目を粉砕する。
驚愕する魔女をよそに、銀の勇者は素早く聖剣を回収する。
もはやこれ以上戦力を増やしても無駄だと悟った魔女は、詠唱により少女を縛ったときの数百倍はある数の石梁、石柱を召喚した。
「全形成! その男を捉えよ!」
緊急事態のためか、少女を縛っていた物も解け戦闘に参加する。
一匹の得物を奪い合う無数の蛇ように、伸縮する石柱が勇者へと向かう。
だがそんなことに全く動じない彼は、唯一一点のみを見つめる。
――――魔女。この魔法を仕掛ける者。それさえ倒してしまえばすべてが終わる。
「……」
男はいつものように無言。しかし少女は見ていた。
感情を捨てたはずの彼が、少女の知る彼らしくない、不敵な笑みを浮かべえる瞬間を――
彼は一気に走り出し、正面の石の群れへと駆けだした。
「なに!?」
「……!?」
この時、倒れている少女はあることを思っただろう。あの時と同じだと。
旅を始める直前、王国で真正面から敵に打たれたあの時の姿と一緒であると。
彼女の脳内ではその何もかもが重なり、声にならない声が喉を走った。
「ゃ……め……」
対して魔女はどう思っただろうか。
今の状況に至るまで、男は超常とも思える手段で自分の攻撃を打ち消してきた。
常識が通用する相手ではない。この男は、必ずこの攻撃を回避する……!
そう、魔女の判断は正しかった。此度の彼はあの時とは違いすぎる。
だがそれも時すでに遅し。勝利の女神は銀の勇者へと微笑んでいた。
魔法発動。男は剣に光を纏わせ、真正面へと投げ込む。それは綺麗に水平を保ちながら石を砕き飛んでいく。
剣は一色線に魔女の方向へと飛んでくるも、それを読んでいた彼女は容易く躱す。だが攻撃の手は終わらなかった。
今の投擲で開けた石注の群れのわずかな隙間。なんとその小さな穴から勇者が飛び込んできたのだ!
高速で向かってくる飛び蹴りが魔女を襲う。彼女は間一髪回避するも、体勢を崩し薬品棚へと倒れ込んでしまう。
追撃は止まらず、気づけば勇者は真上からとどめを刺しに飛びかかっている。
反撃の手は間に合わない。彼女は明らかに詰んでいる。
魔法を発動する時間もない彼女は、見苦しくも最後の悪あがきに出ていた。
この薬品棚には劇薬が豊富に備わっている。
先ほどの転倒で、手には一つの薬が握られている。
これに賭けるしかない……!
恐怖のためか魔女の瞼は閉じ、持つ瓶は強く握りしめられ……
もうどうにでもなれと、魔女は腕を振り上げ薬品を投げつけた――――!
…………………………………………
まるで時が静止したように、部屋が静まり返る。
魔女の攻撃は成功したのか?
一瞬の無音を過ぎた空間の中には、水が滴る音が響いていた。
勇者は馬乗りになったような状態で動かない。魔女も倒れた状態で動かない。
なぜ攻撃が止まったのかは不思議だが、もう一つおかしなことが起こっていた。
「……わたしの…………」
先ほどまで真っ向から対立していた魔女が、顔を赤らめとろんとした瞳で勇者のことを見つめていたのだ。
そのまま、彼女は勇者の首へ手を回し――――
「王子様……」
顔を引き寄せ、頬に優しく唇が触れた。
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
声も出せない筈の少女の、勇者の妹である彼女の声だけが、大きく大きく監獄の中で響いたのであった。
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