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第11話 舞踏会1
しおりを挟む「え? 舞踏会の招待、ですか?」
残暑が和らぎ、秋が深まっていく季節。ある日の夕食の席で、セオドアは舞踏会の招待状が届いたのだと話してきた。差出人は先代国王の弟であるアンカーソン公爵からだという。
重税が続いて平民が苦しむ中で舞踏会を開くというのは……現国王と同じ部類の人物なのかとエリスは眉をハの字にした。
「……アンカーソン公爵も国民を慮れないような方なんですか?」
「いや、アンカーソン公爵は国民思いの聡明な方だ。だから、これまで毎年舞踏会を開いていたとはいえ、今回の招待状は俺も解せないんだが……公爵からの誘いだ。断るわけにはいくまい。俺と一緒に参加してくれないか」
「それはもちろんいいですけど……なんだか、心苦しいですね。領民には貧困にあえぐ者が出てきてるっていうのに」
いやまぁ、舞踏会への参加でなくても、ろくに働かずとも衣食住が与えられているエリスの身分自体が、心苦しいものなのだけれども。
「仕方ない。社交をするのも貴族の仕事だ。それでエリスは、正装服を持っているか?」
「あ。……持ってません」
「なら、父……種宿の父の服を借りていくといい。今からオーダメイドするのでは間に合わないからな。背丈も体格も同じくらいだから、サイズはちょうどいいだろう」
「ありがとうございます」
そんなわけで。それから数日後、エリスとセオドアは馬車に乗って、アンカーソン公爵が所有するルチルダ宮殿へと向かった。ルチルダ宮殿はノークス地方の隣の地方にあり、ノークス邸からは馬車で半月ほどの距離だった。
温暖な気候のノークス地方よりもやや寒冷な気候のためか、木々の葉はすでに赤や黄色に色づいている。美しい紅葉の中にそびえ立つ荘厳な屋敷が見える門の前で、馬車は停車した。
「わぁ、すごい広くて立派な屋敷ですね」
「そうだな。中は客室が多いんだ。舞踏会を開く用の屋敷だといってもいい。さっ、入るぞ」
それぞれ荷物を持って、エリスとセオドアは屋敷の敷地に足を踏み入れた。門から屋敷までの距離が、ノークス邸以上に遠い。
屋敷の前には門番が二人立っていた。招待状を見せると中に通され、ずらりと並んだメイドたちに出迎えられる。やはりメイドの人数も、ノークス邸の比ではない。
「セオドア様とエリス様ですね。ようこそ、いらっしゃいました。お部屋までご案内します」
若いメイドがにこやかに対応し、エリスとセオドアを三階の客室まで先導して歩く。きびきびと洗練された動作は、使用人としてのレベルの高さを窺わせる。いや、決してノークス邸の使用人のレベルが低いと言いたいわけでないけれども。
画廊には様々な絵画が飾られて、一定の間隔を置いて色鮮やかな花も飾られている。とにかく、華やかだ。ノークス邸を初めて見た時も立派な屋敷だと思ったものだが、正直に言うとルチルダ宮殿はさらにその上をいく。
あまり無遠慮に見回しては品がないかもしれない、とエリスはそれ以上見るのはやめた。黙ってメイドの後に続き、やがて客室へと通される。
客室もまた立派な部屋だった。二人用だろう。天蓋付きの寝台が置かれ、テーブルと椅子、クローゼットなど高級そうな調度品で揃えられていた。
「素敵なお部屋ですね」
エリスがメイドにそう声をかければ、メイドは「お気に召されたのなら、よろしゅうございました」と謙虚に一礼する。そして、「今、紅茶をお持ちしますので」と再び頭を下げて客室を出て行く。
エリスは荷物を一旦クローゼット内の床に置いて、窓辺に駆け寄った。窓からはルチルダ宮殿の庭園を一望でき、その美しい景色に思わず息がこぼれた。
「セオドアさん、見て下さいよ。すごく綺麗ですよ」
巨大な噴水に紅葉した木々。秋という季節を切り取ったかのような風景だ。ノークス邸ももう少ししたら、この景色に及ばないまでも秋らしくなるのだろうか。
「確かに、いつ見ても美しい景観だな」
セオドアはエリスの隣に並び立ち、言う。そういえば、セオドアはルチルダ宮殿にくるのは初めてではないのだった。馬車の中で聞いた話によれば、物心ついた時からアンカーソン公爵が毎年のように主催する舞踏会に参加していたのだという。
(俺と違って、子供の頃から社交界デビューしてるんだもんな……)
エリスは今回が初めて参加する舞踏会だ。最低限の教養としてワルツは踊れるが、実際に踊るのは初体験だし、上手く踊れるか不安で仕方ない。セオドアに恥をかかせる羽目にならなければいいけれど。
それでも、と思う。舞踏会に参加できるなんて、以前の貧乏貴族の身分からしたら夢のようだった。よって、胸に弾む気持ちもある。セオドアとダンスを踊れるというのが嬉しい。
とにかく、舞踏会が始まるまでは二時間あるとのこと。正装に着替えるのは早いし、まずは荷物を片付けるのが先だろう、とエリスは身を翻し、鞄の中に入れてある衣服をクローゼットのハンガーにかけていく。
そうしていると、扉がコンコンとノックされた。「失礼します」と顔を出したのはここまで案内してくれたメイドで、その手には紅茶が乗った盆がある。メイドはこれまた高級そうなティーカップを二つ、テーブルの上に置いた。
「どうぞ、お飲み下さい。異国から取り寄せた紅茶でございます」
「へぇ、そうなんですか。ありがとうございます」
「いえ。では、舞踏会が始まるまでごゆるりとお過ごし下さいませ」
深々と一礼して、メイドは退室していった。
エリスは早速テーブルの椅子に腰かけ、ティーカップを持ち上げる。赤い薔薇が描かれている陶磁器のティーカップだ。どれだけの値段がするんだろう。うっかり落として割ってしまったらと思うと、恐ろしい。
「あ、おいしい」
一口飲むと、柑橘系の爽やかな匂いが鼻を吹き抜けていく。いい茶葉を使っていると、一口で分かる。
「セオドアさん、この紅茶、おいしいですよ。いい茶葉を使っています」
「そうか。よかったな。俺にはあまり紅茶の良し悪しは分からないが……」
エリスの向かい側の席までやってきたセオドアも、紅茶に口をつける。味わうことなく、あっという間に飲み干してしまい、エリスは呆気に取られた。こんなにおいしい紅茶なのに、香りを楽しむことなく飲み終わってしまうなんてもったいない。
こういう貴族らしからぬ無頓着な一面を見ると、気質が武官だよなぁ、と思ってしまう。振り返ると、薔薇園にだって興味がない人だったし。
「セオドアさんって……あまり貴族っぽくないですよね」
「そうかもしれないな。子供の頃から剣術の稽古の方が楽しかった」
「それで武官になったんですか」
「ああ。堅苦しい貴族のマナーなんて関係のない営所生活は快適だったな」
「そ、そうですか……」
地方伯爵としてどうなんだろうとは思うが、そのおかげで税金の重みを知る領民思いの領主であり、ノークス邸での質素な暮らしにも適応できるわけで。だいたい、家庭菜園をしたり、裁縫や料理をしたりする伯爵夫人のエリスが人のことをどうこう言える立場でもない。
どうやら、似た者夫夫、ということらしかった。
紅茶を飲みながら、そんな他愛のない話をしていた時だった。再び扉をノックされて、セオドアが「どうぞ」と答えると、次に顔を出したのは初老の男性だった。セオドアが即座に立ち上がったので、エリスも慌てて立ち上がる。
「これはアンカーソン公爵。本日はお招きいただきありがとうございます」
優雅な動作で一礼するセオドアにならい、エリスも頭を下げた。この男性が先代国王の弟、アンカーソン公爵らしい。温和そうで優しげな表情ながら、威厳も持ち合わせている、という不思議な雰囲気を放っている人だ。
「こちらこそ、ようこそおいで下さった、ノークス伯爵に夫人のエリス殿。今宵の舞踏会を楽しんでいただけたら、と思う」
「はい。夫ともども楽しみにしております」
「はは、そうか。……積もる話はあるが、今は来客の対応で忙しい。舞踏会が終わった後、またお二人の下をお訪ねしてもいいだろうか」
「もちろんです。お待ちしていますよ」
セオドアの返答にアンカーソン公爵は満足げに笑い、「では、短い挨拶になるが失礼する」と客室を出て行った。招待客全員に挨拶をしているのだとしたら、確かに忙しそうだ。なにせ、国中の貴族を招待しているという話だから。
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