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プロローグ「吸血姫と妹、そして戦鬼」
「ご主人様な吸血姫」
しおりを挟むこの俺、酒上刃に与えられし朝の使命は、まずご主人様を起こすことから始まる。
廊下に敷かれた絨毯を遠慮なく踏みしめながら、身体の動きを隈無くチェックしていく。
「む……」
着慣れない学園の制服が少しだけ自分の動きをぎこちなくさせ、思わず眉を寄せてしまった。
──我が性能は主と妹のため、常に十全に発揮されねばならない。彼女達の幸福こそが我が覇道の勲。いざという時に「動けなかった」では少女達を守護する戦鬼の名折れよ。
違和感を修正しつつ二階に上がり、隅の一室の前へ立つ。そして遠慮なくコンコン、と重厚な木製の扉を叩いた。
「……」
反応なし。
彼女を起こす業務を続けて一ヶ月ほど経つが、もはや想定通りの反応過ぎて驚きもしない。
俺は苦笑交じりのため息をついて、もう一度強めに扉をノックした。
「おいマスター、朝だ。起きろ」
こちらから声をかけると、部屋の中からくぐもった呻き声が聞こえてきた。
どうやらお目覚めらしい。小さい声で「学園行きたくない……」と言っているのが耳に届いた。
「入るぞ」
一応、制服の襟を整えてからドアノブを回す。小気味のいい音と共に扉を開けば、優しいラベンダーの香りが俺を出迎えた。
……人工的な冷風もおまけにして。
「……またエアコンをつけっぱなしで寝たな。風邪を引くからやめろと言っているだろう」
ピッと冷気を送り続けていたエアコンを止める。まったく、無粋な。
俺は深紅のカーペットを踏みながら、天蓋付きベッドのこんもりした膨らみを少し目を細めつつ見やった。
そんな視線の先にある膨らみはもぞもぞと動きながら「だって日本の夏暑いんだもの……」と呻いている。
「もう夏休みは終わったのだ。刀花がもう朝飯を作っている、早く起きて支度をするぞ」
少女の朝の支度はただでさえ時間がかかるのだからな。
豪奢な部屋に散らばったお菓子の残骸やゲームのコントローラーを片付けながらそんな言葉を投げ掛けていれば……、
「うー……わかったわよ。よいしょ……」
もぞもぞと動くシーツから、小動物のような動きでひょっこりと顔だけが出てきた。
「ふあぁ……おはよう、ジン」
欠伸混じりに一人の少女が姿を現す。
黄金を溶かしたかのような金髪がベッドの上にさらさらと流れ落ち、深紅に輝く瞳はまだ眠そうに細められている。陶器のような白い手で瞼を擦り、いまだ出る欠伸を少女は噛み殺した。
「うむ。おはよう我がマスター、リゼット。夏の朝日を食らえ」
そんな彼女に容赦なくカーテンを開け放つ。夏の朝日が暗い部屋に差し込み、リゼットの目を焼いた。
「うー……あなたそれ吸血鬼にすること? ひどくない?」
しかし彼女は眩しさに瞳を細めるのみで、消滅したりはしない。
「吸血鬼といっても苦手なだけだろう。平気で昼間に日傘さしてコンビニに行っているではないか」
こちらの言葉に「うるさいわねぇ……」と言いながら吸血鬼の少女は身体をうんと伸ばす。シーツが流れ落ち、無防備なネグリジェ姿が露になった。
リゼット=ブルームフィールド。イギリスから留学してきた吸血鬼のお嬢様であり、ひょんなことから俺のご主人様となった高校一年生の少女だ。
「喉が乾いたわ、血を寄越しなさい」
「そら」
「ふぎゃーーーー!?」
俺はおもむろに霊力で作り上げた大鋏を取り出し、自分の首をチョンパする。噴水のように湧き出る俺の血をお望み通りぶっかけてやれば、我が主は猫のように髪を逆立たせ悲鳴を上げた。
「朝っぱらからなんという悲鳴だ。仮にも花の乙女だろうに」
絶叫する彼女へと、カーペットに転げ落ちた首から話しかける。
うむ、ここからだとネグリジェの裾から投げ出されたスラリと細い足がよく見える。我が主は相も変わらず美しい。
だが、我が麗しの主はこれがお気に召さなかったご様子だ。
「こんなスプラッタ見せられたら普通そうなるわよ! 落ちた首から喋らないでよ気持ち悪い!」
高い声で喚く我が主は「それにあなたの血は錆び臭すぎるからいらないって言ってるでしょ」とぶつくさ呟きつつベッドから下り、俺の首を雑に拾った。
「こら髪の毛を掴むんじゃない。円形脱毛症にする気か?」
「わ・た・し・よ、それになりそうなのは。あなたはもう少し加減ってもんを知りなさいよ」
彼女は一言ごとに強調しつつプリプリと怒りながら、無造作に俺の頭を首の上に乗せる。
ぐちゃりと水っぽい音がして、俺の頭と首は一瞬でくっついた。
「……逆なんだが?」
「お似合いよ?」
ほう、主のお気に召しているとなれば俺に否応はない。
俺はそのまま彼女の戯れに肩を竦め、ズボンのポケットから血の入ったパックとストローを取り出す。
頭と身体が前後逆だろうがすいすい動く俺の様子を見てリゼットはドン引きしているが、これがお気に召したのであろう? 受け入れよ。
「もう、持ってるなら最初から出しなさいよ……」
「目は覚めただろう。始業式限定の出血大サービスというやつだ」
げんなりした様子でパックを受け取り、血をチューチュー吸う彼女は白い目でこちらを見てくる。昨夜に頑張って考えたサービスだったのだがな、ダメだったか。
「まったくもう……」
血塗れのリゼットが指を鳴らすと、周囲に飛び散った俺の血が霞むように消えてゆく。血の扱いに関してはそこそこやる。半人前だから基本ポンコツだが。
「お見事」
「……ふん、どうも」
照れたように顔を背けて血を吸う。吸血鬼らしく尖ったその耳は赤く染まり、色白な肌に赤がよく映えた。彼女は褒められるのに慣れていないのだ。
「さすがは俺の主だ。だが、もう多少は多芸になってくれねば守護する立場として安心はできん。これからもより励むがいい」
俺はこれ見よがしに次々と血で作られた剣やナイフ、果ては鎌を作り出しポンポンとお手玉のように投げる。そんな俺を見てリゼットは眉をヒクヒクとさせていた。
「見せつけてくれるじゃないのよ……」
「当然だ。我こそは、無双の戦鬼であ──」
「うわ出た」
言葉の途中でリゼットが呆れたように手を振り、ドレッサー前の椅子に座る。
そうして「こっちに来なさい」と言わんばかりに人差し指をくいくいと動かすのを認め、俺は彼女の傍らに控えてブラシを手に取った。
「ファンタジー世界ならまだしも、この現代社会で今時流行らないわよ戦鬼さん? 使いどころないじゃない」
存在がファンタジーな吸血鬼様に言われるとはな。俺とて彼女に出会うまで吸血鬼というのを見たことがなかったのだぞ。
俺は彼女の見事な金髪をブラシで梳きながら適当に相槌を打つ。
「草刈りに便利なんだぞ?」
「あなたそれで何回お屋敷の壁壊してるのよ」
ガーとちっちゃい牙を見せ、我がご主人様はご立腹な様子である。
必要な犠牲だったのだ……技術の発展には犠牲が付き物なのだ許せ。
無視して髪のセットに集中する。ブラシで梳かした後は長髪の先端に大きめの白いリボンを括って纏める。
そうやって朝からむくれるご主人様の相手をしながら、俺はさらに彼女の制服や下着を用意した。
「ちょっと、下着は私が用意するって言ってるでしょ」
「マスターが用意したら、上下色違いになって畳む時に面倒なのだ」
「所帯染みたことを……っていうか、ご主人様の下着を見てもっと言うこととかあるんじゃないの?」
そう言ってリゼットは自慢の金髪を手で掻き上げ、紅蓮の瞳を挑発気味にゆらりと揺らす。しかしその頬は少し赤い。我がマスターは余裕ぶりたいお年頃なのだ。
「ほう……」
そのご主人様とやらを、ためつすがめつ眺める。
黄昏色に輝く金髪はまるで水のように流れる。日に当たるのを嫌がり太陽の下にでないため、その肌は雪のように美しい。薄着のネグリジェを程よくボリュームのある胸が押し上げ、扇情的に映る。
美しい均整の取れた身体に強気な瞳が、彼女にバラのように咲き誇る雰囲気を纏わせている。まさに、女主人として相応しい凛としたオーラと言えよう。
そんなリゼットお嬢様の芸術品のような容姿を認めた俺は「うむ」と一つ頷き、言葉を放った。
「えー上から八十三、ごじゅう──」
「きゃーきゃー!?」
顔を真っ赤にして騒ぎ出し、一気に豪奢な雰囲気は霧散してしまった。
「あああ、あなた! なんで私の詳しい数値を!?」
自分の身体を抱くようにしながら、信じられないものを見るかのような目付きでこちらを見てくる。知らんのか?
「いや普通に下着のタグに書いてあるだろう。誰が洗濯してると思っている」
「トーカじゃないの!?」
「俺も手伝っている。たまには部屋でゲームばかりしていないで家事を手伝え……とまでは言わんが、自分の下僕の仕事程度は把握しておくがいい」
うっ、と気まずそうに顔を背けるリゼット。
まったく、ぐうたらめ。まあ生活能力皆無のお嬢様には酷な話か。世話の焼ける可愛い女の子である。そんな部分も含めて採点は……、
「うーむ……九十点」
「……ちょっと、マイナス十はどこからよ」
「妹と同い年だからだマスター、もう一人妹ができた気分だ」
俺が「もう少し背があったらな」と言うと、不満げにプクッと頬を膨らませる……が点数が高いのが満更でもなかったのか、一つクスリと笑みを浮かべ、その顔が長く続くことはなかった。
そんなご主人様も可愛らしい……やはり、内心百点に書き換えておこう。いや百億点満点だな。我が主は妹と並び宇宙一可愛らしいのだ。異論は許さん。
俺がそう心の中で讃辞を投げていれば、リゼットはからかうような口調でこちらに新たな命を下す。
「はいはいわかったわよお兄ちゃん? 着替えるから先に下へ降りて食事の用意をしておいて」
「一人で着替えられるのか? 下着をちゃんと上下揃えられるか?」
「頭と身体が揃ってないあなたに言われたくないわ」
白い目で見てくるリゼットにクツクツと笑い、首をゴキリと治しながら俺は部屋を出ようと──
「おっと」
したところで後ろから投擲された枕を掴む。
振り返ると、我がご主人様は今朝一番に不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。
「……忘れ物よ」
「……あぁ、なるほど」
いかんな、どうやら俺も今朝は少し散漫なようだ。てっきり済ませたものとばかり思ってしまっていた。
唇を尖らせる彼女をいじらしく思いながら、椅子に座る彼女の傍らに膝をつく。
「ご希望は、マスター?」
聞くと彼女は少し恥ずかしげに「……お、おでこ」とだけ囁いた。
「なぜおでこ? いつもは──」
「だ、だって……」
白い太股をもじもじと擦り合わせる。
「今日から学園だし、あんまり朝から蕩けちゃうのも……」
「なるほど」
可愛らしい理由を聞いて微笑ましくなった俺は、彼女のお望み通り、金色の前髪を掻き分け──
「んぅっ!?」
……ることはせずに、彼女の唇に自分のものを重ねた。
リゼットは一瞬目を見開くが、すぐにその紅い瞳をとろんとさせ、こちらの首に腕を回す。
そうしてしばらく、互いの唇を啄み合った。
「……っ、はぁ……」
熱い吐息を漏らしながら唇を離し、呼吸を整える我が主は恨めしげに俺を見る。その頬はリンゴのように真っ赤だ。
「……いじわる」
「鬼だからな」
「……おでこって言った」
「毎朝おはようのキスをしろと厳命されているのでな、実行しただけだ」
「ふぅん……命令だから? 仕方なく?」
「は、たわけめ」
我が心は既にご主人様に奪われている。そのことは誰よりもよく知っていよう?
今度こそ彼女の額に唇を落とし「刀花を手伝ってくる、早く着替えて下りてくるのだぞ」と言って部屋を出る。
「もう……ばか」
背中にかかる、そんな甘い罵声を浴びながら。
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