頽廃の王

鴻上縞

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終章


 雪解けが春の訪れを告げ、咲き誇る花々が優しい陽だまりの中で揺れている。窓から射し込む穏やかで清々しい朝陽を見上げ、リシュは少しの寂しさに瞳を細めた。
「リシュ様、如何ですか」
 その声に意識を戻し、鏡の中の自身の姿に目を向ける。肩まで伸びた髪は丁寧に編み込まれ、黄色い菜の花が控えめに飾られている。
「うん、とても綺麗だ。いつもありがとうティナ」
 嬉しそうな笑みを浮かべるティナを鏡越しで見詰め、リシュは慣れぬ安堵に息を吐く。

 順調に回復し、再びお屋敷で働く事になったティナ。ロウはやはり誰をも選ぶ事はなかったが、それでもティナはいつまでもロウを想い続けるのだろう。いつか二人が結ばれる日を願いながらも、リシュはティナを見るたびに胸が苦しくなる。
「もう、命を賭けようと思わないでね」
 大切な友を失う痛みは、未だに胸に棘を落とす。ティナは困ったように眉を下げ、深く頷いた。
 片付けも終わると、ふとティナは鏡越しにリシュを見詰めた。
「寂しくなりますわね」
 肩にそっと置かれた細い手に手を重ね、リシュは微笑んで見せる。
 今日、リーベルとロウが修行の旅に出る。ロウは大司教になる為に。そしてリーベルもまた、司教となる為に。何年も要する長い旅になるそうだ。

 お屋敷の前には、それぞれの道をゆく二人が肩を並べ穏やかに語らっていた。本物の兄弟のように、開け放たれた笑みを交わしながら。
 ティナと共に表へ出ると、ロウが感心したようにリシュの髪を眺めた。
「ティナは本当に腕の良い髪結だな」
「リシュ様専属のね」
 誇らしげに胸を張るティナに微笑み掛け、ロウは性急に荷物を背負った。
「先に出るよ。皆元気で。また会おう」
 もう行くのかと止める声も聞かず、歩き出した背中にティナはため息を送る。
「全く、もう少し後ろ髪を引かれてくれてもいいのに」
「ロウらしいじゃないか。帰ってきたら結婚を申し込んだらどうだ。さすがに修行を終えたらロウだってそう言う気持ちになるのではないかな」
「わかっていませんね、旦那様は。あの堅物はいつまで経っても独り身でいるつもりですよ」
 その言葉にリーベルは首を捻る。
「そうでもないと思うけどなあ」
 リシュもまた、修行から帰ってきたらロウはティナの気持ちを受け入れるのでは、と言う気がしていた。ロウがティナを見詰める瞳はいつも優しく、そこには愛おしさが揺れているような気がしているから。しかし当の本人は気付いていないのか、少し不機嫌そうに眉を寄せている。
「私の事は良いですから、旦那様もお気を付けて。あとはお二人でごゆっくり」
 そう言ってお屋敷に戻る背中を見送れば、別れがぐんと近付いて感じてしまう。リーベルもまた同じようで、細い眉は寂しげに垂れ下がっている。
「リシュ、皆の事をよろしくね」
「リーベルも身体に気を付けて」
「待っていてくれる?」
 勿論、と胸を張り、リシュは心配性のリーベルの頬を撫で、優しく口付けた。
「貴方のゆく道に、太陽が光り輝いていますように」
 リシュの健やかな祈りを受け、ようやく美しい顔に微笑みが咲く。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 何度も振り返るリーベルが見えなくなるまで見送って、リシュは目尻に滲んだ涙を拭う。寂しさはある。けれどかつて兄弟の契りを交わした二人が古書の森の中で誓った通り、未来を恥じぬ為に歩き出したその背中をリシュは誇らしい気持ちで見送った。

 教皇トルキアの元、世界は変わり始めた。奴隷の解放、教会は開かれ、階級制度は緩和され、奴隷が廃止された事により新たな雇用も生まれた。しかしまだ課題は多い。
 リマ族の解放は、果たして新たな火種にはならないか。その議論は日夜行われている。けれどこの世界にもはや奴隷は必要はない。信仰は血ではなく、しかし民族の血は尊重されるべきものだ。人々はたった一人のリマ族の存在でそれを知ったのだった。

 一人部屋に戻り、リシュは本棚から一冊の本を手に取った。砕石場で果てる筈だった命。この言葉の意味を知る日が来るなどと思った事もなかった。苦しみと恐怖と共にあった人生。死を恐れ、生にしがみつき、人の善意を疑い病んだ事もあった。初めての恋に絶望し、愛し合う事を知って、芽生えた信念のままに駆けた。全てが遥か昔のようで、だが同時につい昨日の事のように思い出せる。
 分厚いページを捲り、何度も読み返したその言葉を確かめるように指で撫でる。

 繁栄の起源が愛だと言うのならば、頽廃の濫觴らんしょうもまた然り。人々は愛の為に生きる活力を漲らせ、また愛の為に死への根拠無き恐怖を乗り越えるのだ。それこそが人間にのみ与えられた、神の恩恵である。

 そして世界は動き始める。愛と言う力の元に────。



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