私を依存させたい束縛男との婚約、破棄させていただきます~彼の末路は因果応報でした~

ささい

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愛という名の鎖

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十八歳の春。
私、エレノア・ヴァレンティアは信じられない思いで目の前の男性を見つめていた。

「君を、僕の婚約者にしたい」

エドガー・フォン・リヒテンベルク。
新興貴族ながら莫大な財を築き上げた伯爵家の嫡男。
黒髪に深い紫の瞳、彫刻のように整った顔立ち。
社交界では常に令嬢たちの視線を集める、まさに「華」のような人。

「あの……私は、貧しい騎士家の娘ですよ?」
「知っている。でも、君の曽祖父様は王家を救った英雄だろう? 血筋は確かだ」

エドガーは優しく微笑んだ。

「それに、僕は君自身に惹かれたんだ。王女様にお仕えする姿、真剣で、一生懸命で……とても美しかった」

頬が熱くなる。
差し出された手を、私は震えながら取った。
これが、夢のような日々の始まりだった。
そう、思っていた。

*

婚約して三ヶ月が経った頃。
最初の違和感は、些細なことだった。

「今日、騎士団に行っていたと聞いたよ」
「はい、王女様のお使いで書類を届けに」
「男ばかりの場所だろう。誰と話した?」

エドガーの声音が、わずかに硬い。

「書類を受け取ってくださった方と、少しだけ……」
「若い男か」
「は、はい……たぶん」

沈黙が落ちた。
やがて、エドガーはふっと笑顔に戻った。

「ごめん、変なことを聞いたね。君があまりにも魅力的だから、心配になってしまうんだ」

私は目を瞬かせた。
愛しているから、心配してくれているのだ。そう思った。

その日から、エドガーは私の行動を細かく聞くようになった。
今日は誰と話した? どこに行っていた? なぜ帰りが遅かった?

毎日のように続く質問。
でも、愛されている証拠だと思っていた。

*

ある日の午後、王女の私室に見慣れない騎士が現れた。

「失礼します。近衛騎士団のオズワルドです。本日の警備配置について、王女殿下にご報告を」

栗色の髪、グレーの瞳。背筋の伸びた立ち姿が、生真面目な印象を与える。

報告が終わり、オズワルドが席を立つ。
ふと、その視線が私の机の上で止まった。

「……見事だな」
「え?」
「書類の整理だ。抜かりがない」

それだけ言って、オズワルドは去っていった。
お世辞を言うような口調ではなかった。ただ、事実を述べただけ。

なのに、胸の奥がざわついた。

エドガーも、褒めてくれることはある。
『君は可愛いね』『君がいないと寂しい』『愛している』
でも、私の「仕事」を見てくれたことは、あっただろうか?

*

婚約から半年。
気付けば、私の周りから人が消えていた。

「あ、エレノア……ごめん、今日は先に行くね」

いつも昼食を共にしていた同僚が、あからさまに視線をそらして去っていく。
廊下ですれ違っても、誰も目を合わせようとしない。

その夜、エドガーに会った時、私はたまらず弱音を吐いた。
今の私には、もう彼しか話せる相手がいなかったから。

「最近、なんだか周りの人とうまくいかなくて……」

エドガーは、心底痛ましそうに眉をひそめた。

「大丈夫かい、エレノア。……実は、僕も気になっていたんだ」
「え……?」
「君、最近とても疲れているようだったから。だから僕、皆に伝えておいたんだよ。エレノアは今、精神的に不安定だから、できるだけそっとしておいてあげてほしいって」

背筋に、冷たいものが走った。

彼は「守っている」と言う。けれど、私は現に孤立している。
彼は「心配している」と言う。けれど、そのせいで誰も私に話しかけてこない。

「君には僕がいる。それだけで十分だろう?」

その言葉が、胸のどこかに小さな刺のように刺さった。
けれど、彼を拒絶すれば、この孤独の中に一人で取り残されてしまう。

考えすぎよ。彼は私を心配してくれているだけ。
そう自分に言い聞かせて、私は曖昧に微笑んだ。





婚約から一年。
私は二十歳になっていた。

ある夜、エドガーがさりげなく切り出した。

「そういえば、君の実家のことなんだけどね。僕の家から、少し援助をさせてもらっているだろう?」
「……はい」

私の実家は貧しい騎士家だ。
婚約を機に伯爵家から援助を受けるようになって、ようやく家族は安心して暮らせるようになった。

「でもね、エレノア。もし君が僕の言うことを聞いてくれないなら……援助を続けるのは難しいかもしれない」

心臓が冷たくなった。

「僕たちの関係が良好なら、援助も続く。そうじゃないなら、分かるよね?」

これは、脅しではないのだろうか。

「君を守りたいんだ。君の家族も含めてね」

エドガーは満足げにうなずいた。
自分がどれほど優しいことを言っているか、疑っていない顔だった。

*

数週間後、実家から手紙が届いた。

『伯爵家からの援助が、先月から止まっています。
 何か心当たりはありませんか?』

母の文字が、震えているように見えた。

その日の仕事が終わるのを待って、私は伯爵邸を訪ねた。

「ああ、その件?」

エドガーは首を傾げた。

「僕は何も言ってないよ。父上の判断じゃないかな。君が最近、僕に冷たいからかもね」

笑顔で、残酷なことを言う。

「でも大丈夫だよ、エレノア。君がちゃんと僕の言うことを聞いてくれるなら、僕から父上に口利きしてあげる」

何も言えなかった。
もう言い返す気力さえ、沸いてこなかった。

*

さらに追い打ちをかけるように、仕事にも支障が出始めた。

「あー、その件は……ちょっと今は対応できないんです」
「え、でも前は……」
「すみません、他の方に頼んでもらえますか」

以前なら快く引き受けてもらえていた小さな頼み事が、ことごとく断られるようになった。

廊下を歩いていた時、たまたま聞いてしまった。

「伯爵家と取引してる商会の人から言われてさ。あの侍女にはあんまり関わるなって」

頭が真っ白になった。
家族、仕事、人間関係。気づけば、全てを握られていた。

*

ある朝、カタリナ王女に呼び止められた。

「エドガー伯爵令息から、変な申し出があったの」

心臓が跳ねた。

「あなたに休養を取らせた方がいいって。侍女の仕事が負担になっているのではないか、とね」

王女の声は淡々としていた。けれど、その目は鋭い。

「でも私は断ったわ。あなたの仕事ぶりは、私が一番よく知っている。三年間、あなたがどれだけ真摯に働いてきたか」

胸の奥が、じんと熱くなる。

「ただ、あなたが幸せそうに見えないのが、気がかりなの」

「最近のあなた、笑顔が減ったわ。彼との関係は、本当にうまくいっている?」

息が、詰まった。

「は、はい。もちろんです。エドガー様は、私を愛してくださっています」

滑らかに嘘が出た。
あんなに苦手だと思っていたのに。

「……無理はしないでね、エレノア。あなたは私の大切な侍女なのだから」

大切。その言葉が、乾いた心に染み込んでいく。
エドガーも「大切だ」と言う。でも、同じ言葉なのに、こんなにも違う。
王女様の「大切」には、鎖がついていない。

*

その夜、エドガーと会った時。

「カタリナ王女と話していたそうだな」
「はい。お仕事のことで」
「侍女の仕事、もうやめたらどうだ」

心臓が、冷たくなった。

「僕たちは来年には結婚するんだ。君が王宮で働き続ける必要はないだろう」
「でも、私は……王女様にお仕えするのが……」
「僕より王女が大事なのか?」

声の温度が、すっと下がる。

「君の仕事なんて、他の侍女でもできるだろう。代わりはいくらでもいる」

その言葉が、胸に突き刺さった。
代わりはいくらでもいる。

「……分かりました。考えて、みます」

自分の声が、遠くに聞こえた。

*

翌日、私は王女の私室で一人、窓の外を見つめていた。

『代わりはいくらでもいる』

エドガーの言葉が、頭から離れない。
私の仕事は、誰にでもできる。私は、必要とされていない……?

「……励んでいるな」

声がして、振り返る。
オズワルドが廊下に立っていた。

「少し休んでも構わない。王女殿下は今、執務中だ」

しばらく黙って窓の外を見ていた私は、
ふと、口をついて出た。

「……私は、これでいいのでしょうか」
「何がだ」
「侍女の仕事を続けることが、です。結婚したら、家政に専念した方がいいのかもしれません。侍女の代わりは、いくらでもいると……言われて」

言葉にすると、余計に胸が痛くなった。

オズワルドは、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言った。

「家政は、家令でも務まる」
「……はい」
「王女殿下の侍女を、家令ができると?」
「……いいえ」
「ならば、答えは出ている」

私は目を瞬いた。

そうだ。王女様の侍女は、誰でもいいわけじゃない。
王女様のお好み、ご習慣、お体の調子。三年かけて覚えてきたこと。
それは、代わりが利くものじゃない。

「王女殿下は、私を……信頼してくださっています」

口に出してみた。

「三年、この仕事を続けてきました。失敗もあったけれど、それでも、殿下のお役に立てるようになった……と、思います」

言葉にすると、胸の奥で何かがほどけていく感覚があった。
気づけば、涙が滲んでいた。

「私、ちゃんと……頑張ってきたんですね」

「あなたが積み上げてきた時間は、裏切らない」

オズワルドは、ただそれだけ言って、持ち場に戻っていった。

私は、誰かに認めてほしかったんじゃない。
私自身が、私を認めてあげたかったんだ。

エドガーの言葉ばかり聞いていて、自分の声を聞くのを忘れていた。

『代わりはいくらでもいる』。そんなことはない。
私は三年間、ここで頑張ってきた。
それは、誰にも否定できない事実だ。

*

その夜、自室で一人考えた。

エドガーは、いつもこう言う。
『愛している』『君がいないと生きていけない』『君は僕だけのものだ』

でも、
『君の仕事なんて、他の侍女でもできる』
『代わりはいくらでもいる』

私を愛していると言いながら、私の大切なものを否定する。
私を必要としていると言いながら、私自身を見てはいない。

見ているのは、私じゃない。
「自分の思い通りになる誰か」が欲しいだけだ。

その考えが浮かんだ瞬間、全身に鳥肌が立った。
今まで「愛されている」と思い込んでいたものの正体が、急に見えた。

これは、愛じゃない。

*

夜の中庭は、月明かりに照らされて静かだった。
噴水の前に、エドガーが立っていた。

「来たか」
「はい」

静かに息を吸う。胸の奥で、覚悟が固まっていく。

「……最近、君は変わった」

エドガーの目が、冷たく光る。

「前みたいに、僕の言うことを聞かなくなった。侍女の仕事をやめる件、考えてくれたか?」

「考えました」
「それで?」
「お断りします」

エドガーの表情が、固まった。

「侍女の仕事は、辞めません。私は王女様にお仕えすることに誇りを持っています」
「君は僕より王女を選ぶのか」
「選ぶ、選ばないの話ではありません。私の仕事と、あなたとの関係は、別のことです」
「別じゃない! 君は僕のものだ!」

私は拳を強く握りしめた。

「……そうやって、私を縛ってきたんです」
「何?」
「僕のもの。僕がいなければ君は。僕を悲しませるのか。全部、私を繋ぎ止めるための言葉だった」
「違う! 僕は君を愛して——」
「愛してない」

はっきりと、言い切った。

「愛しているなら、私の大切なものを『代わりはいくらでもいる』なんて言わない。愛しているなら、私の仕事を奪おうとしない。愛しているなら、私を監視しない」
「それは、心配だから……」
「心配でもない。あなたが怖いのは、私を失うことじゃない。自分の思い通りになるものがなくなることです」

自分の胸に手を当てた。

「私は、私の声を聞くのを忘れていた。私自身を、認めてあげることを忘れていた」
「エレノア……」
「婚約を解消させてください」

「待ってくれ、エレノア。僕が悪かった。僕は変われる。だから——」
「いいえ、あなたは変わらない。今も、『僕が悪かった』と言えば私が折れると思っている」

全部、分かっていた。分かっていて目を逸らしていた。
今なら、全部見える。

「君も僕を捨てるのか」

エドガーの声が、震えていた。

「みんな僕を捨てていく。父も、母も、誰も僕を見てくれなかった。君だけだったのに……」

以前なら、この言葉に胸が痛んだだろう。
罪悪感で、また彼のもとに戻っていただろう。

「エドガー様。ずっとそうやって、私を繋ぎ止めてきましたよね」

声は静かだった。

「『捨てるのか』。その言葉で、私を罪悪感で縛ってきた。でも、私は人間です。あなたの不安を埋める道具じゃない」

言い切った瞬間、胸の奥で何かが解けた。
二年間、ずっと喉の奥に詰まっていたものが、やっと外に出た。

「婚約解消の手続きは、明日、正式に進めます」
「嫌だ! 待て、エレノア……!」
「さようなら、エドガー様」

深く一礼して、踵を返した。
背中にエドガーの視線を感じる。でも、振り返らなかった。

中庭を出て、廊下を歩きながら、私は空を見上げた。
月が、綺麗だった。

二年間の呪縛が、解けた気がした。
私は、私を取り戻したんだ。





婚約解消から数日後。
カタリナ王女の私室に呼び出された。

「まず、よく決断したわね」

王女の表情は穏やかだった。

「ずっと心配していたの。でも、あなたは自分の力で抜け出した。立派よ」

目頭が熱くなった。

「伯爵家から、正式に謝罪と慰謝料の申し出があったわ。援助を打ち切った件、仕事を妨害していた件、全て把握しているそうよ」

王女は静かに微笑んでいる。

「私が調べさせたの。あなたを追い詰めていたのが誰か、全部ね」

知っていたのだ。全部。
あの時「幸せそうに見えない」と言ってくださった時から、ずっと見守っていてくださったのだ。

「慰謝料は、あなたの実家に届くように手配したわ。当面の生活は心配いらないはずよ」
「カタリナ様……そこまでしていただいて……」
「当然のことをしただけよ」

王女の声が、凛と響いた。

「私の大切な侍女を傷つけた者を、私は許さない」

*

王宮での生活は、少しずつ元に戻りつつあった。
同僚の侍女たちも、態度が変わっていた。

「エレノア、今日一緒にお昼食べない?」
「色々と、ごめんね。私たち、伯爵家に言われて……」
「ううん、いいの」

当たり前のことが、当たり前にできる。
それが、こんなにも心地よいなんて。

ある夕暮れ時、廊下でオズワルドとすれ違った。
いつもなら会釈だけで通り過ぎるのに、その日は違った。

「……ヴァレンティア嬢」

オズワルドが足を止めた。

「明日は非番なんだ。城下に美味しい菓子を出す茶店がある」

珍しく言葉を詰まらせている。
真っ直ぐ前を見たまま、耳だけが赤くなっている。

「……もし、あなたも非番なら一緒にどうだろうか」

思わず笑みが零れた。

「喜んで」

私が答えると、彼は短く「そうか」とだけ言って去っていった。
その背中がいつもより少しだけ軽やかに見えたのは、気のせいではないと思う。

窓から、夕焼けが見えた。

あの頃は、空を見上げる余裕もなかった。
エドガーの顔色ばかり窺って、自分を殺して生きていた。

でも、今は違う。
私は、私の足で立っている。

もう、誰かの道具にはならない。
誰かの言葉に支配されて、自分を見失うことはしない。

私は、私の人生を生きていく。

*

【エドガー視点】

エレノアとの婚約解消から一ヶ月。
縁談の話は、一つも来なかった。

父に尋ねると、冷たい目で告げられた。

「どこの貴族家も、お前との縁談を断った。全てだ」

僕の評判は最悪らしい。
婚約者を監視し、束縛し、仕事を辞めさせようとした男。
しかも相手は王女付きの侍女だ。王女様の耳にも入っている、と。

結局、僕に与えられた選択肢は一つだけだった。

リゼッタ・ヴェルナー。ヴェルナー商会の一人娘。平民。
伯爵家の借金を肩代わりする代わりに、僕を婿に寄越せという取引だった。

嫡男の座は弟に移された。
僕は、もうこの家の人間ではなくなった。

*

結婚して最初の数日は穏やかだった。
リゼッタは優しかった。甘い言葉をかけてくれた。

『素敵ですわ』『あなたがいてくれて嬉しい』『愛していますわ』

ああ、やっと。やっと、僕を愛してくれる人に出会えた。そう思った。

変化は、少しずつ訪れた。

散歩に出ようとしただけで、どこへ行くのか、誰と会うのかと問われた。
愛しているから心配なの。そう言われて、僕は頷いた。

誰と話したか報告するようになった。
女の人とは話さないで。そう言われて、約束した。

商会の仕事を手伝いたいと申し出ると、微笑まれた。
「あなたは何もできないでしょう? 黙って座っていればいいの」

外出には許可が必要になった。
今日は駄目、明日も駄目。そう言われて、一人で外に出ることはなくなった。

季節が一つ過ぎた頃。
僕は、ほとんど部屋から出なくなっていた。

*

ある夜。リゼッタが出かけた後、窓の外を見つめていた。

息が、苦しい。
ここにいると、自分が消えていくような気がする。

でも、僕にはここしかない。
逃げる場所がない。一人で生きていく術がない。
彼女がいなければ、僕は生きていけない。

そう思った瞬間、ふと、エレノアの顔が浮かんだ。

『ずっとそうやって、私を繋ぎ止めてきましたよね』

その言葉が、頭の中で響いた。

リゼッタも、同じことをしている。

『あなたが怖いのは、私を失うことじゃない。自分の思い通りになるものがなくなることです』

リゼッタは、僕を思い通りにしている。

『私は人間です。あなたの不安を埋める道具じゃない』

僕は今、リゼッタの道具になっている。

全身から、血の気が引いた。

僕は、エレノアに、これを、やっていたのか。
この息苦しさ。この絶望感。自分が消えていく感覚。
エレノアは、二年間、これを感じていたのか。

涙が溢れた。止まらなかった。

愛だと思っていた。
心配だと思っていた。
でも、違った。
僕がやっていたのは、これだったのだ。

謝りたかった。
エレノア、ごめん。そう言いたかった。

でも、声が出なかった。
喉の奥で言葉が凍りついて、音にならない。

いつからだろう。
リゼッタの許可なく声を出すことが、怖くなったのは。

扉が開いた。リゼッタが戻ってきた。

泣き腫らした僕を見て、小首を傾げる。

「あら、泣いていたの」

近づいてきて、顎を持ち上げられた。
品定めするような目で、覗き込まれる。

「何か言いたいことがあるなら、言っていいのよ?」

口を開いた。
声を出そうとした。

——出なかった。

喉が震えるだけで、何も音にならない。
エレノアへの謝罪も、この檻から出たいという叫びも、全部、喉の奥で死んでいく。

リゼッタが、満足そうに微笑んだ。

「ふふ、よくできました」

頭を撫でられる。

「あなたは何も考えなくていいの。私の言う通りにしていれば、幸せでしょう?」

僕は、頷いた。
頷くことしか、できなかった。

窓の外で、鳥が飛んでいた。
声を上げて、自由に、空を渡っていく。

僕の喉からは、もう何も出ない。

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