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第三章 勇者ああああと壊れた城の灰かぶり

3-12 裂けた蕾

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 次の日、エラちゃんの家へ遊びに行った。

 また次の日、エラちゃんの家へ遊びに行った。

 またまた次の日、エラちゃんの家へ遊びに行った。

 そうしていく間に、やがて季節は春へと近づいていた。



 とは言っても私たちが過ごしている間、また何度も時が進む現象があったため、私たちにとっては大体一ヶ月といった感覚だろうか。結構大きめに時が進んじゃうときもあって、エラちゃんを心配させちゃったこともあったっけ。

 しかし既に一ヶ月くらいここに滞在しているが、こんなことで冒険と言えるのだろうか。

 一体いつまで続くのだろう。でもこんな平和な時が続いていくのなら、それも悪くはないのかな……

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 ……違う。真に平和を与えられるべきは私ではない。それはもう決めたことじゃないか。

 私はお兄ちゃんを守る。そしてエラちゃん、ヒリアさん、守るべき人すべてを私は――



「いいいいさん?」

「え?」

 どうやら私は、物思いにふけてしまっていたようだ。エラちゃんとの会話の途中でこうなってしまっていたらしい。

「突然黙ってしまって驚いたんですよ? どこか具合でも?」

 心配そうに、まるで子犬のように、俯きがちの私の顔を覗いてくる。

 なんだかただ考え事をしてしまっただけでこんなに心配させてしまったのはとても申し訳ない。



「うん、大丈夫だよ。ちょっと疲れてるのかな?」

 一応誤魔化したつもりだったのだが、エラちゃんは本気にしてしまったようで手を握ってきた。

「私、紅茶を注いできますね! 元気出してください」

 励ますように言った彼女は一息に立ち上がると、そのまま家の中へ駆けて行った。



 風で揺れる木の音が聞こえる。既に庭の木の枝先には、小さな蕾が膨らんでいた。

 ……どうやら一人になってしまったようだ。今日はお兄ちゃんとヒリアさんとは別行動だし、エラちゃんが帰ってくるまで少し暇だ。

 よし、変な悩みも浮かんでくることだし、気を紛らわすために掃除でもしよう。



 私は、いつもエラちゃんが使っている箒で庭の塵を集める。しかし既に掃除は終わっていたため、彼女の丁寧な仕事もあってか集めるものなど全くと言っていいほど無かった。

 それでも何かないかと彷徨い続けて、やがて敷地の入り口までたどり着くと、車輪が地を踏む音が聞こえ始める。それと共に、何人かの女性の声も聞こえてきた。



 ……まずい、エラちゃんの家族が帰ってきた!

 私はこんなこともあろうかと、あらかじめ隠れる場所を考えておいたのだ。

 足音を立てずに、そそくさと移動する。ちょうど家の影になって見えないところに移動し、そこから恐る恐る様子を伺った。

 やがて馬車は止まり、そこから三人の女性が下りてくる。



「……え? あれって……」

 見覚えがあった。その三人とは一度会ったことがある。この街に初めて来た日、一番最初に出会った人物だ。

 私とヒリアさんを見下してきた、気の強い貴族。まさかエラちゃんの家族だったなんて。でも、あのときエラちゃんは姿を変えて舞踏会に参加してて……うーん、頭がこんがらがってきた!



 彼女たちがエントランスへと向かっている途中、紅茶を持ったエラちゃんが急いで出てきた。エラちゃんは直ぐに状況を理解したのか、私を探すことなどせず、家族への対応を始める。

「あ……姉さま母さま」

「あら、どうしたのエラ。紅茶を持ってくるなんて気が利くじゃない。いつもはグズの癖に」

 なんということだ。確かにあれは私に対して注いだ紅茶だ。だけど、この状況なら自分たちに持ってきたことになるんだから感謝くらいあってもいいのに……それなのにグズ呼ばわりなんて……



 まるで、常日頃から吐いているような罵倒をした姉の一人は、器に乗っていた紅茶を取り上げた。

 上から目線でエラちゃんのことを見ると、口元を歪ませ、舌打ちと同時に持っていた紅茶を自らの妹の頭へとかけ始めた。

「いッぅ!!……」

 エラちゃんは痛みに耐えながらも必死に耐えていた。淹れたての紅茶だ。気が利く彼女のことだから、きっと飲みやすい温度にまで下げてあるだろう。だがそれでも熱い筈。しかも彼女には痛々しい生傷がある。きっとそこに滲んで新たな痛みが生まれているのだ。

 思えば彼女の時間ではもう何ヶ月も時間が経っている。なのに一向に傷が癒えなかったのは何故か。考えれば直ぐに分かった筈だ。……いや、私は見て見ぬふりをしていたんだ。彼女が虐待されてるなんて、私がこの家に最初に来た時すでに分かっていたことじゃないか。



「あらあら、今日はやけに苛ついてるのね」

「だって、今日のお見合い相手、こんな下らないワインしか出さないんですもの」

 エラの姉は使用人に持たせていたワインの籠を取り、その中の瓶を取り出した。

 私にはよく分からないが、随分高級そうなお酒に見える。少なくとも家でお父さんが飲んでいたワインよりは上物だ。

 彼女はワインを確認し、籠の中に元に戻すとエラちゃんに持つように促した。

 いつものことなのか、無言のやり取りが行われ、エラちゃんは使用人に任せることなど無く重たい籠を運んでいく。しかし――



「あっ!?」

 一瞬の悲鳴と共に、ガラスが割れる音がした。

 ――私は、こうも思った。それは彼女の心が割れた音なのではないか。

 彼女は姉に足を引掛けられて倒れてしまったのだ。

 籠の中の瓶が割れ、赤いワインが地面に広がる。まるで流血のように。

 だが、彼女の心はまだ割れてはいなかった。傷を負った手を庇いながら立ち上がる。その姿はまるで、寒さを絶え凌ぎながらも春を待つ蕾のようであった。

 目を凝らしてみると、エラちゃんの手には瓶の破片が刺さっていた。流れているのは血か、それともワインか。二種類の液体は混ざり合い、もう判別できない。



 自然と、私の震えた手は口を押え、息が荒くなる。彼女はこんな世界で生きてきたのか。舞踏会の重圧など、こんな家族に比べればまだ増しだ。

 ……どうやら人間の中には、魔物よりも質の悪いものが少なからずいるようだ。



 三人はケガをして苦しがっている家族のことなど見向きもせず、エントランスへと向かっていく。

「エラ! 汚れたアプローチを掃除しておきなさい。今日中にね」

 使用人に手伝うなと告げ、一切振り返らずに立ち去ろうとする。



 ――彼女の悲壮な顔が見えた。しかし、いつ限界が来るか分からない。

 静かに、私の手は震えていた。涙も流していた。歯を食いしばっていた。体が震えていた。

 もう我慢できない――――!!



「なんで!?」

 その短い怒号で周囲の人間全員がこちらに振り向く。

「エラちゃんが何をしたの!?」

 私の顔は歪んでいるだろう。知り合いが見れば誰か分からぬほどに。それほど感情が猛っていた。実際には見ていないが、多分エラちゃんも今の私に怖がっていると思う。

 感情的になって飛び出したので、これ以上言葉が続かない。五秒ほどの沈黙が生まれ、それを破ったのはエラのお母さんだった。

「どこかでみたことあるわね」

 きっと庶民の顔など覚える価値もないのだろう。人間の汚さを見せつけられた所為か、自然とそういう意味に聞こえてくる。



「貴女、誰? エラ。もしかしてこんな小汚い小娘を家に入れたの?」

 瞬間、ワインで濡れた少女の顔が引き攣った。私もすぐに気が付いた。自分の所為で、怒りの矛先がまたエラちゃんに向いてしまったのだと。

「だめっ!! 彼女は関係ない!!」



 そう叫んだ瞬間、眩い光と眩暈が起こる。これは――時が飛ぶ合図だ。

「使用人たち、あの娘を追い出しなさい!」

 動けなくなった私を、使用人と、光が囲む。

 藻掻いて、抗いながら、曖昧な空間の中で私は叫び続ける。

 怒りの言葉、泣いて声にならない声、――――エラちゃんを呼ぶ声。

 そんな私についぞ、ガラスの少女が振り向くことは無かった。
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