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間話9
神々の会談はマッサージチェアにて
しおりを挟む男湯女湯と書かれた暖簾の先が月光苑名物の大浴場であることは、一度訪れた客なら誰しも知っていることだ。だが実はその手前に憩いの広間という名前の、密かに人気のある場所が存在する。
そこに置かれているものといえば自動販売機。大浴場から出て暖簾をくぐると目に入るその機械は、初めて見た客を圧倒するような存在感を醸し出していた。
それが何かと近づいてみれば大量の瓶に入った牛乳達が列を成して客を今か今かと待っている。
そのカラフルな色に興味を惹かれて銅貨片手に買ったら最後、風呂上がりの熱い体に優しい牛乳の味が染み渡り満足すること間違いなし。
そして大きく感じていた瓶の中身が意外と量が少ないことに物足りなさを感じるのも一連の流れだ。
足りないのならばもう一本と今度は色付きの牛乳を飲めば、味が付いていることに気づいて結局全種類飲んでしまう。
そしてチャポンチャポン鳴る腹を抱えながら宴の間へと向かう者も週に一度は存在していた。
その他にも畳が置かれた簡易的な休憩処がある。ここは主に銅の招待状を持つ者に人気な場所で、のんびりと座りながら風呂の感想を言い合う客の姿があちこちに見られた。
そのため百畳というかなりの広さとなっていて、畳の良い香りに思わずそこで寝てしまう客も存在している。
そんな憩いの間だがそこに入り浸る者が一人。常連に聞けばあの人ね、と頷くくらいには知れ渡っている彼女の目的は、自動販売機でも休憩処でもない。
その目的は大浴場の暖簾から少し離れた、大きな窓から一面の山という絶景が見れる場所に置かれている数台のマッサージチェアだった。
「ああ~。やっぱりマッサージチェアはいいわね。この頭を空っぽにしながら景色を見ている時間が何よりの至福だわ」
マッサージチェアの振動に声を震わせながらそんな独り言を呟いた彼女の名前はアンネリーゼ。
月光苑のオーナーには疲れ切ったОLと称される彼女だが、その正体がこの世界の創造神であることは一部の者しか知らない。
そんな彼女が異世界の勇者へ邪神討伐の褒美として渡した神域に造られたのが月光苑であり、迷宮のドロップ品や宝箱から招待状が出るのも彼女がその権利を与えたからであった。
だから私が月光苑の半分の権利を有しているのです。そんなごり押しの理論を神託として脳内で延々と語り続けた結果、根負けした光から勝ち取ったのが月光苑永久パスポートだ。
これによりアンネリーゼは好きな時に好きなだけ月光苑に来ることができる。
「しかし最多来苑者が魔勇者なのは納得いきませんね」
月光苑に通い放題のアンネリーゼを差し置いて、最も訪れているのはアークライトであった。
アンネリーゼとて配下の下級神に怒られるくらいには月光苑に通っている。それなのに追い抜けないなんて、魔勇者はここを家だと勘違いしている節があるとアンネリーゼは思う。
「しかし配下の神に調べさせた結果、魔勇者は最近ある家族を雇った模様。これで以前ほど来ることは出来ないでしょう。一位の座は私がいただきますよ」
ふふふと笑うアンネリーゼはマッサージチェアが動かなくなったのを確認して再び銅貨を入れた。
「唯一マッサージチェアの欠点を上げるとするならば動いている時間の短さですね。十分は短すぎます。銀貨でいいので一時間くらい動いてくれないものでしょうか」
もしくは連続で銅貨を入れたい。それならば最初に三十枚くらい投入して後はゆっくりと眠れるのに。そんな創造神にしては小さな願いを祈っていると近づいてくる他の客の気配を感じた。
「もし。お隣いいですかな?」
「返事をする前に座らないでくださいよ」
隣に座ったのは一人の老人だった。真っ白な長い髭を生やした、いかにも好々爺といった小柄な老人だが、アンネリーゼの目にはその身から立ち上る強い神気が見えている。
「会うのは久々ですか。貴方はいつも温泉に入り浸って出てきませんから。何の用ですか?アヴィスディア」
この小柄な老人の正体は生き物の死を司る冥府の神であるアヴィスディアだった。
早く寝ないとアヴィスディアに連れて行かれるよ!眠りにつかない子どもを母親が脅す手段として用いられる彼は化け物のような見た目に描かれることが多い。
だが本物はこんなどこにでもいそうな老人の見た目をしている。
「風呂はいいものですぞ。心の洗濯と申した者がいましたが正にといった所ですな。今度血の池地獄もあのくらいの温度にしてみましょうか」
「罪人の魂をリラックスさせてどうするんですか。というかさっきから気になってるんですが、そのタオルはなんですか?」
呵々と笑うアヴィスディアが肩にかけているのは月光苑から渡されるタオルではなく、黒地に白文字で月光苑サウナ同好会と書かれたタオルだった。
「ほう!気になりますかな!これはアントニオ会長が作成したサウナ同好会のタオルでしてな!会長に認められた者にしか渡されない真のサウナ―の証なのですよ」
嬉しそうにタオルを見せるアヴィスディアに、この神は随分と変わったなと感じる。
以前の彼ならこんな笑顔を見せることはなかったし、人から貰った物を自慢することもなかっただろう。常に無表情で淡々と命の管理をする堅物だったはずだ。
「貴方は随分変わりましたね」
「それは貴女もでしょうアンネリーゼ様。貴女はこんな軽口に付き合ってくれるような親しみやすい神ではなかったはずです。お互い変わったというのならば、それは月光苑のお陰でしょうな」
そうだろうかとアンネリーゼは過去の自分を振り返った。自分では自覚はなかったが確かに最近下級神に話しかけられることが増えた気がする。そのせいで月光苑へ向かう時の小言が増えたのは納得いかないが、きっといい変化なのだろう。
「人というのは面白い生き物ですな。理由もなく同族で殺しあうこともあれば、神すら変えてしまう物を作り出すこともできる」
「そうですね。それが人間の愚かであり愛おしい部分なのでしょう」
「しかしそんな人間にもう一度試練の時は訪れようとしている。邪神の復活は近い」
アンネリーゼも最近ひしひしと感じていた。地中深くに封印されたはずの邪神の鼓動が聞こえていることに。しかもそれは以前にも増して闇の気配を強めている。
ただそれでも問題ないと片づけたのは頼れる強者が月光苑にいるからだった。
「神は神と戦うことはできません。それが神に課せられたルールです。でもここの常連には神を殺せる者がいます。ならばなにも恐れることはありません」
「次はどんな褒美が必要になるのやら。今から楽しみですな」
「そうですね。次は月光苑別館なんて作ってもらうのもいいかもしれません」
神二人による会議はマッサージチェアの上で。しかも最終的に丸投げで終わらせたアンネリーゼは、自分もマッサージチェア同好会を作ろうかと水面下で動き始めた。
アンネリーゼのイメージ
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