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『Underground caT』
燻りの正体
しおりを挟む遠くの方でバタバタと家を出て行く足音を聞きながら、俺はぼんやり今の状況をどう受け入れようか考えていた。
ここは俺の部屋で、ここは俺と隆司さんの家で、そこには他人の入る余地なんかまるでない。慎太郎と実咲だけは特別だとして、それ以外の人間なんて以ての外だ。なのにどうして、こんな事になっているんだ。
俺を壁際に追いやって我が物顔で寝入る隣の男を目の片隅に入れただけで、思わず深い溜息が漏れた。こんな姿隆司さんに見られていたらと思うとゾッとする。何もないと言って信じてもらえる程、俺は品行方正に生きて来てはいない。むしろその真逆だ。男と見れば誰でも良い。好きでも嫌いでもない奴も、どんな嫌いな奴にでも身体を開いて生きて来た。……本当最低だな。再び深い溜息が口から漏れ出て行った。
しかし何で朝からこんな事で落ち込まなくちゃいけないんだ。そもそも俺には何の非も無い。そうだ。俺は悪くない。
「どけっ!酒臭いんだよ!」
溜まっていた苛立ちが爆発し、俺は隣で大口を開けて眠る男をベッドの下に蹴り落とした。ドスンと言う鈍い音と共にくぐもった悲鳴が上がる。下から苦情が来てもおかしくないけれどどうでも良い。
ぼっさぼさの頭を掻きながら起き上がった男は、呑気に大欠伸をして見せた。それがまた苛立ちに拍車を掛ける。
「目覚めたなら早く出てけよ!」
「……ここはどこじゃ」
「俺の部屋だよ!早く出てけ!」
朝っぱらからキーキー喚く俺を鬱陶しそうに眺めると、男はそのまま床にごろりと体を横たえた。
「……ほうか。じゃあもちいと寝かしといてくれや」
何でだよと突っ込もうかとも思ったが、直ぐに聞こえて来た寝息に何だか急に疲れてどうでも良くなってしまった。
この聞き慣れない広島弁の男は伊崎孝明。隆司さんの昔の知り合いだかなんだか知らないけれど、気に食わない。隆司さんに馴れ馴れしいし。昨日もこっそり見ていたらベタベタベタベタ触っているし。男同士なら何でも無いスキンシップレベルだろうが、俺としては許せない。隆司さんにベタベタして良いのは俺だけだ。
まあ潰れた隆司さんを無事連れて帰って来てくれたまでは百歩譲って許す。隆司さんだって二十年近く会っていなかった相手が、自分に会いたいと掛け合ってくれていたなんて嬉しくない訳がないから。けれど俺は元々気も短いし心なんて雀の額位狭い人間だ。軽く飲みに行くまでは許せても、夜中と言うより明け方までこんな素性の知れない男に貸し出すなんて当然面白くない。最近休みのない隆司さんの体調も心配だ。
そう苛々していた時に完全に潰れた隆司さんを連れて帰って来たこいつは、あろう事か俺をどこぞの女と勘違いしたのか気持ち悪い呼び方で呼んだ挙句、隆司さんの介抱をしていた俺を無理矢理引き摺って勝手に人の部屋で寝始めたのだ。だから本当に何もない。
そう自分に言い訳しつつ、わざとらしく伊崎を踏み付けてリビングに足を運んだ。悲鳴が聞こえた気がするけど知るもんか。初対面の人間の生活に土足で踏み込んだんだから自業自得だ。
リビングの机の上にはウコンのお礼と、謝罪と、洗濯はしなくて良いと書かれたメモが乗っていた。綺麗だけど少し不恰好で、それでも優しさに溢れた隆司さんらしい文字。それだけで胸が高鳴る俺は頭が可笑しいのだろうか。さっき迄の苛立ちなんかどこ吹く風。小さな紙切れ片手にニヤニヤ顔を緩ませる自分が気持ち悪い事に気付いたのは、十秒は経っていただろう。
気を取り直して頭を巡らせる。洗濯は良いと言われてもどうせ暇だ。やっといて迷惑な事もないだろうし、隆司さんは優しいから気を使っているだけだとも分かる。悩む余地もなく俺は洗濯を回しながら掃除をしようと洗面所に足を運んだ。
相当焦っていたのだろうと言う事は、脱ぎ散らかされたスラックスが物語っていた。ポケットの中身を全部出しながら、変な充実感にまた顔が緩む。煙草にライター、レシートの類に紛れふと目に止まった。淡い色の、一枚の名刺。
「……嘘だろ」
思わずそんな言葉が口から零れた。何度も何度も見直して、だけど何度見たってそれは紛う事のない真実だと突き付けられるだけだった。足からふっと力が抜けて俺はそのままへたり込んでしまった。頭の中が白く濁り、高い耳鳴りが襲う。あまりにも信じられない現実に背中にジットリと汗が滲んだ。
「……嘘だ」
そう言いながらも声が酷く震えているのは、夜の街に立って、裏の世界を生きてきた俺には意味の無い希望なんて持てる筈も無いから。この名刺の意味を、一瞬で理解出来てしまうから。
隆司さんが……風俗に行った。
丸みを帯びた字で印刷された〝ゆき〟と言う名前を見ていたら、悔しくて堪らなかった。ご丁寧に風俗嬢の源氏名が俺と同じなんて、更に最悪だ。隆司さんはこれを見られたくなくて、洗濯するなと書き置きまでしたのだろうか。だったらあの人も所詮ただの男だったって訳だ。汚い大人。俺を買っていた、男達と同じ。暗い欲望を金で買う腐った人間。
こんな事思いたくないのに、訳の分からない感情が溢れ出して止まらない。狂いそうな嫉妬の裏側で燃え上がった悔しさに、キツく噛んだ奥歯がギリっと音を立てた。それと共に諦めにも似た脱力感が襲う。
何を悲観する事がある。いつかこうなると分かってはいた筈だ。隆司さんが、女に戻るその日が来る事。あの人は俺とは違う。間違ってこっちの世界に片足を踏み込んでしまっただけだ。第一俺達は付き合っている訳じゃない。ましてや一度だって好きだと言ってくれた事も、抱いてくれた事もないのに。なのに何でこんなにも、裏切られた気持ちになるんだろう。
「なあ、腹減ったんじゃが……何しとるん?」
突然背後で聞こえた声に、身体がビクリと跳ねる。存在を完全に忘れていた。へたり込んだまま見上げる俺には目もくれず、伊崎は震える手に握られていた名刺を取り上げた。
「アホ。朝帰りした旦那のズボンは探ったらダメじゃろう」
旦那じゃねえし。そんな今壮絶にどうでも良い事を口に出している場合じゃない。俺の頭はこのだらしない男を目にした瞬間一縷の希望を見た気がして、一瞬で色を取り戻していた。
「……お前の所為だろ?」
「はあ?」
「お前が、無理矢理連れていっただけだろ!?」
思わず掴みかかる俺を軽く払い除けると、伊崎は面倒臭そうに溜息を吐いた。その憐れみに満ちた瞳が俺の混乱を悪戯に煽る。
「覚えとらんわ。そがあな怖え顔すなよ。男が風俗行くなあ単なる遊びじゃ。われも男なんじゃけえ分かるやろう」
「……遊び?」
隆司さんが遊びで誰かを抱く訳がない。ましてや金で買うなんて考えられない。その変な自信は余計に自分を追い詰めるだけなのに、俺の頭はそれ程に冷静さに欠いていた。
「そがあな事よりも、わしゃあ腹減ったんじゃ。飯作ってくれんか?」
空気を読まない発言に、再び朝の怒りが湧き上がる。
「うっせえハゲ!国に帰れ!」
「ハゲとらんわ!ええよ、勝手に冷蔵庫漁るしのお」
「はあ!?図々しいんだよ!待てって!」
洗面所を立ち去ろうとする伊崎の腕を慌てて掴んだと思ったら、何故か逆に思いっきり引っ張られ、何が起こったのか理解した時には既に洗面所の白い壁に押さえ付けられていた。
予想外に近くにある顔に嫌な緊張感が走る。この男は一体何なんだ。自己防衛にしてはやり過ぎだし、何より、俺を見下ろす瞳の奥底には言いようの無い不気味な影が揺らいでいた。こいつは今迄会った誰よりも、危険な匂いのする男。直感的に本能がそう告げた。
「……なあ、そがあな好きなら信じてやりゃあええじゃろうが。まだ本人に何にも聞いとらんのじゃろ?」
しかし予想外に優しい言葉に張り詰めた緊張の糸が緩む。
伊崎の言う通り、確かにそうだ。それに名刺の存在を認識していたなら、洗濯するなと書き置きする以前にとっとと処分する筈だ。あんな小さい物だ。そんな手間じゃない。俺に書き置きするより断然簡単だ。こんな奴に気付かされるなんて俺は馬鹿だ。情けない。
「しっかしキーキーキーキーうるさいのお。こがあな奴のどこがええのじゃろうか」
「……うるさい」
身体を離し洗面所を去る背中に悪態を付いて見ても虚しいだけだ。
本当、隆司さんは俺のどこが良かったんだろう。いや別に良かった訳じゃないのか?もう自分でも訳が分からない。グチャグチャの頭の中で、それでも隆司さんを好きな事だけが唯一揺らぐ事の無い真実だった。
話しがあるから、真っ直ぐ帰って来てね──そうメールを送って携帯の電源を切った。こんなメールをしたらあの人は絶対電話してくるだろうから。心配性で、俺を、大切に思ってくれていた筈だから。来なかったら来なかったで絶対落ち込むし、我ながら良い判断だと思う。
傷付かない為の予防線を幾つも張り巡らせて、俺は来るべき修羅場に備えた。
決戦の時が刻一刻と迫る中、俺は何を主軸にしたら良いのかをずっと考えていた。隆司さんが風俗に行った事が事実だったとして、それに対して怒る資格があるのかどうか。無かったとして、だったら何を詰めれば良いのか。極めてグレーなこの関係の中で俺に出来る事は何だろう。ただ嫌だったと伝える事しか出来ないのかもしれない。それに同じ男として、性欲云々に関しては伊崎の言う通りよく分かる。見て見ぬフリをする事が得策なのかもしれない。
けれどどうしようもないこの苛立ちは、このまま胸の奥に沈ませたとして鎮火出来る筈もない。曖昧にすればする程狂気じみた嫉妬の炎が燃え上がるだけだ。だからハッキリさせなきゃいけない。喧嘩をしたい訳じゃない。険悪な雰囲気になりたい訳じゃない。
全ては隆司さんと一緒に、隆司さんの隣で、明日を生きる為に。
その日、予想通り隆司さんは何時もよりも早く帰って来た。バタバタと慌ててリビングに入ってきて、そのまま自室の扉が叩かれる。コンコンと言う鈍い音はまるで戦い開始のゴングのようだ。返事もせずベッドの上で腕を組んで扉を睨む。
しばらくして扉を開いた隆司さんは、そんな俺を見てあからさまに驚いた顔を見せた。
「……雪?携帯の電源切っていたのか?」
「座って」
床を顎で指す俺に向けて、不安気な瞳が揺れる。
「……昨日は悪かった」
「良いから座れよ」
今は余計な事は聞きたくない。俺は隆司さんが好きだ。それも多分、この世で誰よりも。だからこそ情に流されてしまわない為にも俺が主導権を握る必要がある。
渋々床に腰を下ろした事を見届けて俺はゆっくりと息を吸い込んだ。けれど、最初の言葉が出なかった。何て切り出したら良いかここに来て頭が真っ白になってしまったのだ。今の今まで冷静だった筈なのに、隆司さんの顔を見れば見る程胸が苦しくなった。何も無かった事にしておかえりって言ってあげたい。悔しさや悲しみを隠して笑ってあげたい。隆司さんが、俺に対してそうだったように。
「……何で?」
何で俺はこんなに心が狭いんだ。何で俺はこんなに自分勝手なんだ。同じ人間の癖に、どうしてこんなにも違う。
泣きたくなんかないのに、涙が溢れて止まらなかった。
「……雪?どうしたよ」
頬に伸びた手を思いっきり振り払う。ショックを隠せない様子の隆司さんに、訳の分からない怒りが胸に渦巻いた。
あんた俺の事好きなんだろ?言葉で出さなくったって伝えてくれてたじゃないか。だから俺は今の今まで、幸せを感じてたんだよ?
「何で、風俗なんか行ったんだよ!」
「おいおい、落ち着け。何を言ってんだ」
「……とぼけんの?ポケットから名刺が出て来たんだよ!」
隆司さんはあまりの事に呆然としていた。多分本当に記憶が無いんだ。それが分かっているから、俺もそれ以上言葉が出なかった。息が苦しい。まるで大切な物を抉り取られたように胸が痛む。
重い沈黙の中、隆司さんは俯いたまま、ポツリと呟いた。
「悪い……記憶が、無くて……」
何でだよ。否定してくれよ。記憶が無くったってそんな所行くわけないって、言ってくれよ。嘘でも良い。嘘でも良かったんだ。そんな言葉出る位ならいっその事、嘘をついて欲しかった。その時にふっと何かが切れた気がした。
隆司さんの前だけ純情な子猫の皮を被っていたのは誰?裏切っていたのは俺も同じ。俺の方が遥かに罪が重いのかもしれない。結局は失う物なんか初めから、無かったのかもしれない。それなら隠した本性を晒して牙を向く迄だ。俺は薄汚れた男娼。快楽の波間でのみ輝ける。そう言う人間だ。
「ねえ、抱いてよ。俺を隆司さんの物にしてよ」
驚いて顔を上げた隆司さんを真っ直ぐに見据える。これは俺の最後の悪足掻き。どうか、届いて欲しいと願う。
長い沈黙の後、隆司さんはふと視線を落として、苦しそうに唇を噛み締めた。
「……出来ない」
隆司さんのその答えに不思議と衝撃は無かった。結局はそう言う事だったんだと、俺には分かっていたから。
「風俗嬢のゆきは抱けて、あんたと一緒に住んでる雪は抱けないって訳だ。当然だよな」
暖かい涙が一筋、すっと頬を撫でた。
「俺は、どう足掻いたって、男だもん」
隆司さんを好きになった事を後悔はしていない。けれど男である事が、初めて堪らなく悔しかった。
俺はそのまま制止を振り切ってマンションを後にした。
変わらずに大切だ。変わらずに愛してる。だからこそ、これ以上顔を見てはいられなかった。自分勝手な苛立ちで傷付けてしまうから。自分の事を棚に上げて、二度と修復出来ない程に責めてしまいそうだから。
繁華街の目障りなネオンと客引きをすり抜けて、俺は一軒のバーに向かった。地下へと続く階段をゆっくり下りる。黒い扉を開くと、薄暗い店内のカウンターで大笑いしていたアキさんが俺の顔を見た瞬間更に吹き出した。
「雪!?何よあんた!ちょっと前迄幸せの絶頂みたいな顔してた癖に!」
そんな酷い顔なんだろうか。別に何でも良いけど。アキさんの隣の男をどけてそこに腰を下ろした途端、止まっていた涙が溢れた。
「ちょっと、本当にどうしたの?」
この辺りじゃ有名だった俺の突然の登場で騒ついていた店内が、水を打ったように静まり返る。俺はアキさんに会いに来たんだから放っておいてくれたら良いのに。
そんな願いも虚しく、突っ伏した俺の頭上で優しい声の雨が降る。ちょっと優しくしたら抱ける安い男だって認識されているのだろう。優しくされなくても抱かせてやるけど。そんな下心でここぞとばかりに近付いて来た男が背中に触れるや否や、アキさんがそれをはたき落とした。
「はい近付かない!お触り禁止!この子にはもういい人がいるんだから!」
いい人……その言葉に思わず嗚咽が漏れる。鬼のような形相で威嚇するアキさんの気迫に圧され、ギャラリーはすごすごと退散して行った。小さいタオルと一緒に差し出されたカクテルを一気に煽る。辛口の、少し寂しい味が胸に染みた。
「さすがママ!雪、それLast Kissってカクテルよ」
隣で喜々として語るアキさんを見ていたら泣いてるのもバカらしくなって来た。
「やめろよ、縁起でもない」
空のグラスを不機嫌に突っ返す俺を見て、カウンターの向こうの見た目おっさんが楽しそうに笑った。俺は別に失恋した訳じゃない。
再び差し出された違う色のカクテルも躊躇なく飲み干した。
「そんな飲み方やめなさいよ、勿体無い。あんたヤケ酒する年でもないでしょ」
隣で呆れた顔を見せるこちらも見た目おっさんを睨み付ける。良い年して品がない金髪のアキさんに言われたくない。
「今日位良いじゃん。ママ、今日の分はアキさんにツケといて」
「ちょっと!あたしよりあんたの方が稼いでるじゃない!」
アキさんの言う通り。将生さんの所で働くようになって僅か五年程で、通帳はどえらい額になっていた。全く使わないから貯まる一方。大体趣味もない俺が使い切れる額でもない。たまに俺が死んだらこの金は何処に行くんだろうと途方もない事を思う事がある。
そんな本当にどうでも良い事を考えていたら、アキさんは一つ声を落として俺に問い掛けて来た。
「ねえ、雪?話したくないなら良いけど、あんたが泣くとハエが寄って来て大変なのよ。りゅうさんと何かあったの?」
人間てのは不思議なもんで、あまりにもショックな事があると別の事を考えるものみたいだ。それは自己防衛なのかもしれない。
「隆司さんが、風俗行った」
声を落として言った筈が、その瞬間店内が再びシンと静まり返った。大方聞き耳を立てていたんだろう。
アキさんの店と将生さんが繋がってる事から分かると思うけれど、この辺りは山室組のシマみたいなもんだ。隆司さんがその組長の息子である事も、夜を生きる人間は大体噂では聞いた事位あるだろう。この静寂は俺のいい人ってのがあの山室隆司だと知っての驚きだ。全く人間てのは浅ましい生き物だよ。勿論、俺も含めてね。
目の前に差し出された目障りな色の液体を流し込む。ヤケ酒なんて言われたけど、まさしくその通りだと思うとなんか笑えた。そんな俺の背中をアキさんは優しく撫でてくれた。
「あんたは人を好きになる事が初めてだから戸惑ったわよね。悔しかったね。でもね、ここにいる皆通って来た道よ?ね?ママ」
「そうそう。雪ちゃん?ノンケと愛し合うなんて所詮夢物語でしかないの。人は出会いと別れを繰り返して歩いて行く生き物よ?腐らないで生きて行きなさい!」
何だこの俺が完全にフられたみたいなノリは。
「でも隆司さんは……」
否定しようと口を開いたものの、思わずその先言葉に詰まってしまった。愛されているなんて自意識過剰甚だしいのかも知れない。俺は隆司さんにとって、慎太郎と同じなのかもしれない。
続きを待ってくれていたアキさんが、静かに息を吐き出した。
「そうね、りゅうさんは悔しいけどあんたを愛してるわね」
「……は?」
「だけどあんたとは愛し方が違うの。それが分からないから雪はガキなのよ」
最近漸く愛する事も愛される事も知った俺には些か難しすぎる。ガキだって事も自覚はしてる。俺と隆司さんでは実年齢以上に精神年齢に差があり過ぎるんだ。
「どうしてあの人があんたを抱かないか分かる?」
「……知ってたの?」
「この間相談されたのよ。あんたの病気についてね」
声色は優しい物なのに、病気と言う言葉に総毛立つような悪寒が走り抜けた。
「ごめん……トイレ」
立ち上がったとたんぐわんと視界が揺れ、思わずよろけた俺をアキさんが慌てて支えてくれた。
「ちょっと、大丈夫?」
心配してくれたその腕を振り払い、フラフラした足取りで逃げるようにその場を去った。
駆け込んだトイレで閉じた便座に腰を下ろしキツく目を閉じると、深い暗闇がぐるぐると回った。心臓がドクンドクンと耳元で律動を繰り返す。酷く身体が熱いのに、冷や汗が止まらない。要さんに抱かれた日のような抑え切れない不安が再び襲う。
「……最悪」
思わず漏れた言葉通り、こんな気持ちになるなんて予想以上に酔いが回ってしまったみたいだ。
後悔に頭を抱えた瞬間、扉が徐に開いたかと思うと見た事のない男が入って来た。
「雪君、大丈夫?」
「……うん」
鍵を掛け忘れた事すら朧げな思考の中ではどうでも良かった。それに身の危険なんて元々俺はあまり考えない方だ。膝を屈めて覗き込んだ男の黒い瞳に、虚ろな目をした自分が映る。
「水持ってこようか?」
「いらない……」
欲しい物は、そんな物じゃないんだ。
「バカだよね。こんな時でも……会いたくて堪らないんだ」
こんな知らない男に愚痴るなんて、どうかしてる。自嘲気味に笑う俺の髪を男の大きい掌が撫で上げた。
「俺が埋めてあげるよ」
……何を?そんな野暮な事を口にしようとしたけれど、塞がれた唇からは言葉の代わりに吐息だけが漏れた。抵抗すると思っていたのか、強く握られていた両腕は、自ら舌を絡める俺を見てゆっくりと離された。
「静かに出来る?」
口元に浮かんだ下卑た笑みは、この男の暗い欲情を色濃く映し出していた。俺はゆっくりと、小さく頷く。
「いい子だね」
久しぶりに感じる野生的な激情に、ドロリとした甘い疼きが全身を駆け巡る。
性急な男は、唇を重ねたまま乱暴に下着ごとスラックスを引き抜いた。まだ萎えたままの中心に、大きな掌が添えられる。ゆっくりと動き出す荒れた肌の感触が、敏感な神経に刺すような刺激を与え始めた。
その隙に割り入れられた舌が、甘い唾液を流し込みながら激しく口腔を犯す。息苦しくて、でも昂まる欲望の熱さに、俺は身悶えながらも必死で男の首に腕を回した。
ようやく唇を解放した男は、光る口元を拭いながらとびきり卑猥に囁いた。
「啼いちゃダメだよ」
言うなり男が股座に顔を埋め、同じように涎を垂らし始めた花芯を一気に喉奥まで咥え込んだ。背筋を駆け抜ける快感に慌てて口を押さえてはみたが、緩んだ口元からは尾を引くような甘ったるい吐息が漏れ出てしまう。
舌先で鈴口を嬲られ、ぬめる熱い口腔に棹を摩擦されては、敏感な俺が我慢出来るはずもない。遂に喘ぎ始めると、男は慌てて緩んだ口に太い指を突っ込んだ。
「イイ声だけど、今はダメだよ。まだ楽しみたいでしょう?こっちで」
空いた方の指が、いきなりまだ解されてもいない蕾を刺し貫くように突き入れられ、余りの衝撃に身体が跳ね上がる。それを感じたと取ったのか、男は乱暴に中を掻き回す。男の涎と先走りが伝い濡れてはいるが、どう考えても不十分。俺は痛みに身悶えながらも、だがその先の快楽に欲望を滾らせて行く。
「君は名器だって噂だったよ、雪君。その美貌に似合いの高飛車で、だけど快楽に於いてはこんなにも弱い。一体この街の何人が、そんな君を犯したいと思っているだろうね」
男はそう言うと、指を引き抜き、唇に貪りついた。下からも、上からも、酷く卑猥な粘る水音が奏でられ、次第に痛みもぐずぐずに融け始める。
震える指先を男のスラックスの膨らみに伸ばすと、ようやく唇は解放された。二人を繋ぐ銀糸が、一瞬戸惑いぷつりと切れた。
「噂通りだ。堪らないよ、雪君」
どんな噂か知ったこっちゃないが、とにかくもう待てない。早くその熱が欲しくて、形がくっきりと露わになるスラックス越し、俺は朦朧としながらも指先で稚拙な摩擦を繰り返す。男はそれで全てを察し、スラックスを膝まで下ろすと俺を抱き上げ、自分は便座に腰を下ろした。
その時、軽々と抱き上げられる程、男の体格が良い事を知った。だけどもうなんでも良くて、男が導くよりも先に、俺は自ら反り返る怒張に腰を沈めた。
「あ、ああっぁ……!」
思わず悲鳴が上がると、男は再び俺の口に指を突っ込んだ。
「可愛い声、聞きたいけど、ダメだよ」
肉と肉がぶつかり、湿った秘腔に出入りする肉杭が垂らす涎は、声なんかよりももっと直接的にふしだらな行為を露呈する。もう、何でもいい。男の腹に欲望を吐き出しながら、俺は背筋をしならせて善がり狂う。
声を抑える為に口に太い指を突っ込まれ、知らない男にトイレで犯されるなんて。普通の人間なら気の狂いそうなこの異質な状況は、俺を呑み込むに易しかった。
快楽への強い欲求が溶けた思考を突き破る。堕ちて行く感覚は想像以上に快感だ。白濁して行く意識の中で、俺は元々、こう言う人種だった事を薄っすらと思い出していた。震え上がる程の壮絶な不安の正体に気付いていなかった訳じゃない。気付いてしまったら最後。俺は真っ直ぐに隆司さんを愛せなくなると知っていた。
隆司さん。俺ね、やっぱり変わっていなかったんだ。二階堂の家であんたの為に耐えてるフリして、快楽を貪ってたんだ。隆司さんへの想いを隠れ蓑に喜々として男に抱かれていたんだ。俺はそんな風に何処迄も堕ちた人間だって本当は自分でも知っていたんだよ。
人間らしく、誰かを愛す。そしてその人が俺を愛してくれる。灰色の壁の中で茜色の寂しい空を見上げて、そんな夢物語に憧れる、愚かな罪人。浅ましくて、意地汚くて、歪な生き物。隆司さんを想う心なんか、揺らいでしまえば良い。
扉を叩きながら俺の名前を呼ぶアキさんの声が、次第に溶けて消えて行った。
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