氷の薔薇と日向の微笑み

深凪雪花

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第5話 婿入りします5

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「ところで、結婚式のことなんだが、一ヶ月後でいいか?」
「え? 結婚式をするんですか?」

 目を丸くするエリスにセオドアは怪訝な顔をした。

「結婚式を挙げるのは普通だろう。どうしてそんなに驚くんだ」
「だって、お金がないんじゃ……あっ」

 うっかり口を滑らせてしまってから慌てて口元を押さえたが、時すでに遅し、である。金がないんだろうという率直な指摘に、さすがのセオドアも無表情顔から苦笑いになった。

「気付いていたか。確かにウチは財政難だ」
「……領民が納税してくれないからですか?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ……一年前から、重税するように国から通達があってな。これ以上領民に負担をかけるのは申し訳ないのと、一時的なものかもしれないと思って、重税分をウチで負担しているんだ」

 なるほど、と思う。それで生活を切り詰めていたのか。画廊に絵画がなかったことも、使用人をぎりぎりの人数で回していることも、食事が質素なことも、すべてが繋がった。
 けれど、とエリスは眉根を寄せた。

「重税、ですか? コールリッジ地方にいた時に重税なんて……ん? あ、そういえば、交易税が値上がりしたとは聞いたことがあるような……」
「そうか。コールリッジ地方は海上貿易で盛んな地方だからな。交易税を値上げしたのか。有能な領主だな」

 素直な賛辞を送ってから、セオドアは悩ましげに息をついた。

「だが、海に接していないウチの地方ではその手が使えない。……さすがにウチも重税分を負担するのは限界がきている。夏からは領民に重税を通達するつもりだ」
「そうですか……大変ですね。でもどうして急に重税なんて」
「噂によれば、現国王が次々と側妃を娶って後宮の維持費が膨らんでいるのと、彼らが豪遊するものだから国庫に穴が空きかけているそうだ」

 現国王というと、二年半前に即位した若き王ジャックだ。先代国王チャーリーは賢王と名高い王だったが、その息子はとんだ愚王ということらしい。

「諫める臣下はいないのでしょうか」
「どうだろうな。いたとしても本人に耳を傾ける気がなければ改善しない。側近に金をばらまいて、甘い汁をすすらせる代わりに好き放題しているという可能性もある」
「だとしたら、現王政権は腐っていますね」
「ああ。このまま現王政権が続けば、平民に負担がのしかかることは間違いない。そうなると、やがては各地で反乱が起こることも想定される。君のことは俺が守るが、もしかしたら……最悪、伯爵夫人でなくなってしまうかもしれない。その時は……」

 自由にしていい、とセオドアは言おうとしたのだろう。けれど、エリスはその言葉を遮ってふわりと笑った。

「俺はどうなってもセオドア様のお傍にいますよ」

 男性に嫁ぐなんて、と思っていたけれども。縁があって夫夫となったのだ。これが贅沢三昧の高慢な貴族なら話は別だったが、セオドアは領民のために身を切ることができる立派な領主だった。できるのなら添い遂げたい。そう思う。

「今まで平民同然の生活でしたから。伯爵夫人でなくなったところで、元の生活に戻るだけです。その時は二人で慎ましやかに暮らしましょう」
「エリス……」
「あ、ようやく俺のことを名前で呼んでくれましたね」

 いつも、君、君、と呼ぶからエリスの名前を忘れているのかと思っていたところだ。
 エリスに指摘されてセオドアは初めてそのことに気付いたらしく、

「そういえばそうだな。すまない。深い意味はなかったんだが」

 と、無表情ながら詫びた。あえて避けていたわけでもないらしい。単に名前を呼ぶタイミングを見失っていた、というところだろうか。

「これからは名前で呼ぶ。エリスも俺のことを様付けしなくてもいい」
「……じゃあ、セオドアさん、と?」

 五つも年上のセオドアを呼び捨てにするのは憚られる。そうでなくても、まだ出逢ったばかりであるし。
 セオドアはふむと考え込んだ。

「さん付けか……まぁ、いいだろう」

 了承したところで、セオドアは脱線していた話を戻した。

「それで……結婚式は一ヶ月後でいいか?」
「俺はいいですけど……財政難なんでしょう? 無理に挙式しなくてもいいんじゃ」
「慎ましやかな結婚式なら挙げられる金はある。大事な息子さんを娶っておいて結婚式をしないなんて、エリスのご両親に申し訳が立たない。それでも気になるのなら、地方伯爵としての体裁、と考えてもらえばいい」
「……そういうことなら」

 確かに地方伯爵が結婚したのに挙式しないなんて聞いたことがない。周りからケチだと思われるのも、金がないと見破られるのも、避けたいことだろう。

「それにしても、あれだな」
「なんです」
「エリスが俺の伴侶になってくれてよかった」

 ふっと優しげに笑うセオドアに、エリスも微笑みを返した。

「こちらこそ。セオドアさんのような方に娶っていただいて、俺も嬉しいです」

 まだ出逢ったばかりであるけれど。居心地のよい関係を築けていけたらいいと思う。
 ガタゴトと揺れる馬車の中に、穏やかな時間が流れた。




 それから一ヶ月後。
 街の小さな教会で、エリスとセオドアは二人だけの慎ましやか結婚式を挙げた。
 春の暖かな日差しがステンドグラス越しに身廊に降り注ぎ、色鮮やかな光となって教会内を明るく満たしている。花婿衣装の二人は神父の前で、並び立っていた。

「病める時も健やかなる時も、愛することを誓いますか」
「「はい」」
「では、誓いの指輪交換を」

 定番である誓いのキスではないのは、セオドアからの配慮だ。二人は向かい合い、互いに結婚指輪を左手の薬指にはめ合う。こうして結婚式を挙げ、結婚指輪をはめたことで、セオドアの下に嫁いだんだな、と改めて実感がわく。
 ――これから、セオドアとともに生きていく。
 ずっと傍にいるのだと、この時のエリスは信じて疑わなかった。

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