DUNGEON MELT

高野ゆう

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ハレー島編

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 春の日差しは朗らかで暖かい。私はユンと二人で、孤児院から漁村へ続く道を下っていた。まだ朝早いが、井戸から水を汲んでくるように頼まれたのだ。
「見て、オドリコソウ」
「ほんとだ、かわいいね」
 道の端に咲いていた紫色の花をユンが指さす。穏やかな風を受けて、ゆらゆらと揺れていた。この花はどこから来たのだろうか?彼女は疑問に思った。この花があの海の向こう側から来たなんていうこともあり得るのだろうか。
 彼女がこのようなことを考えるようになったのは、例の日記の影響も大きい。あの本には、彼女が未だ見たこともないような植生が多く記されていた。この花だって、この島で一人生きているわけではないのだろう。
「ねぇ、カイア」
「うん?」
 私は花に向けていた視線を、ユンの方へと向けた。
「カイアは、将来何がしたいの?」
 咄嗟に発せられたその質問に、私は一瞬息が詰まった。潮風が肌に張り付くような心地がした。
「うーん」
 私は思わず、悩む素振りをしていた。いつもの癖だった。それは私のを曝け出してしまうことだから、言わないように蓋をしていたことだった。意気地のない防衛本能だった。
「わたしも、みんなみたいに漁師をやるんじゃないかな。ほら、あれって楽しそうだし——」
 情けない作り笑いをして、そんなことを言った時、彼はいつもと違って真剣な目でこちらを見ていた。どこまでも澄んだ黒いまっすぐな目だった。漁師であるロナンの海みたいに澄んだ目でもない。まだ何色でもなく、透明に澄んだ目だった。だから、私は口元がひりついたまま、気後れし、目を伏せた。
「嘘、だよね」
 彼の言葉はどこまでも深く、私の心を抉った。こんな一瞬のことで、私の心の壁は壊されてしまうなんて、その弱さを知った。いや、彼の言葉の純粋さが勝ったのかもしれない。
「うん、嘘」
 思ったよりも簡単に、私はそれを認めたことに驚いた。ユンとはあの日、一緒に本を読んで以来、唯一本当のことが話せる仲だった。だからかもしれない。私は彼に本当は嘘を吐きたくなかった。
 でも、だからと言って、私たちを取り巻く環境が変わるわけではない。私はあくまで孤児で、イサベルに助けて貰って生きている。だから、真っ当な生き方をして、恩返しをするのがなのだ。そこは私も取り違えたくはない。取り違えたら、何かを失う気がして怖い。
 二人の髪を、潮の匂いを含んだ海風がさらった。わずかに、草の匂いも含まれていた。そこに、昇ってきた太陽がじりじりと焼き付ける。なんて、ままならないんだろう。彼女はそう思わざるを得なかった。
 二人はそれから十数分、互いに黙ったまま丘を下った。

「おい、誰か村長呼んでこい!」
「まさか、誰か攻めてきたんじゃないだろうな?」
「とりあえず行ってみようぜ!あっち」
 普段この時間帯なら、何人かの漁師たちが沖へ向かっていく程度だが、今は様子が変だった。子供から、女まで、あらゆる人たちが家の外から出て、なんだなんだと様子を伺っていた。一言で言うのなら、混乱していた。私たちも一体なんだか訳がわからず、ただ呆然と突っ立っていた。しかし、やがてハッとして、知り合いだった漁師に話しかけた。
「何かあったんですか?」
「巨大な船だよ!俺たちの漁船とは比べもんにもならねぇ、いつもくる輸送船とも違う。とにかくでけぇ船だよ!」
 思わず息を呑んだ。心臓がバクバク音を立てていた。どうやらこれは、恐怖などではなく、好奇心であるようだった。そしてそれは、隣にいるユンも同じようだった。私たちは互いに目配せをして、頷きあい、そして駆け出した。
「一体なんだろう?」
「分かんない!」
 明らかに私たちは興奮していた。何やら漠然とした予感めいたものが、私たちを襲っていたようなのである。
 走るとすぐに沖に出た。漁村と言っても小さなものだ。子供二人でもすぐにその場所に到達した。
 そして私たちはそれを見た。途方もなく大きな船。それ以外に形容しようがない。船底が黒く硬質で、おそらく大砲のようなものが搭載されている。それにこちらが攻撃されれば、ひとたまりもないだろう。しかし、そのような様子は見られない。それほどまでに、既に沖合へと近づきつつあった。
 後ろの方から、遅れて村長がやってくる。
「おい、ガキは向こうに行ってろ」
 枯れた木の幹みたいな黒い肌に、白髪を生やしたいかにも海の男という風貌の村長は、私たちにそう話しかけた。
「「イヤです」」
 私たちが総じて拒否をしたものだから、村長は面食らったようで、それどころではないと向こうへ駆けて行った。
 私たちは少し離れたところから、動向を伺うことにした。
 船はそれこそ、この小さな島の小さな湾内をすっぽり覆ってしまえるのではないかと思えるくらい大きかった。船は近づくにつれ、大きな白い水飛沫を立て、私たちはただその船が作り出した巨大な影に覆われていた。
 それからまず、一人の船長らしき男が船を降りてきた。その服はこの島ではまず見ない格好だ。日記に出てきた海兵隊の軍服を思わせる白を基調とした服だった。そして頭には、何かの紋章と羽根のついたシャコー帽を被っている。
 彼は村長に一礼し、話しかけたが、その言葉はカイアには理解できないものだった。
 「ねぇ、ユン。なんて言っているのかわかる?」
 「いや、分からない」
 当然村長もそうだろうと思ったが、どうやら違ったらしい。彼は流暢な言葉で、船長らしき男と会話していた。やがて聞いていると、その言葉の発音があの祈りの言葉とよく似ていることに気がついた。しかし、だからといって理解できるわけではない。
 私たちはしばらくの間、無力感ともどかしさに頓挫していた。やがて、あの二人の間で話は着いたらしく、船長の指示にしたがって、何人もの乗組員たちが船から降りてきた。
 「親父さん、どういう話だったの?」
 私たちは村長に事の顛末を聞こうとした。
 「別になんてこたあねぇよ。あいつらどうやらここらの海流に呑まれて、ここまで辿り着いたんだ。でも物資がねぇから、支給してくれっていう話だ」
 「それで、なんて言ったの?」
 「今度美味い酒を大量に持ってくることと引き換えに承諾したよ。なんたって、この島じゃ作れる量に限りがあるからな」
 「それ、自分が飲みたいだけじゃん」
 ユンは呆れたように言った。
 対して村長は黒く染み付いた皺を寄せに寄せ、豪快に笑った。この人らしいと思った。困っている人には手を差し伸べないと気が済まないタチなのだ。あの孤児院も、元は村長の発案だという。
 「あ、そうだお前ら、このことイサベルのやつにも話しておいてくれ。俺の歳じゃあの丘を上るのもしんどい」
 「はーい」
 カイアは間延びした返事をした。しかし、彼女の中には少し別の感情が蠢いてもいた。それは、意外な呆気なさと、この場を逃せば次はないという焦りのようなものである。
 彼女は船がやってきた海の方を見た。背後から昇った太陽は、淡く向こうの海を照らし、白くさざめく光の道を作っているかに見えた。彼女はわずかに息を呑んだ。
 
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