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この命より
世界が望むもの、教会が望むもの、神の代弁者である教皇が何をしようとしているのか──リシュは何も知らない。だがその心に芽生えた激情は吐き気がする程強くリシュの胸を叩いた。
大通りを駆け抜け、マルル通りと呼ばれる裏通りに足を踏み入れる。そこはトルキア派や過激なコレイ派が多いと言われる場所で、あまり近付かないようにとリーベルから言われていた。故に初めて足を踏み入れる通りだ。カフェを探しながら、リシュは息を整えながら着込んだ外套を脱いだ。額から汗が頬を伝って流れてくる。
マルル通りに飲食店はそれ程多くなく、バーやレストランがぽつぽつと見受けられる程度。あとは工場が多い。注意深く看板を眺めながら歩き続けるうち、通りのはずれに漸くカフェを見付ける事ができた。その軒下で佇む一人の男の姿に、リシュは思わず足を止めた。そんな筈はない──そう思いながらも、一歩、一歩と確かめるように近付くたび、不思議な喜びが胸を叩く。
やがてその男の正体に確信が持てた時、リシュは走り出していた。
「ベイル!」
リシュの声に顔を上げ、唇に挟まれていた煙草が落ちる。
「リシュ……?」
赤毛の大柄な体躯。ガレー船で別れた懐かしい男の姿に、リシュもまた混乱していた。
「どうしてここに」
「ガレー船をやめて、大事な護衛任務中だ。そう言えばロウと知り合いなんだってな。今はロウの身を守っている」
その言葉を呑み込めないリシュをベイルは訝しげに見下ろした。
「お前こそ、何でこんなところに」
二人ともに会うはずのない場所での想像していなかった再会に困惑していたが、リシュはその言葉に我に帰る。
「教会の方々が、ここに……!」
慌てたリシュの唇を掌で塞ぎ、ベイルは素早く辺りに視線を走らせ、潜めた声でリシュの耳元に唇を寄せた。
「来い」
そのままカフェに入ると、ベイルは店主に声も掛けず二階へと足を進めた。促されるまま足を踏み入れた二階の一室には、十数人の若者の姿があった。そしてその中心で話し込んでいる青年──リシュが初めて捨てた恋が、そこには息衝いていた。
「ロウ、お客さんだ」
ベイルの声に全員が振り返る。焦がれた金色がリシュを捉え、驚きに満たされてゆく。
「リシュ、久しぶりだな」
慌ててこちらへ駆け寄るロウは、最後に話した時のまま。その瞳の光は今も眩いほどに煌めいている。
「リーベルと結婚したと言う話しは聞いていた。おめでとう」
「ありがとう」
照れ臭くて俯きながらも、リシュはそれどころではないと顔を上げた。こうしている間にも教会はロウを捕らえようとしている。
「教会の方々が、ロウを捕らえようとしていて──」
しかし、その先はやはり阻まれた。転げるように部屋に駆け込んだ一人の青年によって。
「ロウ、ティナが捕縛された!」
その名にリシュは驚いて振り返る。
「これを託された」
肩で息を吐きながら、青年は丸めた羊皮紙をロウに手渡すと、力尽きるように膝をついた。周囲が青年の肩を抱えたり水を渡したり騒つく中、ロウは手渡された紙に素早く視線を走らせる。
リシュは突然のことに混乱を来す頭で必死に現実を受け止めようと足掻き続けた。何故ティナの名がここで、何故捕らえられなくてはならなかったのか。その紙には、一体何が──。
ロウの金色の瞳が紙から逸れ、リシュの背後で立ち竦むベイルへと流れる。
「ベイル、リシュを頼む」
背後で微かに息を呑む気配がする。
「血は流したくない。ここまで来たんだ。あとは俺がいなくとも風は通るはず」
ロウの言葉に周囲は口々にそれを止め、耳を塞ぎたくなるほどの雑音となって狭い部屋に満ちる。しかしロウは決して首を縦に振る事はなく、それどころかよりその金色に信念を燃やし周囲をゆっくりと見回した。
「俺が出る。俺が出なければ、もう収まらない」
水を打ったように静まり返る部屋で、リシュは意味もなく呼吸を繰り返した。
トルキア司教は生きている。ロウの未来を願っている。伝えたい事は沢山ある。けれどベイルに連れられ屋敷に送られる間中、言葉がなかった。
リシュには彼らが抱く信念がない。リーベルの為に生きたいと思った。ロウの為に死をも厭わず駆け出した。けれど、それは信念から来るものではない。ただただ己の内に眠っていた本能の叫びだ。だからこそかける言葉を知らず、命を賭けて何かを成そうとする彼等を、止める事もできなかった。
その日、聖都セントリエルにトルキア派の主導者であるロウと、教会に忍び込み司教を誘惑し教会を顛覆させようとした罪で一人の少女が捕えられたと言う知らせが駆け抜けて行った。
刑の執行は三日後、セントリエルの西の外れにある処刑場にて行われる事となった。
いち早くその知らせを耳にしたリーベルの胸に抱かれて、リシュは震えるばかり。
「どうして、ティナは、どうなるの」
「分からない。彼女はまだ成人ではない。だからそこまで酷い事にはならないと思う」
その言葉に微かな安堵はあれど、ではロウは、ロウはどうなるのだろう。恐ろしい未来は震えとなり身体を包み込んでいた。
そして短い三日が過ぎた。この素早い刑の執行は、教会が如何にティナが手にした情報を隠したいかが表れている。セントリエルに住まう人々はロウを一目見ようと処刑場に詰め掛け、異様な熱気に包まれた。リシュとリーベルは、祈る気持ちでその一群に紛れていた。
柵で囲まれた処刑場に歓声にも似た群衆の声が轟き、リシュは顔を上げるが人垣に埋もれ何が起きているのかが分からない。それでも人波を縫いどうにか隙間を見付けると、ティナとロウがそれぞれ鎖に繋がれ軍人に引かれて歩いている姿が見えた。
突然いなくなったティナを一目見たいと思ってここに来たが、その姿を目にした途端に後悔した程だ。美しかった聡明な少女。いつもきっちりと結き、艶々としていた髪は見るも無惨に荒れて散り、頬も腫れているようだ。捕えられた三日の間にどれ程惨い仕打ちを受けたのかが想像出来てしまう。しかし捕えられて尚鼻先を上げ凛然としたティナの真っ直ぐな姿勢は、より胸が締め付けられるようだった。
ティナが促されるまま地に両膝をつくと、黒い礼服に身を包んだ司教がその前に立った。
「ティナ・オズメイヤー。教会を混乱に陥れ国家の顛覆を計った罪は重い」
一瞬水を打ったように静まり返る処刑場に、低い声が響き渡る。
「絞首刑に処す」
教会の決定に群衆は非難の声を上げた。一体彼女がどれ程の罪を犯したのか、それは死に値する罪なのか、何より、この裁きは真に神の意志なのか群衆は強い疑念を抱いた。傍で裁きを待つロウもまた、その代弁者のように声を荒げた。
「彼女はまだ成人もしていない、これは神の意に反する行為だ!」
ロウの良く通る声は、群衆のさざめきに掻き消される事はない。成人していない者を死刑に処す事は出来ない。それは聖典に書かれている事である。
「裁きを受けるなら、俺の命で十分の筈だ」
「これは教皇の意志。神聖な裁きに何人たりと足を踏み入れる事は叶わん。そこで見ていろ。これは貴様が齎した悲劇だ。背教者よ、罪を知れ」
軍人に押さえつけられロウが地に伏せると、司教は再びティナに向き直った。
「最期に言い残す事は」
真っ直ぐな瞳はひどく静かだった。まるでこれから自分が絞首刑に処されるものとは思えない、相変わらずに強い決意と信念だけが燃えている。人々は息を呑んだ。まだ年若い少女が命の終わりに何を語るのか、それに耳を傾けた。
静かに息を吐き、薄い唇が動き出す。
「ごらんなさい。これが神の意思か。これが、平等な和平の為の大義ある死なのか。私は望む。真にテラーの御心を聞き届け賜う教皇が、再びこの腐敗した地に光を与えん事を」
ふと逸れた瞳が、優しく揺れる。
「ロウ──愛しているわ。ずっと、貴方だけを」
死を前にして尚高潔なその精神に、群衆は皆揃って息を呑む。静まり返る処刑場に、祈りに似た声が響く。
「貴方のゆく道が、いつも太陽と共にありますように」
リシュは頰を伝う絶望に身体が力を失う感覚を覚えた。彼女と交わした言葉だけが、次から次へと頭の中を巡る。
ティナが想い続けていた相手がロウであり、ティナはロウの為、世界の為にその命を賭した。死への恐怖に打ち勝つ程の愛──それがこれ程までに悲しいものだとは、リシュは思ってもいなかった。
刑の執行が言い渡される。麻袋を頭から被せられ、絞首台に向かうティナの足取りは余りにも強いものだった。首に縄をかけられ、軍人が縄を切る斧を握りしめる。群衆の怒号、ロウの懇願、その全てに教会は耳を傾けなかった。
「やめて……!」
リシュもまた震える足で踏み出していた。その声に呼応するかのように、人々が柵を乗り越え走り出す。
聖典に反する少女の処刑──それは、教会にしてみれば危機を回避する為の苦肉の策であったのだろう。しかし多くの信徒が拒絶反応を起こし、教皇や教会への強い憤りを爆発させた。
抑えきれぬ怒りに燃え、処刑場に傾れ込んだ人々が軍人に襲い掛かる。暴徒と化した群衆を前に慌てて逃げ出す司教にもその手が伸びようかと言う時、ロウはその前に割って入った。止められずに振り下ろされた拳や蹴りを受けくぐもった呻きが漏れると、混乱に満ちていた群衆が一瞬にして我に帰る。
痛みに眉を寄せながらも、ロウの金色はやはり強い力を放ち続けていた。
「彼女が命を賭けて手にした教皇の腐敗はこの手にある。十二年前、無実の我が祖父トルキアを陥れた、許されざる罪の証拠が。だからどうか拳を収めてくれ」
落ち着きを取り戻した群衆の手を借り立ち上がったロウが、司教を真っ直ぐに見詰める。
「対話をしよう。この、世界の為に」
頬に流れる涙も拭わず、怒りに震える事もなく、深い悲しみを隠す事もなく、ロウは静かにそう放った。群衆は震えた。その純潔なまでの精神に。
セントリエルに冷たい風が吹く。世界が変わる、大きな風が──。
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