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フォカロルの一時帰国(夏)3
しおりを挟むセーレが風邪を引いて終わった家族旅行。幸い、熱はその日のうちに下がり、さらに翌日に三人はアパートへ帰った。
フォカロルはまだ滞在する。というわけで家事を任せて、アスタロトは保育園に預け、セーレは仕事に行って。仕事が終わった後、保育園へアスタロトを迎えに行った、のだが。
「え!? ウチの子がよその子を殴った!?」
保育士からの報告に、セーレは呆気に取られるしかなかった。アスタロトが他人に暴力を振るった。それはにわかには信じられないことだった。
「はい……その、相手の子は怪我もしていませんし、子供同士の喧嘩といえばそうなんですが……一応、ご報告をと思いまして」
「……そうですか。教えて下さってありがとうございます」
ちらりとアスタロトを見ると、きゅっと口を引き結んで俯いている。事情は帰りながら聞こう、とセーレはひとまずアスタロトに優しく声をかけた。
「アスタロト、帰りましょう」
「……うん」
アスタロトと手を繋ぎ、保育士に頭を下げて保育園を後にする。アパートまでゆっくりと歩きながら、さてどう話を切り出そうかと考えていたら、アスタロトの方から口を開いた。
「あいつがわるいんだ。ターくんをいじめるから」
ター君というのは、アスタロトの口からよく聞くアスタロトの友人の一人だ。ということは、『あいつ』というのはアスタロトが暴力を振るったという相手の子のことだろう。
つまり、相手の子がター君をいじめたから殴った、ということらしかった。
セーレは足を止め、腰を屈めてアスタロトと目線を合わせた。
「……アスタロト。確かにそれは相手の子が悪いでしょう。しかし、だからといって人に暴力を振るうことも間違ったことですよ」
「だって……!」
「暴力では何も解決しません。話し合うために言葉というものがあるんです。明日、きちんと相手の子に謝りなさい」
「ボクはわるくないもん!」
アスタロトはそう声を荒げて、セーレの手を振り払って走り出してしまった。セーレは慌てて追いかけたが、セーレが捕まえるより先に、買い物に出かけていたらしいフォカロルがアスタロトと鉢合わせて捕まえた。
「アスタロト、どうした」
「………」
二人に追いついたセーレは、無言のままでいるアスタロトの代わりに事情を説明した。話を聞いたフォカロルは「ふーむ」と考え込むそぶりを見せた後、
「アスタロト、ちょっと公園に行こうか」
と、場所を変えるように促した。アスタロトは何も言わなかったが、フォカロルに手を引かれても拒否することなく、ついていく。そんな二人の後をセーレも追った。
公園にはすぐに着いた。三人はアスタロトを真ん中にしてベンチに座る。俯いたままのアスタロトに、フォカロルは優しく声をかけた。
「なぁ、アスタロト。なんで暴力を振るうことがいけないのか、分かるか?」
幼児には難しい質問だろう。当然ながら、アスタロトは首を横に振った。
「わかんない」
「そうか。これはあくまでパパの考えだけど、暴力は相手の命を奪うことに直結するからダメなんだと思う。命を奪う。殺すってことだな」
「ちょ、ちょっと、フォカロル!」
まだ三歳の幼児に何を過激なことを話しているのか。ぎょっとするセーレに対し、アスタロトは関心を持った風で黙って耳を傾けた。
「昔、この国は人間と戦争をしていた。戦争……人と人が殺し合う戦いだ。パパも何度も参加した。それで何人も人間を殺したよ。初めて人間を殺した日のことは、今でも夢に見る。パパはきっとろくな死に方をしないだろうな」
「………」
「アスタロトは相手の子を殺す気なんてもちろんなかっただろう。でもな、当たり所が悪かったら、相手の子は死んでいたかもしれない。そうしたら、お前はどうする。どんなに後悔したって、一度死んだ相手は生き返らないんだぞ」
「……でも」
「何か理由があったら暴力を振るってもいい。そういう考え方はよくない。セーちゃんの言う通り、暴力じゃ何も解決しないんだ。喧嘩するのがダメだって言ってるんじゃない。ただ、暴力を振るうなら振るうで、その先にあるかもしれない覚悟を持つこと。……人の命は重いぞ」
フォカロルはぽん、とアスタロトの頭の上に手を置いた。
「でも、ター君を守ろうとしたアスタロトの正義感はいいことだ。パパはアスタロトを誇りに思う。友達は一生の宝だからな。ただ、守るやり方を間違えるな。パパからは以上。さっ、帰ろう」
「うん」
フォカロルの話は、幼児のアスタロトには難しいものだったろう。それでも何か感じるものがあったのか、もう自分は悪くないと癇癪を起こすことはなかった。
アスタロトを真ん中にして、セーレとフォカロルはそれぞれ手を繋ぎ、アパートへ帰る。アスタロトの自室で、保育園の制服から部屋着に着替えさせていると、アスタロトはおずおずと言った。
「おとうさん……ボク、あした、あやまるよ」
「え?」
「それでもうターくんをいじめるなって、もういちどいう。なんどでもいうよ」
「アスタロト……」
セーレはふっと表情を和らげ、ぎゅっとアスタロトを抱き締めた。
「私もアスタロトの友達思いのところを誇らしく思いますよ」
自慢の息子だ。誰がなんと言おうと。
父親二人に褒められて、アスタロトはちょっぴり得意げだった。
部屋着に着替えたら、まだ幼いアスタロトは昼寝の時間だ。絵本を読んで寝かしつけてからリビングに戻ると、ソファーにはフォカロルがいた。
「アスタロト、寝た?」
「はい」
セーレも向かい側のソファーに腰を下ろす。のんびりと紅茶を飲んでいるフォカロルに、頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「ん? 何が?」
「アスタロトのことを諭してくれて。私では上手く伝えることができなかったので」
「俺は自分の経験談を話しただけだよ。アスタロトが聡い子だから、分かってくれただけ。それもセーちゃんから遺伝だよ」
ひらひらと手を振って大したことはしていないと言うフォカロル。フォカロルがアスタロトに語った話をふと思い出したセーレは、そっと目を伏せた。
「……アスタロトに話してくれたあなたの経験談ですが」
「それがどうかした?」
「いえ……あなたが戦争に参加せざるを得なかったのは、時勢的に仕方のないことだったと思います。それに人殺しをしたというのなら、私も同じです」
フォカロルが紅茶から口を離して、セーレを見た。
「セーちゃんは文官でしょ」
「人間の領土へ侵攻する先代魔王を止められなかった。人殺しという点では、我々文官も同罪です。武官ばかりの罪ではありません」
「真面目だなぁ、セーちゃん……」
フォカロルは苦笑してから、ふいと天井を見上げた。
「そういうことだからさ。だから俺、今の仕事が好きなんだ。人間と協力して復興作業をして、時には酒を酌み交わして」
本当に今の仕事が楽しいのだろう。フォカロルの表情は明るい。
セーレはふっと笑った。
「それは私も同じですよ。軍略を考えているよりも、あなたがたをどうこき使うか考えている方が楽しい」
「あっはっは! 何それ、ひどっ」
「まぁ、それは冗談ですが。今の仕事が楽しいのは本当です。ゼカライア陛下には感謝してもし足りませんね」
「そうだね。ゼカライア陛下でよかったよねぇ」
どうか、今代魔王の治世が長く続きますように。そして、後世も平和であるといい。
そんな話をしながら、セーレとフォカロルは珍しく穏やかに笑い合うのだった。
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