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序章:練習船、異世界へ

電源復旧

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「それで、何から動かす?」
「圧縮機… と言いたいところだけど、それよりもチェックすべきところはあるな。機関室全部が危急停止したんなら、焼き付きが心配だからな… まずは過給機から見ていこう」

 エンジンに限らず、可動部品を持つあらゆる機械は潤滑油LOを必要とする。

 過給機、発電機、モーター類… それらに供給される潤滑油は、主機の真下にあるLOサンプタンクからポンプによって各部に供給される。

 さて、本船は少し前までブラックアウト状態にあった。となれば駆動に電力を必要とするLOポンプはもちろん停止するわけだが、直前まで高速回転し、なお莫大な慣性力を持つ過給機はそうもいかない。

 これら回転部品は動力源が停止したとて遊転を続け、軸受けとこすれ合い、摩擦熱を発生する。
 LOの供給が停止したなかこうした熱が発生すれば、それを冷却することは叶わず、いずれ軸との焼き付きを起こし、機械としての能力を喪失するだろう。

 もちろん、これを防ぐための手段としてポンプ動力に依らずLOを供給する重力タンクがあるのだが、これも容量は無限ではない。
 この重力タンクのLOが底をついていないか、確認する必要があった。

 しかし。

「あれ?」

 と村田が妙な声をあげる。

「どうした?」
「いや、重力タンクだけどさ。LO全然減ってないよ、ほとんど基準量だ」
「えぇっ?」

 俺も思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 そんなのはおかしい。LOポンプが停止して、主機のLO供給系統が止まってしまったのなら、すぐさま重力タンクから過給機に供給が始まるはずだ。

「なあ金元、コレ本当に“危急停止トリップ”したのかな」
「どういうことだ五十嵐?」
「俺、大平と一緒に非常用発電機回したけどさ。非常用燃料、全然減ってなかったんだよね。だっておかしくないか? 普通、発電機が全部トリップして母線の電流がなくなったなら、すぐに非発機が動くはずだろ? なのにあれは、俺たちが動かすまでずっと止まってたみたいなんだ。な、おかしいだろ?」

 …今まで薄々感じていた妙な違和感の正体はこれか。

 今まで俺は、この機関室の機器類が全部危急停止した結果、最初のブラックアウト状態に陥っていたのだと思っていた。
 だがよくよく考えれば、船舶に施された二重三重のフェイルセーフをすべて突破したあげく、そのバックアップすら作動させないようなトラブルなんて、あろうはずがない。

 むしろこれは、ドック入りして機能の全てを正常に停止させた船が、そのまま突然海上に投げ出されたかのような状態だ。

「言われてみれば確かに… フムン」

 俺はしばらく悩んだ。

 危急停止からの復旧と、完全停止状態からの始動ではやることにどれだけの差があるのか。これは習ったこともない。
 だがこうして悩んでいる間、いつまでも非発機が動いていてくれる保証はない。

「ともかく、電気系統を通常状態に持っていこう。運転機は2号、スタンバイは3号とする。よしかかれ!」
「「かかります」」

 五十嵐には中段で主空気圧縮機を動かしてもらい、俺たちは下段に降りて、防水隔壁をくぐって補機室に移動する。

 機関区内のどこか1区画が火災になっても電源を喪失しないよう、1号発電機は機関室下段の制御室そば、のこり2基は隔壁で仕切られた補機室の中にある。これもフェイルセーフのひとつだ。

 村田は制御室で配電操作のために残し、俺で発電機を始動する。

 発電機もまた完全に機能を停止した状態で、運転はおろか、スタンバイ状態ですらない。制御盤の表示も消灯している。

『始動空気系統確立した。2号発電機始動せよ』

 制御室の村田から指示が入る。

 俺は了解の合図を返すと、発電機の制御権が機側にあることを確認して始動準備に入る。
 各部の油量を確認し、必要な個所に手差し注油をして、インジケータバルブを開放する。圧縮空気をシリンダに注入して機関を試運転させるエアランニングを行うためだ。

「エアランするぞー!」

 周りに誰も居ないと分かっていても、掛け声は忘れない。事故防止の第一歩だ。

 燃料ハンドルをSTOP位置で抑えながら始動ボタンを押せば、始動空気だけが流入して機関が高速回転する。
 シリンダからの噴出物なし。異音も異常振動もない。大丈夫だ。

 バルブを閉め、燃料ハンドルの位置をRUNに。
 そして始動ボタンを押せば、発動機は今度こそけたたましい咆哮を上げながら始動した。

 各部点検、異常なし。俺はマイクで制御室に報告する。

「2号発電機始動した。運転状態良好」
『2号発電機始動した、運転状態良好、了解』

 続けて3号のスタンバイ指示があったので、俺は手順通り3号発電機をスタンバイ状態に持っていく。
 これで、万が一2号が止まっても、数秒後には自動的に3号が立ち上がるという寸法だ。

 作業を終えて制御室に戻ると、ちょうど村田と五十嵐が負荷移行の作業を終えたところだった。

「ブレーカー操作は終わったよ。これで、電力はここの発電機から正常に供給されてることになる」
「オーケー、待機してる何人かに非常用発電機を止めてもらおう。そしたら俺たちも第1教室に戻っていいと思う」

 俺は制御卓にある内線電話をとると、みんなが待機している第1教室を選択する。2コールもしないうちに繋がった。

「はい、第1教室米山」
「金元だ。発電機は異常なく復旧できた。負荷移行作業も終わったから、そこの何人かで非常用発電機を機側で停止してきてほしい」
「了解」

 受話器を降ろしてしばらく待つと、非常用配電盤の電圧計がゆっくりと440Vからゼロになっていった。非常用発電機は無事停止したらしい。

 内線の呼び鈴が鳴り、とると米山からの非常用発電機停止の報告だった。
 これで、少なくとも電源関係に関しては、この船は通常状態に戻ったわけだ。

「とりあえず、第1教室に戻るか。…これからの方針を決めなきゃな」
「方針って… アテはあるのか?」
「さあそれは… まあ、船の進路を決めるのは航海士だからな。あいつらの意見も聞いて確かめないと」

 多少とはいえ状況は進展したはずだが、ちっとも軽くならない足取りのまま、俺たちは機関制御室を後にした。




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