DUNGEON MELT

高野ゆう

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ハレー島編

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 夜だった。波の音は静かだった。それでも、目を閉じれば、こちらへと海を寄せるさざめきが耳に残る。カイアはその音が好きだった。いつも聞いているはずなのに、なぜか懐かしい思いが込み上げてくる。
 「あ、カイア!こんなところにいた」
 「ユン……」
 そこは丘上にある灯台の下で、この島の全体が見渡せる場所だった。誰にも見つからないかと思ったが、ユンは別だったようだ。小走りでこちらに向かってくる。私は再び、夜の海へと視線を向けた。
 「何してたの?」
 「波の音を聞いてたんだ、ほら、どこまで聞こえるんだろ」
 カイアは木の柵に突っ伏して、どこまでも遠くを眺めた。
 「ユンの方は?私を探してたの?」
 「うん、だって……」
 と言って、ユンは言葉を止めた。そして、土の音を鳴らしてこちらへと振り向いた。いつか見た、真剣な彼の瞳だった。
 「行きたいんでしょ?
 耳の奥を撫でるような冷たい風が吹き付けて、カイアは驚いた表情を浮かべたが、やがてまた視線を海の向こう側に戻す。
 「うん、行きたいよ。どうしようもなく行きたい」
 「——だったら」
 ユンの言葉を遮るようにして、カイアは声を荒げていた。
 「——でも分かるでしょ?行けないんだよ。どうしようもなく、行けないんだ」
 そもそもこんな子供で、しかも女が行ったところで、すぐに死ぬのがオチだ。そんな非現実的なことを妄想するよりも、着実にこの島で暮らした方がいい。幸いここには、家族も、優しい人たちもいる。でも、そうだと分かっていても、この腑に落ちないのはなんだ?消えないもやが脳裏にかかり続けていた。
 「…… ねぇ、これ」
 ユンはしばらくの間黙っていたが、やがておもむろに口を開いた。その手に持たれていたのは、一冊のノートだった。表面はボロボロで、茶色く燻んでいる。それは、カイアがいつか島の外へ出るために、この周辺の潮の流れを記録していたものだった。
 「カイアがもう行っちゃうんじゃないかって思って、心配になったんだ。だから、届けにきたんだ」
 そう言うユンの黒い瞳は、月明かりに照らされて、なぜか泣きそうかに見えた。そして、優しく瞼を閉じて、微笑んだ。その時ふと、カイアの心は荒れて波打っていたのから、穏やかな波へと戻った。どこまでも広い海のように、平静な心だった。
 ユンは優しい。多分わたしが本当はどうしたいのか分かっていて、それで背中を押そうとしてくれているんのだろう。でも、わたしはそんなユンの優しさに甘えるばかりで、その上自分の言いたいことも言えずに、一体何をしているんだろうか。こんなにも、すぐ近くに海があるのに。
 カイアは夜空と一体となった、暗澹とした海を見た。夜空の星の光が、海にも散りばめられているようだった。夜の冷たい海風は、彼女の肩ほどまである髪をさらった。なぜか涙が出そうになって、唇を噛んだ。彼女の小ぶりな唇が、ある決意を表した。
 「うわぁぁぁぁあああああ!!」
 気づけば彼女は木製の柵に乗り出して、叫んでいた。暗闇に溶け込んだあの水平線の向こうまで届くように、もう二度と決意が鈍らないように叫んだ。隣にいたユンは呆気にとられて、ただその姿を眺めていた。そして、カイアは彼の方を振り向き、ニッと笑みを浮かべた。月の光に照らされた彼女の笑みは、どこか吹っ切れた様子で、美しかった。海風が彼らの足元を吹き抜けた。
 「わたし、決めた」
 「うん」
 ユンは彼女のその言葉に、確固とした信念を読み取った。そして、静かに微笑みながら頷いた。
 「ユンも叫んでみる?」
 「いや、それは遠慮しとくよ……」
 苦笑いを浮かべたユンに対して、カイアは笑みをこぼす。こんなに心が軽いのは久しぶりだと思った。今なら何でもできるというような気がしていた。
 「今からイサベルのところ行ってくる!」
 「うん」
 もう、こう決めたからには止まれない。私はあの海を渡る。それは絶対だ。絶対に譲れないことなのだ。私はより一層決意を固めて、孤児院へと続く道を歩いた。そして、イサベルの部屋をノックした。

 しかし、現実というものはそう上手くもいかないらしい。
 「ダメよ」
 「え」
 部屋に入るなり目を輝かせて自身の夢を伝えたカイアは、まず断られるということを想定していなかった。自身の胸中に芽生えていた、熱い期待や、大海の潮の音などが、無惨に消えていくのを聞いた。
 「なんで」
 「なんでって、貴方はまだ十二歳でしょう。それに、今その状態で行ったって生きて帰れる保証はない。というか、十中八九生きては帰れないわ」
 先ほどまで自分が思い悩んでいたことをそのまま言われて、返す言葉がなくなる。もはや彼女には、反論する気力すら残っていなかった。
 「じゃあ、どうしたら」
 イサベルは、諦めるという選択肢はないらしい彼女の様子を見て、呆れたように微笑んだ。
 「……あの船がもう一度この島にやってくるまで、それがリミットよ。それまで、私が貴方に生きていく術を教える。ついて来れなかったらそこで終わり、外へ出るのは認めない。いい?」
 そう言う彼女の瞳は、真っ直ぐにこちらを見つめて真剣だった。多分、それは冗談でもなんでもなく、それくらいの危険が伴うことなのだろうと思った。でも、私の意志は変わることなんてない。先程からずっと、この胸の内の熱は増していくばかりである。
 「はい!」
 この頃一番の大声で返事をした私は、もう一度胸の内で、大海のど真ん中の潮のさざめきを聞いていた。
 
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